第47話 新天地へ
ーー雄弥が転移してから2年、バイランの事件から10ヶ月が経過した、ある日の朝方。
雄弥とユリンは黒塗りの巨大な高級車に乗り、ゼルネア地区の大通りを進んでいた。
同乗者は初老の男性運転手と、そして……
「ちッ、さすがにこの時間は混んでいるな。車というのは煩わしくてかなわん」
通勤時間帯ゆえの道路の混雑に苛立つ、サザデーだった。
並んでシートに腰掛る雄弥・ユリンと、向かい合って座っている彼女は舌打ちをしながら懐を弄り、1本の葉巻とマッチを取り出す。
シュッと火をつけ、それを口に咥えた葉巻に移そうとしたが、直前でユリンに葉巻を取り上げられてしまった。
「ダーメ。もう、タバコやめてくださいってずっと言ってるじゃないですか」
「葉巻は私の恋人だ。私はただ、愛する者とのキスを堪能したいだけなんだよ」
「あなたの命を縮める恋人なんて、私が許しません。ほら、箱も出してッ」
「ははは……手厳しいもんだ。相変わらず」
懐の葉巻箱も没収されたサザデーはからからと笑いながら、シートの脇に据え付けられていた灰皿に火を消したマッチを捨てる。
「タバコなんて万害あって億分の一利無しです。ユウさんもそう思いますよね。……あれ?」
ユリンが自身の右隣に座る雄弥に顔を向けると、いつもの白シャツ黒ズボン藍色パーカーに身を包んだ彼は、窓に頭をもたれさせて寝息をたてていた。
バイラン・ゼメスア戦、および怪我が完治した後に行なった7ヶ月の過酷な訓練により、彼の身体には以前にも増してたくさんの傷の痕が付いている。
「ふん……呑気なものだ。ようやく訪れた正式配属の日だというのに」
「こんな大ゲサな車に乗ってたら誰だって緊張で疲れちゃいますよ。わざわざ送ってくださらなくてもよかったのに……。駅までそう遠いわけでもないんですよ?」
「たわけ。たかだか50メートル先にある商店街に行くのに2時間もかかるお前に、そうやすやすと外を歩かせられるか」
「そ、そこまでひどくありませんよッ! ……多分……」
「全く……車を使えば目的地まで真っ直ぐ行けるのに……なんで徒歩だとダメなのやら……」
「う〜……」
ユリンは顔を赤くむくれさせてうなだれる。
雄弥と一緒の時は常に凛としている彼女も、サザデーの前では1人の子供であった。
「……それにしたって、あなたが同行する必要は無かったでしょ?」
「いいじゃないか。次お前に会えるのがいつになるかも分からんだろう。この2年は面倒事が多すぎてロクに話もできなかったしな」
「あら、もしかして寂しいんですか? あなたにそんな可愛らしい感情があったとは知りませんでしたよ」
「おいおい、ひどい言い草じゃないか。そんなに私は冷たいかねぇ」
「見方によっては、ですね」
「それは誰しも同じことだ。私に限った話じゃあるまい」
「……そうですね。誰だって……私だって、そうなんでしょうね」
不意にユリンは、少しだけ悲しそうな表情を見せた。
……やがて駅に着き、車が停まった。
「元帥、到着致しました」
運転手の男がバックミラー越しにサザデーに告げる。
「ああ……ご苦労」
「ユウさん、起きて。着きましたよ〜」
「……んあ? お〜……」
ユリンに揺すられて起きた雄弥は、白の瞳を眠そうに擦りながら開く。
そんな寝ぼけている彼の頭を、サザデーが右手でばしんと叩いた。
「だッ!? 痛ィってェェ〜!! 何すんだ!!」
眠気は一瞬のうちにぶっ飛ばされ、雄弥は無理矢理に眼を覚まさせられる。
「しゃきっとしろ馬鹿者が。さっさと荷物を下ろせ」
「わ、分かってるよ! ……ちぇッ、叩くことないじゃねぇかよ〜」
サザデーの迫力には抗えず、彼はその傷痕だらけの顔をしかめてぶつぶつ言いながら、自分の持ち物を積めた大きなトランクケースを持って降車する。
彼が降りると、ユリンも続く。そして彼女は車内を覗き込むようにして、シートに座るサザデーに振り返る。
「じゃあ行ってきます、お母さん」
「ああ、気をつけてな。……ユリン」
サザデーは、穏やかに笑った。
* * *
ヒニケ地区。
憲征軍領土の最西端に位置し、ここゼルネア地区からは汽車で6時間以上もかかる辺境地。雄弥が配属されることになったのは、そんなところにある部署だった。
憲征軍第7駐屯支部。彼がこれから勤める軍拠点の名称である。
そしてユリンも一緒に、同じところへの配属となったのだ。
「しっかし……一等車両丸ごとひとつを貸し切りって……。たかが一般兵2人だけの移動だっつーのに、いくらなんでもムチャクチャだぜ」
駅のホームにて。
雄弥は発車時刻を待つ汽車の前で、予めサザデーから渡されていた乗車券を引き気味に眺めている。
「サザデーさんはいっつもこうなんですよ。駅に来る時の車といい……元帥権限にモノを言わせてやりたい放題です」
ハイネックの黒タンクトップに白のデニムのようなボトムスを身に付けたユリンが、辟易 した様子でそれに答える。
「それショッケンランヨーってやつじゃねぇの? いいのかよ軍のトップがそんなんで」
「議事院会で何度も問題になってはいるんですが、全然懲りてないんですよ」
「あの人らしいって言やぁそれまでだな。まぁいいや。とりあえず乗っちまおうぜ」
「ええ、そうですね」
雄弥は足元に置いていたトランクケースを取ろうと屈みこもうとした。
「ユウヤ、おにぃ、ちゃん……ッ!!」
その時、細い声が彼の耳に飛び込んできた。
聞こえてきた方に顔を向けた彼の眼に映ったのはーー
「んな!? エミィ!?」
ホームの入り口から走って自分の方へと向かって来る、宮都の病院にいるはずのエミィ・アンダーアレンだった。
「お、お前どうして!? 宮都から1人で来たのか!?」
雄弥の眼の前まで駆け寄った白いパジャマ姿の少女はその質問に対し、はぁはぁと息を切らしながら首を横に振る。
「アルバ、ノおじちゃんに……おにぃちゃん、が……今日、しゅっぱ、つしちゃうって、聞いて……つれて、来て、もらった……の……!」
「……は? なんて? アルバノおじちゃん?」
「こぉ〜らエミィちゃん、走るんじゃあない。転んじゃうだろう」
雄弥が彼女の発言に唖然としていると、薄紅色の長髪を下ろし白Tシャツに青ジャージというラフな格好をしたアルバノが、エミィの背後からゆっくりと歩いて来た。
「げッ!! またてめーかよッ!!」
「おいユウヤくん、僕の顔を見るたびに毎回その反応をするのはよしてくれないかい? 傷付くな〜」
「てめーこそなんで毎回俺のいるとこに現れるんだッ!! ヒマなのか!?」
「ああ、ヒマだよ? 常人が1時間かけて終わらせる仕事も、僕なら10分で片付けられるからねぇ。おかげでやることがすぐに無くなっちゃうのさ」
「だーハラ立つ〜ッ!! ウザ過ぎんだろこの超人め!! ……お?」
地団駄を踏んでいた雄弥は、眼の前にいるエミィが自身のパーカーの裾を掴むのを感じた。
「あ……ごめんな、ほったらかしにしちまって。わざわざ見送りに来てくれてありがとよ」
彼はしゃがみ込み、少女と視線の高さを合わせる。
彼の眼に映るエミィは泣いてこそいなかったが、その表情は寂しさと悲しみで染まりきっていた。
「……また、あえる、よね……?」
「いやアホか、そぉんな大ゲサな言い方すんなよ。ほんのちょっと遠いところに行くだけだぜ」
「で、も……おしごと、で、行くんで……しょ……? い、そがし、く……なる……んじゃ……」
「ヘーキヘーキ。俺も休みができたら帰ってくるし、なんなら会いたくなったらお前から連絡してくれりゃいいじゃねぇか。電話なり手紙なりくれりゃ、俺はどこにいようがすぐにスッ飛んで来るぜ。だから心配しねぇでよ、お前も早く元気になれるように頑張ーー」
雄弥はそこで何かを思い出したように、言うのを止めた。ほんの少しだけ考え込み……やがてもう1度口を開く。
「……いや悪ぃ、間違えた。無理に頑張ろうとしなくて……いいんだ。イヤだと思ったらいくらでもサボれ。逃げたいと思ったら逃げちまえ。やりてぇようにやりゃいいんだ。お前はまだ……小せぇんだからよ」
その言葉に、彼のすぐ後ろに立つユリンは少しだけ驚いた顔をしたのち、やがて安心したように微笑んだ。
そして、エミィはとうとう堪えきれなくなったように大きな桃色の瞳に涙を滲ませ、しゃくりあげながら彼に抱きつく。
「カゼとか、ケガとか、気をつけてね……ッ」
「ああ、お前もな!」
「ユリン、おねぇちゃんも……」
「ふふ、ありがとうね」
雄弥とユリンは2人揃って、エミィの頭をワシャワシャと撫でた。
「……さぁ〜て、もう帰ろうエミィちゃん。さっさと戻らなきゃ、僕が看護師長さんに怒られちゃうよ」
そんな様子を黙って眺めていたアルバノは、エミィの身体をひょいと持ち上げ、彼女を肩車する。そして、鋭い眼差しを雄弥に向けた。
「ここからの過酷さは、訓練時代の比ではないぞ。まぁ精々……潰れない程度に勤しみたまえ」
「……へッ、余計なお世話だ。てめぇに言われなくたって、死なねぇ程度に踏ん張ってやるさ……!」
「やれやれ……結局減らず口だけは治らなかったようだねぇ」
「るせーッ! てめぇも同じようなモンだろーが、この性悪ヤロー!」
あっかんべーをする雄弥にアルバノは心なしか小さな笑顔を見せ、最後にユリンを見る。
「じゃあねユリンちゃん。"ジェセリくん"たちに、よろしく伝えておいてくれ」
「はい、分かりました」
そして、アルバノとエミィは帰って行った。エミィはホームを出るまでずっと、雄弥たちに手を振り続けていたのだった。
「つーか……あの2人いつの間にあんなに仲良くなったんだ?」
「……バイランの事件以来、アルバノさんは毎日のようにエミィちゃんを含めた被害者の子供たちのところに出向いているんです。多分、それで……」
「! そうなの……!?」
全く知るよしも無かったアルバノの意外な行動に、雄弥は眼を丸くして驚く。
少し考えれば分かることだ。最高戦力の一角である彼がヒマなわけはない。ゼメスアの時だって三徹明けの状態だった。
そのような多忙の中でも子供達の元へ行き、今日の見送りにも来てくれたのだ。
「……くそ。悪ぃこと言ったかな。ヒマだとか」
いくら大ッキライな相手とはいえ、雄弥の心にちょっぴりの罪悪感が芽生える。
「だぁ〜いじょうぶですよ。あの人はそんなこといちいち気にしたりしませんから。それにいいじゃないですか〜。アルバノさんはいつもあなたに言いたい放題言ってるんですから」
しょげる彼に、ユリンが冗談混じりに笑いかけた。
「そ、そうだ! こっちは会うたんびにボロカス言われてんだッ! やっぱ今の取り消し! 俺は悪くねぇッ!」
そんな他愛も無いやり取りをしていると、駅ホームのベルが鳴り響いた。
「わっいけない、発車の時間ですね。それじゃあ行きましょう、ユウさん」
「おう!」
そうして雄弥とユリンは、新天地ーーヒニケ地区に向かうべく、汽車に乗り込んだ。
ーーそんな彼らを、物陰から遠巻きに眺める者たちがいた。
数は3人。格好は全員同じで、ピンクのTシャツに黒のオーバーオール。
「……あのガキ共とさっきまで話していたのは……最高戦力アルバノ・ルナハンドロか……?」
1人目。長身痩躯の、眼つきの悪い緑の辮髪頭の男。
「そうだあんちゃんッ! しかもかなり親しげだったぜッ! こりゃああのガキ共は、アルバノ・ルナハンドロの直属の部下かなにかに違ぇねぇッ! じゃなきゃ親戚だッ! じゃなきゃご近所さんだッ! じゃなきゃ……ただの仲良しだなッ!」
2人目。筋肉ゴリゴリ、しかし身長は160センチに満たない、お眼々まんまる坊主頭のチビ男。
「し〜ッ、しぃ〜ッ! 声がおっきいよバカぁ! ……でも、最高戦力の関係者かぁ。情報通りだねぇ。もしあいつらも捕らえられたら、軍に対してはよりいい人質になりそうだよぉ〜。どうするぅ、おにぃちゃん〜……?」
3人目。坊主頭以上辮髪頭以下の身長の、タレ眼で赤色ショートヘアのグラマラスな女。
「フン……分かりきったことを聞くんじゃねぇ。獲物が増えたってだけだ。まとめて狩るしかねぇだろうが。……行くぞ、てめぇら」
「あいよッ! あんちゃんッ!」
「だから声おっきいってばぁ〜!」
彼らは一般車両に乗り込み、それからすぐ、汽車はホームから発進した。
* * *
「あ……アルバノ、おじちゃん……」
「ん? なんだい」
エミィが、自身を肩車しながら街道を歩くアルバノに話しかける。
「ゆ……ユウヤおにぃちゃんの眼……色が……ちがく、なかった……?」
「! ーー……」
アルバノは少し困った顔をする。
「前、までは……黒かった、のに……。びょ、うき……じゃ、ないよ……ね……?」
「いやいや違う違う。エミィちゃん、ひとつ覚えておくといい。バカは病気にはならないのさ。だからその可能性はゼロだ。安心しなよ」
「…………ばか、じゃな、いもん」
急に、エミィの声が不機嫌になった。
「え?」
「おに、ぃちゃん、は……ばか、じゃないもん」
「あれ、その、あ〜……なんか……ゴメン。ま、まぁとにかく、病気とかではないよ」
ムスッとするエミィに、アルバノはたじろぎながら謝る。
「……じゃ、あ、なんで?」
「……それは言えないんだ。すまないね。ただエミィちゃん。あいつの眼が黒かったってことは、誰にも言っちゃダメだ。これだけは約束してくれ。分かったね?」
「! ……う、ん……」
……頭の良いエミィは何かを察したのか、それ以上聞くことはしなかった。
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