第44話 尾引く悪行
ーー孤児院での戦いから、1週間が経った。
「……ッくがぁ〜……いででで……!」
ベッドの上で上体を起こしコップから水を飲み干した雄弥は、治りかけの舌への疼きに顔をしかめる。
「大丈夫ですか?」
彼のベッドのすぐ横から、グレーの縦セーターとデニムの上に白衣を着用して椅子に腰掛けているユリンが、声をかけた。
「お〜……だいじょぶ」
「これに懲りたら、今後自分でベロを噛みちぎるなんて馬鹿な真似はしないことですね」
「ああ……も〜二度とごめんだ。ロクにものも食えねぇし……」
現在、雄弥は全身包帯だらけのミイラ状態。
覗いているのは顔面と右掌だけであり、ギプスやらなんやらで全身ガチガチに固められている。
特に千切り落とされた左腕は、肘の部分でピクリとも動かせないよう念入りに固定されていた。
「どうですか? 左肘の人工関節の具合は。痛みがあったりしませんか?」
「痛いとかはねぇんだけどさ。ちょっと違和感があるんだよな……。なんか自分の腕じゃねぇみたいだ」
「よかった。悪くないならいいんです。まだ付けてから1週間ですから、違和感があるのは仕方ないです。3ヶ月もすれば元の腕と変わらず動かせるようになりますよ」
「さ、3ヶ月ね……。もうどこにビックリすりゃいいんだか……」
雄弥は感心を通り越して呆れてすらいた。当然だ。腕がくっついただけでも彼にとっては奇跡なのである。
2人がそんなことを話していると、病室の引き戸がコンコンと音を立てた。
「はーい、どうぞー」
雄弥の返事と同時に戸が開く。入って来たのはーー
「失礼するよ」
……アルバノだった。
「うげッ!!」
その姿を見た途端、雄弥の顔が純度100%の嫌悪に塗りたくられた。
常識的に考えれば失礼極まりない態度なのだが、今回は相手が相手である。なにせーー
「やぁ、ユウヤくん。やっぱりきみはそうやって惨めにベッドに寝ている姿が1番お似合いだねぇ。いっそ、もう一生そこにいたらどうだい?」
開口一番にこれなのだ。彼が嫌がるのも当然である。
そしてこんなことを言われちゃえば、彼もまた黙っていられるはずがない。
「んだと!? こっちはやりたくてやってるわけじゃねーんだよ!! なんならてめーも同じようにしてやろうか!?」
「ふん、やれるものならやってみろ。ただし終わった時、きみはベッドではなく棺桶で寝ることになるだろうがね」
「じょーとーだッ!! てめーこそやれるもんならーー」
「2人ともやめなさ〜いッ!!」
幼稚園児にすら鼻で笑われそうな言い合いに挟まれていたユリンの一喝に、驚いて眼をまん丸にした雄弥とアルバノは一瞬で静かになる。
「出会い頭にしょーもないケンカしないのッ! 子供じゃないんですから! 特にアルバノさん! 理由も無く人を煽るその癖、なんとかしてください! そのうちみんなに嫌われちゃいますよ!」
「え? もうとっくに嫌われてるさ。1週間前なんか、帰宅したら家の郵便受けに動物の糞が詰め込まれてたよ」
「……………………」
「……………………」
……雄弥とユリンは、それ以上何も言えなくなってしまった。
およそ10分が過ぎた頃。
「ーーそ、それよりアルバノさん。御用件は……?」
気まずい沈黙に耐えかねたユリンが、ようやく会話を再開させた。
「ん? ああ……バイラン・バニラガンの死体が見つかったんだよ」
「……え?」
「なに……!?」
ユリンと雄弥は、彼の言葉に再び絶句する。
「バニラガンはあの孤児院から北西に約8キロ離れた森の中で、頭を粉々に吹っ飛ばされた状態で発見された。検死官の話じゃ、死後7日経っていたそうだ」
「!! つまり……いなくなった後すぐ殺された、ということですか……!?」
「ああ。さらに、あの孤児院の中庭に降った氷柱の魔術の残滓と、バニラガンの吹き飛ばされた頭部にわずかにあった魔力残滓が一致した。つまり、僕たちを攻撃してバニラガンを連れ去った者と、バニラガンを殺した者は同一人物だということだ」
「ちょ、ちょっと待てよ! なんでそいつはわざわざ助けたバイランを殺したんだ……!?」
雄弥のその疑問に対し、アルバノは分かりやすくうんざりした顔を見せつける。
「それくらいちょっと考えれば分かるだろう、アホめ。口封じだよ。バニラガンを連れ去ったのはヤツを助けるためじゃなく、余計なことを喋られる前に始末するためだったってことだ」
「……ということは……バイラン・バニラガンに魔力と3体もの魔狂獣を与えたのも……同じ人物である可能性がありますね……」
「大体そういう見解だ。もっとも、推測どまりではあるがね。どうすればそんなことができるのかも分からないし、単独なのか複数犯なのかも不明だ。……こればっかりはこの僕の失態だな。あの時バニラガンを連れ去ったヤツを見つけられていれば、とっくに全て終わっていたものを……」
そう。あの日、氷柱が降り注いだ後すぐにアルバノが施設の周囲を半径1キロに渡ってくまなく確認したのだが、人がいたという形跡すら発見されなかったのだ。
「氷柱の術の残滓から個人を特定できないんですか?」
「まだ照合中だが、今のところ該当する前科者はいない。……まぁそもそもあれだけ大っぴらに術を使ったというのは、そこからは足がつかないという確信があったからこそだろう。十中八九、特定はできないだろうね」
実行犯であるバイランは死に、その後ろ盾に至っては影も形も掴めていない。唯一分かっているのは、その者はかなりの魔術の素養を持っているということだけ。
現状、事態の進展は一切望めなくなってしまっていた。
「! そういえば被害者の子どもたちはどうなってるんすか……! 大丈夫なんすか……?」
アルバノとユリンの会話に置いてけぼりになりかけていた雄弥は、大事なことを思い出す。
犯人逮捕はもちろん重要だが、1番肝心なのは被害者の無事だ。その程度のことなら彼にも分かる。
彼のその問いにアルバノとユリンは重苦しい表情を露わし、やがてユリンが答えた。
「……術者であるバイランが死んだので、エミィちゃん以外の子供たちの記憶も全て元通りになりました。ですが……消されていた膨大な量の記憶が一気に戻ってきてしまったので、彼らの脳の処理が全く追いつかなかったんです……」
「……え? え? ごめん、つまり……どういう……?」
「頭の悪いきみにも分かるように言えばな、全員おかしくなっちゃったのさ」
混乱する彼の思考に割り込むように、アルバノが口を挟んだ。
「現れた症状は様々だ。常に奇声を発し続けるようになった子、逆に全く何も喋らない子、ふとしたことですぐに暴れ始める子……中には自傷行為を繰り返す子までいる」
「…………は…………?」
馬鹿にも分かるように説明されたはずだが、雄弥にはアルバノが言っていることが何ひとつ理解できなかった。
「……エミィちゃんのように、自分の親が殺されたところを眼の当たりにした子もいます。そういった子は……その時の記憶までもが、何もかも蘇ってしまって……」
「…………冗、談…………だろ…………?」
人伝に聞いている雄弥すらひどい吐き気に襲われるほどの話なのだ。それを直接見せつけられる、しかも彼よりもずっと幼い子等が。
酷い、……なんて単語で済まされることではない。
「そ……その子たちは……!? 今は……!?」
「精神病棟に収容されました。外界からの完全隔離下にあります」
「回復……できるかどうかとかは……」
「……目処は立っていません」
「そ……んな……」
雄弥はあまりにも救いが無さすぎる現実に打ちのめされ、何も考えられなくなってしまった。
「……わりぃ、俺ちょっとトイレ」
彼は不意にベッドから降りると、ふらふらとおぼつかない足取りで病室の出入り口に歩いて行く。
「あ……じゃあ一緒に行きましょう」
「いや、もう1人で歩けるし大丈夫。ありがと」
彼は付き添おうとするユリンを見向きもせずに横を素通りし、そのまま出て行ってしまった。
「え、ちょ……ユウさんッ」
「ユ〜リンちゃん。いいからあんなヤツほっときなよ」
アルバノは尚も冷徹で無神経である。
だが今の一言ばかりは、さすがのユリンも看過できなかった。
「アルバノさんッ!! いい加減にーー」
ユリンは振り返り、上官であるアルバノをキッと睨みつける。
「……!」
ところが彼の顔を眼にしたユリンは何かに気づいたように、切れかけた堪忍袋の尾を締め直す。
彼の……アルバノの表情は、先程のような雄弥を小馬鹿にするものとはまるで異なり、何かを見据えているような真剣な眼差しを持っていたのだ。
「く……ッそがァァアッ!!」
雄弥は自分自身に対する溢れんばかりの怒りに身を任せ、誰もいないトイレの壁を完治して間もない右手で何度も何度も殴り付ける。
ーー何の役にも立てなかった……!!
1人で勝手に首突っ込んで……!!
1人で勝手に大怪我して……!!
それで最後は結局……アルバノさんとユリンに任せっぱなしで……ッ!!
俺は……俺はエミィ1人のことすら、ロクに守れやしなかった……!!
「ふ……ふざけやがって……!! 何が『成果』だ……!! 何もできねぇくせに……ッ!!」
……身体を張れば、どうにかなると思っていた。苦痛に打ち勝てば、敵を倒せると思っていた。
だがそこまでしても尚、誰の役にも立てなかった。必死に血を流した結果、残ったものは傷だらけの身体だけ。殺された人たちは戻らず、犯人は分からず、挙句子供たちは生き地獄に堕とされた。
何も変わっていないどころか、むしろ状況は悪化したと言ってもいい。
そんな子供1人すら護れなかった男が……今後誰を助けられようか。誰かの援助を前提とした働きしかできぬ者に、なんの価値があろうか。
「……………………ちくしょ……………………」
雄弥は背中から力無く壁に寄りかかり、ずるずるとしゃがみ込んだ。殴り付けた壁には血が滲み、右手の甲はどす黒い紫色になっていた。
ーーどのくらいそうしていただろうか。
顔を伏せている彼は、トイレの中に自分以外の誰かの足音を聞いた。それはゆっくりと近づき、彼の眼の前で止まる。
ここは彼以外の患者がいない特別病棟だ。しかも彼の怪我の経過観察および彼の身の回りの世話はユリンが行っているため、医師や看護師の出入りも極端に少ない。ゆえに雄弥は、帰りが遅い自分の様子をユリンが見に来たのだろう、と思った。
「……ああ、悪いユリン。もう戻るから」
しかし、返事が無い。
不審に思った彼は顔を上げる。
「!? お前……!!」
そこにいたのは、ユリンよりずっと小さな女の子ーーエミィだった。
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