第42話 幕は降り、舞台は崩れ
『……ウソだろ』
蹴りの一撃でゼメスアの首を飛ばしたアルバノに対し、雄弥は率直な怖れの感情を抱いていた。
『この人が強いのは……知っていた。コテンパンにされたとはいえ、俺だって1度戦り合ったんだから』
『それでも……それでもよ……。……ここまでレベルが違うのかよ……!?』
戦慄する彼をよそに、ゼメスアの頭は空中20メートルほどまで上昇すると、緩やかな弧を描いて落下。そのまま残った身体のすぐそばの地面に激突し、巨大な地響きを立てた。
「ゴアァアアァァァ……ッ!!」
それでもまだゼメスアは死んではいなかった。撥ね飛ばされた頭部は悲痛な声を上げ、頭部と上半身の左半分を失くした身体は尚も動き回り、その全身についている眼は限界まで血走って真っ赤になっている。
「へぇ……首を落としても死なないのか……。残った身体だけじゃなく、落とした頭の方も動けるってことは……ーーなるほど、察するにきみの生命中枢はその"眼"か」
ズボンの腰ポケットに両手を突っ込んでいるアルバノはそう分析するとニヤリと笑う。
「……よかった。思ってたよりは早く帰れそうだ」
すると、アルバノはゼメスアの身体、そしてそのすぐ隣に転がっている頭部に向かって歩き始めた。
……もはやゼメスアの戦意は完全に失墜していた。脚は全く言うことを聞かず、巨人は逃げることすらできなかった。
ただアルバノが1歩近づくたびに、巨人の本能に捩じ込まれた恐怖が、大きく……。
「…………ヒ…………」
大きく、大きく。
「ヒ……ヒ……!」
大きく、大きく、大きく、大きく。
「ヒィ、ヒィ、ヒィ、ヒィ、ヒィ」
大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きく大きくーー
「ヒィィィイアアァァアァアアアアァァァァァァーッ!!」
……狂乱するゼメスアの悲鳴を開演の合図に、そこからは凄惨な虐殺劇が展開された。
一方バイランは、先程から指の1本すらも動かさず、生気の抜け切った顔でぼんやりと佇んでいる。
ゼメスアとの視界共有はすでに自らの意志で解いていた。急所である眼玉を潰され、抉られ、引き裂かれ、ゼメスアの身体にはもう生命を維持する力はほとんど残されていなかった。……その現実から、眼を逸らしたかったのだ。
彼の敗北は、もう決まったことだった。
「……のれ……」
しばらくしてバイランは、思い出したように口を動かす。
「おのれ……おのれ……」
呪文のように怨嗟を吐き出す。瞬きもせずに、ぶつぶつと。やがてーー
「おぉおおぉぉのぉぉおおれぇぇええェェェェーッ!!」
彼の頭の、何かが外れた。
「殺してやるゥゥッ!! こうなったら1人だけでもォォォォオッ!!」
勝機を無くしとうとう錯乱したバイランは懐から刃渡り15センチほどのナイフを取り出すと、固まっている雄弥、ユリン、エミィの3人に向かって全速力で駆け出した。
彼が目掛けているのはーーエミィだった。
「ひ……ッ!!」
「エミィちゃん、おいで!」
そんな恐怖に青ざめるエミィを庇うように、ユリンが立ち塞がる。
「えぇいもう誰でもいいィィ!! じゃあ貴様だッ!! 貴様に決めたァァァアッ!!」
まともな思考すら放棄したバイランは一瞬の躊躇もせず標的をユリンに変更するが、エミィと共に彼女の後ろにいる雄弥からしてみれば最悪であることに変わりはなかった。なぜならーー
『ま……まずい……!! バイランはさっきゼメスアの吸収で魔力を回復している……ッ!! つまり……奴は使えるんだ!! 『仁狩鋏』を……!!』
「ダメだユリン……ッ!! 逃げ……ろぉッ!!」
雄弥は彼女に向かって必死に叫ぶ、が……。
ちょきーー
間に合わず、術は行使された。
「誰も彼もが木偶の棒だァァァッ!! 死ねぇええええェェェェーッ!!」
「くそおぉおッ!!」
そのまま自身のリーチが及ぶ距離までユリンに肉迫したバイランは彼女の顔に向けてナイフを突き出し、雄弥は治りかけにすら至っていないボロ布同然の身体を無理矢理に叩き起こして彼女を庇おうとする。
ーーだがその時。バイランが突き込んだナイフは、ユリンの顔面まであと2センチというところで止まってしまった。
「のぇ?」
「は?」
1ミリたりとも予想していなかった事態に、バイランおよび雄弥は2人そろって間抜けな声を発する。
もちろんバイランが攻撃するのをやめたわけではなかった。
……ナイフを持った彼の右腕が、ユリンの左手に掴まれたのだ。それも骨がメキメキと音を立てるほどに力強く。
意識を断ち切られたはずのユリンは、彼女のすぐ後ろにいる雄弥とエミィがひどい寒気を覚えるほどに、冷たい怒りを見せつけていた。
「……下衆が」
刹那、そう呟いた彼女の右拳がバイランの鳩尾に炸裂した。
「ゔぼぇえッ!!」
バイランは濁った瞳を限界まで裏返らせて白目を剥き、内股で全身を痙攣させて悶絶する。
「んば……ば……ばがな……!! な……な、なぁ……ぜぇえェェーー」
間髪入れずにユリンはそんな彼の右腕にさらに両手で深く掴みかかると、背負い投げの要領で彼の身体を振り上げる。バイランはそのままの勢いで背中から地面に思いっきり叩きつけられ、意識を暗闇の彼方へ吹っ飛ばした。
「…………な…………な…………!?」
眼の前で起こった状況の一切がひとつとして飲み込めない雄弥は、彼女の背後で立ち上がりかけの中腰状態で硬直。やがて振り返った彼女と眼を合わせる。
「え!? ちょっと何してるんですかユウさん! 起きちゃダメですよ!」
「え、あ……え?」
「いいから横になりなさい! せっかく塞いだ傷がまた開いちゃうでしょ!」
今の今までの恐ろしさが嘘であったかのように振り返ったユリンはいつも通りのユリンであり、雄弥は呆気に取られたままそんな彼女に半ば強引に寝かされる。
「……うん、でももうほとんど血は止まってますね。右腕の骨もくっ付いたし、内蔵の処置もほとんど終わったし……。残りの大がかりな治療は病院に行ってからのほうがいいですね」
彼女はまるで何も無かったかのようにけろっとしてしており、ワケの分からない雄弥は混乱するばかりであった。
「な、なぁ……。お前……だ……大丈夫……なのか……?」
「え? ええ、大丈夫ですよ?」
「な……なんで……どうやって……」
「私の防護魔術はもともと対魔術用に編み出したものです。催眠だろうと記憶改竄だろうと、それが魔術である以上、来ると分かっていれば対処するのは容易。今のは自分の脳を魔力の防膜で覆って、精神への介入を防いだだけです」
ユリンはそれが些細なことであるかのように淡々と説明するが、バイランの『仁狩鋏』に散々手こずった雄弥からしてみれば、彼女のやったことは全く理解の及ばないものだった。
「は……はは……『だけ』、ね……」
彼女の無事に安堵する傍ら、雄弥の中の自分自身に対する無力感は増幅する一方であった。
「いいねぇ、ユリンちゃん。相変わらず最高のセンスだ」
そんな彼らの背後からアルバノが歩いて来た。その左肩には、眼玉を全て潰されて完全に沈黙したゼメスアの頭部が担がれている。
「あ、アルバノさんこそ早いですね……! もう倒しちゃったんですか……!?」
あまりの決着の早さに、さすがのユリンも驚きを隠せない。
「い〜や、遅過ぎるくらいさ。やっぱり寝不足はダメだな。身体が全然動いてくれないよ」
傷を負うどころか衣服すら少しも乱していないアルバノは眠そうに眼をこすりながらそう言うと、担いでいたゼメスアの頭部を自身の前に粗雑に投げ置いた。
「こいつは総本部に持って帰って科学研究班にまわそう。あっちに倒れてる身体の方もね。魔狂獣生態解明のための最高のサンプルになる。ユリンちゃん、済まないが保存処置を頼んでいいかい」
「あ、はい!」
ユリンは立ち上がると、アルバノの前に置かれた巨人の頭部に小走りで向かった。
ーーしかし、それから間も無く。
「!?」
ユリンとアルバノの顔が、突然一気に険しくなった。
「ユウさんッ!! エミィちゃんッ!!」
そしてユリンは唐突に踵を返し、必死の形相で雄弥とエミィのもとに走り出す。
「え?」
「……?」
彼女の豹変ぶりに全くついていけない2人は唖然とするばかり。
直後だった。
空から、中庭全域に無数の"何か"が降り注いで来たのだ。
「"慈䜌盾"ッ!!」
その"何か"が2人に直撃する半歩手前でユリンは彼らのもとに戻り、防護魔術を発動。直径5メートルほどの円形の魔力防壁を自身らの頭上に置くことで、空からの落下物を遮った。
「どわぁあッ!! な、なんだぁ!?」
「きゃああ……ッ!!」
防壁の下で雄弥は驚愕し、エミィは耳を塞ぎながらか細い悲鳴を上げる。
降ってきているのは長さが50センチはあろうかという、巨大な氷柱だった。
それらが地面に激突・刺突する爆発の如き音によって鼓膜が悲鳴を上げ、壁と見紛うほどの密度で降っているため一寸先も見通すことができない。自然に起こったと考えるにはあまりにも奇怪で、殺意に満ちた現象だった。
『氷……『雹悔』の術か!』
息つく隙も無く降り続ける氷柱を右手のみで全て払いのけているアルバノは、これが魔術によるものであることを察知。
それからほどなくして、氷柱は通り雨のようにピタリと止んだ。
「ーーお……おさ……まっ、た……?」
エミィは顔を恐る恐る上げる。そんな彼女のそばに防壁を解いたユリンがしゃがみ込む。
「エミィちゃん、ケガしてない!?」
「う、うん……」
「ユウさんは!? 平気ですか!?」
「あ、ああ……お前のおかげで何とか……。それより……なんだったんだよ……!? 今の……!」
雄弥は上体を起こし、周囲を見渡す。
ユリンの防壁の真下ーーすなわち今雄弥たちがいる場所と、少し離れた位置にいるアルバノの周りを除き、中庭の地面は突き刺さった無数の巨大な氷柱で|足の踏み場も無いほどに覆い尽くされている。
当然、その地面に置かれていたゼメスアの胴体と頭部も原型を全く留めておらず、見るに堪えないミリ四方の肉片の集まりとなってしまっていた。
ーーそこまで確認して、雄弥はとんでもないことに気がついた。
「い……いねぇぞ!! バイランがいねぇ!!」
「えッ!?」
彼の声にユリンも慌てて振り向くが、先程彼女自身が気絶させ倒れていた老人は、影も形も残さず姿を消していた。
「そんな!! こんな早く意識が戻るわけが……!!」
彼女は遮蔽物の一切を失った中庭の隅から隅まで眼を向けるも、姿どころか気配ひとつ拾えない。
「ーーだったら……答えはひとつだろう」
動揺するユリンの背後から、眉間に深くしわを作り上げたアルバノが歩み寄った。
つい先程までの気怠るそうな態度は完全に消え失せ、空間そのものがひび割れそうなほどの凄まじい怒気と威圧感をばら撒いている。
「誰かが連れていったんだ……。氷柱を降らせた奴か……それかまた別の奴なのか……。ーーどっちにしても……舐めたマネをしてくれる……!!」
そう言いながら彼は、地面に突き刺さっている氷柱のうちの1本を乱暴に踏み砕く。
「僕は周囲を見てくる。ユリンちゃんはユウヤくんとその女の子を連れて今すぐ帰りなさい。その後で兵をまたこの場に寄越して、施設内にいる子どもたちを保護するんだ。いいね」
そして端的な指示を残すとアルバノは走って行った。
『……今の『雹悔』……。魔力量だけなら、この僕とーー』
その心中は、ひどい騒めきに溢れていた。
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