第40話 粘りの報償
「……そ……そ、そぉ……そんな……ぜ……ゼメスアが……!?」
衝撃波に煽られ全身を擦りむいたバイランは、自身の身体の傷のことなどまるで意に介さず、そのシワだらけの顔面を真っ青に染める。
「ーーぜぇッ、ぜぇーッ、ぜッ、ぜぇえ……ッおぇ……ッ」
一方……周囲が土煙によって30センチ先も見通せない状況の中、雄弥は立っていた。四肢をガタガタと痙攣させ、口からは荒い吐息と、血を溢しながら。
前腕以下を失った左腕はさらに皮膚が裂けあがり、肘の断面の傷口からへし折られた骨の先端が剥き出しになるという、いよいよ見るも無惨な状態に。そして足元の地面はすでに、彼自身の血で赤黒く染まっている。
言葉ではなんとでも強がれるが、精神は肉体を超えることはできない。彼にはもはや戦う力など微塵も残されてはいなかった。立っている。それだけでも奇跡だった。
……だが。敵がそんな都合など汲んでくれるはずもなく。
やがて土煙が徐々に散り、視界が開けてゆく。
認識できる景色が広がる。2メートル、4メートル、……10メートル。
そんな中で霞みがかった雄弥の眼中に飛び込んできたのは、まさに絶望の光景だった。
「…………う…………そだ…………ろ…………?」
ようやく晴れた粉塵の中から現れたのは、頭部を含めた上半身の左半分を失ったゼメスアだった。巨人は、いや、巨人も立っていたのだ。そのような悲惨な状態であるにもかかわらず。
ーーどころかゼメスアには全くこたえた様子すら無い。全身の瞳全てに余裕を宿し、雄弥のことをぎょろりと見つめている。
「あ、あんにゃ……ろう……。あんな状態で……ま……まだ生きてん……のか……。ど、ど……どーやったら……し、死ぬんだ……よ……」
雄弥の誤算は3つ。
ひとつ。『波動』で光線を押し返したはいいが、その『押し返す』ことにエネルギーの大半を費やしてしまったため、ゼメスア本体に届く頃には『波動』の威力が大幅にダウンしてしまったこと。
ふたつ。ゼメスアは自身に『波動』が当たる寸前に、魔力吸収の能力を発動したこと。ただでさえ威力が低下した状態の『波動』を、さらに弱体化されたのだ。
そしてみっつめは……ゼメスアの生命力が、彼がこれまでに戦った魔狂獣よりも遥かに高いということだった……。
「……うご……ォボ……ッ」
次の一手を講じる間も無く、雄弥の口から一際巨大な血の塊が飛び出し、地に落ちびちゃりと音を立てる。同時に彼は2、3度足元をふらつかせたのち、その血溜まりの上にうつ伏せに倒れ込んでしまった。
「ふ、ふん!! 焦らせおって!! 無意味に足掻きおってからに……!! だが……どうやら今のが本当に最後の一撃だったようだな……!! いよいよ貴様はおしまいだッ!!」
視覚の同調によってゼメスアの健在を知ったバイランは、額の冷や汗を拭いながら悪態をつく。
その通りだ。もう彼に術は撃てない。
魔力が無尽蔵であっても術者である雄弥本人の体力は知れたものなのだから。
「お……お、にぃ……ちゃん……!」
倒れ、気を飛ばしかけた雄弥は、エミィの声で意識を正す。
ぼやけた視界に映る少女の顔は蒼白であった。
寝ている場合ではない。痛みに悶える暇など無い。
彼は喉奥から溢れ出る血に溺れそうになりながら、エミィに対しなんとか声を発する。
「……え……エミィ……。逃げ……ろ……。這ってでも……だ……。ど……うに……か……」
仮に彼女の身体が全快であったとしても1人で逃げ切るのはほぼ不可能だろう。そんなことは雄弥もさすがに理解していた。
だが……もうそれ以外にどうしようもない。他に打てる手などありはしない。
少しの間を置いたのちエミィは口を開いた。
ーーそこから出た返答は、彼の予想を完全に裏切るものだった。
「…………や…………だ…………ッ」
雄弥は当然自身の耳を疑った。
「な……に、言ってん……だ……? バカ、か……! 行け……って……ッ!」
再度逃亡を促すも、少女は首を横に強く振る。
「離れな、い……でって、言、われた、もん……! そばにいろ、って……言われ、た、もん……ッ!」
「……!」
雄弥は、それ以上何も言えなかった。
心の中がぐちゃぐちゃだった。
この健気な少女に誓ったことを、守れない自分。
この思いやり溢れる少女を、助けられない自分。
この未来ある少女を、死なせてしまう自分。
自分の虚しさ、愚かしさ、無力さ。どうしようもない弱さ。
エミィの言葉によって心中に押し寄せた無数の感情が全て、ひとつの巨大な後悔として集約していく。
彼の黒い瞳から、一筋の涙が溢れた。
「死ねえぇェェッ!! カス共おぉォォォォォォォッ!!」
バイランの声と同時にゼメスアが半分だけ残った口を開き、これまた半分だけの喉に青白い光を溜めていく。
「ち……いぃぃ……ッ!」
雄弥は最後の力を振り絞って身体を起こすと、ゼメスアに対して背を向けながら、座り込むエミィの身体を包むように抱いた。その程度で彼女を庇いきれるはずがないことなど承知の上だったが……。
すぐさまゼメスアが無慈悲な一撃を放つ。
巨大な光が彼らに迫る。辺りを真昼のように照らし、荒れ上がった地表をさらに抉りながら、真っ直ぐに標的に向かっていく。
無意味と終わった。全てを賭け、注いでも。
身体は動かない。逃げ場も無い。
彼は思った。今の自分こそ、先程バイランが述べた"雑草"のようであると。
あってもなくても、周囲の状況に何の影響ももたらさない。そんな"雑草"のようであると。
さてーー"雑草"が、何を救えるというのだ?
「……な……さけ……ねぇなぁ……」
意図してか。はたまた無意識なのか。血塗れの雄弥は言葉を溢す。
そのすぐ後、光線は直撃。2人は影となり消えていった。
* * *
「ーーふ……ッひひひひひひひひ……!! あーははははははははは!!」
直撃音の残響の中、盲目の老人は憑き物が落ちたように笑い出す。
「ざまぁないなァァ、ゴミが……!! 鬱陶しいクズ虫共が……!! 大人しくしていればまだマシな死に方ができたろうになァァァ……!!」
唾を吐き散らし、濁った瞳を思いっきり見開きながら狂笑を上げる。
「さぁて……それでは貴様らの醜い死体を拝ませてもらうとするか……。……もっとも、死体が残っていればの話だがなァァァ……!」
バイランは再び視界共有を発動。ゼメスアの眼を通し、雄弥とエミィがいた場所を視認する。
ーーところが。
「んん?」
彼に見えたのは、妙な壁だった。円形、直径およそ5メートルほどの、薄く透明な壁だった。
「……なんだ? あれは……」
そしてさらによく見てみると、その透明の壁の向こうにひとつの人影があった。
身長は160かそこら。細身で、首元まで伸びた丸みのある髪。女性であることは確かなようだがーー
「なッ!? だ、誰だ!!」
「……………………?」
エミィを胸に抱えながら地に座り込む俺は、現在の状況を理解できないでいた。傷と出血で頭が働いていないせいかとも考えたが、明らかにそれだけでは説明がつかない。
まず当然、自分とエミィが生きていること。
そしてそもそも、ゼメスアの攻撃が俺たちに命中していないことだ。
ただ、確実に"何か"には当たった。俺は自分のすぐ後ろで爆発音を聞いたからだ。まるで俺たちに当たる直前、"何か"に遮られてしまったように……。
「ーー立派ですよ……ユウさん。よく頑張りました」
その時、俺は背後からの声を聞いた。
優しい声だった。
綿のようにふわふわとしていながら、その中心に据える芯は鉄よりも硬い。
耳から入れるだけで、あっという間に脳が安心感に浸されていく。
よく知っている。この声の主はーー
「…………ゆ…………り…………ン…………?」
俺は思い当たる名前を漏らしながら、後ろを振り向く。
脚がある。人がいる。立っている。こっちを向いて立っている。
……視線をゆっくりと上げてみる。腹、胸、そして顔。この、人はーー
「はい、ユリンですよ。もう大丈夫ですからね、ユウさん」
そう言って彼女ーーユリンは、夜闇の全てを払ってしまいそうなほどの、明るい笑顔を見せた。
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