第37話 奥の手解禁
「はぁッ、はぁッ、はぁッ、はぁ……ッ」
静まりかえった中庭で、エミィの荒い息切れの音が鳴る。
彼女は全身にびっしりと冷や汗を浮かべ、顔面は今にも倒れてしまいそうなほどに蒼白だった。眼の焦点は定まらず、脚は内股になって震えている。両手で強く握りしめた拳銃からも、カタカタと音が聞こえていた。
「……あ〜……これ、危ねぇからもらうぞ」
雄弥は全身から血を滴らせながら彼女の側に寄り、痩せ細ったその手から拳銃をそっと取り上げた。
「ありがとうな。おかげで助かったぜ」
彼はエミィの顔の前にかがみ込んで礼を述べる。が、エミィは肩を小刻みに振るわせ、視線を合わせようとしない。
雄弥は彼女のその反応で、今、自身の眼がさらけ出されていることを思い出した。
「あ! ご、ごめんな」
慌てて振り返り、そのまま後ろ歩きをしながら縁側に寄る。そしてたどり着くと、彼はそこにどかりと腰を落とした。
「くっそ〜痛ぇ……! あんの野郎、やたらめったらに撃ちまくりやがって……!」
彼は中庭の奥で倒れているバイランに悪態をつきつつ、血みどろの衣服を脱いで破り、特に大きい傷を優先して止血をした。パーカーはすでにディモイドに噛まれた傷に当てていたのでその下のシャツを使い、雄弥は黒いインナー1枚の格好になった。
するとその最中、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻せてきたエミィが、彼に右側に並ぶ形でおずおずと縁側に座り込んだ。まだ、息遣いは荒かった。
「……安心しろ。あいつは寝てるだけだからよ。お前は別に人を殺したわけじゃねぇ」
彼は前を向いたまま、右隣の女の子に話しかける。
「しっかし……お前、よくこんな短い時間で眼を覚ませたな。あの麻酔弾は結構強力だぞ。俺だってまだ頭がボーッとするし……。……いや、これは出血のせいか? はは、どっちか分かんねーや。まぁ……なんでもいっか。お前が来てくれなきゃ、俺が死んじまっておしまいだった。それだけだな……」
「……」
そんなふうに1人でくっちゃべる雄弥をほんの僅かな横目で伺っていたエミィは、しばらくしてようやく口を開いた。掠れきった途切れ途切れの声で、絞り出すように声を発した。
「……お、にぃちゃ、ん……だ、いじょうぶ……? 血、いっぱ、い、だよ……」
「ん? 血? ああ平気平気」
「……ほん、とに……?」
「ホントホント。大ゲサなのは見た目だけだから。……あ〜……いや確かに全然大丈夫、ってわけでもねーけど……とりあえず死にはしねぇよ。……多分ね」
2人は、互いを見ずに会話をしていた。それは少々奇妙な光景であった。
「さぁ〜て……どーすっかなこっから……。バイランを牢にブチ込まなきゃなんねぇし、他の子供たちも保護しなきゃだし、この施設の爆薬も撤去しなきゃなんねぇし……俺1人じゃ無理だな。どうにかして軍の人を呼ばねぇと……」
「……ば、く、やく……?」
「ああ、爆弾だよ爆弾。バイランが俺の攻撃を封じるために、この施設中に仕掛けたんだと。ああでも、奴が言っていた限りじゃ火とかを近づけたり衝撃を与えたりしなきゃ爆発しねぇから、心配すんなよ」
それを聞いたエミィは、またしばらく黙り込んだ。しかしただ話すことを中断したわけではなく、何かを考え込んでいるような素振りを見せている。
「……ウソ、だ……よ。そ、れ……」
「……え?」
そして次に彼女が発した言葉は、雄弥には全く予想できないものだった。
「……ウソ? 今……ウソ、って言ったのか? ……それは俺が今話したことが……つまり、バイランがこの施設中に爆薬を仕掛けたってことが、ウソだって意味か?」
彼はエミィの方を向いてしまいそうになるのを堪えながら聞き返す。
「……う、ん……」
「ちょっと待て。な、なんで? なんでウソだと分かる? なんでそう思うんだ?」
少し間をおいて、少女の口が開かれる。
「だっ、て……あのひと、銃、を、持ってた……。それを、撃って、た……。いっぱ、い、撃ってた……。も……し、ばくだんが、あった、なら……そん、なこと、できな……い……よ……。弾、が当たった、ら、その、せいで、ば、くはつし、ちゃう、かも、しれないの、に……」
「……あ……!!」
……そうだ。いや、そうだ。その通りだ。全くもって、その通りだ。
つ、つまり……やはりあれは、俺の『波動』を封じるためのハッタリ……!! お、俺は……まんまと奴のブラフにハメられた……ってのか……!! 思い通りに……言いくるめられたってのか!?
つーかそれ以前の問題だ!! そんなのちょこっと考えれば分かることじゃないか!! それを……こんな小さい子に教えられてやっと気がつくなんて……!!
「は……ははは……はは……ダサ過ぎるだろ俺……」
な、なんつー失態……!! 助けるべきはずの人に逆に助けられ、挙げ句の果てにこぉんな初歩的なミスを突っつかれるなんて……!! しかも……まだ……まだほんの5歳程度の子供にィィ……!!
いやだァァァカッコ悪いィィィ!! 穴があったら入りたいィィィ!! なんならそのまま生き埋めにしてくれェェェ!!
「……あ、あー、そのぉ〜……お、お前ちっちゃいのに頭良いな……! 天才だぜ! ま、まぁそれくらいのこと、俺もほとんど気がついてたけどよ……! あは、あはあはあは……!」
……見苦しいにもほどがある。雄弥は今だけは、この場に自分たち以外誰もいないことを幸運に思った。
「……と、とにかくだ。これでお前のお父さんとお母さんの仇は取れた。もちろん他の子供たちのもな……。死んだ人たちが帰ってくるわけじゃねぇが……ひとまずは、これで一件落着だ……」
その時、エミィの眼の色が変わった。何かを思い出したかのように、一気にドス黒い恐怖に塗りつぶされたのだ。やがてその黒みは表情に、全身にへとあっという間に広がった。
「……ちがう……!! ちが、う……ッ!!」
「え」
「まだ……ッ!! まだ……な、の……ッ!!」
「ま、まだ? 何が……?」
「い、るの……ッ!! あい、つが……ッ!! こ、のし、たに……ッ!!」
「下……!? それは……お前のお父さんを喰ったっていう、奴のペットのことか……?」
しかしエミィは、首を激しく横に振った。
「ペット、じゃな、い……ッ!! 『眼』、が……!! い、っぱい、の、『眼』が、あるの……ッ!!」
「な、なんだって……? 『眼』? いっぱい?」
彼女は焦りすぎているのか、だんだんその言葉が支離滅裂なものとなってくる。
『眼』がいっぱい……? どんな動物だそりゃ。完全に化け物じゃねーかよ。
ん。化け物?
……いや、おい……!! まさか……!! まさかそのペットっていうのはーー
「げ、魔狂獣か!?」
俺がそう聞くと、彼女は今度は必死に首を縦に振った。
「なんだと……ば、馬鹿な……!! バイランはまだ魔狂獣を持っていたのか……!! 昨日のエドメラルと、今日の夕方のディモイド……合わせて3体も……!? あ、あんな化け物を……どうやって3体も捕獲して手懐けたんだ……!?」
……いや!! それを考えるのは後だ!! 今は一刻も早くこの施設から逃げないと!!
ちょきん。
ーーだ、だが……この立つのもやっとなエミィと他の数十人の子供たちを、どうやって一斉に連れて逃げよう……!? というか……それ以前に俺自身の身体も思うように動かねぇし……!!
1番理想的なのは……俺が1人でその地下にいる魔狂獣を倒して、この場の確実な安全をつくることだ。
……だけどーー
俺は改めて、自分の身体の状態を確認してみた。
まず、ベロが痛い。エミィの手前隠そうとはしているが、喋るのも辛い。
左肘の関節骨は完全に砕かれており、2、3枚の皮膚と数本の筋肉繊維で辛うじて繋がっている状態だ。おまけにディモイドに噛まれた傷もある。神経もしっかりやられており、左手は指がピクリとも動かせない。
頭にも無数の切り傷がある。窓ガラスにぶつけたヤツだ。ガラス片はとりあえず全部取ったが、まだ血が止まっていない。さっきから視界が妙に霞んでいるのはそのせいだ。
さらに銃弾による全身の傷。いずれも致命傷ではないが、チリも積もればなんとやらだ。多分あと2、3発くらったら、冗談抜きでいよいよ危ない。
ーー無理だ……!! こんな状態じゃ魔狂獣どころか、犬の1匹だって倒せやしない……!! 冗談じゃねぇ、俺1人じゃ手に余る!!
だが。主人であるバイランがやられたってのにいまだに姿を見せねぇってことは、そいつは自分の意志では地上に出てはこれないんだろう。ならどっちみち、今のうちに助けを呼ぶしかない!! なんとか軍に連絡して討伐隊を寄越してもらうしか……!!
「な、なぁエミィ! ここに電話ってあるか!?」
ちょきん。
「ーーえ……。なん、て、言ったの……?」
「この施設に、電話はあるか!?」
「え、あ……わ、からな、い……」
「そう……か。……いや、ありがとう」
だよな……。この子はあの狭い部屋ずっと監禁されてたんだ。この施設のどこになにがあるかなんて分かるまい……! ……まぁでもさすがに無いことはないだろ……!軍がここに連絡を取ることもあったろうし……!
「……ちっくしょう、そんじゃさっさと電話を探し出して、救援を呼ばなくっちゃあな……!」
思い立った俺はすぐに動き出そうとした。……が。
「ぐ……ッ!! いィ……ッてェェェ……」
ダメだ、立てねぇ。痛みと、それに眩暈がひどい。
ちくしょう……解決まであと少しだっつーのに……!
ちょきん。
「ーーん」
その時。雄弥は星明かりに照らされた自身の左手首に、蚊のような小さな虫が止まっているのを見つけた。
無論、彼はそれをすぐに叩き潰そうとした。
「このやろ……」
ちょきん。
「ーーあれ?」
ところが。
そう思った次の瞬間、その虫が消えていたのだ。
『消えた? いつの間に……? 変だな、瞬きもしてねーのにーー』
彼は見ていない。あの虫が飛び去るところを。
彼は聞いていない。飛び去る際の、虫の羽音を。
彼は感じていない。虫の脚が、自身の肌から離れた感触を。
「ーーッ!! まさか!?」
頭の中に警報が響く。この感覚は知っている。まるで時間でも飛んだかのような感覚。彼自身が、ついさっきまで味わい続けたものだ。
雄弥はすぐさま中庭の奥に眼を向け、その周囲を見渡した。
ーー予感は当たってしまった。バイランがいないのだ。麻酔によって中庭の奥に倒れ眠っていたはずのバイランが、どこにも見当たらないのだ。
「い、いねぇ!? そんな!! なぜーー」
焦りで身体の痛みすらも一瞬忘れかけたその時、雄弥の右側から声がした。
「マぁぁぁヌぅぅぅケぇぇぇめェェェェェ……!!」
「なに!?」
彼が振り返るとそこには、エミィを左腕で抱える形で捕えているバイランが立っていた。
「え、エミィ!! ど、どうしてだ!! なんでてめぇ意識が!?」
「詰めがなっとらんかったなァァァ……。このガキではなく貴様自らが手を下しておけば……俺がこうして意識を繋ぎ止めることは無かったろうに……ッ!!」
「な、なんだよそりゃ……!? どういうーー」
その時、雄弥は妙なことに気がついた。
バイランの肩に穴が空いていたのだ。直径1センチ以下の小さな穴が。そして、そこから血が噴き出ていた。
その傷を見た瞬間、雄弥の中で謎が解けた。
『ーーそ、そうか……!! あの野郎……ッ!! 眠る寸前に最後の1発の弾丸で自分を撃って、その痛みで意識を保ちやがったのか……!! その時の銃声が俺やエミィに聞こえなかったのは、2人揃って『仁狩鋏』で意識を断たれていたからだ……!! ち、ちくしょう……!! 完全に油断した……!! もっと念入りにブチのめしとくんだった……ッ!!』
今更後悔してもどうにもならない。
雄弥はバイランにいつでも飛びかかれるように少しでも間合いを詰めようとしたが、彼が1歩を踏み出したのと同時に、バイランは抱えているエミィの細い首に右手で掴みかかった。
「……か……は……ッ」
それのみならず、彼はそのまま彼女の首を締め上げんと、手に力を込め始めたのだ。エミィはその苦痛に掠れた声を吐いた。
「な、何しやがる!! やめろッ!!」
「だったら動くんじゃないぞォォ〜!! 今俺はこのガキの『視覚』にアクセスし、貴様の動きを全て確認している……!! 言いたいことは分かるなぁ!? この俺に少しでも近づけば、このガキが死ぬことになるぞォォ〜!?」
「て、てめぇえ……ッ!! どこまで汚ねぇんだッ!! 」
「甘いなァァァ……!! 汚かろうがなんだろうが、世の中は勝つことが全てだ……!! 敗者の正論など、勝者の暴論の前には無力なのだよ!! ーーかあぁッ!!」
その時エミィの首を放したバイランの右手が、黒紫色に包まれた。それは炎のように揺らめきながら、産毛に霜が降りるほどの冷気を撒き散らしている。
「な……なんだ……!?」
「く……くっくっく……!! これは……俺の最後の魔力だ……!! その……全て……だ……ッ!!」
そう言うバイランの様子は呼吸困難でも起こしたようだった。額や首筋に何本もの血管を浮かび上がらせ、顔面は充血によって真っ赤に染まっている。ただーーそんな明らかな苦悶の中でも、彼の表情には狂喜のみが存在していた。
「言うまでもないが……魔狂獣に人語など通じはせん……!! だから……何か命令をするときはこうして……魔力を媒体にしなければならないのさ……!!」
「は……!? 命令……だと!?」
「気に、入らんが……貴様程度のクソっカスにこいつを使うのは、全くもって気に入らんが……!! だがもはや、手段など選ばん……ッ!! 貴様にやれるだけの生き地獄を……見せてくれるぞォォ……ッ!!」
瞬間バイランは、自身の右掌を地面に押し付けた。
「!! しまったッ!!」
雄弥は理解した。バイランが何をしようとしているのかを。だがすでに傷だらけの彼の身体は、その行動を阻止するために動き出すことができなかったーー
「来いィィィィッ!! ゼメスアァァァァァァァッ!!」
バイランが叫んだのと同時に、地面がヒビ割れた。彼の右掌に宿っていた黒紫色の光が、その亀裂に沿って拡散していく。
そしてーー地面が、弾けた。
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