第35話 応酬
「……む?」
薄暗い廊下の中、雄弥の現在位置を探ろうと彼の『視覚』にアクセスしたバイランは、明らかにおかしな光景を見た。
「……なんだ。どうしたのだ? なにも見えん」
真っ暗だったのだ。何も見えなかったのだ。
「無意識のうちに術を止めてしまったのか……? いや違う、確かに術は続いている……その感覚がある……。どうなっているのだ……」
視覚共有は、『対象が見ているものを見ることができる』術である。すなわちこの真っ暗闇は、現在進行形で菜藻瀬雄弥が見ている景色なのだ。
「いったい……いや、待てよ……そうか! 奴め、俺の視覚共有を妨害するために眼をつぶっているな……? 俺は奴の見ているものを見ている……! 逆に言えば、奴がなにも見ていないのなら、この俺にも何も見えはしない……! それを理解してのことか……! ふん、賢しい真似ではないか……!」
バイランは銃のマガジンを差し替えつつ、状況を推測した。
「だがやはり無駄なものよ……! 視覚だけを封じても、この俺が共有できる感覚はあと4つもある!」
そして彼はまず、雄弥の『触覚』にアクセスした。
「真っ直ぐに歩いているな……。意外にも早歩きじゃないか……。多少ふらついてはいるが、目をつぶっている者の歩き方ではない……。それだけ奴も必死だということか……」
バイランは、"足の裏が地面に着く感触"から、雄弥の動きを読んだのだ。
次に彼がアクセスしたのは、雄弥の『聴覚』だ。
「カサカサと音が聞こえる……。……そうか、木の葉が風に揺られている音だ……。かなり近くから聞こえて来るぞ……。奴は、何かの木のすぐそばを歩いている……。ということは……奴は今、外にいるのか……?」
また情報が増える。さらにそれを得るため、『嗅覚』の共有を開始する。
「匂う……! 匂うぞ、何かの香りがはっきりと……! ……これは! 花の香りだ! 間違いない! ……くっく、分かったぞ……! 奴は今、中庭の奥に植えてあるホノボノの木のそばを歩いている! これは、ホノボノの花の香りだ!」
既におおよその位置は掴んだバイランは、念を押して振り出しの『触覚』に戻る。
「止まった! 歩くのをやめたぞ……! そしてこれは……しゃがんでいる……! どれ……ふむふむ、花の香りはまだ強い……! 確定した! 奴は、ホノボノの木のそばでしゃがんでいる! 中庭の奥でしゃがんでいる! なるほど……そこで隠れて待ち伏せし、この俺に奇襲を仕掛けようというわけか……! だが……甘い! わざわざ障害物の少ない中庭に逃げ込むとは……撃ち殺せと言っているようなものだ……! 甘い甘い! 甘いィィィ〜……ん?」
その時、ひとつ妙なことに気がついた。
「なんだ? 奴め、右手に何か持っているぞ……? これは……棒……? 細い棒を持っている……」
『手』の『触覚』を通して、雄弥が右手に直径2センチほどの棒を持っていることを察知したのだ。さっきまでは『脚』の『触覚』にのみ集中していたため、手のそれに気が付かなかった。
「……ははぁ、武器の代わりだな? その棒でこの俺に殴りかかろうというのだな? 大方掃除用具入れからくすねたホウキか何かだろう……。 愚かな、こっちは拳銃だぞ? そんなものが何の役に立つというのだ……!」
しかし結局バイランは最終的にそう結論付け、中庭の奥に隠れているであろう雄弥をとことん嘲り散らかした。
『ふふ……まだ止まっている……! 奴は一歩も動いてはいない……! 花の香りも……消えていない……! 葉の音も……消えていない……!』
バイランは、中庭を歩いていた。縁側から中庭に降り、奥側に生えているホノボノの木に向かって悠々と歩いていた。
その最中、バイランは常に雄弥の『触覚』を共有していた。彼が位置を移動した際、すぐに察知できるようにだ。
生来視力が皆無であるとはいえ、ここは自分が建てた施設である。周りの景色が見えていなくとも、彼は自分が歩いている場所をしっかりと理解していた。ゆえに、その歩の進め方には一切の迷いが無かった。
そしてバイランは、雄弥がいるであろう位置まであと5メートルというところまで接近した。やはり雄弥は動いていない。
『…‥捉えたぞ!』
バイランは勝ちを見た。
「そこだッ!! そこにいるな小僧ッ!!」
そしてすかさず、その位置に向かって4発の弾丸をブチ込んだ。
しかし。
『……? おかしい……手応えが無い……。外したのか……? こんな至近距離で……?』
バイランはそのままそろそろと歩き、着弾地点にたどり着いた。そしてそこで、驚愕の事実を知った。
「な、なに!? いない!?」
なんと、そこに雄弥かいないのだ。
「ど……どうしてだ!? 奴は確かに位置を移動していないのに!!」
彼はずっと『触覚』を共有していた。そのことは間違いないはずなのだ。……と思いきやその直後、明らかな変化があった。
「む!? や、奴め、立ち上がったぞ!! しかも……なんだ!? 左手で何かを拾った!! これは……また石か!? えぇい!! 石を拾えたということは、奴は今周りの景色が見えているはずだ!! 共有先を『視覚』に移行して、奴の位置をーー」
そうして『触覚』への共有を停止したその瞬間、彼の後頭部に、凄まじい衝撃が走った。
「ぬがあァッ!?」
勢いのまま、バイランは前に倒れ込む。
「お……が……な、なんだ……!! 何が起きた……!!」
訳がわからず後頭部に触れると、ぬめりとした感触があった。血だ。血が出ていた。どうやら何か固いものをぶつけられたらしい。
「ま、まさか……今のは、奴が石をーー」
「ヘッ、ざまーみろ!! ようやくてめぇに1発ブチ当てられたぜ!!」
彼が混乱を始めたその時、中庭に大声が響いた。
「な、なんだと……!? 馬鹿な……!!」
雄弥だ。間違いなく、雄弥の声だ。それがバイランの遥か後方、中庭の入り口付近から聞こえてきたのだ。
『ど、どういうことだ!? 奴は確かにホノボノの木のすぐ近くにいたはずなのに!! 今も確かに花の香りは匂っているのに!! それなのになぜ、なぜ奴はあんなところにいる!?』
「どーやらてめぇはやっぱり、五感の全てを同時には共有できねぇようだな!! なんとなくそんな気はしていたんだが、確証は無かった……!! 根拠が何ひとつ無ぇからな……!! ここだけは賭けだった……!! だが、俺はその賭けに勝った!! ほれ、俺はもう眼を開けているぜ!! 視覚を共有してみろ!! 何でてめぇが俺の位置を見誤ったのか、その答えが分かるからよ!!」
状況が理解できぬまま、バイランは彼の言う通りに『視覚』の共有を始めた。
雄弥の視界に映っていたのは、中庭の奥に倒れ込んでいる自分自身。そして、雄弥の手元であった。バイランが注目したのはその手元。雄弥の右手に握られていたものにだった。
「こ、これは……木の枝……!? ……ホノボノの木の枝か!?」
雄弥が右手に持っていたのは、1輪の花と10数枚の葉をつけた、ホノボノの木の枝切れだったのだ。そしてそれを見た時、バイランは全てを悟った。
そ、そうか……!!
奴が眼をつぶって俺がなにも見えなくなったとあたふたしているうちに、奴はすでに中庭の奥に生えているこのホノボノの木まで辿り着いていたのか!!
その時に、花、加えてある程度の葉がついた枝を1本折って持っておいたのだ!! 俺が『聴覚』と『嗅覚』を共有した時、自分の位置をゴマかすために!!
そして再び、中庭の入り口に戻って身を隠した!! 俺が共有していた奴の『歩く』感覚は、奴が枝を手に入れた後からのものだったのだ……!! "中庭の奥"から、"中庭の入り口"に戻っている時のものだったのだ……!!
「忘れたのか!? 俺は昨日、この中庭を見ているんだ!! ユリンが子供たちと一緒にここで遊んでいるところを、てめぇとそこの縁側に並んで見てたんだぜ!! この庭の構造も、そしててめぇの後ろに生えているその白い花をつけた木のことも、ちゃあんと覚えていたのさ!! だからこそこの作戦を思いついたんだ!!」
雄弥は自分の後ろーーすなわち、中庭の入り口の縁側を指差してそう言った。
「おのれ……!!馬鹿のくせに一杯食わせおって……!!」
「一杯食わせる!? それだけじゃねぇぜッ!! この時点でてめぇは、すでに俺に敗北しているッ!!」
そして雄弥は自身の右の掌を、50メートルほど先の地点にいるバイランに向けた。その右手はすでに青白い輝きを帯びており、いつでも『波動』の魔術を放てる、ということを示していた。
「今度はちゃんと『脅し』だぜ!! そっから半歩でも前に出てみろ!! 俺の『波動』で、てめぇの五体を粉微塵に消し飛ばしてやる!!」
頭を押さえながらよろよろと立ち上がるバイランに対し、彼はそう叫んだのだ。
「施設の中じゃ、俺は術を使えなかった……!! 寝てる子供たちを巻き込んじまうからよ……!! だがこうやって建物から出て、かつ、建物を背にして立てば!! 遠慮無くブッ放せるってワケだ!! 銃なんか撃ったって無駄だからな!! その弾丸もろともてめぇを消し飛ばすくらい、すごくカンタンなことなんだ!!」
「……なるほど……俺をわざわざ中庭の奥側に誘い込んだのはそのためか……。自分が建物を背にして立つためか……」
「そーよ!! そしてこれだけ距離が離れていれば、てめぇの意識を断ち切る魔術も、俺には届かねぇ!! もうてめぇに、俺を倒す手段は無ぇッ!!」
「なんとまぁ……驚いたな……! 『仁狩鋏』の射程制限まで見抜いていたのか……! どうやら貴様……馬鹿ではあるが、本物のマヌケではなかったようだな……!」
「て、てめぇ……さっきから人のことを馬鹿だ馬鹿だと、言いたい放題しやがって……!! とことんムカつくヤローだぜ!! おしゃべりはおしまいだ!! てめぇはもう、その馬鹿に負けたんだ!! 大人しく銃を捨てて降参しろッ!!」
「断る」
……。
…………。
「……は?」
バイランはあっさりと、そして不自然に見えるほどに堂々と返答した。
それは大きな声だった。よく通る声だった。もちろん雄弥にもはっきりと聞こえた。だが彼は、その内容を、それを聞いた自分の耳を、疑わずにはいられなかった。
「あー……あ? ……なんて?」
もちろん、雄弥は聞き返した。しかしーー
「断る、と言った」
同じだ。さっきと同じ答えだ。これでハッキリした。バイランが言い間違えたわけでも、雄弥の耳がおかしいわけでもない。……なら、尚更どういうことなのだ。
「……気は確かかてめぇ」
「無論だ。まァだボケるような歳でも無い……!」
自分に追い詰められているはずの状況で、バイランは異常に楽観的だった。雄弥を軽く茶化してすらいたのだ。
「おい、まさか俺にはてめぇを殺せないとでも思ってるんじゃねぇだろうな……。俺はてめぇみたいな人のクズ、1人や2人ぶっ殺すことに躊躇なんかしねぇぞ……! それでなくとも、てめぇにゃ散々煮湯を飲まされたんだ……! ギッタギタにやり返してやらなきゃ気が済まねぇのよ! 分かったらいい加減さっさとーー」
「ばあァァァかあァァァがあァァァァァァ!!」
雄弥の言葉を遮り、バイランが突然怒鳴り声を上げた。その情緒のあまりの不安定さに、さすがに雄弥もたじろぐしかなかった。
「笑わせるな!! 黙って聞いてりゃ調子に乗りおって!! 言ったろう!! 貴様のことは、貴様自身の眼を通して全て見ていたと!! 貴様の『波動』の術のことも、昨日今日のゼメスアやディモイドとの戦いを見てぜぇんぶ知ってるんだよォォ!!」
「な、なんの話だ!? それがなんだっつうんだ!! だったら尚更てめぇは諦めるべきだろうがよ!!」
「浅慮ッ!! だから馬鹿だといっとるだろうにッ!! まさか貴様、この俺がなんの用心も策も無しに、貴様がいると分かっているこの中庭に来たと思っているのか!?」
「は、はぁ!? どういう意味だ!!」
そして困惑する雄弥に対して次にバイランが放ったことは、それこそ信じがたい内容だった。
「いいかよく聞け!! 昨日のうちに、この施設のあらゆるところに爆薬を仕掛けておいた!! もちろんこの中庭にもだ!! そこら中に、貴様や俺の足元にも仕掛けてあるぞ!! 1発でも術を撃ってみろ!! 私に命中すると同時にたちまち誘爆してこの施設まるごとが吹き飛ぶぞ!! 貴様はもちろん、中で眠っている数十人のガキ共をも巻き添えになァ!!」
「……な……な……!? ……なにィ……ッ!?」
な、んだよそりゃあ……? 聞いてねぇぞ……!?
いや、いやいや落ち着け。落ち着いてよく考えるんだ。
奴の、敵の言うことを鵜呑みにしちゃいけない。だっておかしいだろうが。昨日俺とユリンがあの山に行ってから、まだ1日とちょっとしか経っていないぞ。そんな短い時間で、この施設中に爆薬を……? ……無理だ。そんなことができるわけねぇ……! つまり!
「……ウソだ」
「あァ!?」
「てめぇは……ウソをついている……!」
「ウソぉ? なァにを根拠にィィィ……?」
「その……そう!! 時間が無い!! そんな時間は、爆薬を仕掛ける時間は、てめぇには無かった!! そのはずなんだ!! と、とにかく、爆薬を仕掛けたってのはウソだ!! 俺をビビらすため……そ、そうだ!! 俺を動揺させ、術を使えないようにするためのウソだ!! 命欲しさに吐いた出まかせだ!! そんな下らねぇことで、この俺がビビるもんかッ!! そんなハッタリは無駄なんだ!! ゴチャゴチャ言ってねぇで観念しろくそジジイぃッ!!」
「かァァァーッ!! そう思うなら遠慮無くやってみるがいいィッ!! ほら撃て!! そら撃て!! さっさと撃てッ!! だがこれだけは言っておくぞ!! 貴様程度の脳みそで思いつくようなことは、常人ならとうに予想しているのさァ!!」
バイランのその言葉を聞いた瞬間、記憶回路が爆裂しそうなほどの強烈なフラッシュバックが、雄弥を襲った。
同じだ。それは昨日、エドメラルと遭遇したあの山で、雄弥自身が心の中で思ったことと全く同じだったのだ。
それがトドメとなり、彼の中の疑心暗鬼はいよいよ歯止めが効かなくなっていってしまった。
……だ、ダメだ……撃てねぇ……!! ウソのはずだ、それは分かっている!! ウソである可能性の方がずっと高いんだ!!
だけど……万が一……本当に爆薬が仕掛けられていたら……!? ゼロじゃねぇんだ……その可能性も……ッ!!
いや、いやいや、まだ方法はある。むしろ奴が油断している今が最大のチャンスじゃないか! なに、簡単なことさ。要は仕掛けられた爆弾にまで『波動』が届かないようにすればいい……!! 術の威力を絞って、バイランだけをピンポイントで狙い撃てば!!
……バ……ッカ野郎。俺のどこにそんなチマチマした技術があるんだよ。限界まで抑えても、6階建てビルの半分を消し飛ばしちまうってのに……!!
奴はそれも知っていたんだ。俺の魔力制御がまだ未熟であることも知っていたんだ。多分…‥ディモイドとの戦いを見て、知っていたんだ……!! それら全部をひっくるめて、奴の思う壺だったってのか……!?
……そ、んな……ことって……!!
そこまで考えた時点で、雄弥は無意識のうちに、バイランに向けていた右手を下げてしまっていたーー
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