第27話 街中の交戦 -ディモイド-
宮都西部全体にサイレンが鳴り響き、住民は大騒ぎしながら散り散りに逃げていく。
そんな中、1人の兵士が車の中の無線機に向かって怒号をぶつけていた。
「本部、聞こえるか! 宮都西部アヨン街に魔狂獣が出現している! 数は1! コードはディモイド! 至急応援をよこせ!」
『はい!? コードはなんです!?』
「ディモイドだよディモイド!! ひとつ眼に4つ耳のちっこい奴だ!!」
『りょ、了解! すぐに討伐隊を向かわせます!』
「急いでくれよ! 少年が1人追っかけられているんだ!」
『は!? なんて言いました!?』
「耳のウンコちゃんと取れよてめぇ!! ディモイドに追われているんだよ!! 歳は16か17くらい!! 黒の短髪で、サングラスをかけた少年がな!!」
走る。日暮れの街を、ひたすらに。
喧騒は遠く、周囲には人っ子1人いない。
石造りの高い建物に挟まれた細い道。突き進む。当てもないまま、まっしぐら。
腹が痛い。あばらの骨折と皮膚の裂傷。空気を吸い込んで腹を膨らませるたびに、腹部の痛覚が涙を流して叫んでいる。
背後から音が迫る。石畳の地面を蹴る音、そして、犬のものにさらにドスをきかせたような唸り声。
速い。
速過ぎる。
近づいてくる。どんどん、あっという間に近づいてくる。
俺の背中に触れるまであと4メートル。3……2メートル。
……1メートル……!
「ギシャアアアアアァァアッ!!」
「ちいぃぃッ!!」
化け物に背中に噛み付かれる寸前。俺は身体を前方に飛び込ませて回避する。頭から地面につき、2、3度前転した後、立ち上がって体勢を直す。
「グルルルル……!!」
化け物ーー魔狂獣ディモイドは脚を止め、口から牙を剥き出しにしながら自身の前に立つ雄弥を睨み付ける。
「なんつー脚の速さだ……!」
左の頰、右の二の腕、左肩、左の腰に左の脹脛とその他。俺の身体にはすでに、化け物のかぎ爪によって数ヶ所の切り傷が付けられている。
恐ろしいスピード。全力でダッシュして逃げても、気がついたら気配がすぐ後ろまで迫っている。攻撃を加えられる直前にどうにか身を躱して致命傷を避け、そしてまた走って逃げるの繰り返しだ。
2日連続で魔狂獣と遭遇するとはなんて不運だ。ーーと思いたくはなるが、果たしてこれは本当に"不運"なのだろうか?
そのように考える理由がある。
俺は公園からここまで逃げてくる途中で、3回ほど人とすれ違った。だがこの化け物はそれらには見向きもせず、俺だけを狙い、追い続けていた。
つまりこいつは、明確な目的を持って動いている。この俺を、俺だけを、殺すために動いている……のではないだろうか。
知性無き生物魔狂獣が、目的を持って行動する……。普通に考えたらあり得ないことだ。
だが俺は、昨日エドメラルと交戦した際のユリンの言葉を思い出した。
ーー魔狂獣は人を食べるほどに知能を上げる、という説があるんです。
「まさか……こいつも……!?」
人を喰って知能を上げた個体。この四足歩行の魔狂獣が、昨日のエドメラルと同じそれだったとしたら。その喰った人々というのが、今回の失踪事件の被害者だったとしたらーー
こいつは……真犯人の差し金か!?
「ジギャアアアアアアアアアアァァァァアアッ!!」
咆哮と同時に、追い追われるの状況が再開する。化け物は飛び跳ねるようにして地面を蹴り、かぎ爪を滅茶苦茶に振り回しながら俺に向かって一直線に迫る。
「うおおおッ!!」
俺はまた走り出す。
前に、右に、左に飛び、爪と牙を避けていく。何度も何度も、転びそうになりながら。
途中に脇道を見つけて入る。建物と建物に挟まれた薄暗い道を。
走りながらちらりと後ろを振り返ると、化け物がいない。振り切った? そんなわけがなかった。
顔の向きを正面に戻したのと同時に、なんとその化け物が目の前に降りてきたのだ。上から、降りてきたのだ。
理解した。こいつは建物の壁を横向きになって走り、俺を先回りしたのだ。
「なんだとッ!?」
俺は慌てて脚を止めて引き返そうとするが、化け物の瞬発力を上回るにはそうするのがあまりにも遅すぎた。
着地と同時に向かってきた化け物の爪に、振り返った瞬間の背中を掻き切られてしまったのだ。
「ぐああッ!!」
鋭利な爪はパーカー、シャツ、インナーと三重になっている服の布を易々と裂き開き、俺の背中の皮膚を切りつけた。
俺はよろめきながらもなんとか脚を踏ん張らせ、前に倒れそうになるのを堪えた。背中からずきずきとした痛みが脳に伝わり、視界がチカチカと明滅する。
化け物は右前脚の爪に付いた俺の血をべろりと舐めながら、こちらを窺っている。
「ちっくしょう!! このままじゃジリ貧だ!!」
俺は前に、来た道を戻って走り出す。すぐさま化け物はそれを追う。
呼吸が苦しい。体力も底をつきかけている。それにこれ以上傷を受けて出血が増えたら、歩くことすらできなくなる。もう余裕は無い。早いところケリをつけなければ……!
「『波動』ッ!!」
俺は走りながら両手を青白い光で染め上げ、魔術を放つ態勢を整える。
「くらいやがれぇッ!!」
そして振り返り、追ってくる化け物目掛けて光弾を放った。……が。
そいつはなんの危なげも無く、その一撃を飛び跳ねて回避したのだ。光弾は地面に直撃し、石畳を深く抉った。
俺は続けて光弾を放つ。左手と右手とがむしゃらに腕を振り、2発3発、4、5発。
しかし全て避けられる。地面から跳んだ化け物は建物の壁にしがみつき、そこから道を挟んだ向かい側の建物に素早く飛び移って2発目を躱す。残りの3発も同様だった。
避けられた光弾は建物に当たり、20メートルほどあるそれらの上から半分を消し飛ばした。あたりには瓦礫が飛び散り、爆音が響き渡る。
「……んの……野郎ッ!!」
ダメだ。遠距離から狙えるような相手じゃない。もっと近くで、ギリギリまで引き付けて撃たねぇと……!
化け物が再び地面に降りる。
睨み合う。俺も化け物も一歩も動かない。
俺は右手に魔力を込め、いつでも術を使えるようにする。
待つことだ。今大事なのは待つことだ。奴がこっちに向かってくるのを……!
俺が唾をごくりと飲み込んだ、その瞬間。
「ジェアアアアアアァァアアアァァァァッ!!」
化け物が突進してきた。やはり異常な瞬発力。走り出すのと同時に一気にトップスピードに至っている。
俺と奴の距離が縮まっていく。その間一瞬。まさに一瞬。
そして来た。奴が、俺の目の前までーー
「ここだぁッ!!」
すぐさま俺は右手を前に突き出し、化け物に向けて術を放った。
風を切る音を発する暇さえもない。それほどに俺と化け物の距離は近かった。1メートル、いや、それ以下だ。
ーーだった、のだが……。
避けた。化け物は、避けた。地面を蹴り、横に飛び、光弾を避けてしまった。
「は!?」
「ギャジャアアアァッ!!」
驚愕する間もなく化け物は避けた位置から俺に肉迫し、今度は腹を切りつけた。
「が……ッ!!」
俺は後ろに飛ばされ、地面に仰向けに倒れた。その際にかけていたサングラスが外れてしまう。
「うぐ……ぐ……!」
白いシャツがたちまち傷口からの出血で真っ赤に染まる。
不幸中の幸い。切りつけられたのは折れた肋骨を固定するための分厚い帯を巻いている部分だったので、傷はギリギリ致命傷には至らなかった。
だが状況は最悪だ。躱された。あんな目の前からの、至近距離からの一撃を……!
「く……くそったれめ……!! とんでもねぇ奴だ……!!」
奴の武器は単なる動きの速さだけじゃない。動体視力や反射神経も並外れている。
エドメラルでいう強酸のように、何か特殊な能力を持っているわけでは無い。付け加えるならパワーも低い。だがそれらを補って余り有るこの敏捷生……。やはり化け物は化け物だ。魔狂獣というのは、こうも多様なのか……!
俺は背中と腹の痛みに挟まれながら、ふらふらと立ち上がる。
もう今ので分かってしまった。動いているあいつに向けて『波動』を撃っても絶対に当たらないということが。
しかし俺なんかの殴りや蹴りで死ぬような相手じゃない。つまり奴を倒すにはどうにかして動きを止めた上で、『波動』の魔術をくらわせなきゃならないんだ。
だがどうすればいい。こっちから向かって行っても逃げられるだけだ。そもそも走り過ぎて体力も限界を迎えつつあるこの状態で、あんなすばしっこい奴を追いかけてとっ捕まえるなんてことは100%不可能だ。
俺の魔術は当たりさえすれば大抵のものは破壊できる。だが当然、当たらなければ意味は無い。
ーーどうする。どうやって当てる。
「ギグルルルルル……!!」
ディモイドもおそらく本能的に理解したのだろう。雄弥を殺すのはわけないと、もはやそれは、確定事項であると。
唸りながら、涎を垂らしながら、すり足で少しずつじりじりと、彼との間合いを詰めてくる。とどめをさそう、喰らってやろう、これはその意志表示に同じである。
雄弥もそれに合わせて後退り。背中と腹から、血をぽたぽたと滴らせながら。
だがどうしたことか。突如、彼はそれをやめた。近づいてくるディモイドに対し、脚を止め、棒立ちになったのだ。
「……ふぅ」
彼はひとつ、息を吐く。その顔つきは穏やかだった。つい今の今までははっきりとした焦りが滲んでいたが、それがある種の悟りの境地に辿り着いたかのような余裕を含むものへと変わっていた。
「……やめだ。考えるのは。疲れて頭も回んねぇしな……」
彼は諦めたのだろうか。負けを認めたのだろうか。
ーー否。彼に限って、菜藻瀬雄弥に限って、それは絶対に有り得ない。
彼が何よりも嫌いなのは、負けることだ。自分の敗北を認めることだ。勝者に見下され、蔑まれることだ。それは転移して1年経った現在においても決して揺るいでなどいない。
その証拠に、彼の瞳から闘志は消えていなかった。ディモイドをじっと見つめ、真っ直ぐに捉えている。
「グル……ッ!!」
だがディモイドは、彼のその瞳を読めなかった。いくら人を喰って知能を上げたのだろうといっても、人の心の機微を読み取れるまでにはなっていなかったようだ。
ディモイドはその様子を見て、雄弥は勝負を放棄したのだと思ったのだろう。諦め、自分の餌となる覚悟を決めたのだと思ったのだろう。
「ジェアアアアアアァァァアアアァァァァッ!!」
次の瞬間には、雄弥に向かって飛びついていた。
人が瞬きする時間よりも早く彼に辿り着き、そしてーー
彼の左の二の腕に、思いっきり噛み付いたのだった。
待ってましたとばかりに貪り始める。肉を噛み裂き、ジュルジュルと血を啜り、やがて骨までをも砕いていく。
しかし、ディモイドは気付いていない。自分が食いついたのが、二の腕であるということに。
雄弥が棒立ちの状態であったのならば、食らいつくのは肩や頭のはず。それが、左の二の腕だったのだ。
なぜなのか。
雄弥は食い付かれる直前、ディモイドの口に向かって自身の左の二の腕を差し出したのだ。
そう。彼は作戦を何ひとつ変えてはいなかった。待つことに、引きつけることにしたのだ。ギリギリまでではなく、それを越えた先まで。敵との距離がゼロになるまで……。
「……てめぇの最後の晩餐は、俺の血と肉だ……!! よぉく味わいやがれ……ッ!!」
光を帯びた彼の右手が、左腕にぶら下がるようにして食らい付いているディモイドの腹に触れる。
そして次の瞬間には、あたりが真昼のような明るさになるほどの凄まじい閃光とともに、ディモイドの首から下が綺麗さっぱりと消滅したのだった。
「あ〜いってぇ……ッ!」
俺は腕に残った化け物の頭を剥ぎ取って捨て、地面に座り込む。そして止血のために、パーカーを脱いで左腕の傷の部分に巻いていく。
「……あ」
そこで俺は気づいた。パーカーやシャツを腕に巻きつけてから噛ませれば、傷はもっと浅くて済んだのではないか、と。
「……ちくしょう、アホ過ぎる。いやまぁ……いっか。倒せたは倒せたし……」
この世界に来てから1年。しかしどうやら、俺の脳みそはあまり成長していなかったらしい。
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