第190話 フラムと家族
ーー大変だーッ!! 大貴族リフィリア様ご家族が乗る車が、魔狂獣に襲われたぞーッ!!
ーーえッ!? 討伐された!? 魔狂獣が!? リフィリア様御一行も無事!? そ、そりゃよかった……!!
ーーで? リフィリア様を救った者というのは? 我が公帝軍の兵士か? ……違う? じゃあ誰だ?
ーーなにィ!? 現場近くの貧民街に住む子ども!? それもたった1人でッ!?
それは、今から10年以上も昔のハナシ。
「あの変態女狐め……! 次は眼にもの見せてやるぞ……!」
総司令府からの帰り道。
ナホヨへの愚痴をぶつぶつと吐き続けながら空を飛んでいたフラムは、やがてひとつの家の敷地内へと降り立った。
そこは、庭の端から端までが見渡せないほどの広大な面積を持つ家だった。庭のあちこちには大理石から彫られた誰がモデルなのだか分からない人物像が無数に飾られており、周囲にはバラによく似た形の花が育てられている。
庭を進んでいくと、そこにそびえ建つはこれまた巨大な屋敷。正面玄関の扉だけで3メートルもある。窓は金枠、壁は艶塗り。ベルサイユ宮殿のような古式ゆかしい荘厳さをもった屋敷である。
「坊ちゃま、おかえりなさいませ」
「ただいま。坊ちゃまはもうよしてくださいよ」
玄関に向かうまでの道中、フラムは何人かの使用人らしき人々とすれ違い、そんな会話を交わしていく。
やがて建物に辿り着き、そこの背の高い玄関扉を開けるとーー
「おかえりフラム〜!」
家の中から出てきた1人の女性が、元気よく彼に抱きついてきた。
「うわだッ! とっと……や、やあホリファ。ただいま。出迎えは嬉しいんだけど、毎回タックルするのやめてよ……」
「それだけ嬉しいってこと! "旦那様"が帰ってきた時っていうのはねッ」
女性はそう言うとフラムの後ろ首に腕をまわしたまま、彼のほっぺたに柔らかいキスをする。
ホリファ。……と呼ばれたこの人物は、フラムと同じ年頃の、クリーム色の巻き髪の女性であった。
身体のあちこちに煌びやかな装飾を施したドレスに身を包み、そのスカートの丈は足元が完全に隠れるほどに長い。格好だけ見れば、セレニィよりも分かりやすい"お嬢さま"である。
そして彼女の右手の薬指には、フラムがしているモノと同じ金の指輪がはめられていた。
「にしてもずいぶん早かったね。召集の12時からまだ2時間だよ?」
「作戦は参謀本部が決めちゃうんだ。僕らはそれに従うだけ。五芒卿といっても、ただ他より便利ってだけの使い走りに過ぎないんだよ」
「悲しい言い方しないのー! ……ところで、他の五芒卿のヒトたちとは仲良くできた?」
「できるかッ! 5人同時に集まったのは僕が入ってから初めてだけど、やっぱり全員何考えてるか分かんないよ! 特にあの女……ッ! いくらナバナンテ家の嫡子とはいえ、あんな品行方正のカケラも見当たらない行儀知らずをなぜ上層部は野放しにしておくのか……! まったく理解に苦しむ!」
「あははーやっぱりダメかぁ! でもそんなの気にしなーい! フラムが頑張ってることは、私がよーく知ってるし! イヤなことなら……こうやって忘れればいいもんね〜!」
「うわッ!? ちょ、やめろよ姉さん!」
「うりうりうり〜」
ホリファは無邪気に笑いながら、自身より10センチほど背の高いフラムの頭を無理矢理引き寄せ、両手でわしゃわしゃと撫でまわしていく。
「あらあら。今日も仲良しねぇ、2人とも」
そこに、また1人の女性がやってくる。
フラムやホリファより2回りほど上……40代前後の人物である。ホリファと同じような豪華なドレスを着こなし、ニコニコと上品に笑っている。
「あ、か、かあさま! ただ今帰りましたッ!」
「はい、おかえり〜。お勤めご苦労さま、フラム」
ホリファに頭を引っ掴まれたまま、フラムは彼女に挨拶する。
「あ、あのかあさま! 姉さんを叱ってやってください! 大貴族リフィリア家の令嬢が、あなたの娘が、こんな慎しみの無いことして良いのですかッ!」
「えぇ? なんで? 楽しそうだしいいじゃな〜い。私もやっちゃお〜」
おっとりとしたその女性……フラムたちの母親は、ホリファに混ざって彼の頭をヨシヨシと撫でだした。
「あーッ! やめてってばーッ! 庭のお手伝いさんといい、いつまでも僕を子ども扱いしないでくださいよ、2人ともッ!」
羞恥で顔を真っ赤にしながら、フラムはフラムは2人の手から脱出。
「残念。逃げられちゃった〜」
「そ、それよりかあさま! とうさまはどちらに!? 戦域への派遣が決まったので、ご報告したいのですがッ!」
「あらそうなの? とうさまなら、裏庭の工房にいらっしゃるわよ。そしたらリビングに連れてらっしゃいな。せっかく家族みんな揃ったんだし、ゆっくりお茶でも飲みましょう」
「はいッ! じゃ、じゃあ呼んできますッ!」
フラムは頬を照れさせたまま、そそくさと向こうに行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、フラムたちの母親……リフィリア夫人が穏やかに微笑んだ。
「……ふふ。"姉さん"……かぁ……」
「? どうなさったの、かあさま?」
「ん〜ん。……あのコ、まだあなたのこと"姉さん"って呼ぶんだなぁ、って……」
「ああ、そーなんですよ〜。もう姉弟じゃなくて夫婦なのにね。……でもいいんです。それなら、愛が2倍にできるからッ!」
「? 愛が……2倍? なぁに、それ?」
「弟への愛と、旦那さまへの愛、ってことです! 1人のヒトにこんなに気持ちを注ぎ込めるなんて、私ってばすっごく幸せではないですか!?」
ホリファは満面の笑顔でそう言いきり、それを見せつけられたリフィリア婦人は懐かしむようなため息をついた。
「……ふふ……そうねぇ。フラムが養子にきてくれて10年。あのコがあなたと結婚してくれて、嬉しかったわ。これで私たちは、気持ちとかじゃない……本当の家族になれたんだものね……」
一方フラム、屋敷の裏庭に到着。
そこにはひとつの小屋がある。
中からは何やら音が聞こえてくる。石を削ったり砕いたりしているような音が。
フラムはふへぇ、と息をつき、そこへと入っていった。
中にいたのは、口元に短く髭を伸ばした1人の男性。フラムと同レベルに整った容姿を持つ、年齢50代ほどの男性である。
彼は一心不乱に、巨大な大理石の塊を彫刻刀で削りまくっていた。身につけた作業用エプロンを石の粉で真っ白に染め、こめかみから垂れる汗を何度も拭うほどに。たった今小屋に入ってきたフラムの存在にも気づかないほどに。
「と、う、さ、まッ!!」
「ん……。……んッ!? おお、フラムか! おかえり!」
でっかい声で呼びかけられ、ようやく彼は自分の世界から帰還。フラムに向けてにかりとした笑顔を見せた。
「まーたご自分の彫像を作っておられるのですか!?」
「ああそうだ! 今までは男臭い姿しか彫ってこなかったから、今回はセクシー路線でやっていこうと思ってな! どうだ、この脇のライン! エロスの塊だろう!? こうして外から見ると分かるけど、僕ってやっぱりイケすぎてるよ! 神の傑作だ! 若い頃はモデルか舞台俳優になるのが夢だったんだが、やっぱりそうするべきだったよなぁ!?」
フラムの父親はたった今自分が削っていた大理石を、瞳をキラキラさせながら得意げに見せびらかす。
……そこに彫られていたのは、彼自身の顔と上半身。彼が彫っていたのは、自分自身の姿であった。
「あのですね! 今までにだって何体彫ったと思っているんですかッ! もうそろそろお庭が埋め尽くされますよ!」
「あれ!? もうそんなに作ったっけ!?」
「ハァ……まったく……。……あ、とうさま。居間にお越しください。戦域派遣が決まったのでご報告を。かあさまがお茶をいれてくださっています」
「お、そうか分かった! すぐ行くよ!」
フラムの父親はそう言うと、鼻歌をうたいながら使っていた工具やらを片付け始めた。
……彼は、フラムの父親。すなわちこのリフィリア家の当主である。だが今のこの姿からは、むすこのフラムにさえ、重々しい威厳のようなものは感じられなかった。
その後リフィリア一家はこれまただだっ広い居間に集まり、お茶とお菓子を嗜んでいた。
「ーーというわけで、自分はベルバロム島 守備隊への合流を命じられました。明朝、出立いたします」
「ベルバロム島……公帝軍の海上補給拠点のうちでも、特に重要な場所だな。遠いところだ。気をつけて行くんだよ、フラム」
「はい! リフィリア家の者として、恥ずかしくない働きをして参ります!」
父親たるリフィリア当代の言葉に対して熱気盛んに返すフラム。
しかしそれを受けたリフィリア当代は、なぜか悲しげな表情となった。
「……なぁフラム。そんなに気を張らなくていいんだよ」
「はッ? そ、それは……どういう……??」
てっきり励みの言葉をかけてもらえると思っていたフラムは、困惑せざるをえない。
「家だとか僕たちのことは、忘れるんだ。戦場では自分のことだけを考えなさい。僕たちなんてどうだっていい」
「ど、どうだっていい!? 冗談じゃない! そんなわけには参りません! 貧民街の孤児だった僕なんかを家族として迎え入れ、ここまで育ててくれたあなたちへの恩! それは一生かかっても返しきれない! 僕が兵士として戦うのは、公帝陛下のためでも民衆のためでも、ましてや自分のためでもない! あなたたちのご恩に報いるためです!」
「ただでさえつい先日、マヨシーの襲撃を食い止められなかった挙句その実行犯を取り逃すなどという失態を重ねているのです! 礼に応えるどころか、家名に泥を塗ってしまった……! これ以上恩を仇で返すわけにはいかぬのです! この僕にとっては、今こそが気張り際でございます!」
天井の高いこの部屋で、フラムは熱弁を響かせた。
それでも彼の家族は、むしろ彼を余計に心配そうに見つめている。父も、母も、ホリファも。
「……フラム。お前はいい子だ。真面目で、努力家で、正直だ。僕にとって最高のむすこだ。そんなお前にひとつ欠点があるとすれば……頑固すぎるところだな。自分にも、他人にもだ」
「が、頑固……でございますか?」
「お前は、孤児だった自分を引き取った僕たちのことを、まるで慈愛溢れる神様のように思ってくれている。……でも違うよ。僕も、かあさんも、決してそんな大層なヒトじゃないよ」
「な、何をおっしゃいますか!? ご謙遜なさらずともよろしいではないですか!」
「なら聞こう。僕たちが赤の他人にも喜んで手を差し伸ばすような聖人なのだとしたら、どうしてお前"だけ"を拾ったんだ? 貧民街には、お前以外の子どもだって他に何人もいた。どうしてその子たちには見向きもせず、お前だけを拾ったんだい? うちには何百人だって養えるくらいの、お金も土地もあるというのに」
「! そ、それは……それは……!」
フラムは、口を開けなくなってしまう。
「……そういうことだ、フラム。これは打算で、慈愛じゃない。僕たちがあの日お前を養子として引き取ったのは、お前に魔狂獣の襲撃から助けてもらったお礼をするためだ。お前は僕らに恩を返すと言ってるが、逆だよ。それは僕らがすべきことで、していることだ。だからお前はそんな張り詰めないで、自分の好きなように生きてていいんだよ」
「そうよ、私たちは家族じゃない。泥も迷惑も、いっぱいかけていいのよ……?」
父に続き、母も語る。さらにフラムの隣に座っていたホリファが、彼の手を優しく握る。
「……あのね、フラム。こういうのを言うのはよくないけど……正直私たちは、戦争の勝ち負けとかなんてどうでもいい。ただあなたが無事に生きててくれれば、それ以外なんにもいらないんだよ」
「……ホリファ……」
「恥でもなんでもいいじゃない。だからもし危なくなったら、すぐ逃げるのよ。大丈夫! それで軍をクビになったって、私が養ってあげるからッ」
ホリファはそう言うと、包み込むような笑顔をフラムに向けた。
「おいおい、ホリファ〜。養うってお前、何で稼ぐつもりなんだ? フラムと違って勉強はサッパリのクセに〜」
「まぁ、おとうさまったらひどーい!」
からかう父。ぷんすかする妻、兼、姉。それを眺めてくすくすと笑う母。
その中心にいるフラムは、いつの間にか自分の肩から力が抜けていることに気づいた。
そして、笑った。家族と同じく、彼も笑った。この後すぐ戦場へ駆り出されるというのに、彼の心は安らかであった。
そして、翌日の明朝。フラムは軍艦に乗り込み、遥か遠くの任務地……ベルバロム島へと向かって行った。
「いってらっしゃーいッ! ちゃんと帰ってくるんだよーッ!」
港まで来てくれた家族たちに、妻の元気な声に、見送られて……。
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