第184話 安寧 破れて
「…………あれ…………? 私…………??」
意識を取り戻したイユはふらふらと上半身を起こしながら、ぼんやりとした様子で周りを見渡す。
最初に視界に入ったのは、ユリン。
「おはよう、イユさん。大丈夫? 私のこと、分かりますか?」
「……あッ? あ、ユリン……さん? え? なんで……ユリンさんがいるんですか……? ……へっくしッ!」
認識した彼女の存在に疑問を持ちながら、イユはひとつ、大きなくしゃみをする。
「すみません、寒いですよね。まだ体温が完全に戻りきっていないんでく。とりあえずえーと……あ、これでいいや。これ着てください。背中が私の血で汚れちゃってますけど、ごめんね」
ユリンは服を破かれて冷風に身を震わせる彼女に、自身が着ていたニットセーターを脱いで差し出した。
「体温……? 戻る……?? ……あ、でもこれじゃ、ユリンさんが寒くなっちゃう……」
「いいのいいの。私は平気ですから。ねッ」
状況を把握できぬまま、彼女は上半身を薄っぺらな黒インナー1枚になったユリンから強引にニットを被せられる。
そして着終わった彼女が次に見たのは、自分とユリンのすぐそばでか細く呼吸している、満身創痍の雄弥の姿であった。
「ユウヤ……? ……ッ!? ユウヤ!? ど……どうしたのそのケガ!? 何があったの!?」
ここでようやく、イユの意識はまともに覚醒。全身に凍った血液を張り付かせた雄弥のもとに這い寄った。
「よ、う……イユ……。よ、よかった、な……無事で、よかっ、た……」
「何言ってるのッ!? あなた全然無事じゃないわよ!! どうしたの!? 誰にやられてーー」
イユは何かを察し、言葉を詰まらせた。
彼女は恐る恐ると、さらに周囲を確認する。
死体がひとつ、ある。頭をフッ飛ばされた首無し死体だ。身につけている制服から、その身元が公帝軍兵士だということも分かる。
あちこちに、鉄屑が散らばっている。船の残骸であると察知する。さらにその船とは、自分が乗せられていた公帝軍の小型艇だという確信も得る。
「…………わ、たし…………なの…………ッ?」
……彼女の身体が、寒さとは無関係に震えだす。
「同じ……だ……ッ。前から私が知らないうちに、色々起こってて……。ヒニケに来た時も、寮が襲われた時も……私は、何も……覚えてなくて……ッ。い、今も……ッ。……ねぇ……!? 私なの……ッ!?」
不安と焦燥の闇に包まれた瞳で、イユは訴える。
雄弥は何も返せない。正直に話すべきか、秘匿を貫くか。その迷いばかりが先行する。
「…………そうです。あなたがやった。ただし正確には、あなたの身体を操る邪悪な精神が行ったこと、です」
「ッ!? おい……ユリン……ッ!?」
しかしそんな彼を置き去りにして、ユリンはあっけなく真相を暴露した。
「ここまで大事になっては、いずれは必ず誰かの口から知らされることになる。隠すのは無意味です、ユウさん」
彼女は、あくまで合理性を詰めていくのみ。冷酷と断じられるのも承知の上だという姿勢がそこにはあった。
「……身体を……操る……!? 私の……!? ど……どういう……こと……ッ!?」
「ええ。ひとつずつ……説明していきましょう」
ーーその後ユリンは残り少ない魔力を用いて雄弥を治療しつつ、この場とこれまで起きたことの全てをイユに語っていった。ザナタイトという存在と、その者として彼女が行ったことまで全て。
癒しの魔力に包まれる雄弥はその間、ずっと顔をうつむかせていた。特に、イユがマヨシーで起きた出来事の真実を聞かされている時は、余計に重々しい表情であった。
イユは……。
「…………わたし…………が、ころした…………? おじぃちゃん、を…………ッ?」
顛末を聞かされて真っ先に反応したのは、その点であった。
しかし治療のおかげで喋る気力だけはなんとか持ち直した雄弥が、彼女の言葉を即座に否定する。
「違う! お前じゃない、ザナタイトだ! お前の身体に寄生したザナタイトが、お前の身体を勝手に使ってやったんだ!」
「で、でも……マヨシーをやったのも私で……ッ。それなら……公帝軍が私を捕まえようとしてるのは……正しく、て……」
「バカッ! 正しいわきゃねーだろ! むしろ逆だ! これでお前の無実は証明されたんだ! ザナタイトも倒した! もうお前にひでぇことをさせるヤツはいないし、お前の自由が誰かに奪われることもなくなったッ! それだけだ! 今あるのは、それだけなんだよ!」
「でも……でもなんで……ッ!? なんでその、"ザナタイト"が……私の中にいたの……!? どこから生まれてきたの……!?」
「……ザナタイト本人の口ぶりから察するに、正体不明の第三者の仕業、と解釈するのが適当だと思います。つまりイユさん、あなたは誰かに利用された。あなたの身体にザナタイトを……ザナタイトの精神が宿った"魔力"を植え付けた、何者かがいるんです。何か、記憶に残っていることはありませんか……?」
「利用……。私、を……。…………!!」
ユリンより投げかけられたその問いに対し、肩を抱えて震えるイユは何かを思い出したように瞳を見開いた。
「……そういえ、ば……誰かが……ウチに入ってきたような……ッ」
「? ウチ……? お前の家か? マヨシーの家のことか?」
「そう……。……そうよユウヤ、あの後よ……! あなたとお別れしたすぐ後……! あの時……外から音がして……あなたが帰ってきたと思って扉を開けて……でも、誰もいなくて……! それで部屋に振り向いたら、そこに……知らないヒトが……ッ」
「なに!? じゃ、じゃあソイツか!? ソイツがお前に何かしたのか!?」
「えっ、と……ッ。……頭……! そう確か、頭を掴まれたわ……。そのヒトは片手で、私の頭を掴んで……! それから……記憶が飛んで……」
「どんなヤツだ!! そのクソ野郎は!?」
「顔は……見てない……。フードを被っていたから……。フードのついたローブを着てたの、そのヒト……。……確か……黒地に、縦の白い縞々模様が入ったローブを……」
「!? な……なんだと……ッ!?」
それを聞いた雄弥は絶句した。なぜなら彼は、イユのその証言に思い当たる話を、すでに聞いていたからだ。
『同じだ……!! ニビル・クリストンを"組織"に勧誘したヤツの人相と同じ!! アルバノさんが言っていた内容と、まるまる同じじゃねぇかッ!!』
つい先日宮都に向かう汽車の中でアルバノに伝えられた内容と、酷似していたのだ。今のイユの話は。
「……!? ユウさん……? 何か心当たりがあるんですか?」
彼の態度のあまりの変貌ゆえユリンは怖々と聞き込むが、その声は雄弥の耳には入らない。
『やっぱりアルバノさんの推理は正しかった!! これまでの出来事は全て、ひとつのグループによって操作……誘導されたもの!! そしてそのローブの男ってのが、グループのリーダーに違いねぇ!!』
『だとしたら何が目的なんだ……!? ソイツらはなぜイユを利用してまで、こんなことをしやがったんだ!? アルバノさんが言うには、ヤツらの狙いは俺だってことらしいけど……!! それとこれとなんの関係が!?』
『……いやでも……ザナタイトは完璧にブっ倒したんだ……!! もしかしたらこれで、ヤツらの計画を狂わせることができたのか……!?』
「お〜いッ!! お前たち、大丈夫か〜ッ!! こりゃいったい何事だ〜ッ!!」
雄弥が疑心の深淵にどっぷり浸かっていると、遠くから声がした。海岸……陸の方からである。
やっと意識を正した雄弥を含めた3人がその方へ視線を向けると、大勢の憲征軍兵士たちが彼らのもとへと走ってくるのが見えた。
「海岸の守備隊ですね。やっと来てくれた……」
その光景を見たユリンがホッと息をつくと、同時に彼女の手から発せられていたオレンジ色の光が、すなわち魔力の輝きが消えてしまった。
「あッ! ……すみませんユウさん。私、魔力がもう……」
「あん? あ、ガス欠か。いいよいいよ。今さら傷がどんだけ増えよーが大して変わんねぇし。……ふぬ……ッ! ……ほれッ。なんとか立てるくらいにもなったぜ。ありがとな」
雄弥はダメージの残る身体を億劫そうに立ち上がらせ、申し訳なくうなだれるユリンにその姿をアピールする。
彼の身体は出血こそ止まったがその表面には重篤な凍傷がいまだ張り付いており、応急的に縫い合わせただけの腹部の刺し傷からも少しずつ血が滲み出ていた。
回復というには、あまりにも程遠い状態。
「それとユウさん。左手の千切れた指ですが、凍傷による組織の壊死がひどくて……接合は不可能です。すみません……」
「へーきだよ。手なんてのはよ、ゲンコツが握れりゃそれでいーんだぜ。捥げたのはたかだか人差し指と小指の先っちょだけだしな」
「……ごめんねユウヤ。私のせいで、あなたがこんな……」
「だーッ! うるせーな! 2人とももうよせよ! そしてイユ、これはお前のせいじゃねぇし、やったヤツはもう倒したんだ! 分かるか!? 俺の傷の仕返しはとっくに済んでるってこと! やり返せた俺の心にはハッピーしかねぇってことだ! だから今回のハナシはもうおしまいなのッ!」
しかし、そんな雄弥の様子は実に晴れやかだった。2本の指先を失った左手をぐっぱぐっぱと握り開きする彼の顔には、少しの後悔や蟠りも見受けられなかった。
「みーんなこうして生きてんだぜ!? ならそれだけだ! それだけありゃあいいじゃねーかよ!」
それが彼の答え。決して揺るぐことのない、彼の根っこであった。
そして彼は改めてイユに向き直り、口下手に話を続けていく。
「イユ。お前の身に起こったことはつれぇだろうし、俺もそれについちゃ心残りはある……。でも、もういいんだ。それは俺がどうにかするモンで、お前が苦しむ必要は無ぇんだ」
「それでもお前の中に罪悪感が残るなら、それは俺に分けてくれりゃいい。これから2人でゆっくり溶かしてこう。俺だけで足りねーなら、セレニィやリラさんだっているんだからよ」
「だから……えーと、え〜……そ、そうッ! お前は1人じゃねぇッ! だから心配することはなんもねーのッ!」
「…………ユ…………ウ、ヤ…………」
座り込んでいるイユに、右手が差し出される。
少し頬を赤く染めて照れてる、雄弥の右手である。薬指を失くした右手である。
「……ほれイユ! 帰ろーぜッ」
世界で1番、あたたかい右手である。
「…………うんッ。かえる…………ッ」
イユは涙交じりの笑顔とともにその手を握り、この氷原から立ち上がった。
『もう……。ホント、おばかさんなんだから』
凍傷だらけの顔をからからと明るく染めるパートナーの姿を、ユリンも微笑ましく眺めていたのだった。
……その時。
どこかから、音が聞こえてきた。
ひゅうううう、という音。空気が切り裂かれる音。ものすごいスピードで、何かが飛翔する音。
「ん? ……なんだ?」
「なんの音……?」
雄弥やイユもそれに気づく。
海岸から駆けつけてくる憲征軍兵士たちの声や足音などではない。どうも……それとは逆方向から聞こえてくる。
『……なに……? 何かが……飛んでくる……!?』
ユリンは警戒する。
音が徐々に大きくなる。どんどん近づいてくる。
空の彼方から、何かが、雄弥たちのもとへーー
「!! ユウさんッ!! イユさんッ!!」
「え? ぐわッ!?」
「きゃ……ッ!?」
突然ユリンが血相を変え、自身のそばにいた雄弥とイユを思いっきり突き飛ばした。
次の瞬間。
ユリン1人が残ったその場所を、1発の巨大な"砲弾"が直撃。
発生した爆炎が彼女を丸呑みにし、近くにいた雄弥とイユは砕かれた氷の破片とともに爆風で吹き飛ばされていった。
ーー戦艦マルデゥク。
甲板に装備された三連装主砲塔の砲口から煙を噴き出している、五芒卿の専用艦。
「フラム様! 第一射、目標地点に命中いたしました!」
海上待機していたこの艦船の艦橋内で、砲撃手の公帝軍兵士が状況を伝達する。受けて応えるは、室内中央の司令官席に座る男……。
「索敵班! 魔力生体反応はどうか!」
〈煉卿〉……フラム・リフィリアである。
「着弾地点至近に、巨大な魔力反応確認! おそらくユウヤ・ナモセ! またそのすぐ近くに、魔力を感知しない生体反応があります! 混血児……イユ・イデルと思われます! 標的両名、健在ですッ!」
「ちッ……今ので生き残るとは……! つくづく悪運だけは大したクズどもだ……ッ!」
報告を聞いたフラムはその精悍な顔を忌々しく歪める。
「イユ・イデルの護送船の反応が消えたからもしやと思ったが……やはりそういうことだったのだ……!!」
「海に突如として張ったこの氷……!! そして、先ほどまで続いていた交戦反応……!!」
「もう疑いの余地すら無いッ!! ヤツらは裏切ったんだ!! イユ・イデルを奪還するため護送船を攻撃し、我々の同志8名を皆殺しにしたッ!!」
「やはりマヨシー地区の陥落は、憲征軍が裏で手引きしていたのだ!! イユ・イデルを連絡員とし、ユウヤ・ナモセが実行したッ!! ヤツらが我々の平和を引き裂いたのだッ!!」
「それでも!! それでも我々は穏便な手段を選んだ!! そんな惨行を働いた悪魔どもに対して、"交渉"の場を!! 償いの機会を与えたッ!! しかもその要求は、実行犯2名の引き渡しのみ!! こんな……こんな温情があるだろうか!?」
「だが……ッ!! だがァ……ッ!! ヤツらはそれすらも裏切ったァァッ!!」
フラムはガリガリと噛んでいた爪から口を離すと司令席の脇に取り付けてあったマイクを手に取り、スピーカーを通して艦内全域に檄を飛ばしだす。
「もはやヤツらはヒトではない!! 神罰に怯え現世へと墜落した、無垢を啜る悪魔そのものだ!!」
「今をもって、我々は神となる!! ヤツらに審判を下す絶対者となるッ!!」
「まずはユウヤ・ナモセとイユ・イデルだッ!! 殺せッ!! あの悪魔どもをッ!! 人道を捨てた恥生の獣にィ……ッ!!」
「"人間"の鉄槌を、振り落としてやれぇええッ!!」
「おおおおおおおおおおッ!!」
〈煉卿〉の叫びに、その豪熱に煽られた数千もの公帝軍兵士たちは、次々に艦外へと出撃していく。
狙うはただ2人。雄弥とイユ、その命……!
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