第180話 覚悟を燃やし、再起する
…………ウソだ。
こんなのウソだ。……夢だ。
だってイユはイユなんだから。イユがイユ以外になるなんて、あり得ないんだから。
俺は眠ってるんだ。それかアタマがおかしくなったんだ。こんなひどいの……現実にあるわけがない……ッ。
「アルノダナァ、ソレガ」
絶句して立ち尽くす雄弥の、神にでも縋り付くような現実逃避の懇願。イユがザナタイトへと変貌した事実をまるごと消してほしいという望み。
彼の眼前のザナタイトはそれを無慈悲に一蹴し、仮面の下から無機質な嘲笑を撒いた。
「……な……なんで……!? イユさん……!? ど、どういう……こと……ッ!?」
護送役兵士が指で差し示した相手も、イユ。その彼女の姿の変わり様に、ユリンも混乱を極めていた。
「ルナハンドロ ハ実ニ惜シカッタ。流石ト言ウベキダナ。アノ男ノ考察ハ、真相ノ半歩手前マデ迫レテイタノダ」
「読ミ違イガ アッタトスレバ最後ノ一手ノミ……。コノ私ノ居場所ヲ、素性ヲ、掴ミ損ネタコトダ」
「……な……んなんだよ……ッ。お、お前……お前はなんなんだ……ッ。イユに……イユに化けていたのか……ッ? ……いつからだ……いつから入れ替わってた……。本物のイユは……ど、どこに……ッ」
「"化ケル"? "本物"? ……ククク……ドコマデモ鈍イ男ヨ。違ウ、ソウデハナイ。今ココ ニ イル私コソ紛レモ無イ イユ・イデル 本人デアリ、ソシテ ザナタイト デモアル。知恵足ラズナ貴様ニモ伝ワリヤスク表現スルナラ、2ツノ精神……二重ノ人格トデモ言ウベキカナ?」
「コノ娘……イユ・イデル ハ、私ノ存在ヲ自覚シテハオラン。故ニ、ザナタイト トシテ貴様ラト戦ッタコトモ、マヨシーカラ此処マデノ行路モ、ソシテ……自ラノ手デ マヨシー地区ノ住民ヲ皆殺シニシタコトモ、何ヒトツトシテ記憶シテイナイ」
当惑。憤怒。恐怖。悲哀。
雄弥の心中はすでにまともな状態ではなかった。
今の彼の脳は、身体は、ザナタイトと会話をするだけで精一杯。身動きひとつすることは叶わず、全身から凍るように冷たい汗を流し続けている。
「…………あり、得ない…………ッ!」
そんな中、2人の会話を聞いていたユリンが口を挟んできた。
「ン? アリ得ナイ、トハ? ユランフルグ ヨ」
「イユさんは……混血児です……! 人間と猊人の混血は誰もが例外なく、生まれつきまったく魔力を持たない……! そしてイユさんの体内に魔力が無いことは、彼女がヒニケで発見された時に確認済み……! あんな攻撃術や、異次元転移術の発動なんて……彼女の身体を使ってできるハズがない……ッ!」
「フ、何ヲ言ウカト思エバ……。モトノ魔力ノ有無ナゾ ナンノ障害ニモ ナラン トイウコトハ、コノ男ガ トウニ証明シテイルデハ ナイカ」
ザナタイトはそう言いながら、自身の前に立っている雄弥を指差した。
……その意味を段々と理解したユリンの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「……ま、さか……"譲渡"したんですか……ッ!? イユさんに……魔力を……ッ!!」
「明答……。魔力譲渡ガ行エルノハ転移者ニ対シテ ダケデハ ナイ。無論、ソノタメノ方法ヲ熟知シテイル必要ハ アルガナ」
「先程、私ハ自分ノコトヲ"二重人格"ト表現シタ。ダガ私ハ先天的ニ イユ・イデル ノ中ニ イタ ワケデハ ナイ」
「コノ "ザナタイト ノ人格" トハ即チ、イユ・イデル ノ体内ニ譲渡サレタ "魔力" ニ宿ルモノ……! 私ノ正体トハ魔力ソノモノ ダ! "生キタ魔力" ナノダ!」
「故ニ、私トイウ人格ガ表ニ出テイナイ時ハ、コノ小娘ノ身体カラ魔力ガ検出サレルコトモ ナイ! 人格ハ、魔力デアルノダカラ! 魔力ガ私ナノダカラ!」
「ソレガ コノ私!! "魔狂獣ザナタイト"!! 肉体ヲ持タヌ引キ換エニ人類相当ノ知能ト思考力ヲ与エラレタ、新次元ノ生命体デアル!! コノ イユ・イデル ノ肉体ナゾ、単ナル器ニ過ギンノダ!!」
「げ……魔狂獣……ッ!? あなたが……!?」
敵自らの口から告げられた事実に、ユリンは愕然。雄弥に至ってはもう耳に入っているのかすら怪しい。
「なぜ……なぜあなたはユウさんのこと知っているの……!? なぜ魔力譲渡のことを知っているの!? あなたをイユさんの中に植え付けたのは、いったい誰なの!? あなたは、もとは誰の魔力だったのッ!? 譲渡したのは誰なのッ!!」
「フン、悪イガ……オ喋リハココマデダ……!」
ユリンの質問攻めを無視したザナタイトは、不意に指をパチン、と鳴らした。
「ぎッ!?」
すると突然、ユリンが介抱していた生き残りの公帝軍兵士が顔をドス黒い紫へと変色させ、苦しそうにうめき声をあげだす。
「!? ど、どうしたの!?」
「ぁが……ッ!! ぐ、ぐるじ……ッ!! だず、たずげ…………ーーばめらッ!!」
「な…………ッ!!」
……やがてその唯一の生存者は、戦慄するユリンの膝下で首から上を破裂させて死亡。頭部は細切れの肉片になって散っていってしまった。
「サテ……余計ナ ギャラリー ハ全テ消エタ。ショー ノ大詰メ トシヨウカ……」
自らの残忍さを隠そうともしないザナタイトは右腕からジャキン、と魔力剣を発生。
『……イユが……ザナタイトだった……??』
雄弥はそれにまったく反応していない。口を半開きにして固まったまま、身体を小さく震わせるだけ。
『マヨシーは……コイツに……? ならじっちゃんは……イユはじっちゃんを自分の手で……ッ?』
ザナタイトが彼に近づいていく。右腕の剣に、輝を乗せて。
『それに俺は今まで……コイツと戦ってたのか? イユと戦ってたっていうのか……ッ?』
眼と鼻の先まで接近を許す。ザナタイト、右肩を力ませ、静かに剣を構える。
『イユの腕を折って……イユの腹を殴って……い、イユを……"2人も"殺して……ッ? お、俺……俺は……何をしてたんだ……ッ? ……何をーー』
剣が、振られる。横薙ぎに。狙うはひとつ、雄弥の首……。
「ユウさぁああんッ!!」
ーーザナタイトが打ち込んだその剣撃は、雄弥の頭を落とす前に、すんでのところで間に割って入ったユリンによって受け止められた。
彼女が叫びながら助けてくれたというのに、自分が殺されかけたというのに、雄弥の正気は尚も戻らない。
ユリンは自身の背後で放心する彼に眼端を送りつつ、ザナタイトと互いの腕をぶつけたままぎりぎりと睨みあっていた。
「フン!! 貴様カラ殺スノモ ヨカロウ!! 先日ノ借リヲ返上シテヤルゾ、ユランフルグッ!!」
「勝手ばかり言わないで!! どこまで他人を弄べば気が済むのッ!!」
激昂するユリンは魔力を解放。それをザナタイトと組み合う自身の両腕へと集中させる。
「"慈䜌盾……『臣』"ッ!!」
次の瞬間、彼女の腕の前には正四角形の防壁が展開され、ザナタイトの身体を勢いよく弾き飛ばす。
ザナタイトは後ろ向きにフッ飛ばされながら体勢を整えると、両腕の砲口から機関銃のような速度で魔力光弾を乱射。ユリンをハチの巣にしようとする。
「『姫』!!」
ユリン、これを両手の小盾で全て叩き落とす。
しかし光弾の掃射が終わった時、彼女の視界は敵の姿を見失った。
「!? どこに……がッ!!」
ザナタイトがいたのは、彼女の左。いつの間にかまわり込まれていたのである。
気付くのが遅れたユリンは左側頭部に蹴りを突き込まれ、オレンジ色の髪を裂けた頭皮からの鮮血でまだらに染めながら氷の上を滑り飛ばされる。
追撃に迫るザナタイト。ユリン、痛みに苦悶しつつも足を踏ん張り、迎え撃つ姿勢を整える。
すると、またもやザナタイトが姿を消す。現れたのは彼女の背後。その背中に剣を振り下ろす。
ギリギリで反応を間に合わせたユリン、前に飛び退くことでこれを回避。しかし完全とはならず、鋒を掠めたことで背中の皮膚を浅く袈裟斬りにされてしまう。
『く……!! こ、これは……前回よりもスピードが格段に上がっている……ッ!?』
切り傷からの出血で着ているニットの背中を徐々に赤く染めながら、ユリンはザナタイトの戦闘能力の向上を文字通り"肌で"感じていた。
「コノ場ニ オイテ述ベテオコウ……『有意義デアッタ』ト!! 貴様ハ勿論、トレーソン ヤ ソニラ カラ直接"学習"ヲ得ラレタコトハ、私ニトッテ至上ノ幸運ダッタゾ!!」
当の黒騎士は、そんな彼女の心中を察したのだろう。右腕の剣を見せびらかすように振りながら、機械音のような声にたっぷりの優越感を乗せてそう語った。
「私ハ戦エバ戦ウホドニ強クナル!! コノ先更ナル学習ヲ積メバ、イズレ何者ヲモ凌駕スル究極生物トナルダロウ!!」
「ソレヲ阻止タクバ当然、今ココデ私ヲ仕留メルシカナイ!! ダガ ユランフルグ!! 貴様1人デハ ソレハモウ叶ワン!! 援軍ガ来ルノニモ マダカカルダロウ!!」
「貴様ニデキル コト ハ1ツ!! アソコデ呆ケテイル、菜藻瀬 雄弥ヲ引キ摺ッテコイ!! ソシテコノ私ヲ……『イユ・イデル ヲ殺スノヲ手伝ッテクレ』ト、コウ頼ミタマエ!!」
「ダガ奴ニ コノ小娘ハ殺セン……!! 仮ニ成シ得タトシテモ、ソウナレバ アノ男ノ心ハ確実ニ死ヌ!! 2度ト精神ガ奮イ立ツコトハ ナクナル ダロウヨ!!」
「"天秤"ノ話ダ!! 選ブガイイ!! ココデ2人マトメテ私ノ糧トナルカ、菜藻瀬 雄弥ト イユ・イデル ヲ殺シテ貴様ダケガ生キ残ルカ!! ドチラニシテモ私ダケハ、ソノ決断ヲ祝福シヨウッ!!」
ザナタイトは、そう高らかに言い放った。
ユリンにとっては癪に障るハナシだろうが、此奴の言うことは正しい。今この場で結論を下せるのはもう彼女だけしかいないのだ。
このままでは、誰かは必ず死ななくてはならない。誰かの死を許容しなければならない。他に方法が無いのなら。選択肢が、手段が無いのなら。
本当に無いのか、他には何も。何か他に、打てる手は無いのだろうか?
『…………ある…………』
頭と背中からの痛みによって冷たい汗を垂らすユリンは、まさに今脳内で描いていた。その"手"を。他の"手"を。
ザナタイトの"天秤"をねじ伏せる、最後の手段を。
『……覚悟が、いる』
『前例の無いことに挑む覚悟。ユウさんを追い詰めるかもしれない覚悟。そして……』
『ザナタイトの言う通りに、私の手で2人を殺すことになるかもしれない覚悟……』
敵に向かって構えている彼女の両手が、いつの間にか小刻みに震えている。
彼女とてまだ少女。その小柄な体躯にのしかかるにはこの責任はあまりに重く、あまりに無慈悲。自ら組み立てた切り札に、彼女自身が押し潰されようとしているのだ。
……だが……。
「ーーユウさんは……イユさんを守り抜くと誓ったんです」
「…………ン? ナニ? …………ナンダッテ?」
彼女からのまったく要領を得ない返答に、ザナタイトはその黒き仮面の上に困惑を滲ませる。
「ホント……おばかさんです。いつも1番危なっかしいのに。いつも1番ケガして、1番ボロボロになるのはユウさんのほうなのに。何言ってるんだ、ってなっちゃいますよ……」
「……オイ、何ノ話ダ? 戯言ナラ止セ」
しかしユリンはやめない。ザナタイトの言うことなど聞きはしない。
少女の眼の中には、"炎"があった。ルビーよりも赤きその瞳は、彼女の背後にて君臨する朝日よりも燃え盛り、輝いていた。
「でもね……。私はそんなユウさんが好きなんです。尊敬してるんです」
「……だから……ユウさんが誰かを守ると決めたのなら。怒りっぽくてあわてんぼだけど、誰よりも優しくて繊細なあのヒトが……誰かのために傷付く覚悟を決めたのなら……」
それは、覚悟の"炎"。心の恐怖を焼き尽くす、無敵の燈……。
「私は、そのユウさんを守り通す!! 誰にも傷つけさせない!! 殺させない!! あのヒトの身体も……心もッ!!」
「アア……ッ?? 貴様イッタイ何ヲ ホザイテーー」
黒騎士の理解を置き去りにしたユリンは其奴に喋る隙も与えぬうちに両手で素早く印を結び、そこに強く魔力を宿らせる。
「"慈䜌盾"、『内』!!」
瞬間、ザナタイトは彼女が生成した透明な魔力球体の中に幽閉された。
「!! ナニッ!? シ……シマッタ!!」
それはかつてアイオーラ戦で見せた、"慈䜌盾"の"檻"であった。
閉じ込められたザナタイトはなんとかその壁を破壊しようとメチャクチャに攻撃を加え始める。しかしいくら剣で斬りつけようが、光弾を撃ち込もうが、ちょっぴりのヒビがちょっぴりずつ入っていくだけ。
「オノレ……!! 悪足掻キヲシオッテッ!!」
黒騎士が牢獄で暴れているうちに、ユリンは向かって行った。自らが守るべきヒトのもとに……。
* * *
「ーーん!! ーーさんッ!!」
……何か聞こえる。……うるせぇ。
「ーーウさん!! ーーュウさんってば!!」
……夢だ。これも夢。構うなよ、俺。黙っていれば、いずれ覚める。そしたら全部が元通りだ。
起きたら、またイユとどっかに出かけよう。昨日みたいな悲しいヤツじゃなくて、楽しいままで終われるお出かけをしよう。
「ーーユウさんッ!!」
弁当作ったらアイツ喜んでくれるかな。いや素人のメシなんかよりゃ、しっかりした外食の方がいいか。ちょっと奮発して高級店に行くのもいい。いい店がないか、セレニィにでも聞いてみよう。
ああ、俺よ。早く目覚めてくれ。寝てるヒマなんか無ぇ。幸せな時間が待ってるんだ。
誰でもいい。さっさと俺を起こしてくれ……。
ーーパンッ。
……。
…………。
「…………痛ぇ」
「しっかりしなさいッ!! ユウヤ・ナモセッ!!」
ーーユリンが、いた。
真っ暗だった景色が急に晴れたと思ったら、眼の前にユリンがいた。必死の形相で俺を見上げる、小柄な女の子がいた。
「…………あ? …………ユリン?」
彼女の名前を口にしてみると、その俺の声は俺の耳に生々しく馴染む。
それに右のほっぺが痛い。叩かれたんだ。ユリンに、たった今。
……現実だ。これは現実だ。氷の上に立つこの俺が今感じている全ては、現実のことなんだ。
「ユリン……? ……イユ? !! そ、そうだ……イユ……!! イユが……大変になっちまって……ッ!!」
「ユウさん、ダメ!! 私を見て!! 私の眼を見るの!!」
頭の奥に封印した情報の全てが一気に放出されたことで、再び破綻しかけた俺の思考。
しかしそれは、ユリンによって食い止められた。彼女は俺の顔を自分の顔まで引き寄せ、鼻と鼻がくっつく距離から俺に呼びかける。生の"声"を、"見せつける"ことで、俺を現実に繋ぎ止めてくれている。
「今の状況は分かりますね!? 覚えていますね!?」
「あ、ああ……! 覚え、てる……ッ!」
「結構!! なら私の話を聞いてください!! 術詞を省略した『内』では、そう長い時間は稼げません!! だから説明は1度!! 質問も無し!! いいですね!?」
息遣いまで漏れなく伝わる至近距離から、ユリンは鬼気宿る言葉を飛ばし続ける。
だが俺にはその意味が、彼女が何を言っているのかが分からない。
「ま、待てよ……! 説明……だって? いったいなんの……!?」
……まさか。
「ーーイユさんを、助ける方法、です……ッ!!」
俺はまだ、夢の中にいるのか。
おもしろいと感じていただけたら、ぜひ評価やブックマーク登録をお願いいたします。感想などもいただけるとめちゃくちゃ嬉しいです〜。




