第179話 白は黒だった
ドォンッ。
海からの轟音が、早朝の灰空を揺さぶった。
「!?」
たった今まさに海岸から帰ろうとしていた雄弥とユリンは、突然聞こえてきたその音の方角にがばりと首を振り返らせる。
やはり音の発生地点は海からだった。それも、爆発の音らしい。
なぜなら、見えるからだ。水平線の2歩くらい手前というかなり遠くの位置でドス黒い煙が立ち昇っているのが、雄弥にもユリンにも見えるからだ。
「な、なにアレ……!? ……燃えてる……!?」
ではその煙は何から出ている?
……船だ。煙は、海面に浮かぶ船から出ていた。そしてその船とは、今の今まで雄弥たちが眺め続けていた船。イユを乗せた公帝軍の小型艇だ。煙はそこから出ていたのだ。
「……………………イユ?」
雄弥は思い出したようにそう呟いたのち、砂浜から海の方へとふらふら歩き出す。
最初は無意識の行動ゆえ、鈍く。しかし彼の脳神経が事態を認識し始めるのにつれて、その足は次第に早くなる。
あれはイユの乗る船である。そこから煙が出ているのである。爆発の音までしたのである。燃えているように、見えるのである。
「イユ……ッ!! イユ!! イユーーーッ!!」
ついに何もかもを把握して気を動転させた雄弥は前につんのめりそうな勢いで走りだし、やがて両足から『波動』を噴射。数キロ先の海原上で黒煙をあげる船めがけて猛スピードでの飛翔を敢行した。
「ゆ、ユウさんダメッ!! 待ちなさい!! 〜〜ああもうッ!!」
ユリンの制止は当然のようにまったく聞いてもらえない。
説得不可を悟った彼女は右太腿のホルスターから1丁の拳銃を引き抜き、空中に飛び出した雄弥に向かってそれを発砲した。
銃口から発射されたのは、鋼鉄製のワイヤー。オーパル戦で使用されたのと同じモノである。ワイヤーは空気を切り裂きながら上空に突き進んでいくと、そこを飛ぶ雄弥の左足首に命中、あっという間に巻きついた。
結果、ユリンの身体はそのワイヤーによって彼と連結され、雄弥に引っ張られる形で彼女もまた空に飛び上がった。
その最中、ユリンはもうひとつの異常事態を察知することとなる。
「!? う、海が……凍る!?」
宙吊りで空中を進む彼女の眼下に広がる海が、パキパキと音を鳴らしながら徐々に凍りついていっていたのだ。
波は打ち上げられた形のまま完全に静止し、泳ぐ魚は生きたまま氷漬けの標本となる。その凍結範囲は凄まじく、四方全ての水平線にまで及んでいた。
しかし、雄弥はまったく意に介さない。ユリンが自分に無理矢理ついてきていることも、海が不自然に凍結していることも。
今の彼の思考を支配しているのは、イユの安否についてのみであった。
彼は両脚の筋肉がヒビ割れるほどの推力によってあっという間に目的地に辿り着き、すっかり凍りついた地上……いや"海上"に降り立つ。ユリンも彼の降下より先にワイヤーを解除し、同じ地点へと足をつけた。
凍りついた海に船体の下半分を埋める小型艇は、やはり激しく燃えていた。甲板上のものが丸ごと吹き飛ばされ、そこを包む赤火からは新鮮な火花がバチバチと散っている。
「ち、ちくしょうッ!! イユーッ!!」
「ちょ、ユウさん!! 危ないですよッ!!」
焦りのあまり炎を無視した雄弥はすぐさまその熱地獄に突撃。ユリンも慌てて彼を追いかけ、炎上する小型艇の中へと入って行った。
船内は当たり前のごとくめちゃめちゃだった。天井に張り巡らされていたパイプが千切れ落ちて床に散乱し、船体の亀裂から海水が内部へ流れ込んできていた。なお、その海水も全て謎の凍結を遂げており、船内には見事な氷細工が出来上がっていた。
雄弥はイユの名を叫びながらそこら中を駆け回る。外枠が歪んで開かなくなった扉を強引に破壊し、瓦礫という瓦礫をやたらめったらにかき分けていく。
一方ユリンは、船内に倒れる"死体"に注目していた。無論それらの身元は、イユの護送を担う公帝軍兵士たちである。ユリンはすでに7人分の遺体を確認したが、そのどれもが妙な死に方をしていた。
全員、斬られていたのだ。首だったり胴体だったりを、ばっさりと、一太刀のもとに斬り伏せられていたのだ。
すなわち彼らは爆発や炎によって死んだのではなく、それが起こるより前に何者かによって殺されたのだ。……と、ユリンは見立てした。
『どういうこと……!? いったい誰がこんな……!!』
「……………………ゔ……………………」
その時ユリンは、確かなうめき声を聞いた。
そこに視線を向けると、瓦礫の下敷きになっている1人の男がいた。船倉でイユに話しかけていたあの兵士である。
「!! 大丈夫ですか!? しっかり!!」
ユリンが瓦礫をどかして引っ張り出したその男は身体中傷だらけではあったが、確かに生きていた。治療をすれば助かるギリギリのラインだ。
ユリンは彼を背中におぶると、出口へと早足に向かう。
「くそォォ!! イユーッ!! どこだーッ!!」
雄弥はいまだイユを見つけられていなかった。よもや爆発で粉々にフッ飛んでしまったのかと、そんな最悪な事態が何度も頭をよぎる。
しかし、僥倖なり。その想像は見事にハズレた。
彼が最後に蹴破った扉の中、狭苦しい船倉の中に、イユはいた。五体満足で傷ひとつなく、完全な無事の状態でそこに座っていた。
「い、イユッ!! ああよかった!! もう大丈夫だかんな!!」
「……………………うん」
緊張がブツリと切れた雄弥はたまらず彼女を抱きしめる。
反対にイユは、ひどく落ち着いていた。駆けつけてくれた彼に感極まるような様子もなく、静かに返事をするだけ。
が、それに構うヒマも、無事を喜ぶ余裕も無い。炎上し死にゆくこの船に、崩壊の波がどんどんと押し寄せる。あちこちが軋み、床に亀裂が入り、壁がぐにゃりと押し潰されてゆく。
「ちッ、もう限界か!! ここを出るぞイユ!!」
雄弥はまるで魂が抜けてしまったかのように微動だにしないイユの身体を抱き上げると、その船倉内の壁を『波動』の一撃でブチ破り、大急ぎで船外へと脱出。
船はその直後に最後の大爆発を起こし、今度こそバラバラの鉄屑と成り果ててしまった。
「ユリーン!」
「!! ユウさん、大丈夫!?」
「ああ! ホラ見ろよ! この通り、イユも無事だ!」
雄弥は先に脱出していたユリンのもとに走ってきた。
ユリンは凍った海という地面の上で、自らが救出したただ1人の生き残りの兵士を治療している真っ最中。……しかし彼女は、雄弥が抱きかかえているイユを見た途端、激しい違和感に襲われた。
『……!? ……イユさん、全然ケガをしてないの……!?』
それは、イユが無事すぎること。
あれだけの爆発が起きて船内も無惨に破壊されていた上、ベテラン公帝軍兵士たちのほとんどが何者かにより殺されていたという状況。その渦中にいたはずのイユ・イデルは、身体も、服も、傷つくどころか汚れてすらいなかったのだ。
「…………ぐ、う…………ううッ」
が、彼女がその不審な感覚を整理しきらぬうちに、彼女が治療していた護送役兵士が意識を取り戻す。
「! 大丈夫ですか? わかりますかッ?」
氷の地面に寝かせているその男に対し、ユリンはしきりに呼びかける。
「うぐ…………あ、アンタ…………は…………」
「憲征軍の者です。ああよかった、治療が間に合って……。いったいこれはどうしたんですか? 船で何があったんですかッ?」
「……船……お、俺は……。……そうだ、何か……ヘンなヤツが現れて……ふ、船を……俺たちを……」
「ヘンな……ヤツ?」
この時点ではまだ男の発言は要領を得ていなかった。
「そ、そう……そうだ……真っ黒いヤツが……剣を振り回してて……。いきなり、攻撃されて……みんなが……どんどん……ッ」
「…………ああ……ッ。そ……うだ、思い出した……ぞ……ッ! く、黒は……黒は白だったんだ……! 白が、黒だった……ッ! う、上の連中、の……疑いは正しかった……! アイツ、なんだ……! マヨ……シーをやったの……は……ッ!」
しかし、瀕死の彼が絞り出す声は、徐々に鬼気迫ったものになってゆく。
ユリンは一旦しまいこんだ違和感を再燃させる。……彼女の"予感の炎"に、凄まじい勢いで油が注がれていく。
彼女はこの時もうすでに、答えに辿り着いていたのかもしれない。
だがユリンはまだ、それを直視できなかった。逃避をした。自分が思い違いをしているのだと、そうであってくれと、心の中で懇願した。
「…………誰なんです……ッ。その……"アイツ"……って…………」
……現実は、彼女を、何者をも決して逃さない。
彼女が苦し紛れに放ったその質問に対し、護送役の兵士は痙攣する腕を必死に動かして指を差す。"アイツ"が、今いる、方向をーー
「イユ、どっか痛いトコとかないか? あったらユリンに診てもらってこいよ?」
雄弥は脱出してからもずーっとイユのことを心配し続けているが、彼女は一向に返事をしない。ボーッとつっ立っているだけ。瞳の中のハイライトを失ったまま、その真っ白な顔に虚のカーテンを下ろしている。
「……お、おい……大丈夫かよ。まぁパッと見は全然傷とかもなさそーだし……平気か。……よかったぜ、ホントに……。何があったのかサッパリ分かんねーけど、もし……もしお前が手遅れになってたらどうしようかと思ったよ……」
「ーー手遅れよ」
「ん?」
「手遅れなのよ、ユウヤ。もう何もかも遅いのよ」
「えッ? ……な、なんだって? ワリィ、よく聞こえねぇ」
「逆になんで間に合ったって思えるの? そっか、バカだからよね。あなたバカだもの。どうしようもない、救えないバカだ」
「バカ……? 俺? あ、う、ご、ごめん……?」
「全ては始まってるのに。あなたが始めたのに。あなたのせいで。あなたなんかが、いたせいで」
「……お、おい? い……イユ……?」
雄弥は、"覗かれて"いる。光を失ったイユの瞳が、その闇が、雄弥を捕らえて離さない。
「あなたが悪いのよ。あなたが来たからマヨシーは焼かれた」
「あなたに関わったから、私のおじぃちゃんは殺された」
「……あなたなんかに出会ったから、私は……こうなった……」
イユの顔面が、ぐにゃりと歪む。
雪よりも白く、大理石よりも艶やかだった肌が、硬く冷徹な仮面に覆われる。
細眼ながらつぶらだった瞳が表面に出っ張り、真珠のように白濁した複眼となる。
皮膚が砕け、その破片が組み直され、鋭利な装飾付きの鎧へと再構築される。
腕には大砲。脚には翼。その身に纏うは真なる闇……。
「ーー私ハ ザナタイト……。貴様ガ産ミ、貴様ガ育テタ罪禍ノ化身……」
「ソウダロウ……? 我ガ母……菜藻瀬 雄弥ヨ……」
降臨せりザナタイト。もう、イユはいない。
「……………………あ……………………ッ??」
雄弥……絶望を知る。
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