第178話 悪夢の邪変身
時刻はお昼。13時をまわり、多くの者が昼食を食べ終わるくらいの時間。
「どこいくか、イユ」
「静かなところ……。静かで、景色がキレイなところがいい」
こうして雄弥は外出許可を与えられたイユを、街外れの公園へと連れてきた。
その公園にはひとつの小高い丘があり、公園自体のもともとの標高も相まって、そのてっぺんからはちょうどヒニケの街並みが一望できるようになっている。
雄弥とイユの2人は、そこにきた。誰もいない公園その丘のてっぺんで、並んで腰を下ろした。芝生の地面はふかふかだ。
肌をくすぐるようなそよ風に髪を揺らし、不規則に聞こえてくる小鳥のさえずりで耳を癒やす。
眼下に広がる街では、まばらにヒトが歩いているのが見える。子どももいる。笑顔で母親と手を繋ぐ女の子がいる。
「…………いいなぁ」
イユが不意に漏らしたその言葉は、景色の良さに対してのものか。周囲の穏やかな雰囲気にか。あるいは、その女の子と母親という構図への羨望ゆえのものか。
それは分からない。……だが、彼女が今感じている全ては現実である。あまりにも平穏・平和な現実である。イユ・イデルの身が置かれている現状など、まるっきりウソであるように思えてしまうほどの……。
「…………ねぇ、ユウヤ」
「ん」
「もたれていい?」
「……あーよ」
イユは自分の身体を、左隣に座る雄弥に寄りかからせた。頭を彼の肩にぴたりとくっつけ、上半身の体重を預ける。
……そして彼らはどちらから言うまでもなく、そっと手を繋いだ。寄り添いあったまま、雄弥の右手とイユの左手は、静かに結ばれた。
「……あったかいね。ユウヤは」
「あん? そ……そーか?」
「うん。……特に手があったかい。ぽかぽか」
「俺の故郷じゃさ、手がぬくいヤツは心が冷たい、ってハナシがあんだぜ」
「へぇ……そうなの? あなたの故郷のことなんて初めて聞いた。……そういえばあなたの生まれとか育ちとか……そういうのも聞いたことないわ。ね……もっと教えて。あなたのこと」
「え? お、俺のこと……? 別におもしろくなんかねぇぞ」
「いいから聞かせて。なんでもいいの」
イユにそう頼まれた雄弥は、互いの心音が筒抜けになるほどの距離から、口下手にぽつぽつと語りだす。
「……俺は、遠いところから来たんだ。事情があって詳しくは言えねーんだけど、とにかくものすごく遠いところから来た」
「ここに来る前は、家族と暮らしてた。父さんと母さんと一緒に。あと離れて住んではいたけど、兄ちゃんもいた。2人兄弟の弟なんだ、俺は」
「俺の家族はみんな優秀だった。一流の学校に、一流の仕事、そして一流の役職と稼ぎ。正直かなりその……裕福な家ではあったと思う。兄ちゃんが飛び級で外国の学校に留学する時も、俺の親はその費用をあっさり出した。……まぁそれは、兄ちゃんにそれだけの価値があったってだけなのかもしれねーけど」
「で……そんな超ハイスペックな家族の中で、俺だけが何も持っていなかった。勉強も、運動も、なんにもダメ。他人に誇れるようなことがひとつも無かった」
「最初は親も、『今はまだ才能が眠っているだけで、いつかはユウヤも特別なヒトになれる』……って言ってくれてたよ。でもそのうち、誤魔化すこともできなくなった。俺が10歳を過ぎる頃に、両親はとうとう気づいた。俺はなんの才能も無いどころか、凡人の領域にすら及ばない出来損ないだってことに」
「そっからは、俺はずっと親に怒られてた。おもちゃも漫画も、楽しいモンはぜーんぶ取り上げられて、ひたすら勉強だけさせられた。友だちと遊ぶことも禁止されてさ」
「……恥ずかしーことによ、それでも俺は一切変わんなかったんだよ。そこまでしたのにだぜ? 親の期待に応えられるだけの結果を出せたことなんて、ただの1度も無かったのさ」
「そのうち父さんは俺に失望して、俺のことを忘れるようになった。同じ部屋にいるのに眼も合わせないし、話しかけても返事しないし。ひでーだろ? マジで死ぬほどムカついたぜ、あれは」
「母さんに至っちゃ見てるこっちがつらくなるくらい、必死だった。俺がホントは優秀な息子なんだって、無理矢理信じ続けてるみたいだった。へへ、他人事みてーに言ってっけど」
「だから……俺は親を捨てた。捨ててここにやって来て、憲征軍の兵士になった」
「ユリンの指導で戦う技術を身につけて、このヒニケに配属になって、少し経った頃に1匹の魔狂獣との戦闘で事故って海に流されて……んでお前と出会った」
「…………後悔、したことある? 家族を捨てたことを………」
ここまで黙って話を聞いていたイユが、ぽつりと質問した。
「う〜〜〜〜ん…………いや、ない。全然ねぇ。そりゃあ、痛かったり怪我したり死にそうになったりっつーことはいっぱいあるけど、今のほうがずーっと楽しいよ」
「ホント……?」
「ああ。それにここに来てなかったらよ……みんなやお前にだって会えなかったワケだし。もうそんな人生考えられねーや」
雄弥はそれに火傷痕だらけの顔をにかりと微笑ませながら答える。
「…………そう…………」
それを聞いたイユは、ひとつ、ホッと息を吐いた。まるで安心したかのように。
ーー彼らはその後、黙ってずっと寄り添い合っていた。繋いだ手をたまに握り直す以外は、身動きひとつも取らなかった。相手のぬくもりを、体温を、互いに刻みつけるように。
丘の上に、2人だけ。ブランケットを羽織ったイユと、パーカーのフードをなびかせる雄弥。少年と少女だけの空間。
その様子を、少し離れたところの物陰から眺めている者がいた。ジェセリに彼らの見張りを命じられたユリンとシフィナである。
「…………ユリン」
「……なぁに? シーナ……」
「あたしはさ……別にまだイユちゃんと友だちになったってワケじゃないのよ」
「うん……私もそう」
「でも……でもさ……。ホントになんともならないの……? ……このままじゃ……あんまりじゃないのよ……」
腕組みをしながら立つシフィナは、抱えた肘をかすかに震わせていた。それはユリンも同じ。
「……なればいい……。なんとかなるべきなんだよ……。……でもそれは多分……ユウさんが1番思ってる。私たちよりも、ずっとずっと強く……」
心が引き裂かれる残酷さ。これが、生きることだというのだろうか。こんなものに耐えなければ、ヒトは生きていけないのだろうか。
ユリンとシフィナは、なんの罪もない雄弥たちにそんな拷問を強いる世の中を呪いながら、彼らを見守り続けた。
数時間後。陽が沈みきり、空に星々の煌めきが見え始めたところで、雄弥とイユはようやく公園を出た。
寮に帰ってみると、リラを始めとした寮務員たちがイユを出迎えた。
彼らは、イユに対して特に何かを言うわけじゃない。泣くこともしないし、気を遣ってたどたどしくなるわけでもない。
それでも彼らはせめてもの見送りと、イユのために豪華な食事を用意してくれた。本日の寮の食堂は、イユと寮務員仲間たちだけの場所になったのだ。
つまるところ他の兵士たちは全員、本日に限って各々で夕食を調達することを強制されたわけである。
だが、不満を吐く者など1人として現れはしなかった。やはり誰も何も言わない。口にはしない。しかし皆が自然と雄弥に近づいていき、いつも通りの調子でその肩を叩く。それは彼への思いやりであると同時に、イユを慮ることでもあった。
イユは同僚たちと笑い合えただろうか。その時間を楽しめただろうか。
食堂から閉め出された雄弥には知るよしも無いが、彼はせめてそうあってくれと願う。
ーーそして。時は来てしまった。
「では……イユ・イデルの身柄は、確かにお預かりいたす」
翌日の明け方、バルダン海岸にて。
水平線の向こうから差し込み始める朝日に照らされるイユは、公帝軍の使者たちに引き渡された。
なおこの使者とは、最初にジェセリたちと交渉した外交官たちではなく、軍官の兵士である。目測で平均年齢35は超えているであろうベテラン兵士が、総員8名。それが、イユの護送を担う者たちだった。
憲征軍側の見送りとして来ているのは、雄弥、ユリン、そしてバルダン防衛大隊長エンゲル・ゲイスと、その部下の兵士数十人。雄弥が来るのはもちろんとして、ユリンがいるのは……無論彼のブレーカーとしてである。
「……あの、最後に少しだけいいですか」
イユは自身の護送役の兵士にそうことわると、雄弥のもとへと近づく。そして自身の右耳にしてあったイヤリングを外し、それを彼に差し出した。
それは雄弥も知っての通り、彼女が母の肩身として大切にしていた、チノヒ石のイヤリングである。
「ユウヤ。これ……もらって」
「!? な、何言ってんだ……! このイヤリングは、お前の母さんの……!」
「もらって。お願い。あなたがこれを持っててくれるだけで、私はどこへ行ってもあなたといられるの。……お願い。これからも私を……あなたのそばにいさせて……?」
「…………ッ!」
気丈な微笑みとともに頼みこまれる。雄弥がこれを拒否できるわけもない。返す言葉など、見つけられるハズがない。
雄弥は陽光に照らされて輝くそのイヤリングを、震える左手で受け取った。
「ありがとう……本当に……。……またね……」
その言葉を残し、イユは連れて行かれた。
護送役兵士たちとともに小型艇へと乗りこみ、水平線の向こうで待機している戦艦マルデゥクへと向かって行った。
船が小さくなっていく。誰よりも愛しい女の子が乗る船が、海の向こうへ、どんどん遠くへ去ってゆく。
砂浜に立つ雄弥は、指と指の間から血を滲ませるほどに拳を握りしめて、その様子を見ていた。
こめかみに血管も浮かばせ、肩も脱臼しそうなほどに震わせ、雄弥は自分に悪あがきの暗示をかける。早く追いかけろ、まだ間に合う、今ならまだ救えるんだ、と。
しかしそれに身体が反応する前に、ユリンがそっと、彼の肩に触れた。
「…………ユウさん。帰りましょう…………」
びくりと振り返った雄弥の眼に映った彼女の表情は、同情と葛藤の念が溢れ出ていた。
できることなら、ユリンも彼を行かせてやりたかったろう。彼を止めたくなどなかったろう。
それでも。人道を捨てきらねば、兵士にはなれない。
それは以前、ユリン自身が雄弥に話したこと。彼女自身も例外ではないのだ。
「ッぐ……う……う、うぅ……ッ」
気がつけば、砂浜にはもう他の兵士たちの姿は無く、いるのは雄弥とユリンの2人だけ。
聞こえてくるのはのんびりとした潮騒と、雄弥の嗚咽だけであった。
「ーーしかし……信じられねェっすねぇ。あんな女の子がマヨシー地区の住民を皆殺しにしたなんて……」
「ああまったくだ。しかもあの娘は混血だぜ? 魔力をまったく持っちゃいないんだ。それでどうやってあんな大規模な破壊をやらかしたってんだよなぁ? 上がなんであの娘をしょっぴこうと思ったのか、理解に苦しむぜ」
「バカ、下手な同情なんてするんじゃねぇぞ。それによ、どうやら上の本命はあの娘じゃなくて、ユウヤ・ナモセっていうガキの方らしい。ほら、さっき海岸にも来てたヤツだよ」
「しかしそれも信じられねぇぜ。あんな小僧が、煉卿を倒したなんてよ。……ってことは、マヨシーを直接やったのはアイツなのかもしれない、ってことか……?」
「少なくとも上はそう見てるらしい。だからせめてアイツの仲間と目されているイユ・イデルだけでも連行して、ユウヤ・ナモセが実行犯だという証言やらなんやらを引きずり出そうとしてんのさ」
「あ〜あ、世も末だな。あんな子どもがそんなことをよォ……」
イユを乗せて海原を進む小型艇の中で、護送役の兵士たちはそんな会話を交わしていた。
やがてそのうちの1人がイユの様子を確認しに、彼女を監禁している船倉へと向かう。分厚い鉄扉を開け、中に入る。
いくつかの木箱や樽と一緒に押し込められているイユは、その部屋の隅っこで座っていた。たったひとつだけ取り付けられた小窓から、外の景色を……青く光る海を眺めながら。
「よう。すまねぇなこんなところに閉じ込めちまって。この船、鍵がかかる部屋がここしかなくてよ」
年齢はおそらく40代に入りたてくらいのその兵士は、船倉に入ってきた自分に見向きもしないイユに対して不自然なほど気さくに話しかける。
「ごめんな。ちょっと寒ぃだろうけど、辛抱してくれな」
「……大丈夫です。お気遣いなく」
イユはやはり、彼とは眼も合わせようとはしない。
「あ、あ〜……いやそうだよな。キミからしてみりゃ、俺らなんかとはクチもききたくねぇよな……。いやごめんな、余計な節介焼いて。……実は俺にも、キミと同じくらいの娘がいてな。アビー、っていうんだ。全然家に帰れてない俺に3日に1度必ず手紙を寄越してくれる、優しくて可愛い娘なんだ」
「それでその……キミを見ていると、その娘を思い出しちまうっていうか……。もしアビーがこんなことに巻き込まれたりしたらって考えると、他人事のような気がしなくてさ……」
「いやごめん。ホントただそれだけなんだ。俺はただのヒラ兵士だけど……何かしてほしいこととかあったら言ってくれ。できる限りのことはするから」
その兵士はバツが悪そうに、船倉から出て行こうとした。
ーーその時。
「歳は?」
イユが、喋った。
部屋を出かけていた兵士は驚いて振り返る。
「えッ? い、今なんて?」
「歳だよ……。貴様の娘の年齢はいくつかと、そう聞いたんだ」
「あ、ああ! 15だ! 今年15になるんだ。どれだけ離れていたとしても、家族の歳と誕生日だけは忘れないぜ」
「くっく……それはなんとまぁ、殊勝なものよ」
……イユである。今喋っているのは間違いなくイユであり、言葉を紡いでいるのは彼女の喉と舌である。
兵士の男も、この混血の娘が自分に対してわずかに心を開いてくれたとでも思ったのか、一気に上機嫌になる。
「15年、か……。まぁ十分であろう。継続的な手紙のやり取りがあるのなら、むしろ通常とされる親子関係よりも遥かに良好だ。父として、娘として、互いに伝えたいことは伝えきったろう。15年もあったのならな。これ以上、悔いもあるまい……」
「? ? ん? な、何を言ってるのかよく分からないけど、とにかく何か要望があったらいつでも言ってくれな。この俺によ」
「要望? くっく……とんでもない。そんなものはもう必要ない。……我らノ望ミはとうノ昔ニーー」
イユはようやく兵士の顔を見た。
彼女は笑っていた。
頬が裂け上がりそうなほどに口角を引きつりあげて。……眼を白く染めて。肌を、髪を、真っ黒に染めて。
「叶エラレテ、イルノダカラ…………!!」
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