第174話 ニビル・クリストンの証言
その日の夜中。
汽車で数時間かけて宮都に到着した雄弥とアルバノが真っ先に向かったのは、軍総本部のサザデーのところだった。
「ーーで? 私に何をしろというんだ?」
彼らよりおおむねの事情を聞いたサザデーは、相変わらず口から煙草の副流をぷかぷかと吹かす。
「イユの引き渡しを拒否してくれ!! その命令を出してくれ!! 元帥のアンタならできる!! その権利があるだろ、サザデーさんッ!?」
脚と腕を組んで机につく彼女に、雄弥は必死の懇願をぶつける。駅からここまで全力で走ってきたためにまだ肩で息をしているのだが、それをお構いなしに、彼は自身の眼の前に座る色黒の女性に大声を張り上げているのだ。
一緒についてきたアルバノはそんな彼の3歩後ろから、ただ黙って様子を見ていた。
「はぁ……つれないな。久々に会ったと思ったら開口一番にそれか。お元気でしたか、くらい聞けんのか」
「だーから急いでんだよ!! なぁサザデーさん、頼むよ!! 無理なお願いなのは分かってるけど、なんとかしてくれ!!」
「無理な願いだと自覚しているのなら、諦めろ。そもそもこれは政治のハナシだ。軍官である私がとやかくすることじゃない。私に頼むのはお門違いだ」
「ああぁあぁああクソォッ!! じゃあ誰に頼めばいいんだよォッ!?」
「そうさな……ちょうど明日、議事院会が召集される。そのイユ・イデルとかいう混血のガキの処遇を決めるためにな。どうしても止めたいなら、その場で議員連中に直接その旨を伝えることだ。聞き入れてもらえるかは知らんが」
「明日!? く……わ、分かった……ッ!! 邪魔したな、サザデーさん!」
結局、雄弥はなんの成果も得られなかった。焦りのあまりサザデーに挨拶もせぬまま、踵を返してずかずかと部屋を出て行こうとする。
「おい待て、ユウ」
だが、そんな彼をなぜか呼び止めるサザデー。
「あ!? な、なんだよ!」
「お前……その小娘になぜそこまで肩入れする? そのイユ・イデルは、お前にとってのなんだ?」
「はあ……!? な、何って……友だちだよッ! 大事な友だちだ! それがどうした!」
止まったまま足踏みを繰り返し、早く行きたい、という思いを溢れさせる雄弥。彼は無論、サザデーの質問の意図なぞまるで掴めていない。
「友だち、ね……。……分かった、もう行け」
「……では、僕もこれで」
サザデーは、なんのために呼び止めたのか分からないほどあっさりと彼を解放。雄弥は駆け足で部屋の扉をくぐり、アルバノも彼女に軽く会釈してその後を追って行った。
1人残されたサザデーは、煙管を1度大きく吸い、ぷう、と輪っか状の白煙を作る。やがて、その煙が空中で溶けるように消えていくのを眺めきると……
「ーーふふ……くふふふふふ……♪」
彼女は誰もいない部屋で、1人笑い始めたのである。公園で遊ぶ無邪気な幼子のような、気持ちの弾む笑いを……。
「……好きなんだぁ……。ユウのヤツ……イユ・イデルが好きなんだなぁ……。恋だな……自覚はしてないみたいだけど、完ッ全に恋だなぁ……ッ♪」
「なら…………助けてやらない♪」
「助けないぞ……助けないぞぉ。私はぜぇえ〜ったい、お前を助けない。手を貸さない……。何もしてあげるもんか……ふふふふふふふふ……ッ♪」
ついさっきまで見せつけられていたハズの、今にも泣き出しそうなほど切羽詰まった表情をした雄弥を忘れてしまったのか。新雪のように白い瞳をぐにゃりと歪ませながら、サザデーは彼を嘲笑っていた。
「ま、案の定だ。サザデーさんに縋りついたところでどうにもならないさ。それで? これからどうする? 明日の院会まで待つかい?」
総本部の廊下を横並びで歩く、雄弥とアルバノ。
せかせかと忙しく早足を動かす雄弥に、アルバノは股下の長さを見せつけるように悠々とついて行く。背丈の差だけ見れば、兄弟か親子のような光景である。
歩きながら、彼らは会話を交わす。
「ジョーダン言うなッ! そんな無駄な時間過ごせるかよ! やれることは全部やるさ!」
「ほう? というと、何かアテでもあるのかな」
「公帝軍のヤツらがイユを捕まえようとしてんのは、マヨシー地区を襲った犯人がイユであると疑っているからなんだろ!? なら、本物の犯人を見つけさえすれば、イユを連れて行く理由も消える! そうだろ!?」
「なに……? 言ってることは分かるが……どうやって特定するつもりだ? その真犯人を」
「もう分かってる! ザナタイトだッ! マヨシーをやったのはアイツなんだ! イユが、アイツの姿に近いものを見たと言っていた! マヨシー地区で逃げる時に……!」
「ザナタイト……ヒニケの街や第7支部兵士寮を襲った黒騎士のことか……」
その話を聞いた途端、アルバノの頭の中にひとつの疑問がよぎった。
『……イユ・イデル……。その娘は、ヒニケまでの道のりについては何も覚えてないというのに、故郷が襲われた時の記憶はあるというのか……? ……どうも都合が良すぎるな……』
「おいッ! アルバノさんってば! 聞いてる!?」
カッターシャツの襟元を指でいじりながら考え込んでいたアルバノだったが、その没頭は早々に中断される。
「……ん、ああすまない。それで? キミのプランの続きは? そのザナタイトに目星をつけたのはいいとして、どうやってヤツの居場所を探る?」
「アンタも報告を受けてるだろーけど、ヤツは……ザナタイトは、ゲネザーの仲間だ……! いや仲間じゃないとしても、なんらかの繋がりがあるのは確かだ……! アイツ自身がそう言っていた! アイツはゲネザーの……いや、ゲネザーだけじゃない! バイランや、宮都でエミィやリュウたちを襲ったアドソンとかいうクソ野郎とも繋がってる! コソコソ隠れながら何かを企んでる、あのゴキブリ連中とな! ここに来るまでの汽車の中で、アンタが教えてくれたハナシだ……!」
「なるほど。それで?」
「ザナタイトのことなら、同じ仲間に聞けばいいんだよ! アルバノさん、ニビル・クリストンに会わせてくれッ! アンタが生存を隠してこっそり匿ってるっていうーーむぐッ!?」
ニビル・クリストン。
雄弥がその名を出した瞬間、アルバノは彼の口を猛スピードで塞ぎにかかった。いつも冷静な彼にしては珍しく、冷や汗ダラダラになりながら。
「ばッ、バカめ……ッ!! クリストンのことは極秘のハナシだと言ったろう……ッ!! そんなデカい声で言うヤツがあるか……ッ!!」
「むぉぐぐ、ご、ごべん……!!」
雄弥の口元を右手でぎりぎりと押さえつけながら、アルバノは後悔していた。やっぱりコイツには秘密事は教えちゃならなかった、と……。
そんなこんなはあったが、結局アルバノは彼を自分の隠れ家まで案内し、幽閉するニビルに会わせてあげたのだった。
「……へぇ……? このボウズが、"ユウヤ・ナモセ"ってワケかい……」
廃工場の地下の牢獄にいた、ニット帽とダメージデニムファッションが特徴の男、ニビル。彼は鉄格子ごしに対面した雄弥の顔を、虚な瞳でジロジロと眺める。もちろん、雄弥も同様だ。
「てめぇがニビルか……。俺がいねー間に、俺の大事な妹分たちに色々してくれたらしいな……!」
「……ああ、そうだ。ガキでも平気で殺しにかかるクソ野郎さ、俺は……」
「今すぐてめぇをブッ飛ばしてやりたいのは山々だけど、今は時間が無ぇ。聞きたいことがある! ゲネザーの仲間だった、てめぇによ……!」
「それは構わねぇが、そこのアルバノにも言ったように俺は末端分子のひとつに過ぎねぇ。力になれるかは分からねぇぞ。あまり期待しねぇほうがいい」
「それじゃ困るんだッ!! 俺の友だちのこれからの人生がかかってるんだよ!! いいか!! 質問には正直に答えろよ!? 隠し事をしたりウソをついたりしたと分かったら、すぐにブッ殺してやるからなッ!!」
「は……なんつー生意気なガキだ。リュウのヤツといい勝負だな。……分かったよ。約束する」
眼の前に立つ隻眼少年のガラの悪さに苦笑しながらも、ニビルはその気持ちを汲んであげることにした。
「てめぇは、ザナタイト、って名前に聞き覚えはねぇか!? "ザナタイト"だ!! どうだ!?」
「ざな……?? ……いや、知らねぇ。そもそも俺は、お前がさっき言ってたゲネザーってヤツのことも知らねぇんだ。アルバノにも言ったがな……」
「くそォーッ!! 使えねぇーッ!!」
「んな!? て、てめぇヒトが協力してやろうとしてんのになんだその言い方ッ!!」
「ハッ!! ご、ごめん悪かった……!! じゃあ、てめぇの他の仲間はどこにいる!? てめぇのような末端のパシリでもいい!! てめぇが居場所を把握している仲間は、他に誰かいないのか!?」
「知らねぇし、もういねぇよ。俺の部下もアドソンも、全員殺されちまったからな。……それに俺らの組織は、世界中に構成員がいるんだ。公帝軍も憲征軍も関係無くな……。そのメンバー全員を把握しているのは、おそらく上のヤツらだけだ。俺には知る由も無ぇ」
「……そうだ。だからおそらく、コイツらの組織は公帝軍とも無関係。完全な第三勢力だ。人間も猊人も区別せずに取り込み、秘密裏に活動している……。汽車の中でも説明したが、憲征軍の中に、総隊長のアドソン以外のスパイがいてもおかしくはない。だから僕はこうしてこの男を、こっそり匿っているのさ」
ニビルの言葉に続き、雄弥の背後に立つアルバノがそう補足する。
「く……く、く……ちくしょう……ッ!! どうしよう……どうすりゃいいんだ……ッ!! このままじゃ……イユが……ッ!!」
しかし雄弥はそれどころではない。かすかな希望を捨てずにここまで来たというのに、このニビルは本当に何も知らないのだ。進展はまるで無かったのだ。
彼は鉄格子の前でがくりと膝を落とし、途方に暮れる。これ以上は何を聞いても無意味。その事実に、果てしなく絶望する。
ーーと、思っていが。
「……………………"イユ"……………………?」
彼が無意識のうちに発したその名前に、ニビルが反応を示したのだ。
「ッ!? お、おい!? なんだよ、今!? 今言ったな!? イユ、って!! イユを知ってんのか!? 話せ!! 言えッ!! なんか知っているのかッ!!」
雄弥はがばりと立ち上がり、鉄格子にへばりつく勢いでニビルを質問攻めにする。
「いや、待て……。……そうだ、ああそうだ、知ってる……! 今思い出した……! 確かにその名前、聞いたことがあるぞ……! なぁ、そのイユ、フルネームは"イユ・イデル"か?」
「お、おう!! おうッ!! そうだ!!」
「ついでに聞くと……ソイツは混血か? 人間と猊人のハーフか?」
「ああ、そうだッ!! その通りだ!! 間違いない!! 俺の友だちのイユと、てめぇの知ってるイユは同じだッ!! なんだ、なんで知ってるんだ!?」
「いや……ソイツと会ったことは無ぇし、どんなヤツかも知らねぇ。……ただ、以前バダックがしてくれたハナシに、その名前が出ていた……! ほんの1回きりの会話だから、今の今まで忘れていたぜ……」
「なんて言ってたんだ、バダックは!!」
「待て、待ってくれ……! えぇ〜確か……」
ニビルは記憶をほじくり返そうとしばし頭をうならせたのち、やがて口を開いた。
「ーー『"エサ"は、イユ・イデルだ。人間どもを釣るための"エサ"だ。混血という極上の"エサ"だ。そしてそのエサは、人間どもの"胎の中"で、"大爆発"を起こす』……。間違いない、そう言ってたぜ……!」
「……は……ッ??」
「……なんだと……!?」
その回答に宿る不可解さには、雄弥のみならずアルバノまで呆然とさせられる。
……キーワードは3つ。"エサ"、人間の"胎"、"大爆発"……。
「ーーま……まさかッ!! そういうこと……なのか……ッ!?」
その後。ニビルからの話を聞き終え、隠れ家から帰る途中。
キーワードを耳にしてからずっと何かを考え込んでいたアルバノ・ルナハンドロは、突然何かを悟ったかのような声をあげた。
「!? な、なんだよアルバノさん……!? 何か分かったのかッ!?」
彼と並んで街路を歩いていた雄弥は、何かのひらめきで身体を硬直させているアルバノの、その端正な顔を見上げる。
「……ああ……!! ……ユウヤくん、僕は気が変わったよ……!!」
「は……!? な、なにが……!?」
「決定権が無い、などと言っている場合じゃない……!! たった今から僕も、イユ・イデルの引き渡しには反対する……!! キミの味方になってやるぞ……!!」
「えッ!? な、なんで……どうして!? どうしたんだよ急に!? 何が分かったんだよッ!?」
アルバノの唐突な転身に驚く雄弥。もちろん彼が何に気がついたのかなどまったくの不明瞭である。
……だが、それでもタダ事でないのだけは理解できた。アルバノの表情が、血相が、これまで見たことがないほどに青ざめていたからだ。
「こんな公共の場で話すことじゃない……! 場所を変えるぞ。ひとまず僕の家に行こう。……どうやらある程度……事態が繋がってきたようだ……」
すっかり真夜中。周囲を歩く人々の群れもまばらになる時間。
そんな中彼らは、真実の一端に手を伸ばし始めた。
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次回のタイトルは、『第175話 これは罠だ』となります。




