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第163話 浴場での女子会




 "ガーベラス海峡(かいきょう)"。


 ここは、公帝領と憲征領の(さかい)。それぞれの領域を二分する場所の()()()だ。

 この海峡から見た一方が"人間"の世界で、もう一方が"猊人(グロイブ)の世界ということ。海峡幅(かいきょうはば)はおよそ180キロである。

 

 長きにわたり、公帝軍と憲征軍はここを隔てて睨み合う形をとり続けている。この海峡を横断するということはすなわち、それぞれの種族にとっての敵地への侵入を意味するのだ。


 

 さて。赤いロングコートを風になびかせているのは、〈煉卿(れんきょう)〉フラム・リフィリア。

 彼は現在、数十人の部下とともに、ガーベラス海峡に隣接する公帝領地区(こうていりょうちく)を訪れていた。理由は……とある調査を行うためである。


「フラム殿ーッ! 出ました! 目撃情報が出ました!」


 雄弥(ゆうや)との戦いで負った傷がまだ完治しておらず、顔の数箇所に絆創膏(ばんそうこう)やガーゼを貼り付けているフラム。そんな彼のもとに、1人の部下が慌てた様子でやって来る。


「住民の証言です! 1ヶ月半ほど前に、古びた緑色の頭巾を被った人物が確かにこの地にいたと! またわずかに見えた顔の一部や手のひらなどは、完全な白色だったそうです! おそらく、混血児と判断してよろしいかと思われます!」


「そうか……! そして、この地には混血児の住人はいない……。…………決まりだな」


「ッ? 決まり、と申しますと?」


「見てくれ」


 部下の報告を聞いたフラムは、たった今まで自身が凝視していた"あるところ"を指差した。


 そこにあるのは、(さく)。ガーベラス海峡に面した柵。一般人が海峡に、憲征軍の領域に入り込まないようにするために設けられた、巨大な鉄柵(てっさく)だ。

 この鉄柵は高さ8メートル。等間隔に設置された鉄骨を支柱とし、それらの間を何万もの有刺鉄線を縫い合わせた鉄条網で塞いでいる。触れるだけで人体をズタズタに引き裂いてしまいそうな、残酷なほどの堅牢さを持つ柵であった。


 フラムが指で差し示しているのは、この鉄柵である。部下の男が彼の指の先にある部分に視線を移すと、そこには衝撃的な光景があった。


「なッ!? ふ、フラム殿、これは……ッ!!」


 なんと、鉄柵の一部が破壊されていたのだ。

 自然に朽ちたのではない。有刺鉄線の壁が、なにか鋭利な刃物で切り裂かれたようにばっくりと割れている。切断面が滑らかであることからも、明らかに人為的なものだと判断できる。


 さらにその切り開かれた部分は、ちょうどヒト1人が通れそうな程度の大きさであったのだ。



「ーーそうだ……どうやらここから界境を越えたらしいな、……イユ・イデルは……! ああ……ようやくだ……! 各地で集めた目撃情報を辿(たど)って、ようやくここまで来れたぞ……!」



 これらの状況を総括したフラムは、自身の中の結論を固めた。

 感情たちが、暴れ出す。必死の捜索が実った喜び。加えてなにより、自分たちの包囲網をぬけぬけと突破した者への怒り、憎しみ。……彼の表情は大きく歪む。


「ここから1番近い憲征領はどこだ?」


「は……! 最短ですと、ヒニケ地区でございます」


「ヒニケか……。たしかあそこに駐屯しているのは、憲征軍(けんせいぐん)でも1、2を争う戦力を有するとされる第7支部……。迂闊(うかつ)に手出しはできないか……」


 (はや)るな。落ち着け。気を鎮めろ。

 自分にそう言い聞かせるように、フラムはひとつ深呼吸をした。


「よし……皇京(こうきょう)本部に連絡しろ。憲征軍に使者(ししゃ)を送りたい。その了承をもらってくるんだ」


「は、ただちに!」


 

 ……〈煉卿(れんきょう)〉の心中(しんちゅう)の炎は、どこまでも静かに、冷静に。

 しかしそれが放つ"(ねつ)"は、確実に雄弥たちのもとへと(せま)ってきていた。




* * *




 ーー兵士の朝は早い。


 そんな彼らを支える寮務員(りょうむいん)の朝は、も〜っと早い。


 時刻は朝の4時。まだ野鳥すら寝ぼけている時間。新米寮務員イユ・イデルは目覚まし時計の音でハネ起きた。


「おはようございます!」


「は〜いおはよ。今日もちゃんと起きれて、えらいねぇ」


 着替えなどの身支度を30分で済ませ、階段を駆け降りていく。寮長リラ・ロデモや他の寮務員たちはすでに1階に集まっており、皆彼女に対してにこやかに挨拶を返す。

 現在、4時30分。彼女らの仕事は、ここから始まるのだ。


 まずは食堂にて、朝ごはんの支度。5時に起きた兵士たちがランニングから戻ってくるまでの間に、彼ら全員分の食事を用意。

 朝食開始は6時、猶予は1時間30分。息つく間もなくせかせかと、誰も彼もが手を回す。イユも必死についていく。


 朝食終了、兵士は出勤。第一の波が過ぎ去ったところで、寮務員たちも朝ごはん。終わり次第食堂の後片付けをし、午前の業務へと移行する。


 食材や日用品の在庫を確認。足りないモンは即買い出し。

 住人兵士たちの衣服を洗う。洗濯機は20コを同時稼働。電気代が心配だ。

 個人の部屋を除く、寮内全てのスペースをお掃除。トイレ、お庭、大浴場。


 12時になると、お昼ごはん。午前中にやることのほとんどをネジ込むので、ここからしばしののんびりタイム。

 談話室でお菓子を食べたり、各々の部屋で仮眠を取ったり。もちろんイユは後者を選択。新人なら体力はそんなものだ。


 夕方4時。再び開戦。お風呂を沸かし、夜ごはんを仕込み、干していた洗濯物を取り込みたたむ。

 

 夜8時。訓練でボロボロになった兵士たちが帰宅。彼らに温かい食事を与え、1日の労働を労っていく。

 その後彼らは入浴に。使用済みタオルが出てくる出てくる。また洗濯機がベソをかく。


 タオルを干し、風呂の湯を抜き、諸々の片付けを済ませれば……これにて1日の業務は終了。時刻は夜の10時半だ。



 

 ……と、イユはとっても忙しい毎日を送っていた。


 新米ゆえに、覚えることも山積み。ミスをすることももちろんある。

 しかしその時はいつも、彼女は周りにいる人々の優しさを実感する。取り返しのつく失敗ならいくらでもしていいんだよ、と、みんながそう言ってくれるのだ。

 だからこそ、疲れはすれど苦にはならない。心の中は、常に充実感で溢れている。



 気がつけばイユが働き始めて、1週間が経っていた。


「イユちゃん、今日はもうあがっていいよ〜。お風呂入ってきちゃいなぁ」


「はいッ。ありがとうございます」


 現在時刻は夜8時半。リラの気遣いを受けたイユは仕事をきりあげ、大浴場へと向かった。


 脱衣所でエプロンを外し、服とスカートを脱ぎ、それらを綺麗に畳む。最後に母の形見のイヤリングをロッカーにしまうと、雪の彫刻のような純白の肌にタオルを巻き、浴場の引き戸をカラカラと開けた。

 兵士たちはまだ夕食を取っているので、中には誰もない。だだっ広いお風呂をひとりじめだ。


 頭を濡らし、身体を洗う。絹のようなセミロングヘアを後頭部でまとめてから湯船に。つま先からゆっくりと、お湯に浸かる。


「はぁ…………気持ちいい〜…………」


 ぽかぽかと、身体が溶けていく。

 マヨシー住まいの時は冷たい海水で身を清めていた彼女にとって、毎日の入浴はもはや生き甲斐のひとつにまでなっていた。


 静かだ。周りの空間も、心の中も。このぬくもりも合わせて、母親の腕に包まれているような感覚。イユはいつのまにか、湯船に入ったままうとうとし始める。



「おとなり、いいですか?」



「あッ、は、はい! どうぞ……!」


 が、背後からかけられた声によって慌てて覚醒。

 

 彼女が振り向くと、そこにいたのは2人の人物。女性的魅力に溢れる肢体(したい)を惜しげもなく晒す、ユリンとシフィナだった。


「あ……ユリンさん、と…………シフィナ、さん?」


「こんばんは〜、イユさん」


「あら意外。あたしのことも知っててくれてんだ」


 彼女たちはイユの両隣からそれぞれ、ちゃぽん、と湯船に浸かり込む。


「どうですか? お仕事、慣れました?」


「は、はい! おかげさまで……。まだ先輩たちに迷惑かけることも多いですけど……」


 (しずく)(したた)るオレンジ色の髪を耳にかけながら、朗らかに話しかけるユリン。


 ……聞いている。彼女の声は耳には届いているし、受け答えもできてる。

 だがイユはしばらく自分の眼線(めせん)を、ユリンの"胸元"から動かすことができなかった。


「…………スゴい…………」


「え? なにがです?」


「!! あ、いえ、いえいえ、なんでも!!」


 無意識に感嘆を漏らしてしまい、イユはあたふた。そんな彼女の肩を、シフィナがぽむ、と叩く。


「わかるわ……。スゴいのよね、ホント……」


「? ? なーに、シーナまで。ヘンなの〜」


 ……どうやら彼女は、イユとのシンパシーを感じとったらしい。なにも理解していないのはユリン本人だけであった。


「それより、まだちゃんとお礼を言ってなかったですね、イユさん。……ユウさんを助けてくれて、ありがとうございました」


「は……え? あ……! や、私は別になにも……」


「そーね。あのバカが右も左も分からないところで1人で生きていけるハズ無いもの。ぜーんぶあなたのおかげ、命の恩人ね」


 イユの前にまわり込んで律儀に頭を下げるユリンと、軽口で茶化すシフィナ。

 ……イユはそんな彼女らの言葉に、わずかな罪悪感を呼び起こされた。


「…………違うんです。むしろ、私が…………私の方が、ユウヤに助けてもらったんです」


「……? どういうことですか?」


「ユウヤの右腕……今は治ってるみたいだけど、前まで麻痺していませんでしたか……?」


「ああ……そーいや、ナガカでハペネさんに治療してもらうまでは潰れてたわね。あいつの右腕。……なんでそれを?」


「……そうだ。ね、この際聞かせてください。あなたとユウさんの間であったことを。ゆ〜っくりでいいですから」


「…………はい…………」


 微笑むユリンに促され、イユはぽつぽつと語り始めた。



 自分の生い立ち、マヨシーでの境遇。そこに現れたユウヤ・ナモセという青年。

 自分への不当な悪意に対して、彼は自分以上に怒ってくれたこと。自分が奪われたものを、彼は死にかけてまで取り返してくれたこと。その後の数十日を、彼と一緒に生活したこと。

 そして、自分と離れることを、彼は最後まで迷ってくれたこと……。



「……ユウさんらしいですね……」


「ホント……どこ行っても変わんないのね。あいつのアホさは」


 ひと通りの事情を聞き終えて、しみじみと感傷に(ひた)る。ユリンも、シフィナもーー



「う"……う"……ッ! なんて素晴らしいおハナシなのでしょう……ッ! やはりユウヤさまは、(わたくし)の思った通りの英雄でありますわ……ッ!」



 ……セレニィも。


「……って、セレニィさん!? い、いつからいたの!?」


「こんばんは〜! 遊びに来たらここから皆さんのお声が聞こえたので、ご一緒させていただきましたわ!」


 いつのまにか服を脱ぎ、いつのまにか浴室に入り、いつのまにか3人に混じって湯船に浸かっていたセレニィ。イユはびっくりしすぎて溺れそうになってしまう。


「ねぇ、そうだ、アンタよ。アンタ誰なの? なんかあたしがいない間に、随分とここに入り浸ってるみたいだけど」


 さすが、シフィナはこんなことでは動じない。突然乱入してきた隻腕の少女にもクールに応対する。


「えっとね、シーナ……セレニィさんはーー」


 本人の代わりに、ユリンが説明。セレニィの身の上、そして、なぜここに来るようになったのか……。



「はあーッ!? 恋ィ!? ゆ、ゆ、ユウにィィッ!?!?」



 ムリである。

 いくらシフィナでも、こんな衝撃にまでクールを保つのはムリである。


「じょじょじょジョーダンでしょ!! あいつ!? あいつに!? な、なにがどうしてそうなったの!?」


「運・命…………ですわ…………ッ!」


 うっとりしながら答えるセレニィ。当然、納得できるワケがない。


「説明になるかァ!! ……ハッ!! そう、わかった、アンタ脅されてるのね!? ユウのヤツに何か弱味でも握られてるんでしょ!! でなきゃ……で、でなきゃそんなの、あり得ないわ!!」


「し、失礼なッ!! ユウヤさまはそんなことはなさりません!! 理由なんて無い、言葉では表しようが無いのです!! 恋とはそういうものです!! 分かりませんか!?」


「分かってたまるかボケッ!! あたしのオツムは、アンタみたいなピンク色じゃないよッ!!」


「いいえ、あなたにも分かるはずですッ!! だって(わたくし)、お聞きしましたわよ!? 副長シフィナ・ソニラさんは、ジェセリ支部長のことが……あだだだだだだッ!?」


 セレニィが"何か"を言いかけた瞬間、シフィナは脊髄反射のように彼女へと飛びかかった。彼女の頭を左右の両側から挟み込み、猛烈な勢いでゲンコツをグリグリとねじりこむ。


「…………誰に聞いた…………ッッ!?!?」


「へ、へ……?」


「そんな獣の(ふん)に群がる小バエでも信じねぇようなクソ話を、誰から聞いたのかって質問してんのよ…………ッ!!」


「あ、あの…………タツミ・アルノーという方に…………」


 瞳孔をガン開きにし、風呂の湯が全部蒸発してしまいそうなほどの怒りを顔面で沸騰させているシフィナ。そんなツラに真正面から睨みつけられるセレニィは、全身を冷や汗まみれにしてタジタジである。


「…………殺す。殺してくるわ、あのゴミ」


 ひっっっっくい声でぼそりとそう呟いたシフィナはざばりと湯から出ると、突風のようなスピードで浴室から出て行ってしまった。


「し、シーナ待ってッ!! 今の時間はまだ人眼(ひとめ)につくよッ!!」


「シフィナさーんッ!! (わたくし)が悪うございました!! どうかはやまらないでええええッ!!」


 彼女を止めようと、ユリン、セレニィもばたばたとあとを追っていく。


 1人残されたイユはしばらくポカーンとしていたが……



「……ぷふッ。ふふ……あはははははは……!」



 笑った。

 彼女自身もよく分からない、しかし心地の良い笑いが、こみあげてきた。


 笑っているうちに、自分の中の幸福感に気がついた。

 自分は今、幸せだと思った。充実し、満ち足りていると感じていた。


 こんな日々がいつまでも続けばいい、続いてほしいと、彼女は心の底から思った。




 ーー思えて、いたのだ。この時までは……。

 

 


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 次回第164話は、「ナイトメア・イブ」です。

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