第162話 メイド・オブ・イユ
雄弥の特訓開始から3週間あまりが経過したある日。
イユ・イデルはこの少し前から、第7支部の兵士寮で暮らしていた。知り合いもいない土地で1人入院するのは心細いだろうから、という理由で、女子棟1階の一室を無償で貸し与えられたのだ。
……当然、これは彼女を監視するためにジェセリが仕組んだことなのだが、そんな裏の意図など、イユには知る由も無かった。
「…………ん…………」
時刻が朝10時をまわったとき、イユはようやく眼を覚ます。
複雑骨折した左腕は、もう薄い包帯1枚を巻くだけで済むほどに回復。どこか他に身体の異常があるわけでもない。しかし彼女は基本的に、1日中この部屋のベッドから動かなかった。
悪意や迫害的行為こそ皆無とはいえ、部屋の外に出れば他の住民たちの好奇の視線に晒されることは必定。加えて、唯一の肉親であった老医師の死からも立ち直りきれない。彼女の身体が重くなるのも無理はなかった。
『…………トイレ…………』
が、御手洗とお風呂だけは部屋の中には無い。イユはベッドふらりと起き上がり、部屋の外に出た。
「お〜、おはよーイユちゃん」
すぐさまハチ合わせたのは、寮長の女性、リラ・ロデモである。
縁の無い眼鏡の下で気怠げな瞳をしぱしぱさせている彼女は、パジャマ姿のイユに対して低い声でごあいさつ。
「おはよ……う、ございます……」
イユも返事こそすれど、視線はうつむきがち。眼の前のメイドさんの顔をまともには見れない。
と、その時ーー
「ユーウヤーさま〜ッ! デートしましょ〜!」
寮の正面玄関の扉がバーンと元気よく開かれ、栗色のウェーブヘアを揺らすセレニィ・ウィッシュハウアーが訪問してきた。相変わらずのニコニコ顔、天真爛漫である。
「ありゃセレニィちゃん。ナモセくんなら、まだ帰ってないよー」
「ええッ!? まだですの!? 今日こそ前回中断された分を取り返そうと思いましたのにーッ!」
リラとの会話から、彼女はすでに何度もここを訪れているのだろう。すっかり顔馴染みのご様子だ。
しかし、イユは初対面である。彼女はいきなり現れたセレニィを、驚きつつもまじまじと見つめる。
欠損している左腕が真っ先に眼に止まりはしたが、それをすぐに忘れてしまうほどの可愛らしさが、その女性にはあった。
『キレイなヒト……。ユウヤの知り合い……?』
「あ、セレニィちゃん。こちら、ちょっと前からここに住み始めたイユ・イデルちゃん。よろしくね〜」
イユが見惚れている間、リラ・ロデモは訪問客に対して彼女のことを紹介する。
「! イユ……?」
その名を聞いた瞬間、セレニィの顔色は変わった。
しばらく硬直していた彼女だが、やがて突然バネで弾かれたような勢いでツカツカと歩き出し、イユの眼の前までやってくる。
「!? え、え!?」
イユはびっくり。しかしセレニィ、お構いなし。鼻と鼻がくっつきそうなほどの近距離から、混血少女の雪のように真っ白な顔をじぃ〜ッと見つめていた。
「失礼ですが貴女……イユさんですか?」
「は、はい……?」
「ユウヤさまのお友だちの、イユさんですか?」
「え、あ……は、はい」
なぜ初めて会った自分の名前を知っているのかと困惑するイユだったが、彼女の答えを聞いた途端、セレニィは満面の笑顔を浮かべた。
「キャーッ! 貴女がそうですのね! 私、セレニィと申します! 貴女のことは、ユウヤさまからお聞きしておりましたわ!」
「え……?? ゆ、ユウヤから……??」
勝手に自分の手を取ってブンブン振り回し、興奮で大はしゃぎするセレニィ。イユの彼女に対する混乱は、加速するばかり……。
「ユウヤが…………わた、しを…………?」
「ええそうです。ユウヤさまは貴女のことをずーっと心配しておられましたわ。会ったばかりの私にさえ、貴女のお話をされるほどに」
その後2人は食堂に移動し、テーブル挟みに向かい合って座りながら会話をしていた。
イユ自身は人見知りでも、セレニィの明るさの前ではそんなものは関係無い。2人が打ち解けるのに、時間はかからなかった。
「私は何があったのか詳しくは存じ上げませんけど、こうして貴女がご無事でなによりですわ。それで、ユウヤさまとは? もうお会いになられましたの?」
「会ったけど……3週間くらい前に1度きり。お仕事が忙しいのか、それからはまだ……」
「? あら、貴女ご存知ありませんの?」
「え……? な、なにが……?」
「ユウヤさまは3週間前から、特訓中なのですわ。兵士としての力をさらに高めるための修行中なのです。だから今こうして、寮にも帰っていらっしゃらないのです」
「そ、そうなの……? ……なんでそこまで……。他の兵士のヒトたち見てると、普段も大変そうなのに……」
困惑するイユに、セレニィはにっこりと笑いかける。
「そんなの、決まってますわ。守るべきものができたから。……いいえ、増えたから、ですわ」
「え……? 守る……?」
「貴女のことですわよ、イユさん」
なにを聞かされているのかまだ飲み込めないイユに、セレニィは続ける。
「私はユウヤさまとお会いしてまだ間も無いですが、あの方はそれでも分かるほどの照れ屋さんです。だから、貴女にも何も言わずに、1人で頑張っていらっしゃるのです。貴女という大切な存在を、2度と手放さないように。手放さないために……」
実際イユからすれば歳上ではあるが、今のセレニィはまるで、妹を諭す姉のようであった。
「……私……? 私の……ために……?」
「そうですわ。ユウヤさまはそういうお方のはずです。私にとっても……もちろん貴女にとっても。だから貴女の信じるユウヤさまを、貴女はそのまま信じていればいいのです。色々お辛いこともあったのでしょう。でも、もう大丈夫。大丈夫なのです!」
セレニィにはなんの意図も無い。彼女はイユの抱える事情だって知らない。
しかし彼女が言ってくれたのはまさに、イユが1番欲しかった言葉であった。
「セレ……ニィさん……」
「まぁ、よして! どうぞ"セレニィ"とお呼くださいまし! ユウヤさまのお友だちなら、私たちももうお友だちですわ! 何か困ったことがあれば、この私にも遠慮無く頼ってください! ねッ♪」
セレニィの純粋な優しさはやはり、誰を相手にしても変わらない。これは誰にとっても心地いいものだ。
……こと、イユには。混血の生まれゆえに長年に渡って迫害を受け続け、今も孤独に押し潰されそうだった彼女にとっては、余計に沁みるあたたかさであった。
「…………ッ…………ひぐ…………ッ」
気がつけば、イユは泣いていた。
「!? ど、どうなさったの!? 私、何かお気にさわることを申しましたかッ!?」
「ううん……違う。違うのセレニィさん。……ありがと……」
オロオロするあまり椅子からガタリと立ち上がってしまうセレニィに、イユは涙混じりの感謝を述べた。
その後。セレニィが帰って行った後。
イユは、ひとつの勇気を振り絞った。
「あ、あの、リラ……さん!」
廊下で、前にいるリラに声をかけたのだ。
いつものリラはずっと無表情で、感情表現に乏しい。しかしこの不意打ちにはさすがに驚いたのか、肩をちょこっとだけぴくりとさせる。
「おお? 初めて名前呼んでくれたねぇ。なになに、どしたの〜?」
「お願いが……あるんです、けど……ッ」
「いいよぉ、言ってみ言ってみ?」
嬉しそうににじり寄ってくるリラ。イユはパジャマの裾を握り締めながらではあったが、この時ようやく、彼女の顔を真っ直ぐに見ることができたのだった。
ーーこの日の夕方。
母なる太陽がその活動を終え、地平線の向こうへとお帰りになる時間だ。
しかし、雄弥の1日はまだまだ終わらない。彼は現在、セラ邸の庭にてシフィナとの模擬格闘戦に望んでいた。
「しィッ!!」
「だぁりゃあああッ!!」
激突する2人の気迫は、模擬戦であることを忘れていないか心配になるほどに凄まじい。
言うまでもなく雄弥は『褒躯』の銀魔力を身体に纏った状態である。ただし、以前と比べるとかなり色素の薄い銀色だ。
そんな彼は今、第7支部でも随一の近接戦闘力を有するシフィナとほぼ互角に渡り合っている。シフィナが魔術を一切使用していないとはいえ、もとの身体スペックを考慮すれば大変な快挙であることに違いはない。
庭の地面がボコボコに荒れるほどにぶつかり合い、殴り殴られ、ブン投げられ、雄弥の呼吸音が掠れてきたところでーー
「そこまで!」
縁側に腰掛けていたセラが、ぱん、と手を叩き、終了の指示を下した。
それを各々の耳で受け取った雄弥とシフィナは互いに打ち込む寸前だった攻撃を中断。殺気を解きほぐし、1人ひとつずつ脱力の息を吐いた。
「ど……どうすか……? セラさん……」
前髪や衣服を汗でぐしょぐしょに濡らす雄弥は『褒躯』を解除し、セラに対して自身の評定を伺う。
縁側のセラは右手に持っていた懐中時計をしばらくじっと見つめたのち、視線を雄弥に移してニコリと微笑んだ。
「……持続時間、13分16秒。合格よ、ユウヤくん」
「!! ……まじ??」
「まじ、よ。よく頑張ったわね」
「や、や……やったァーーーッ!! できたできた、できたぞーーーッ!!」
雄弥は疲労も忘れて歓喜乱舞。
当然だ。今のセラの言葉こそ、これまでの特訓が報われたことへの何よりの証なのだから。
喜びでわちゃわちゃと暴れる雄弥の肩を、シフィナがパシッとはたく。
「まーいいんじゃないの。魔力を以前の3分の1未満まで抑えられて、それでこのあたしとやり合えれば上出来よ」
「ああ、これならもっとたくさんの相手と戦えるぜ! お前もありがとよシフィナ、手伝ってくれて!」
「どーいたしまして。……いつもそのくらい素直になれれば、もっといいわね」
彼女はいつも通りの皮肉屋である。
とにかくこれにて、セラの家に泊まり込んでの猛特訓は終了。雄弥は久方ぶりに寮に帰ることとなった。
「何か教えてほしいことが出てきたら、またいつでも来なさい。好きな料理もたくさん作ってあげるわ」
彼とシフィナの帰り際、セラは2人を門まで見送りに来てくれた。
「おう! そうさせてもらいます! ホントにありがとう、セラさ……セラ先生!」
「"先生"は止してよ……」
雄弥の言葉に、セラは少し照れつつも満更でもなさそうに笑った。
あたりがすっかり闇夜に包まれた頃、雄弥は寮に帰り着いた。
「たーだいまーッ!」
ウキウキした足取りで玄関の戸を開け、ゴキゲンたっぷりに挨拶をする。
するとそれを聞きつけた人たちがすぐに、彼を出迎えに来てくれた。
「おかえりユウさん!」
「おう! ただいまユリン!」
「おかえりナモセくん〜」
「ただいまリラさん!」
「お、おかえり……ユウヤ……」
「おうイユ、ただいま! ……ってイユぅうッ!?」
が、最後の1人だけは予想外。雄弥は仰天するあまり、眼ん玉を飛び出させた。
「な、なんでお前!? ここで何してんの!? ……え!? つーかなんだよそのカッコ!?」
そもそも彼女が寮にいること自体知らなかった彼だが、今もっとも注目すべきはその事実ではなかった。
問題なのは、イユの服装である。
メイド服である。長袖、ロングスカート、肩掛けの白エプロン。……それはすなわち、この寮の寮務員の制服であった。
「今日から、ここで働かせてもらうことになったの」
イユ本人の口から聞かされた事実に、ユウヤはまたあんぐり。
「は、働く……って……なんで!? そんなことしなくても、お前1人くらいなら俺が……!」
「守られてばかりなのはイヤ。あなたにも、ここの他のヒトたちにも。……悲しいのを理由に私だけいつまでも怠け続けるなんて……ダメだものね。だからこれからは、私にもできることは、私がやる。……やらせてほしいの」
雄弥と向き合う彼女の眼は、強かった。
悲しみや不安が完全に消えたワケではない。だが、それらに立ち向かおうという強い決意が現れていた。
「いやぁ〜人手不足だからホント助かるよぉ〜」
彼女のうしろにいるリラも、つくづく嬉しそう。……こうなってはもう、雄弥が言うことなどなんにもありはしない。
「これからよろしくね。……ユウヤッ」
「あ、ああ……! ……ホント……相変わらずすげぇヤツだな、お前……」
雄弥とイユ。彼らはようやく、再会して以来の笑顔を見せあったのだ。
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次回第163話は、「浴場での女子会」になります。




