第157話 守ると誓う
「いやああああああああああああッ!!」
恐怖の絶叫とともに、イユ・イデルは覚醒。ベッドで上体をハネ起こす。
「はぁッ!! はぁッ!! はッ!! はぁ……ッ!! ーーは……ッッ!?」
絹のような白髪を冷や汗でじとじとにした彼女は胸が破裂するほどの激しい動悸をどうにか落ち着かせたのち、恐る恐るあたりを見回す。
「! よかった、起きれましたね……! 大丈夫ですか? 私のこと、見えてますか?」
最初に眼に入ってきたのは1人の女性。彼女の知らない、"猊人"の女性である。オレンジ色のボブヘアーに、一点の曇りも無い真っ赤な瞳。……ユリン・ユランフルグだ。
少しずつ視界が開けていき、周りの景色も認識していく。今いるこの部屋も、当然彼女は知らない。
左腕の重み、痛みにも気づく。……肩の先から全部が分厚いギプスでガチガチに固められている。その生の感触から、自身が今置かれている状況が夢でも幻でもないことを確信した。
「…………誰…………? 誰、あなた…………ッ? …………猊人…………ッ??」
視界から得られる情報だけではなんの結論も出せなかった彼女は、ベッドの傍らから自身の顔を覗き込んでいるユリンに対して月並みな質問をするしかなかった。
「ちゃんとお話しもできますね。はじめまして。私はユリン。ユリン・ユランフルグといいます」
ベッドシーツを握りしめながら顔を恐怖と困惑に歪ませる混血の少女に、ユリンは優しく微笑みかける。
「な、なに……ユリン、さん……? な……なんなのここ……。私、わた、しは……どう……?」
「大丈夫、大丈夫ですよイユさん。ここにはあなたの敵はいません」
「…………えッ? なんで…………名前…………?」
「ふふ、少し待っててください。今その理由も分かりますから」
ユリンは部屋の隅に行くとそこの壁に取り付けてあった内線の受話器を取り、誰かと二言程度の話をした。
……それが終わるのと同時に、どこかから音が聞こえてくる。足音である。慌ただしい足音である。遠くからどんどん近づいてくる。
やがて、部屋の扉が壊れそうな勢いで開かれた。
「イユッ!! 起きたのか!! 大丈夫かッ!?」
足音の主は、ぜえぜえと息を切らして走ってきた雄弥であった。
イユは彼の姿を、まばたきも忘れて凝視する。
記憶の中の姿と、今眼の前にいる彼の姿。その2つを擦り合わす。……前より身体中の傷が増えてはいる。だが間違いない。彼は雄弥である。イユが知る、雄弥の姿である。
「ーーユウヤ……………………?」
「ああよかった、俺が分かるんだな!! このヤロウ、マジで心配したんだぞ!!」
「ユウさんッ、しいッ! 怪我人の前でぎゃんぎゃん騒がないの!」
「あ、ご、ごめん……! 悪かった……!」
ベッドのそばに駆け寄り興奮する彼は、ユリンに子供のように叱られてしまう。その、自分の感情にどこまでも正直な性格も、雄弥のものに違いなかった。
「…………ユウヤな…………の…………?」
「おう、そーだぜ! 正真正銘の俺ッ! お前の左腕は、ユリンがカンペキに治してくれたからな。傷痕は多少残るだろうが、すぐに動かせるようになるってさ」
そして、にかッ、とした心地の良い笑顔。
もう疑う要素は無かった。受け入れない理由は無かった。
イユは張り詰め千切れてしまいそうだった緊張の糸をようやく緩め、その黒い瞳にぶわりと大粒の涙を滲ませる。
そして……とうとう堪えきれなくなったように、ベッドの隣で座椅子に腰掛ける雄弥に抱きついた。
「ユウヤ……ッ!! ユウ、ヤぁッ!! お……おじぃちゃん……おじぃちゃんがぁぁ……ッ!! あああぁあぁああ〜ッ!!」
「な、なに……!? じっちゃん……!? じっちゃんがどうした!?」
雄弥は自身の胸の中で泣きじゃくる少女の言葉に困惑しつつも、どうにか落ち着かせようと彼女の背中や頭を必死に、優しくさすっていく。
その様子を見たユリンは彼らを気遣ってか、1人、そっと部屋を出て行った。
「ーー死んだ……!? じっちゃんが……!?」
「う……ッわた、しの……眼の前で……ッ」
その後20分近くも泣き叫び続けてようやく落ち着いたイユは、しゃくり混じりに、マヨシーで起きた出来事を彼に伝えた。
無論、雄弥は愕然とするしかなかった。しかもその話は、以前〈煉卿〉フラム・リフィリアから聞かされていたもの。ウソだ、でまかせだ、あるはずがない、と、自分に言い聞かせてきたものなのだ。
その妄信が粉々に砕かれた今、雄弥の心に去来するのは夜よりも暗い絶望だけだった。
『く……そが…….ッ!! フラムさんが言ってたことは、ウソじゃなかったってのかよ…….ッ!!』
「誰だ……!! 誰がやったんだ!? どんなヤツだッ!?」
「分からないの……ッ。逃げるのに必死で、犯人の顔も姿も見えなくて……。……ただ……おじぃちゃんは、剣に殺された……。黒っぽい紫色に、光ってた、剣に……」
「!? 黒紫色の……剣!?」
……雄弥は即座に、自身の中の心当たりに気づく。
彼女が今言ったモノを武器として扱う敵とは、つい先日抗戦したばかりだった。腕から魔力で生成された剣を伸ばす、黒仮面の破壊者。
ザナタイトである。ヤツが右腕から生やしていた剣の特徴は、イユの証言と一致するのだ。
『…………まさか、あの野郎が…………ッ!?』
雄弥は雷に打たれたかのような衝撃に襲われるのと同時に、あの者を取り逃した己の無力をこれでもかと呪った。
「ちくしょう……ッ!! ーー……でも、でも……せめてお前だけでも無事で、よかったぜ……。俺がヒニケにいるっつーのは知ってたろうけど、よくここまで逃げてこれたな……。どうやって来たんだ?」
それを聞かれた途端、イユは身体をビタリと固まらせる。
何かを考えている。必死に記憶を探っている。あちらこちらへと泳ぎまくる瞳が、それを物語っている。
……が。
「……………………分から、ない……………………」
「えッ?」
「……分からないの……。思い出せないの……。街の外に避難しようとしてたのは覚えてるんだけど、そこから記憶が途切れてて……。気がついたら、いつのまにかここに……」
「な、何も覚えてないのか? ホントに何も?」
「うん……。……? そう、よね……? ……あれ私、どうやって……ここまで……? あれ、なんで……ッ??」
1人だけ時間を飛ばされたような気分なのだろう。凍えそうなほどの孤独感が、彼女を襲っているのだろう。その証拠にイユの両肩が、小刻みに、しかし音が聞こえてきそうなほど激しく震え出す。
雄弥はいたたまれなくなったのか、考えるより先に再び彼女を抱きしめていた。
「分かんない……分かんないよおぉ……ッ! なんで、なんで分かんないの……ッ! なんでなのユウヤあ……ッ!」
「いい!! もういいんだイユ、何も考えなくていいッ!! もしまた何かあっても、ここには俺がいるッ!! もうお前に、お前を……誰にもお前を傷つけさせねぇ……!! だからいいんだ!! 安心してりゃいいんだ……ッ!!」
「う"…………ッあああ……!! うああああぁあああぁあぁああぁぁぁ〜ッ!!」
何よりも欲していたぬくもりに包まれたイユは、再び涙の堰を破った。部屋全体を悲しみで満たすほどに、激しく泣き喚いた。
彼女を抱く雄弥もまた、一筋の涙をこぼしていた。
彼の脳裏には、チンピラのリンチを受けて瀕死になっていた自分を助けてくれた老医師の姿が。ヒニケに帰るといった自分にあたたかい気遣いをしてくれた老人の姿が。……どこまでもイユを心配し思いやっていた、お爺さんの姿が浮かんでいた。
『ーーじっちゃん……すまねぇ……。なんのお礼もできねぇまま……ッ。……でも、でもよ……! あんたの大事な"家族"は……これからは俺が守る……! 守ってみせるからな……ッ!』
悲しみながらも、雄弥は決意する。
自身の腕の中で震えるこの女の子を。細く、脆く、どこまでも繊細なこの少女を。
自分の何に替えても、守り抜いていくと……。
イユが目覚めてから数時間後。
支部長室のジェセリ・トレーソンは机に足をのっけながらという、行儀の悪い姿勢で椅子に腰掛けながら、耳と肩の間に挟んだ電話の受話器に向かって話をしていた。
『ーー状況はわかった。とりあえずイユ・イデルの身柄は、総本部の預かりとする。引き渡しの用意をしておいてくれ』
受話器越しに聞こえてくる彼の会話相手の声は、アルバノ・ルナハンドロのものである。
「……わりーがアルバノさん。そいつはちょ〜っと待ってくんない?」
『なに……? なんだって?』
「あのイユちゃんの面倒は第7支部で見させてくれ、って言ってんのさ」
『おい、おいおいおい、何を考えてるんだアホめ。マヨシーからヒニケまでどれだけ距離があると思ってるんだ? そんな気が遠くなるような旅路の記憶を丸ごと忘れた、などとほざくヤツを、野放しにするというのか? あのイユ・イデル……怪しいなんてラインはとっくに超えているんだぞ』
「おっしゃるとーり。だからですよ」
『どういうことだ』
怪訝に感じるアルバノに対し、ジェセリは机の上にあった飴玉のひとつを口に放り込みながら説明する。
「今回疑うべきなのは、イユ・イデルが公帝軍に派遣されたスパイである可能性だ。あのコはユウのヤツと仲が良いし、ユウから聞いた限りじゃそのことは公帝軍内部にも知られている。2人の関係を利用して憲征軍の内情を探ろう、ってのは分からないことじゃない」
「ただこのやり方には問題がある。アンタの言う通り、あまりにも怪しすぎるって点だ」
「仮にあのコが人間側からのスパイだとしたら、この潜入方法はあまりに雑。どんなバカだって不審がるさ。だが、公帝軍がそれを計算しないほどノータリンとも思えねぇ」
「すると考えられるのは2つだ。公帝軍の狙いが別にあるのか? あるいは、今回の件は公帝軍とはまったく無関係なのか?」
「……要はね。俺は知りてーんですよ。こんな誰でも怪しむようなマヌケな方法を使ってまで、誰が、どうしてあのコをここに送り込んだのか、を……。俺の取り越し苦労で終わるならそれでいいんだ」
『……なるほど? あえてイデルを泳がせることで、その目的を掴もうというんだな?』
「さっすがアルバノさん、ハナシが早くて助かるよ」
『調子のいいヤツめ。……わかった。上には僕から了解を取っておこう。やり方はキミに任せる。今後何かあれば、すぐに報告したまえ』
「はいよーん」
『ところでジェセリくん』
「ん? はいはい」
『ユウヤくんは元気にしているか? まぁくだらん中傷なんぞをいちいち気にするようなタマではないだろうが……どうだ?』
……それを聞いた途端、ジェセリの瞳から彼のいつもの無邪気さは消え去った。先日雄弥に対してむけていた、他人の腹の中をまさぐろうとするような……蛇のような眼になったのだ。
「…………へえ? アンタ、ユウを心配してんのか?」
『あんな役立たずでも、一応は部下だからな。いけないか?』
「い〜や? いけないってこたぁねぇさ。……ただ驚いただけだ。軍の中でも特に人間嫌いで有名なアンタが、人間のガキ相手にそんなセリフ吐くなんてよ」
『…………ヒトは変わっていくものさ。僕もそうなった、というだけのことだろう』
客観視すれば誰もが違和感を覚えるであろう自身の言動にメスを入れられたアルバノ。声のトーンなどに変化は無いが、その口調は歯切れの悪いものになっていた。
そしてジェセリがこれを聞き逃さないのは、当然である。
「……なるほどな。やっぱりユウのヤツには、"ただの人間"じゃない……何か特別な曰くがあるってことか。アルバノさんよ……アンタを含めた上の連中は、いったい何を隠してるってんだ?」
『…………何が言いたい』
ジェセリは2個目の飴玉を口に。
「ユウのヤツが戻ってきた途端、タイミングを見計らったみてーにザナタイトとかいう得体の知れねぇ敵が現れた。その前のゲネザー・テペトだって、明らかにユウのヤツを狙っていた……。"ただの人間"1人に、よくもまぁこれだけの偶然が重なるもんだ」
「事態は完全に、アイツを……ユウを中心にして動いている。あのイユってコだってそうだ……。俺はそのあたりがどーも、気になってしょ〜がないんですけどねぇ」
そこまで言われた受話器の向こうのアルバノはしばらく沈黙を垂れ流す。……が、やがて観念したかのようなため息をひとつついた。
『……カンに障るボウヤだな、キミは。8年前からちっとも変わっちゃいない』
「アンタと違って、俺にはまだ変化ってやつが訪れてないらし〜ねぇ」
『まぁいい……認めるよ。確かにユウヤくんについて、キミたちに隠していることはまだある。だがそれは僕の独断で公にできることではないし、そもそも僕自身全てを把握しているわけではないんだ。……ここは、黙って舌を引っ込めてくれないだろうか』
「ふぅ〜ん……。……ま、いーでしょう。その代わりこっちもできる限りの調べはさせてもらいますよ」
『構わんさ。キミらが勝手に知るぶんには、僕の責任の及ぶところではない』
……一時険悪になりかけた両者の会話はなんとか穏便に片付けられ、ジェセリは静かに受話器を戻した。
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