第149話 憎怨のフラム
ーー皇京。
公帝領の最盛地にして、人間社会にとっての中心。猊人側における宮都ヴァルデノンと同視される都市である。
国政を取り纏める政治家が一同に集う国務庁や名だたる大貴族たちの自己顕示欲溢れる豪邸が建ち並び、そしてそれらに取り囲まれるように「聖なる城」……"公帝"の居所たるこれまた一際バカでっかい城がそびえ立っている。
民家等の一般の建物も限られた敷地に無理矢理ネジ込まれたためか、どいつもこいつも縦に長い。その隙間を縫って敷かれた街路を歩く人々の密度も凄まじく、なんというか……どこもかしこも「余裕が無い」。
1日滞在するだけでとんでもなく疲れそうな窮屈さを持った地であった。
だがこと本日において、最も余裕を失くして……切羽詰まっていたのは、おそらくこの男であろう。
ーー公帝軍五芒卿が一、〈煉卿〉フラム・リフィリア。
彼は今、人生最大の屈辱の沼へと沈んでいた。
「この役立たずがあああッ!!」
現在フラムは国務庁内にある大会議室にて1人壇上に立たされ、眼前に並び座る大勢の政務技官・貴族たちから、止むことなき糾弾の雨を浴びせられていた。
「憲征軍のスパイをみすみす逃がしたなどと、それでも誉高き五芒卿の一員か貴様!! 恥を知れフラム・リファリア!!」
「ホ……その上マヨシー地区が焼き討ちにあっている時には、のんきにベッドで惰眠を貪っていたというではありませんか。ホ……よくもまぁのこのこと皇京に戻って来れたものですねぇ……?」
「…………は。申し訳…………ございません」
全身に包帯をぐるぐる巻きにし、右手で持つ松葉杖に体重を預けてようやく立っているフラム。包帯の隙間から覗かせる唇をギリリと噛みながら謝罪の意を表する。
「だからねぇ!? ワシは言ったよ!? こんなスラム出身の成り上がり者を五芒卿に入れるのはよそうって!」
「まったくだ! この男には誇りが、プライドが無い! 人の上に立つ者としての矜持が無い! だからこんな失態をしておきながら、悪びれもせず生き恥を晒せるのだ!」
「ふふ……貴様なような者を婿養子に迎え入れるとは……。名門リファリア家も地に落ちたな」
……ここまでは黙して叱責に耐えていたフラム、最後の言葉を聞いた途端、その発言の主を明確な敵意を持って眼力の限りに睨みつけた。
「家族は関係ございません!! 全てはこの私個人の失態にございます!!」
「黙れェッ!! 誰が喋っていいと言った!! 貴様のような貧民上がりの無能ごときが、人間社会の黒柱たる我らに口ごたえするなど!! 身の程を知れェェェ!!」
「う…………ぐ…………ッ」
しかしその反意は瞬く間に突き返され、わずかの聞く耳も持たれない。
言い分を如何にしようと、全ての原因は己自身の無力。それを誰よりも理解していたフラムは、それ以上は押し黙るしかなかった。
「フン……!! そのような一端ぶったツラは、せめてそのユウヤ・ナモセとかいう男を我らのもとに連れてきてからするんだな……!! 消え失せいッ!! 若造が!!」
カツッ。カツッ。
大会議室を追いやられたフラムは、右に左にヨロヨロと身体をふらつかせながら歩く。天井の高い廊下に、松葉杖の音がか細く響いている。
「フぅ〜ラぁ〜ムくーん♪」
その時、彼の背後から呼ぶ声がした。
女の声である。どこか小馬鹿にするような、意地汚さが透けるような、軽薄な女の声である。
それを耳にしたフラムは包帯の下に隠れた表情筋を嫌悪に歪ませ、聞こえるように舌打ちまでして振り返った。
そこにいたのは、やはり女。フラムよりわずかに歳上らしき女だ。
濃い紅色の髪をふたつのお団子に結っているだの、フラムとほぼ変わらない背丈だのといったことはどうでもいい。この女について際立つ視覚的情報はふたつ。
ひとつは、あまりにも露出の多い服装。際どい部分は守られているが、首元も、胸元も、腹も、背中も、太腿部から下も全て曝け出している。衣服と呼ぶには程遠い、水着としても過激すぎる。布というより完全に紐にしか見えないが、彼女に恥ずかしがっている様子もまるで無い。ひどい違和感である。
そしてもうひとつは、顔。容姿とかではなくて、その表情。……悪辣である。万人の神経を根本から逆撫でるような、ニヤニヤとした笑みを浮かべているのだ。
無論今回に限っては、その悪笑の対象はフラムであったが……。
「……〈凪卿〉……ナホヨ・ナバナンテ……」
フラムは嫌悪を剥き出したまま、その女の名前を呟いた。
「帰ってきたのならひとこと言ってよぉ。アタシたち友達じゃな〜い」
「なんの用だ、女狐め……! 貴様と喋るクチなど持っていない……! 失せろ……ッ!」
「そんな、ひどぉ〜い。アタシ、フラムくんのことが心配で心配で、3時のオヤツも食べられなかったのにぃ〜。えーん、えーん」
女は下手な泣き真似をするが、それがウソであることを隠す気も無い。口元は変わらず、ニタニタと笑ったままである。
「でもぉ、よかったよぉ? フラムくんが元気になってくれて。こうして相変わらずーー」
するとその時ナホヨと呼ばれたその女が、フラムの視界からその姿を消した。
「!? ちッ!!」
フラムはすぐに気づいた。ナホヨがどこに消えたのか。何をしようとしているのか。
だが昨日ようやく意識を取り戻したばかりで満身創痍の今の彼では、頭では分かっていても身体が追いつかなかった。
「ぐあ……ッ!!」
フラムは、一瞬にして自身の背後に回り込んだナホヨに、背中から押し倒されてしまった。
「ーークソ生意気な、ムカつくヤツのままでさ……! じゃなきゃイジメ甲斐が無いもんねぇ……!」
彼の背中に馬乗りになったナホヨの顔は、先ほど以上に歪んでいた。
鬱陶しいじゃ済まされない、邪悪な笑い。自分の中の残虐な本性を抑えきれないようでもあった。
「き、貴様……ッ!! ……うッ!?」
指の1本動かすのも億劫で抵抗もままならないフラム。するとナホヨは馬乗りになったまま突如彼の左脚を掴み、それをボキリ、と無理矢理に捻じ折った。
「うぐぁああああァァァッ!!」
唯一骨組織が無事だった左脚を折られたフラムは廊下中に絶叫を轟かせ、床に突っ伏したまま悶絶する。
「こんぐれぇでピーピーうるせぇんだよ、ガキが!! コイツで療養休暇がまた追加される!!大好きなパパとママに甘える時間ができたんだ!! アタシに感謝しろよォ!! キャハハハハ!!」
一方的な暴力の行使に歓喜するナホヨは苦痛に悶えるフラムの姿を堪能したのち、醜悪な高笑いとともに去って行った。
1人、身体を震わせながら廊下に横たわるフラム。
理不尽である。それはそうだ。それに腹を立てるのは当然だ。
だが今のフラムの腑を煮溶かしているのは、その理不尽そのものではない。そんな理不尽を跳ね除けることすらできない己の無力さ。そしてーー
「…………ッぐ…………ぐ…………ぞ…………ッ」
ダンッ。
フラムは横たわったまま、右手で床を叩く。複雑骨折を治療中の右手である。当然即座にグシャリと音を立てて潰れ、手のひら、手の甲、指まで鮮血で真っ赤に染まる。
「ぐぞォ……!」
だが、やめない。叩くのをやめない。
「くぞッ……くそ!!」
拳が握れなくなってもやめない。手首から先の感覚が無くなってもやめない。真っ白な骨が丸見えになっても、やめない。
「くそォ!! ああああくそおおおおお!! くそォォォーーーッ!!」
フラムは泣いた。怒りに、憎しみに、顔面の皮膚を歪ませた。
充血した彼の瞳の中に映るのは、自身を一方的に倒した男の姿。銀色の魔力を身に纏った、全身傷だらけの隻眼男の姿。1人の人間の姿。
ーー自身の現状の元凶である、"ユウヤ・ナモセ"の姿であった。
「…………こ、ろす…………ッ」
「殺してやる……殺さなくては……ッ!!」
「貴様を殺さなければ、ユウヤ・ナモセぇ……ッ!! 僕は……僕はァァ……ッ!!」
「殺すゥゥゥ!! 殺してやる!! 殺すゥッ!! よくも……よくも僕を!! 僕に!! 僕にこんなァァァ!! あああああああああああああああああああーーーッッッ!!」
……フラムの憎悪に、その叫びに、応じるように。
廊下の壁や床が、熱を帯びてドロリと溶けていった。
* * *
「ユ〜ウヤッさま〜♪ デートしましょ♪」
こちらは、第7駐屯支部兵士の男子寮。
本日その正面玄関の扉は、先日雄弥のもとを訪れたセレニィ・ウィッシュハウアーによって叩かれた。変わらず元気溌剌の彼女は、今回も雄弥にご用であるらしい。
一方、お呼ばれの本人、雄弥。
正面玄関に出て応対をする彼だが、なぜか全身パジャマ姿である。
「…………なんで??」
彼は今にも閉じそうな瞼をシパシパさせながら当然の疑問を投げ返す。
「デートしたいからですわ!」
「……なんで?」
薄暗く、静かな空。鳥のさえずりも聞こえない。
「貴方に惚れてしまったからですわ!」
「いやあの、そうじゃなくてさ」
全部が全部、そりゃそうだ。だってーー
「今……朝の4時なんスけど……」
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