第148話 待つ人々を想って
やがてセレニィは雄弥がくしゃくしゃにして捨てた新聞紙を拾い上げる。紙を広げ、シワを伸ばし、綺麗に折り畳んだ。
「…………後悔なさっているのですか? ここに帰ってきたことを」
「……わかんねぇよ。もう……わかんねぇ。自分でも自分が何をしてぇんのか……。……あれ、てか……なんで俺、こんなことアンタに話してんだ……? 初対面のヤツに……」
うつむき頭をバリバリ掻きながら、己自身の不可解な言動に困惑する雄弥。
「ーーやはり、貴方は英雄でありますのね……」
だがセレニィは逆にそんな彼を、紺色の瞳を細め愛おしそうに見つめていた。
「どこに行っても、そこで誰かを助けている。出会う人々全てを思いやり、そのためになんの迷いもなく命を張っていらっしゃる」
「そのイユさんについて私は何も存じ上げませんが……その方はさぞ貴方をお慕いし、頼りにしてらしたのでしょうね……」
するとセレニィは再び自分のカバンに手をつけると、中からまた新聞記事の切り抜きを取り出した。今度は、数枚を同時に。
「失礼ながら私……貴方のことを探す上で、貴方についてあらゆる調べを尽くさせていただきましたの。……これらの事件全て、貴方も関与なさったのでしょう?」
宮都でのディモイド戦のこと。
バイランの孤児院のこと。
ヒニケ配属当日の、汽車での強盗のこと。
シフィナと戦った廃工場の戦いのこと。
アイオーラ戦のこと。
彼女が見せた記事は全て、雄弥が関わったものについてばかりだった。そのほとんどはアルバノの情報操作によって隠蔽され、表沙汰にはなっていなかったはずだったが……。
「な……! よ、よくこんなモンを……! なんで分かる? この記事のほとんどにゃ、俺の名前なんざ出てねぇってのに……!」
「カンタンに分かりますわ。どれだけ隠そうとしても無意味です。助けられた側の者というのは、自分を助けたヒトを決して忘れません」
セレニィは記事のひとつひとつを指差していく。
「宮都でのディモイド討伐は現場に居合わせた兵士の方から。バイラン・バニラガンの事件は、エミィ・アンダーアレンを始めとした事件の遺児たちから」
「列車強盗はその場にいた乗客の方々から。廃工場でのディモイド出現については、ユウキ・キンジという現場作業員から」
「宮都のアイオーラ討伐は、貴方が救助して回っていた被災者の方々から……それぞれお聞きいたしましたわ」
「…………」
雄弥はそれに促されるように、過去の出来事を思い出す。
「こんなにです。こんなに助けてきたのです。貴方がいなければより傷つけられ、あるいは失われていたであろう命が、こんなにいるのですわ」
「そしてこれからも、そういった方々は大勢現れます。貴方がお話ししたイユさんと同じように、貴方のような方の助けを求めているヒトは必ずいます」
「イユさんもそれを分かっていたから、貴方をここに帰したのでしょう」
「ーー英雄を自負しろとは申しません。でも……でもせめて私の、貴方が助けた人々の気持ちを……否定なさらないでくださいまし。私を含め貴方がこれまで救ってきた命の全てが、貴方の存在意義そのものなのですよ……」
……そう言って、突然の訪問客セレニィ・ウィッシュハウアーは帰っていった。
応接間を出て事務室へと戻ってくる雄弥。別所での仕事のためか、そこには誰もいなかった。
彼はそんな静寂の空間にある自分のデスクに座る。卓上には、ジェセリから奪い取った大量の脅迫文紙が置きっぱなしだ。
何気なく、1枚1枚にぺらぺらと眼を通していく。どれもこれも下品で汚ならしい中傷ばかり。そりゃそうか、と彼が思った途端ーー
『ユウヤ・ナモセさんへ
ひどいこといってごめんなさい。おもちゃをぶつけて、ごめんなさい。
とうちゃんのぶんまで、たくさんのひとをたすけてください。がんばってください。
チャック・アーレン』
束の底の方に、1枚の手紙があった。
書いたのが子供だと一眼で分かるほどの歪な文字である。だが何度も消しゴムで消したような跡、それによってくしゃくしゃになった用紙。
……いくら鈍感な雄弥でも感じる。一生懸命、書いたのだろう。
アーレンという名前を思い出すのは訳もなかった。
廃工場で助けられなかったイトナ・アーレンの遺族。息子。まだ年端もいかぬ男の子だったはず。その幼さは、拙く組み立てられた文章からも容易に見て取れる。
ーー雄弥は静かに泣いていた。
もうそれは、後悔の涙などではなかった。
彼以外誰もいない事務室の中で、唸るような機械音と、彼の鼻をすする音だけが鳴っていた。
だが、静寂とは破られるためのもの。
壁に取り付けられたスピーカーから突然、甲高い警報が響く。魔狂獣出現を知らせるブザーだ。
続いて出現場所、コード、被害状況が早口に伝えられていく。雄弥は手紙を素早く、しかし丁寧に折りたたんで机の引き出しにしまい、椅子の背もたれに掛けてあったパーカーを羽織って走り出す。
「あれ!? ユウさん!?」
途中の廊下で、ユリンと遭遇。周りも大勢の同僚たちが走り回っている。
「何してるんですか、あなたは休んでてください! 午前中に戦ったばかりだし、その前の傷だって全然回復しきってないんですから! さっき言ったでしょう!?」
ユリンのその大声に、周りの兵士たちがピタリと足を止めて注目。その視線はおのずと、彼女と一緒にいる雄弥にも集まる。
「……大丈夫だ。行かせてくれ、ユリン」
「だ、だから大丈夫じゃないんですってば……!」
「大丈夫だよ。だって、俺にはお前がいる」
「へ…………?」
その捉え方に困る物言いに、赤い眼をまん丸にして驚くユリン。
「お前だけじゃねぇ。シフィナも、ジェセリもいる。俺には、俺を助けてくれるヤツらがいる。それと同じように、俺の助けで救われる人もいるはず……いや、いるんだよ」
……その彼の言葉を、ユリンのみならず周りの兵士たちは全員、静かに聞いていた。
「ヤケになってるだとか、そういうのじゃねぇんだ。ただ俺は……俺にしかできねぇことをする。するべきなんだ。そしてそれは少なくとも、机でダラダラとペンをはしらせることじゃあねぇ」
雄弥の視界が、開けていく。イユのことで余裕を失くしぼやけていた彼の瞳が、その霧を晴らしていく。
「ーー俺は、帰ってきた。今ここにいる。なら……今ここで、できることをやるんだ!」
「ユウ……さ……」
圧倒されるユリン。雄弥はそんな彼女にニカッと微笑み、先に進もうとする。
だがその肩が、がしりと掴まれた。
「ッ?」
振り向く雄弥。彼の肩を掴んだのは、周りにいた兵士のうちの1人だった。
「ーー待てよ、ユウ。俺たちのことを忘れてもらっちゃ困るぜ」
肩に手を置きながら、その男性兵士は彼に笑いかける。
「そーよ! ジェスやシフィナだけじゃない、アタシたちだっているんだから!」
「ケガしてばっかの問題児だもんな! しょーがねぇから、俺たち全員で面倒見てやるよ!」
「守りは任せな! バカなオメェはバカなりに、攻めることだけ考えりゃいい!」
気がつけば彼は、自分を取り囲んでいた同僚たち全員からの言葉を浴びていた。
「……みんな……」
あたたかい。治りきってない傷の痛みが、あっという間に消えていく。
脚のふらつきも止まった。それは、ここが彼の盤石な土台……確固たる居場所であることの証。
あったのだ。彼には、帰る"家"があったのだ。
「……ハァ。も〜……仕方ないですねぇ」
ため息を吐きつつ、ユリンも笑う。柔らかくも逞しい、頼れる彼女のいつもの笑顔。
「ーーッしゃあァッ!! 行くぞてめぇら!! 出撃だああッ!!」
「おおおおーーーッ!!」
雄弥の肩を掴んでいた兵士が激号を上げ、ユリンも含めた全員がそれに応じて叫び出す。
全員、魔狂獣討伐に向け動き、廊下は再び喧騒に包まれる。
……雄弥もそんな"家族"たちの後を追い、走って行くのだった。
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