第147話 隻腕の破天荒娘
「あ? 客? 俺にすか?」
「う、うん。セレニィさんってヒトが。女の子なんだけど……知り合い?」
「知らねーすけど……応接間に?」
「あ……ああ」
「どーもす」
机に座って事務作業中だった雄弥は同僚にそれを知らされ、席を立つ。
やはり他の兵士たちからの重苦しい視線に晒されながら廊下を歩いていき、応接間の扉をくぐった。その瞬間ーー
「ユ〜〜ウヤ〜〜さーまーッ!!」
「ぐぇええッ!!」
彼に向かって部屋の中から突然、タックルじみた猛烈なハグが襲いかかってきたのである。
「ああユウヤさま! やっとお会いできましたわ〜!」
ハグの主は、いっぱいの笑顔を浮かべたそばかす美女。彼女は栗色のウェーブ髪を振り回しながら、雄弥の顔に自分のほっぺたをスリスリと擦りまくる。
「ま、待て待て待てオイオイオイ!! はなせッ!! 誰だアンタッ!!」
その勢いに背筋がヘシ折れそうになりつつもなんとか堪える雄弥。
「私、セレニィ! セレニィ・ウィッシュハウアーと申します! お初お目にかかりますわユウヤ・ナモセさま!」
「でぇい、先にはなせってのに!!」
彼は自身に力いっぱい抱きつく女の子……セレニィと名乗る彼女を無理矢理ひっぺがす。
ぜぇぜぇと鳴る息を整えながらその姿を認識。
セレニィは全く悪びれる様子も無く、純粋な笑顔を見せるばかり。触り心地の良さそうな生地を使ったワインレッドのワンピースや、煌びやかながら至極ナチュラルなメイクからは、そこはかとない高級感を漂わせている。
……そしてその絢爛さとは異質な違和感。この女の子には、左腕が無かった。着ているワンピースの左腕の部分がしぼんでいるのだ。
「な……なんなんだアンタ!? なんで俺のことを知ってんだ!」
「私、ずーっと貴方を探していましたの! 勇猛果敢、一人当千、智勇兼備万夫不当の大兵士、ユウヤ・ナモセさまを! ああ、こんな近くでお顔を拝ませていただけるなんて感激ですわ!」
「は…………ああ???」
……………………ユメでも見てんのだろうか。
雄弥は瞬発的に思った。チビッ子の時分、初めてインフルエンザに罹ったときに見た夢にそっくり。チグハグの極致である。
そもそもこの女の子、何者なのか? 言ってることも意味不明な上に素性まで分からないんじゃブキミどころの騒ぎじゃない。
眼の前の女の子をもう1度じっくり眺めてみる雄弥。
ユリンより短く整えられたウェーブヘア、黒味の強い紺色の瞳、絶えずニコニコと笑う爽やかなそばかす顔……。
ーー知らん!! ぜんっぜん知らん!!
「…………よーし分かった、正直に言え。なんのドラッグ使ってんだ? 知り合いにいい医者がいるから紹介してやる。ちゃんと診察受けて、まともなカラダになってからシャバに帰ってきな」
「ちょ、ちょっと! 誤解なさらないでくださいまし! 私、ジャンキーではありませんわ!」
「やかましい! じゃなきゃテメーの脳ミソにはブタのゲロでも詰まってんのか!? いったい何が見えてやがるんだ! どこにそんなハリボテにもならねー大物がいるってんだッ!」
「ここにいますわよ、ホラ!」
セレニィと名乗った彼女は、その隻腕で雄弥の左頬をぺちッと触る。
「……ああ……意外と体温が高いのですね……。あったかい……」
「さーわーんーなーッ!!」
あまりの奇天烈超特急っぷりに雄弥はついに冷や汗を流す。慌ててその手を振り払い、ズザザザッ、と後ずさり。
「誰と間違えてんのか知らねぇが人違いだ!! アンタの尋ね人は俺じゃない!! ジェセリか……シフィナあたりとカン違いしてんのッ!! おわかり!?」
「いいえ! 貴方は間違いなく、私の探していたユウヤ・ナモセ様ですわ!」
全く引かないセレニィ。すると彼女は、応接室内のテーブルの上に置いてあった自分のカバンから1枚の薄紙を取り出した。
どうやら新聞紙のようである。彼女はずかずかと雄弥の元へ歩み寄ると、右手に持ったそれを広げて見せた。
「以前、1匹の水棲魔狂獣に襲われた汽車を守ってくださったのは貴方でしょう? 宮都からヒニケに向かう途中の橋で!」
「な、なにィ……!? 橋だと……汽車……?」
雄弥は困惑しながらその新聞を眺める。
日付はおよそ2ヶ月前。書かれていたのは、「勇敢なる若き兵士、民のため海原へ消ゆ」というなんとも大仰な見出し。
『2ヶ月前……? ってことは……マヨシーに流される前のーー』
「ーーあ……ああ! あの……タコみてぇなバケモンのヤツか……!」
それは彼が人間界に漂流するまさに直前の出来事。魔狂獣ドルマルンによる、海上横断汽車の襲撃事件のことであった。
「そうですわ。近隣駐在兵士の応援が来るのに一時間もかかったというのに、貴方とユリン・ユランフルグさんのおかげで死者は1人も出なかった。このあたりでは、もう有名なハナシですわ」
「へえ……? ……え? で……それがなんだってんだ? アンタとこれとなんの関係が?」
「私も乗っていたのです。あの時、あの列車に」
少しだけ、セレニィの雰囲気が変わる。にこやかな態度は崩さないが、確かな神妙さが、誠実さが、彼女が放つ空気に混じる。
「見ていたのです。私たちを……乗客の命を必死に守ろうとする貴方たちを、すぐお側で。……ずっとお礼を言いたかったのですわ。貴方に」
セレニィは新聞を脇に置くと、片方しかないその腕で雄弥の右手をそっと握った。
先ほどまでの騒がしさから一変した真摯な佇まいに、雄弥は軽く圧倒されてしまう。……握られた手から伝わってくる。彼女の言葉にウソや建前は無い。
……むしろ、"そのせい"か。雄弥の表情が、わずかに暗くなる。
「……なるほどな。まぁそれならやっぱり相手が違ぇな。落下する汽車をユリンが受け止めてくれなけりゃ、俺たちはとっくに海の藻屑だった。礼ならアイツに言いなよ」
「ユリンさんには1ヶ月ほど前、あの方の勤め先の病院でお礼を述べさせていただきました。その時知ったのです。貴方があの事件以来行方不明になっていると。生存は絶望的だと。もうほとんど諦めていたのですが……つい先日、貴方がお帰りになったと風の噂で聞きました。それでお邪魔させていただいたのです。こうして貴方と……恩人たる英雄とお顔を合わせられること、とても幸せでありますわ」
「…………英雄…………ね」
雄弥はその言葉に凄まじい歯痒さを覚え、自身の唇を無意識のうちに唇を噛み潰す。そしてセレニィに握られていた手を軽く振り払うと、そばに置いてあった新聞紙をぐしゃりと丸めた。
「……買い被ってくれてありがとよ。だがこんなモンは、新聞の発行元が売上のために誇張しまくっただけのでっちあげだ。鵜呑みにすんなよ」
「いいえ、申し上げたでしょう? 私はあの日、貴方のことをこの眼で見ていたのです。この記事に偽りはございません。いえむしろ書き足りないくらいですわ。1日分のページ全てを使って、貴方のご活躍を世に広めるべきでした」
「なら……アンタの記憶違いだ」
目の前の客人から視線まで逸らす雄弥。するとセレニィはしばらく彼を黙ってじっと見つめだした。心底不思議そうに……。
「…………ユウヤさまは、ご自分のことがお嫌いなのですか?」
「……あ? なんだ急に」
「違うのですか? ならどうしてお認めにならないのです? ご自身の功績を。謙虚と卑屈は違いますわ。自分の足跡ときちんと向き合えない者に、先の成長はございません。それが悪いものでも、良いものでも」
「は……!? こ、このアマ……! なんで初対面のアンタにそんなこと言われなきゃなきゃならねぇんだ! 俺の何を知ってるってんだ!?」
「ですから知っていますわ! 貴方の勇敢さも、強さも! この眼で見たと申し上げたはずです!」
「うるさいよ!! それが節穴だってんだッ!!」
「そんな見誤りをする私ではございません!! ナメないでくださいまし!!」
ズケズケとした物言いに、雄弥はたまらず怒鳴り声をあげる。
しかし自分より10センチ近く背の高い相手に眼と鼻の先でそのような怒声を浴びせられたセレニィだったが、まったく怯む様子がない。その肝の据わりように、沸騰しかけた雄弥の感情は急速に冷やされていく。
「……ちッ……も、物好きなヤロウだ……! 俺みたいな人間相手に……!」
「は、人間? なんの関係があるのです? ヒトはその行いが全てです。私はそれ以外に興味などありませんわ」
セレニィのきっぱりとした台詞。……雄弥はまた思い出す。謂れのない迫害を受けていた友達を。
「…………は。は…………はっはっは」
「? ど、どうなさったの?」
「いや……へ……ちくしょう……。アンタみてぇなヤツがもっといっぱいいてくれれば、イユは……。……アイツも救われたろうに……」
「"イユ"……?? よく分かりませんけど……その方がどうかなさったのですか?」
力無く笑い、自分で気付かぬうちに涙すら漏らす雄弥。セレニィはその様子に、初めて動揺を露した。
「ーーいいヤツなんだ。見ず知らずの俺を助けてくれた、優しいヤツだ」
「欠点もあるさ……態度がキチィところとかよ。……でもそう"なる"しかなかった。アイツをそうさせたのは、アイツの周りにいる全ての者……そのクソ野郎どもの悪意だ……」
「……そうさ……! アイツのせいじゃない……! アイツはただの……1人の女の子だった……! 繊細で、さみしがりやな……ただの女の子なんだよ……!」
「でも……それでもアイツは俺に、自分のやるべきことをやれと……いるべき場所に帰れと言ったんだ……!! 考えてばかりだった……俺のことだけを……!!」
「俺はな……ッ!! そんな優しい友達を1人置き去りにしたんだ!! 見捨てたんだ!! それでここまで帰ってきたんだッ!! アイツの優しさをカサにきて!!」
「……そのせいで……アイツはとんでもねぇことに巻き込まれちまった……!! 俺がそばにいればよかったんだ……!! なにが英雄なものかよ!! 1人の友達も守れねぇで……ッ!!」
……無論セレニィには、彼が喋ってる内容の大半は知る由も無い。だが彼女は口を挟まなかった。ただ黙って雄弥の眼を見つめ、その話に耳を傾けていた。
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