第146話 受難と雑念 -アレクサンドラ-
雄弥のヒニケ帰還から10日である。
"もう"10日? それとも"まだ"10日?
人々がどう感じようがカンケー無い。特に、魔狂獣にとっては。
「バルルァアアアアアアアアアア!!」
本日、真昼間のヒニケ地区内に出現したのは、馬のような蹄足付きの4足胴体に、2つの頭部を"縦"並びに生やした体高5メートル弱の魔狂獣。ケルベロスの縦型ともとれるその頭の形状は人面に近く、キメラのように醜くおぞましい。
コード、「アレクサンドラ」。こいつの呼び名である。
しかしこのアレクサンドラ、すでに瀕死であった。全身に負ったいくつもの深傷から緑色の体液を垂れ流し、2つの頭全てが苦しそうな絶叫をあげている。
事実として、こいつをここまで追い込んだのは、雄弥というたった1人の男なのだ。
「じゃりゃあああああッ!!」
"青白い"魔力を纏いながら人面2頭の化生に向かって猛攻を振るう彼の身体には、もはや健常な皮膚は確認できなかった。フランケンシュタインの何倍ものツギハギ痕と、毒々しい赤紫色の火傷痕ばかり。顔も、腕も、首元も。おそらく服の下も同様であろう。
そしてもうひとつの変化といえば、彼の右眼である。
黒色だった。もとの眼色を露わにしていたのだ。つまり今彼は、"人間"として戦っているということである。
「バルンァアアア!!」
アレクサンドラが両前脚の蹄を雄弥に向かって力の限りに振り下ろした。
……が、命中寸前で雄弥がその場から姿を消してしまう。虚しく空を切り、地面を抉る2本の脚。
その時、雄弥はもうアレクサンドラの背後に飛び上がっていた。
「だらァーーーッ!!」
彼はすかさず、魔力を纏わせた右足をアレクサンドラの後頭部へと叩き込んでみせた。
そのあまりの威力に縦に並ぶ2つの頭は瓦割りのように砕き潰され、戦いは決した。最終的に胴体の後ろ半分しか残らなかったアレクサンドラだが、おそらく自分が殺されたことにも気づいてはいなかったのではないだろうか……。
「はッ、はッ、はッ、はッ、は……」
「ユウさん大丈夫……?」
「あ、ああ……ヘーキヘーキ……」
アレクサンドラとの戦闘現場からの帰り道。
真っ青な顔で小刻みに息を切らす雄弥と、そんな彼に心配そうについていくユリン。満身創痍の雄弥のペースに合わせているからか、並んで歩く彼ら2人の足取りはとてもスローだった。
「お願いだからムリしないでください。ホントならまだベッドで寝てなきゃいけないのに」
「ジョーダン言うない。2ヶ月バックレた分を取り戻さなきゃならねーんだぞ。寝てるヒマなんざあるかよ」
「そういうムリをやめてって言ってるんですよッ。あなた、つい5日前まで危篤寸前だったんですよ……!?」
「大丈夫だって。今こうして絶好調だったじゃんか。なッ」
ハロウィンの仮装メイクと見間違うほどの傷痕に覆われた顔を、どこか投げやり気味に笑わせる雄弥。
"もう"だろうが"まだ"だろうが、人間側最高戦力の一角たる煉卿との戦いのダメージが10日やそこらで癒えるハズもない。ユリンの危惧は当然である。
……だが今の雄弥にとっての最大の問題は、肉体のダメージなどではなかった。
「ただ今戻りましたー」
「…………おかえり〜…………」
雄弥とユリン、第7支部本棟へと帰宅。
だがユリンの挨拶に対する本棟兵士たちの返事はどこかそっけない。
彼らの視線から察するに、その態度はユリンではなく、彼女と一緒にいる雄弥に向けられているらしかった。
嫌悪といった攻撃的なものではないが、何か腫れ物でも見るような……。そんな、冷たい他所他所しさのある視線が、雄弥に集中していた。
「…………」
だが雄弥は気づいているのかいないのか……ツギハギの頬っぺたをポリポリとかきながら、その場を通り過ぎて行った。
彼らがその足で向かったのは支部長室。ユリンのノックと同時にドアをくぐる。
「ジェス〜、入りますよ〜」
「んげ!? おおおおおかえり! は、早かったな〜……!」
部屋の主ジェセリ・トレーソンは、彼らの姿を見た途端にひどく取り乱し、両手に持っていた大量の"何か"を電光石火の速度で自身の背後へと隠した。
その様を見たユリンは訝しむことなく、むしろ何かを察したようにため息をつく。
「……また届いたんですか、ジェス」
「え! あ、いや、そのぉ〜……あッ!!」
全てを察したユリンの言葉にいっそうしどろもどろになるジェセリ。それに追い打ちをかけるように、彼が背後に隠していたモノがそのあまりの量ゆえに手の中から漏れてしまい、バサバサと音を立てて床に落ちた。
……ジェセリが隠していたのは、紙であった。
50枚を超える紙。1枚1枚全てに、殴り書きの文字が記された紙。その内容はーー
"薄汚い人間の足に、我らの土地を踏ませるな"
"片眼の男は公帝軍のスパイである。危険だ。始末せよ"
"ユウヤ・ナモセはヒニケから出ていけ"
ーー50枚以上の全てが、このような言いがかりと脅迫で埋め尽くされていた。
「……す、すまん。オメーが帰ってくる前に処分するつもりだったんだけどよ……」
ジェセリは床に散らばった紙を慌てて集めながら、横眼で気まずそうに雄弥を伺う。
ーー10日前、憲征領の外れで倒れていた雄弥は、フラムとの戦いの騒ぎを聞いて駆けつけた自軍兵士によって保護された。
その時、彼は猊人としての偽装をしていなかった。彼を保護した兵士たちは当然、人間の侵入者を発見した、とたちまち大騒ぎになった。
幸いなことに第7支部の面々に加えて最高戦力アルバノ・ルナハンドロまでもが彼の身元保証人に名乗りをあげたため、雄弥に敵分子の烙印が押されることは免れた。
しかし、人々の疑惑や敵意までもが一掃できたわけじゃない。十分な治療を受け回復し職務復帰こそ叶ったが、もはや雄弥を取り巻く環境は以前とはまるで別物となっていた。
彼が復職して以降、第7支部には毎日のように匿名の脅迫文が何通も送りつけられ、同僚たちもどこか他人行儀。変わらず接してくれるのは、ユリン,シフィナ,ジェセリくらいのものであった。
『…………結局なんも変わんねぇ。人間も、猊人も…………』
ジェセリたちが片付けている脅迫文を見つめる雄弥の脳裏には、混血児イユ・イデルと彼女に対して行われた迫害の光景が蘇っていた。
「こっちこそワリィな、ジェセリ。余計な面倒かけちまってよ。これ、俺が捨ててくるわ」
「あ、おいユウ!」
雄弥はジェセリから、彼がかき集めた脅迫文書の束を奪うようにもらうと、支部長室を後にした。ジェセリの声は届かなかったが、ユリンがすぐさま彼を追いかけてくる。
「ユウさんこんなの気にしないでください。誰がなんと言おうが、あなたは私たちの仲間なんですからね」
「大丈夫だって。転移者の俺は、もともとこの世界じゃどこでだってヨソ者だ。今さら気になんてするかよ」
「そんな……そんな言い方……」
「ホントにいいんだよ。ヘーキだから。……俺はな……」
途中で追うのをやめたユリンには、早足で去っていく雄弥の最後の言葉を聞き取ることはできなかった。
ーーよかったのか。
俺は、帰ってきてよかったのか。
ユリンやアルバノさんたちの後ろ盾がある俺ですらこれなんだぞ。いやむしろだからこそ、この程度で済んでるんだ。
イユは……イユはどうなるんだ。
フラムさんが言ってた限りじゃ、イユにも反乱分子としての疑いがかけられてる。ただでさえ立場の悪いアイツに。
おまけに現在行方不明だという。これが単に公帝軍から逃げているだけだとしても、アイツ1人でどうするってんだ。ただの女の子だ。俺よりも歳下の……ただの女の子なんだぞ。こんなクソみてぇな悪意の中に、アイツをひとりぼっちにして……。
それにじっちゃんが死んだだの……マヨシーが焼き払われただの……!
何も分からねぇ……!! 何が起きているのかも……!!
何もできねぇ……ッ!! 何が起きているのか、分かったとしても!!
ヒニケに……帰ってきちまった今となっては……!!
事実、雄弥は全く気にしてはいなかった。
脅迫文の始末等の面倒をかけてしまうという点においてジェセリたちへの申し訳なさこそあったが、自分に降りかかる悪意に対してはまるで意に介してなかった。
……いや。その余裕がなかった。
彼はフラムとの戦闘以来、彼の遠き地に置いてきた友人のことで頭がいっぱいだった。ダメージの残る身体を酷使するのも、その溢れんばかりの雑念を振り払おうとするため。
せっかく無事に帰れたというのに、再会した仲間たちに向き合うこともできない。だから同僚たちの態度に構いもしない。
「クソッたれめ……。どうしたいんだ、俺は……」
雄弥の心は、未だここには無かった。
そんな中。第7支部本棟正面門の前に、1台の車が停まった。
金色のエンブレムを目立たせる、黒塗りの巨大な車である。周囲の景色を鏡のように映し出すほどピカピカに磨かれたボディも然り、いかにも高級感の漂う車である。
まず運転席から1人の老人が降りる。燕尾服に身を包んだ、貫禄のある老紳士。彼は車体後部に回り込み、ドアを開けた。
そこから1人の人物が降り立つ。
ワインレッドのワンピースを着た女性である。雄弥と同じ歳頃の女性……女の子。紺色の大きな瞳に、顔のそばかす、強いウェーブがかかった栗色のショートヘア。
……そして、左腕が無い。右腕のみしか持たない、隻腕の女の子。
「ユウヤさま……やっとお会いできますわ……♪」
彼女はご機嫌にニコニコ笑いながら、正面門へと歩いて行った。
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