第142話 閻魔の代行者
「わりーなあんちゃん! 船で進めるのはここまでだ!」
数日の航海ののち船は、寂れてボロボロの港に到着。
1人上陸した雄弥に対し、船上の甲板から屈強なナガカ船員たちが次々と見送りの言葉をかけていく。
「このまま向こうの方角へ真っ直ぐ進んでいきな! 1日も歩けば、人里が見えてくる!」
「分かった! 色々助かったよ! ありがとよ!」
「いいってことよ! 気をつけて帰るんだぞ!」
「おー! おっさんたちもなー!」
雄弥は右手を振って彼らに応えると、肩の荷物を背負い直す。
「ーーさて、行くか」
そして仲間たちの待つ場所へに向けて歩き出した。
「しっかし……マジでだーれもいねぇな」
そこから2時間ほど歩き続けた彼だが、ただの1度も人とすれ違わなかった。行く先々にあるのは完全に朽ち崩れてしまった民家や、ぼうぼうに生え散らかした雑草だけ。まばらにそびえ立つ木々やそれをよじ登る小動物も、人がいないからか妙にイキイキとしていた。
そんな中、彼はひとつの民家の前を通りかかる。例に漏れずすでに腐り果ててはいたが、その瓦礫の中にあったひとつの写真紙が彼の眼に止まった。
雄弥はしゃがみ込み、それを手に取る。泥や虫食いでボロボロではあったが、写っているものは判別できた。
……家族だ。おそらくこの家に住んでいたのであろう、猊人の家族の写真だった。父と母、幼い兄弟2人の4人家族。父が兄を、母が弟を抱っこし、みんな笑顔で写り込んでいた。
ーーそんなことじゃ一生負け組のままよ!
彼は無意識に、自分とこの写真の一家を比較してしまう。同時に思い出されるのは、母と交わした最後の会話。
「……くそ……ッ!」
その忌々しい記憶を振り払おうと頭をブンブン回す。
「……へ……女々しいったら……! この世界に来てもう2年以上経つのに、まだこんなクソみてぇな未練が残ってたってのか……俺の心には……」
彼はハペネに見透かされたことで顕になった自分の"内"を自嘲し、笑う。
しゃがんでいる雄弥の膝の上に、何かがポタリと落ちる。汗だ。彼の顎から落ちてきた汗だ。
「イヤなこと思い出したせいかな……。なんかミョーに暑くなってきた」
彼は顔の汗を手で軽く拭う。
すぐさま噴き出す第二陣の汗。また拭う。また出てくる。ポタポタ、ボタボタ……
ドババババババ
「あっちぃーッ!! んだコレ!! いくらなんでもおかしいだろ!!」
あっという間に全身びしょびしょになってしまい、たまらずガバリと立ち上がる雄弥。
「!? は……ッ!?」
ーーその時、彼は理解した。この異常な暑さの原因は気のせいでも、ましてや過去への嫌悪感がもたらしたものでもない、ということを。
燃えているのだ。彼の周囲の木が、草が、民家が、どこからともなく発生した巨大な炎で燃えていたのだ。
「な、なんだあッ!? 火事ぃ!?」
事態に仰天した雄弥は写真を捨て、避難のために慌てて走りだす。
肺に襲い来る一酸化炭素の大軍に咳き込みながら風上を探り当て、ひたすら走る。すると彼を囲む炎の壁にひとつの穴があった。
そこをくぐり抜けようとする雄弥。しかしその直前、突然炎が彼の行手を遮るように回り込んできたのである。
「うわッ!? な……なんだこの炎はッ!?」
唯一の突破口はあっさりと塞がれてしまった。
が、問題はそこではない。
雄弥自身も気がついた違和感だが、この炎の動きはおかしい。まるで、彼を包囲する、という意志が宿っているかのような、統率の取れたうねりを見せているのだ。
「ーー水くさいじゃないかユウヤ・ナモセ……!! この僕になんも挨拶も無く、お帰りになられるなど……!!」
……その理由はすぐに判明した。
雄弥は聞き覚えのある声にぎくりと身を固まらせ、声の飛んできた方角……上空へと恐る恐る顔を向ける。
空には、両足裏から炎を噴射して浮遊している1人の男がいた。
センターで分けられた鶯色の髪。鼻筋の通った端麗な顔立ち。そして風にはためく真っ赤なロングコート……。
「フ…………フラ、ム…………さん…………ッ!?」
……〈煉卿〉フラム・リフィリア。
雄弥の眼に映った彼が、彼の術こそが、この炎の発生源であった。
「な、なんで……なんでここに……!!」
「なんで、か……。それは僕に言わせるべき台詞じゃないのかな……!?」
フラムは今にもはち切れそうな怒りをなんとか抑えこんでいるかのように肩をわななかせながら、ゆっくりと地上に降り立つ。
火の海の中に立つ2人の男。およそ1ヶ月ぶりに再会した彼らが、真っ直ぐに視線を交錯させる。
「剛卿殿と真正面から闘りあった者が出たとなれば、同じ五芒卿である僕の耳に入らないワケがないだろう。ましてや貴様のような……"特徴的"な人相を持つ人物であれば、なおさら……」
フラムは傷痕、火傷痕だらけの雄弥の顔を、文字通り烈火の如き形相で睨む。
その迫力に思わず2歩、後退る雄弥。戦闘経験の浅い彼にすら明確に伝わるほど、フラムの殺意はドス黒いものだった。
「僕は今ほど……自分が愚かだと思ったことはない」
不意にフラムはそう呟くとコートのポケットから小さい何かを取り出し、それを雄弥に見せつけた。
「これはイユ・イデルの自宅から見つかったモノだ。……貴様のだな?」
「え……? ーーッ!!」
雄弥の全身の血が凍りつく。
フラムが彼に見せたのは、ひとつのバッヂ。彼がイユの家に置いてきてしまった、憲征軍の兵章だった。黒く焦げ、潰れてはいたが、間違いなくそれだった。
「まさか憲征軍のスパイの侵入をこうもやすやすと許してしまうとはな……。今後は界境の警備をより強化するよう、上に進言しなくては。……だがそれより……そんなことより、問題なのは……ッ!!」
フラムは今度こそ兵章を粉々に握りつぶす。
「貴様という人間が憲征軍に、猊人どもに寝返っているという事実!! そしてあろうことか僕はそんな卑怯者を信じ、一時でも友情を感じてしまったという事実ッ!!」
「実に見事だったぞ!! イユ・イデルとその生活を守りたいなどという能書きを垂れ込んだ、あの時の貴様の演技はッ!! 迫真だった!! 知り合いに劇作家がいるんだが、紹介してやりたいよ!!」
「どんな気持ちだったんだ!? ええ!? 貴様の眼に映る僕は、さぞ滑稽であったことだろう!! 楽しかったろうなぁ!! 面白かったろうなぁッ!!」
「……だが貴様はひとつ大きなミスを犯した……!! 喧嘩を売る相手を、間違えたなッ!!」
「ふ、フラムさん待ってくれ……!! 勝手にいなくなったのは悪かった……!! で、でも違う……ッ!! 俺はスパイなんかじゃーーがッ!!」
フラムにもう容赦の心は無かった。彼は弁解途中の雄弥の右脚に対して指から熱線を放ち、太腿を貫いたのだ。
「ぎ……ぐぁ……ッ!! ……うぐぅう……ッ!!」
「黙れ……!! この上まだ僕を謀るつもりか……!! 人をコケにするのも大概にしろ……ッ!! その演技力を活かすならせめて、反省するフリでもしてみれば良いものを……!!」
地面に倒れ熱さと痛みに苦しむ雄弥。だが同情しない。フラムはもう、同情しない。
「もはや貴様をこのまま生かしておく理由は無い!! だが殺す前にひとつ聞きたいことがある……!! イユ・イデルは今……どこにいる……ッ!!」
「……は……ッ!?」
最後にフラムが投げた質問は、苦痛に悶える雄弥にすら気づかせるほど不可解なものだった。
「イユ……!? あ、アイツなら、マヨシー地区にいるだろ……!?」
「よくもそんなことをぬけぬけと……ッ!! マヨシー地区などもうどこにも無いッ!! 貴様が住民もろとも焼き払ったんだからなッ!!」
理解不能。雄弥にはまったく理解不能。一瞬自分が言葉を忘れてしまったのかと考えてしまうほど、心当たりのない内容。
「……ま、待て……。なんな、なん、……なんだよそりゃ……ッ? 焼き……払った……ッ??」
「ああああああ!! そのわざとらしい顔をやめろォッ!! 貴様……狂ってるッ!! なぜまだそれが通じると思えるんだ!? 今度はまさか自分のしたことを忘れてしまったとでも言うつもりかァッ!! 邪悪だ……!! 本物の邪悪だ!! 人間の姿をした悪魔だ貴様は!! ……ああそうだ……!! だったら、思い出す手伝いをしてやるよ……!! 貴様の世話をしていたという診療所のご老人も、焼け焦げた死体で発見されたぞ!! 貴様が殺したんだ!! 人間どんな生き方をすればそこまで残酷になれるのか……まったく理解に苦しむッ!!」
苛立ちの頂点を衝き破ったフラムは頭を掻きむしりながら喚き散らす。
「……………死んだ? …………じっ…………ちゃん…………が?」
「イユ・イデルも貴様と同じ、憲征軍の連絡員だったんだろう!? その証拠にマヨシー地区の住民は1人残らず皆殺しにされたのに、あの女の死体だけはどこからも見つかっていない!! この僕に、軍に眼をつけられ正体が露見することを恐れた貴様とイデルが、自分たちの存在の痕跡を村もろとも消し去った!! どうだ、思い出したか!? 自分の行った非道を!! さぁ答えろ!! 貴様の共謀者……イユ・イデルはどこだッ!!」
「イユ…………共謀…………!? …………な、なんだ………何が…………何がどうなっている…………!? 何を言ってんだアンタは…………ッ!?」
当然雄弥は演技などしていない。だがその振る舞いと真意はフラムにはまるで伝わらず、彼の神経を逆撫でするだけ。
「…………そうか。あくまでとぼけるのか。…………だったらもういい…………!!」
そしてフラムは、ついに限界に達した。
彼は全身から真紅の魔力を解放し、右手という一点に凝縮させる。やがて右手には眩く光る赤い魔力球が出現する。
フラムはそれを真上、上空に向けて撃ち出した。しばらく上昇を続けた魔力球は地上100メートルほどの位置で突如静止すると、その身を花火のように破裂・離散させた。
地上に向けて、魔力球の破片……微細な火の粉が無数に降り注ぐ。土に、木に、そして雄弥の肩や頭に、それらは次々と付着していく。
……膳立ては済んだ。
ーー"花熄" 『火囲』
フラムの唱えを合図に、周囲は巨大な火柱で埋め尽くされた。
「な!? ぐぁあああああああァァーーーッ!!」
火の粉が落ちた地点全てから、その火柱は立ち昇ったのだ。まるで太陽めがけて背を伸ばす向日葵のように。
無論、雄弥の身体からも。彼の姿はたちまち灼熱の奔流の中に呑まれ消えてしまった。
その幾千とも分からない数の火柱の前には、地獄の剣山など生ぬるい。
「この炎は罰だ……!! 貴様の罪が産んだ怒りだ!!」
そして術者フラム・リフィリア。今この場においては彼こそが地獄の使者、閻魔の代行者である。
「悪逆の徒、ユウヤ・ナモセ!! せいぜい苦しんで死ぬがいいッ!!」
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