第140話 なぜヒトは争うのか
「ふわぁ〜ぁあ……」
ナガカ滞在、1日目の朝。
宿泊用に与えられた和室の中。障子越しの陽の光にまぶたを刺激され、俺は布団からのっそり起き上がる。
眠い眼をこすりながらタオルをもって手洗い場へ。洗顔、歯磨き、がらがらペッ。
するとそこに、もう1人やってきた。
「おはよう」
背の高い1人の男だ。黒の長髪を2本に分けて結い下ろした、俺より少し歳上の黒い瞳の男だ。
ハペネさんと同じような白い着物を身に纏い、右眼元にはハペネさんとおそろいの赤い民族化粧をしている。左のほっぺたには大きな一筋の傷痕がある。
「あ、はよざっす。ブロシェさん」
男は俺が使い終わった洗面台で顔を洗い始める。
彼の名はブロシェ。グドナルとやり合ってた俺たちをナガカまで案内してくれた、あの笠の男その人である。
編笠の下に隠れていた彼の素顔はこれまたえらく整っており、顔の系統はアルバノさんに近い中性型。ひどい仏頂面で、機嫌が悪いのかそうじゃないのか、見ただけでは分からない。
ただ……
「よく眠れたか? 枕が合わなかったり、布団が固かったりしたら遠慮なく言え」
「大丈夫っすよ。ありがとうございます。てかブロシェさん早起きだなぁ。まだ朝5時なのに」
「お前も同じだろう。客人はもっとのんびりして構わんのだぞ」
「いやーなんつーか、この数ヶ月間ずっと不便で仕方なかった右腕が元通りになるって思うと興奮しちゃって」
「慌てるな、もう少し待て。……ああそうだ。治療が終わったら、今日は俺がここの土地を案内してやる。屋敷の中でただじっとしているのも退屈だろう」
「お、マジすか!? やった! お願いしまーす!」
……この通り、とっても気さくな人である。
その後ハペネさんより1回目の治療を受けた俺は、処置済みの右腕に包帯を巻いた状態で、ブロシェさんの案内でナガカの見学に出かけた。
やっぱり、どこもかしこも田んぼや畑が広がっている。時々現れる大きな建物は製糸工場らしい。まるで産業革命期の日本に来たみたいだ。
道行く人々を観察してみる。……黒眼、青眼、緑眼、黒眼、また黒眼。彼らはみんな互いに、人種が異なる者たちに対してなんの嫌悪感も見せていない。
「ーーホントに、猊人と人間が一緒に住んでるんだなぁ……」
「ナガカ住人の大半は各国の戦災難民なのさ」
「! 戦災難民……?」
あっちこっちにいる人たちをジロジロ見回す俺に、並んで歩くブロシェさんが話す。
「前回の大戦で憲征軍に勝利して以来、公帝軍の侵略行為はひどくなる一方だ。各地の自治国家にあの手この手で言いがかりをつけて攻め込み、支配する。さらに占拠後の反乱を防ぐためにその国家の王族や貴族、そして猊人を皆殺しにし、中央から派遣した役人を通して現地民を奴隷のように虐げる。無論憲征軍も同じだ。猊人の領地が攻め落とされれば、報復に大勢の人間を殺す。……彼らは、そんな地獄から死に物狂いで逃げてきた者たちだ」
ブロシェはやるせなく眼を細め、行く先々にいる住民たちを見つめていた。
「……そもそもなんで、人間と猊人は争ってるんだ?」
「人間側の歴史書には猊人から先に侵略戦争を仕掛けた、と記され、猊人側の歴史書には真逆の内容で記録されている。事実は分からん。そんなものは時間の経過と両者の立場でいくらでも捻じ曲げられるからな」
「はは……闇深ぇ〜……」
俺はバカだ。ゆえに、こんな薄っぺらい感想しか出てこない。
「ーー俺がこう思うのは、俺がまだホンモノの戦争ってヤツを経験したがないからかもしれないけど……なんで戦争なんかするんだろうなぁ……? ここにいる人たちは眼の色なんか関係なく、みんな仲良くしてるじゃないすか。ここの人たちにできて他の人にできねーなんて道理は無ぇハズなのに……」
「……そうだな。その通りだ」
ブロシェさんは俺の子供じみた問にも、真摯に答えてくれる。
「ーーハペネ様が以前、こんなことをおっしゃっていた」
「この世に同じヒトは1人として存在しない。だがどんなヒトもすべからく、幸福を得るために生きている」
「ヒトがヒトと仲良くする、というのは、互いの幸福の尺度を一致させることだ。自分は何をすれば、どうなれば幸せになれるのか。その答えが収束したところに集まった者たちの間でのみ、『絆』は生まれる」
「つまり、世界から争いを無くす……世界を平和にするというのは、世界中に生きる人類1人残らずに対し、まったく同じ形の幸福を強要する、ということだ」
「だがそれは、人々から幸福追求の自由を奪うことになる。人類の平和を謳うことはすなわち、人類史開闢以来人類が何よりも求めてやまなかった自由を、否定することと同義なのだ」
「ーーゆえに……平和など所詮、絵空事だ。少なくとも、ヒトがヒトらしく生きているうちは……」
「…………とな」
「……で、でも"ヒトらしい生き方"を捨てちまったら、ヒトとして生きていく意味が無いだろ……?」
「その通り。皆それを理解しているから、争いは無くならないのさ」
ブロシェさんは最後まできっぱりと、そう言い切った。
……神のいたずらか、彼の話が終わった途端、俺の視界に1人のナガカ住人が入ってきた。
白い髪、白い肌、黒い瞳の女性。……混血児だ。
「……俺、俺はさ」
「ん、なんだ?」
「俺は人間で……でも、憲征軍の兵士だ」
「ああ」
「でも……いるんだ。人間や、混血児の友だちが」
イユ。診療所のじっちゃん。フラムさん。
……みんなみんな、俺なんかにはもったいないくらいいい人たちだ。
「俺は……その人たちと戦いたくない。その人たちにとって大事な人も、傷つけたくない。……それは余計な考えなのかな。そう考えるのは……無駄なことなのかな……」
「違う」
ブロシェさんは即答した。
「理想だと分かりきってはいても、平和への模索をやめてはいけない。"平和を求めること"……それもまた、"ヒトらしい生き方"ではあるハズだからな」
相変わらず機嫌の悪い表情だが、彼の言葉には確かなぬくもりがあった。
「…………そか。そう…………だよな。はは。…………ありがとう、ブロシェさん」
「礼を言うことじゃない。お前のそれは、むしろヒトとしては1番大事なことさ。ハペネ様も同じような信念のもと、30年前にナガカを中立国として建国なさったんだ」
「へぇ……! あの人ただ国の代表ってだけじゃなくて、そもそもこの国をつくった人だったのか。すげぇなーーんッッ??」
再び疑問、爆誕。
その時俺の頭に浮かんだのは、どんなに高く見積もっても30代半ば程度にしか見えない外見をしたハペネさんの姿である。
「…………ちょっと待ってくれブロシェさん」
「なんだ?」
「さ、30年前? この国、30年前にできたの? そんでつくったのはハペネさんなの?」
「? ああ、そう言ったろう?」
「いや、ちょ……え? あのさ……ハペネさんって、歳いくつーーむぐ!?」
そこまで聞きかけたところで、突然ブロシェさんが両手で俺の口をがばりと押さえた。
「言うな……ッ!! このハナシは終わりだ……!! その質問を言いきってしまえばお前は腕を治すどころか、死ぬよりもひどい目に遭うことになるぞ……ッ!!」
……ブロシェさんは今の今までの仏頂面がウソまたいに顔中に冷や汗をダラダラと垂らし、必死の形相でそう語った。
「ふぁ、ふぁい……」
俺もそんな切羽詰まられては大人しくするしかなかった。
ハペネさん……あの人何者なんだ?
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