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第138話 御命巫女(みことのみこ)




 俺とユリン、そしてシフィナは、ナガカの使いを名乗った笠の男によって、ナガカ領内へと連れていかれた。

 意識を失っていたユリンとシフィナは笠男(かさおとこ)の部下たちに担架で運ばれ、俺は彼の肩を借りて歩いて行く。

 

「あ、あんた…………なんで…………俺たちのことを…………」


 道中、俺は彼に聞いてみた。彼がグドナルに言った内容から察するに、コイツは俺たちがここに来ることを知っていたのだ。

 ユリンたちが予め連絡していたのか? しかしそれでは、偶然合流しただけの俺のことまで把握されているのはおかしい。


「知っていたのは俺ではない。俺の主人(あるじ)だ」


主人(あるじ)だと…………?」


「そうだ。俺はあの方の命を受け、お前たちを迎えに来ただけだ。これ以上〈剛卿(ごうきょう)〉との闘いを続けられては、我々の土地が荒らされるばかりなのでな。ーーさぁ、着いたぞ」


 笠の男がそう言ったので、俺は顔を上げてみた。



 ーー美しかった。

 そこには、ルネサンス絵画の中に飛び込んだと思わされるほどの、神秘的な景色が広がっていた。


 絵の具を垂らしたような(あで)やかな青空に、絶妙なアクセントとしてそこに浮かぶ白雲。

 土地には木製の小さな家々がまばらに建ち、のこりの面積は畑や田んぼで埋め尽くされている。黄金色に育ちきった稲がそよ風に揺られ、サワサワと身を鳴らしている。


 (くわ)や籠を担いだ人々がちらほらと見える。皆笑顔で談笑中だ。

 尻尾が9本もあるリスみたいな小動物が木の上に見える。赤い果物を両手で持ち、ほっぺたをパンパンにしてそれにがっついている。


 ……静かだ。無音ではなく、静かなのだ。自然が奏でる音を、ひとつ残らず聞き取れる。骨が丸見えになっている左腕の痛みをしばらく忘れてしまう。それほど心地の良い空間だった。



「ここが…………ナガカ…………か…………?」


「ああ。我らの愛する故郷(ふるさと)だ」


 俺に肩を貸す笠男の声は、心なしか得意げだ。


 そりゃ自慢したくもなる。俺だって、もし天国というものがあるのなら、こういうところであってほしい。

 まだ土地に足を踏み入れたばかりだが、俺の心には溢れんばかりの多幸感・高揚感とーー



『……イユにも……見せてやりたいなぁ……』



 今はもう遠き()の地で別れた、友だちの顔が浮かんだ。




 やがて俺たちはひとつの建物に連れてこられた。

 他のこじんまりとした家々とは明らかにサイズが違う、立派な和風の屋敷だった。ただし造り自体は質素であり、壁や屋根も黒色で染められただけの地味なものだった。


 入り口の引き戸をカラカラと開け、担架に乗せられたユリンたちと俺は屋敷内に。案内されるがままに縁側廊下を進むと、ひとつの部屋に辿り着いた。

 

「ハペネ様。客人をお連れいたしました」


 笠の男が床に片膝をつきながら、(ふすま)越しに部屋の中に向かって話しかける。


「お通ししなさい」


「は、失礼いたします」


 返事はすぐにきた。女の人の声だ。

 許可を得た笠男は襖を開け、俺たちを中に入れた。



 部屋の中には、やはり1人の女性がいた。

 顔立ちの年齢は30代半ばあたりか。傘の男と同じような白い和服を身に纏い、膝の裏まで伸びていそうな長い黒髪の女性だ。瞳の色もまた黒。……人間、である。左眼の眼元(めもと)に赤色の民族化粧のようなものをしており、口元には色っぽいホクロがある。

 

「みんなご苦労様。あなたたち、下がっていいわよ」


 畳張りのこの部屋の中央に座布団を敷いて座っていたこの女性は、俺たちを連れてきた部下たちにそう指示した。部下どもはいなくなり、部屋に残ったのはその女性と俺、床に置かれた担架の上で気を失っているユリンとシフィナ、そして笠の男だけだった。

 察するに、どうやらこの女性が笠男の主人らしい。なるほど納得だ。声の鋭さといい雰囲気といい、美人だがなかなか厳しそうな人でーー



「こんな遠いところまでよく来たわね〜! 初めまして! 私、領主のハペネといいます! よろしく〜♪」

 


 ……ん。


「ささ、疲れてるでしょう? 今お茶を用意するからね!」


 ん?


「お菓子は何がいい? おまんじゅう? おせんべい? やっぱり最中(もなか)かしら? あ、やーね私ったら、全部出せばいいのにねぇ〜!」


 んッ??


 

 ……前言、撤回。


 ハペネ、という名前らしいこの女性は、急にパッと明るい笑顔を見せながら堰を切ったように喋り出した。

 自らせかせかと動き回り、お湯を沸かしたりお菓子の入った籠をひっくり返したり。……亡くなったばぁちゃんを思い出してしまう。


 いや待て! それどころじゃない。この人何考えてやがるんだ。今の俺たちに、茶なんて飲む余裕があるように見えるのか!? 


「あ、あの〜……その前に、病院まで案内してもらえませんかね……? 今の俺ら、見ての通りボロボロなんで……」


 なんで言われなきゃ分かんねーんだ。呆れたヒトだ。ユリンとシフィナなんて血だらけで気絶してんだぞ。


 ……なんて俺は考えていたのだが、次にハペネの口から出たのは信じられない言葉だった。



「え? 大丈夫よー? ()()()()()()()



「は?」


 なおした? ……何が?


「あ、一応左手、動かしてみてね。違和感があったらすぐ言うのよ」


 左手……!? 動かす、って……。


 俺は言われるがまま、自分の左手に眼を向けた。


「!? な、なにッ!?」


 

 ーー治っていた。

 肉がバナナの皮みてーに剥け上がっていたはずの俺の左腕が、綺麗にもとの形に戻っていたのだ。指や肘を曲げてみるが、痛みも何もない。



 さらに気づく。腕だけではないことに。

 義勇隊兵士やグドナル・ドルナドルにやられた身体中の傷が、全て、ひとつ残らず癒えていた。痕すらも残さずに。


『……バカな……!! この人がやったのか!? いつ!? どうやって!?』


 俺はおそるおそるハペネに視線を移すが、彼女はただニコニコ笑うだけ。……それがかえって不気味に感じてしまう。

 そして、この謎の回復現象に晒されたのは俺だけではなかった。


「う…………」


「!! ユリン、シフィナ!!」


 担架の上で眠っていた2人が眼を覚ました。

 しかも、コイツらも俺と同じだ。身体の傷がさっぱりと消えてしまっていた。ユリンは千切れた右腕が元通りくっつき、シフィナもカチ割られた頭や殴り裂かれた頰肉、ひしゃげていた左腕が何事もなかったかのように健常へと戻っていたのだ。


「おい、大丈夫かお前ら!! 俺が分かるか!?」


「ユウ…………さん?」


「…………なによ…………ここどこ? どうなってるのよ…………?」


「あ、あれ……ッ!? 私の右腕……!?」


「……痛みがない。……なんで? !! あの……あの脳筋達磨野郎は!? どこ!?」


 当然、2人ともひどく混乱し、口々に騒ぎ出す。

 そこにひとつ、パンッ、と拍手が鳴った。ハペネが手を叩いたのだ。それを合図にするように、ユリンもシフィナもぴたりと黙る。


「さ! みんな起きたので、改めて!」


 もてなしの準備に動き回っていたハペネが、再び座布団に正座する。いつのまにか俺たち3人の前には、1杯ずつのお茶と大量のお菓子が置かれていた。

 ハペネが、その黒曜石のような瞳をこちらへ真っ直ぐに向ける。


「ユウヤ・ナモセくんに、ユリン・ユランフルグちゃん。それからシフィナ・ソニラちゃんね? ゆっくり休みながらでいいから、ご用を聞かせていただけるかしら♪」


 相変わらずこの人は、朗らかな笑顔を絶やさなかった。




 ーーナガカの(おさ)、ハペネ。

 人は彼女を、「御命巫女(みことのみこ)」と呼ぶ。



 

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