第128話 ナガカ目前での大トラブル
「ーーリン! ユーリーン〜!」
「…………はッ!? あ……なに? シーナ……」
ヒニケ地区より遥か遠く離れた、とある非占有地帯にて。
街道のど真ん中で呆けてしまっていたユリンは、親友シフィナ・ソニラの声で我に帰る。
「なに? じゃないわよ。どうしたの急にボーッとしちゃって。大丈夫?」
「う……ううん何でもない。平気」
「……きっと疲れてるのね。今日はこの街で1泊していきましょう。いい寝床を見つけなきゃね」
シフィナはそう提案しながら街をキョロキョロと見回す。
ヒニケを発ってすでに10日近くが経過。スーフェンの猛毒に侵された人々を救うべく旅立った彼女らは、いよいよナガカに近づきつつあった。
今いるここは非占有地帯……なのだが、彼女たち2人の周りにいる道行く人々は皆、"人間"である。非占有地帯と言ってもそれは言葉通り公帝・憲征両軍の占領下にない国というだけであり、人間と猊人が共存しているという意味ではない。つまりここは、公帝領とは別の人間の自治国家なのだ。
当然、人間の土地である以上、猊人や混血児への差別意識はそこら中に蔓延っている。現に今のユリンとシフィナは各々頭巾を深く被ることで、自分たちの"眼"を周囲に晒さないようにしていた。
もしバレればエラいことだ。迫害されることそのものもだが、何より今の彼女らにはそんなトラブルを許すだけの時間が無いのだ。
「!! い、いや大丈夫だって! 疲れてなんかないよ! こんなところで時間を食ってる余裕はないでしょ!? 一刻も早くナガカに行って、血清を作ってもらわなきゃいけないんだから!」
「そりゃそうだけど……ホントに平気?」
「平気平気! ……それに……疲れてるのはむしろシーナでしょ。ここまでずっと『呑霆』の術を全開にして走り続けて来たんだから。しかも私をおんぶしながら……」
「あたし? ジョーダンじゃないわ。あたしが疲れるのは、ジェスのお守りをする時だけよ。あたしの魔力とスタミナが無尽蔵なのは、あなたが1番知ってるでしょ」
シフィナは頭巾で眼元が隠れていても分かるほどに明るく、親友に向けて笑いかける。
「たかだか数百キロ程度の全力疾走なんて、あたしにしてみれば早朝のお目覚めランニングと大して変わんないわ。それにユリンは羽より軽いもの。あなたなら10000人抱えてたってかっ飛ばせるわよ」
「シーナ……」
その心強い言葉に、親友と同じように笑顔を見せるユリン。そして彼女は自身の両頬をパンッと叩き、気合を入れ直した。
「ーーよしッ! 心配かけてごめんね。私は本当に大丈夫。だからナガカまでもう少し……頑張ってくれる?」
「帰りも、でしょ? まかせて!」
再び旅路に戻る2人。……一方、彼女たちと同じ場所を目指すあの男はどうしているかというとーー
「ーーぜえッ、ぜえッ、はひぃ〜……ッ」
目も当てられないほどにボロッボロであった。もっとも彼……菜藻瀬雄弥に関してはいつものことなのだが。
マヨシー地区を発ってからすでに1ヶ月以上。
ここまで走り、歩き、汽車に乗り。山越え、谷越え、海を越え。猛獣に追われ、道に迷い、"暴行賊"に絡まれて。
呼吸は切れ切れ、眼はぐるぐる。頬は痩せこけ、身体はどこも泥だらけ。着ている服や診療所のおじいさんにもらったリュックもあっちこっち擦り切れてしまっていた。
しかしようやく、その苦労は報われた。
「ど、どうだ……!! 前の街から4日も歩いたんだぞ……!! いい加減……ーーうぉおおおおおおお!? や、やったぜぇ!! ナガカまであと2キロもねーぞ!!」
ドス黒いクマをこしらえた眼で地図との睨めっこを終えた菜藻瀬雄弥は目的の場所にもうすぐ手が届くことを知り、拳を握り締めて歓喜のガッツポーズを決める。
現在彼がいるここは、3〜5メートルほどの高さの木々がぎゅうぎゅうに乱立する密林であった。
360°全方角で同じ景色が広がる空間。なんの用意も無しに入り込めば死を待つのみだろうが、今回の雄弥に限ってはそうはならない。彼はすっかりくたびれたリュックから小さな方位磁石を取り出す。
「さってと〜♪ 迷ったらシャレになんねーし、ここらでもう1回方角を確認しとくかぁ。しかしこんなモンまでリュックに入れといてくれて……じっちゃんにはマジで感謝だな」
マヨシー地区で出会った恩人たちの顔を思い浮かべながら、彼は地面に広げた地図と方位磁石の針の向きを合わせ始める。
……その時。
彼めがけて、どこからかひとつの光弾が飛来した。
「!? なんーーぐぁあああッ!!」
幸い光弾は雄弥の身体には当たらず、彼の眼の前の地面に命中する。しかしその余波までは避けられるワケもなく、雄弥は抉られた地盤の破片ともに吹き飛ばされ、後方にあった木の幹に背中から激突してしまう。
「ごは……ッ!! げ……ッほげほッ。な……なんだ……!!」
脊髄にはしる激痛で呼吸を乱しながら、彼は光弾が飛んできた方向に視線を向ける。
「ーーオイオイオイオイ……ここに客が来るなんていつ以来だァ……!?」
そこにいたのは1人の男。黒髪黒眼、"人間"の男性である。
ギョロリとした両の眼、分厚い唇、サザデーよりもさらに黒々とした肌に、ずらりと生え揃ったセミロングのドレッドヘアー。……そして袖の無い上着からは、太さは並だがしなやかでバネのある筋肉に包まれた腕が覗いていた。
その美しく黒光りする逞しい腕、荒々しいイメージが先行する頭髪。誰もが眼を離せなくなるであろうほどにインパクトの強い男である。
が、突然の奇襲を受けた雄弥にとっては彼よりも、彼と同時に視界に入ったモノの方が衝撃だった。それは先ほどの光弾の余波により黒焦げになってしまった、地図と方位磁石である。
「あー!! 地図が!! コンパスが!! てめぇ誰だ!! 何しやがんだ!! 大事な貰いモノを!!」
「オメーこそここで何してやがんだ、あんちゃん? この先にはナガカとの国境しか無ぇが……どこに行くおつもりでェ?」
「いやそこだよ!! そのナガカに行こうとしてんの、俺は!! なんか文句あんのかよ!?」
「おおありだなァ。こんな森ン中からコソコソ行かれちゃあ困るんだよ。ちゃーんと検問所で越境許可証を見せてから通ってもらわねぇと」
「!? え、越境許可証……!?」
「……おやおやァ……? まさか持ってねぇなんてことはないよなァ?」
無論彼がそんなモンを持ってるはずがない。雄弥はたちまち、額にぶわりと汗を浮かべる。
「ぐ……っていやいやいや!! こっちの質問に答えろや!! てめーら誰だ!! いきなり人に攻撃仕掛けといてごめんなさいの一言も無しかよッ!! なんの権利があってこんなことしやがんだ!!」
「ハナシを逸らすんじゃねぇよォ。"なんの権利があって"、だァ? てめぇ見たところ左眼が潰れてるらしいが、どうやら右眼の方も使いモンになってねぇようだな。この服見て分かんねぇのかァ?」
男はそう言いながら自身の服の腰元をバンバン叩く。
……白い。彼の服は白かった。彼の肌の色とは対照的に、上着もズボンも真っ白だった。
そして詰襟に、胸から腹にかけて縦1列に並ぶ5つの銀ボタン。その服はーー
「!! てめぇ……公帝軍か……!?」
雄弥がマヨシー地区やここに来るまでに散々見かけた、公帝軍兵士の制服であった。
ただしこの男の制服は正式な物とは形がだいぶ異なっていた。
袖を肩口からバッサリ切り落として腕の全面を露出させ、上着の裾は通常より長く膝丈まである。おまけに上着のボタンはぜーんぶ外しており、ついでに中のカッターシャツも裾をズボンにしまっていない。なんともだらしのないそのカッコは言うなれば、昭和のツッパリ学生そのものである。
こんなムチャクチャな加工と着崩し方では、雄弥が初見で気づかないのも無理はあるまい。
「そーいうこった。これはナガカ国境警備を任された俺たちの、立派なお仕事なのさ」
「あ? "俺たち"……!?」
雄弥が男の言葉に引っかかるのも束の間、風も無いのに周囲の草木がざわりと揺れる。やがてそこら中の木々の影という影から、大勢の公帝軍兵士たちがわらわらとその姿を現した。
『!? こ、コイツらいつからいたんだ……!!』
揃いも揃ってニヤニヤとした薄笑いを浮かべている兵士たち。その数は有に50を超えている。
おまけに全員ドレッドヘアーの男と同様に、不良アピール全開の加工を施した制服を着ている。見渡す限りの長ラン、短ラン、ボンタン、裸学ラン……。現代日本人が見れば、時代錯誤だと鼻で笑うことだろう。
ただし今の雄弥には全然笑える状況ではない。彼はその不良兵士たちにより、完全に包囲されてしまっているのだ。
「今度はちゃあんと見えてるな? 逃げ場なんか無ぇからな? さぁ……許可証を見せてもらおうか」
「…………持って…………ねぇ…………」
「おおん? いやいやそりゃあ困るぜ、お客さぁん」
歯切れの悪い返答を煽り散らかすドレッドヘアーの男。
雄弥は改めてチラチラと周りを確認する。もとよりぎゅうぎゅうに立ち並ぶ木々と、その隙間を余すことなく埋めている不良兵士たち。その包囲に穴は無かった。
『ここまで来て捕まってたまるかってんだ……! 一か八か、飛んで逃げるしかねぇ……!』
結果彼は、両足からの『波動』放出での飛行による脱出を試みることにした。不審に思われないよう少しずつ両脚に力を込め、上体を下げて構えを作る。
だが結局彼は飛ばなかった。なぜか? ドレッドヘアーの男が、まさに今魔力を解放しようかとしていた彼に向けてこんなことを言いだしたからだ。
「本来ならオメーみてぇなヤツは問答無用でしょっぴかなきゃならねーんだが……俺たちゃ優しいんでな。ひとつチャンスをやろう」
「! チャンスだと……?」
「最初にも言ったがよォ、ここに人が来るなんて久しぶりだ。ここでの仕事はとにかくヒマでしょーがなくてな……毎日とぉ〜っても退屈してるのさ。俺たち"ドルナドル義勇隊"ともあろうヤツらが……」
「へへ、本国で問題起こしすぎたせいでこんな僻地にトばされちまったんだけどな!」
「戦争も無ぇしよォ、このままじゃ腕がなまっちまうぜ……」
「俺ぁんなことよりかーちゃんに会いてぇよ。もうまる1年連絡取れてねぇんだぜ?」
ドレッドヘアーの男に続くように、周りの兵士たちも口々に文句を吐く。
「だ、だからなんだよ」
意図を掴めず戸惑う雄弥に対して次に男の口から出た提案は、信じられないものだった。
「ーー俺たちと戦え。楽しませるんだ。オメーの手で、俺たちを……!」
「なに……!? た、戦う……!?」
「そうだ。でも心配すんな。何もここにいる全員でオメーをフクロにしようってワケじゃねぇ。俺たちの中から戦うのは3人だけだ。おまけに勝負は1対1。それを3回繰り返すってだけさ。3人全てを倒せればオメーの勝ち。喜んでここを通してやる……」
雄弥は頭の中に天秤を用意。選択肢は逃げるか、戦うか。それらのリスクとリターンを天秤の両皿に次々と乗せ、計っていく。
『コンディションは最悪……。でも逃げれば、それこそコイツら全員を一斉に敵に回すハメになるか……。……他に方法は無ぇ……!』
考えること20秒。彼は腹を括った。
「…………3人、だな…………?」
「ああ」
「そいつらみんなブッ倒せば、ホントにここを通してくれるんだな……!?」
「ああ〜……」
「いいぜ……!! その勝負受けてやるッ!!」
ボロ布と化したパーカーを捨てる。それは、雄弥が戦闘態勢に入る際のいつものルーティン。
「いい〜ねえェ……そうこなくっちゃあよォ……!!」
ドレッドヘアーの男が率いる公帝軍兵士たちは、そんな構えを作る彼に向けて嘲笑を放った。
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