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第122話 小さなヒーローたち⑪ -継闇-




 黒雲が晴れ、爽やかな青空が再び顔を見せ出した時。2()()の男が走っていた。

 1人は、桜色の長髪をなびかせる背の高い男……アルバノ・ルナハンドロである。


 彼は建造物の屋根の上を、眼にもとまらぬ速さで駆ける。屋根から屋根へと飛び移る。それも音もなく、空気すら揺らさず。枝から舞い散る花弁よりも軽やかな、優雅な走りだ。

 そして尚更見事なのは、彼が右脇に人を抱えた状態でその芸当をやってのけているということだった。


「ちょ、オッサン! もーちょっとゆっくりはしってよ! カラダがいたいんだよ〜!」


 彼に抱えられているその人とは、リュウ・ウリムである。

 ニビル戦での全身の傷や火傷には丁寧な応急処置が施されており、その身体は包帯やガーゼで埋め尽くされていた。


「ガマンしなさい。男の子だろう?」

 

 アルバノは苦情を垂れる少年を優しくなだめる。

 ……しかしその表情は、リュウからはよく見えない。


「それにほら、もうすぐ着くから。あそこに()()()()()もいるはずだ」


「ほ、ホントか!? ならいいや! もっといそいでくれ! エミィたちがしんぱいなんだ!」


「ああ……トばすぞ」


 視界の先に、焼け焦げた廃墟となった駅の建物を捉えたアルバノは、少年の望みに応じてスピードをさらに上げる。

 


 そして一方のもう1人は、白いカッターシャツと黒のスラックスを身につけた、エメラルドグリーンの瞳が特徴の男。……()()()()()()()()()()()である。


 彼はヴァルデノンの街道を疾風の如く駆けている。

 しかしその走り方は打って変わってひどく力んでおり、軽やかさとは無縁の有り様だ。それは彼の心中がひどいざわめきで溢れていることの何よりの証明だった。


『さっきの力の気配はこの先……駅の方からだった……!! だがまさか……まさかそんなことが……!! いやない!! あるはずがない!! あれがエミィちゃんのもののはずが……!! とにかく急がなければ!!』


 まるで、自身の中でどんどんと巨大化しつつある不安感を振り切ろうとするように、彼もまたさらに脚を速めるのだった。


 




 ……一筋の明かりも無い真っ暗闇。エミィ・アンダーアレンはここにただ1人膝を抱えて座り込んでいた。

 何も見えず、何も感じず、前後左右も上下すらも分からない空間。ここに来てからどれだけの時間が経ったのかもハッキリしない。


「……私……どうしたんだろう。ここで何をして……るんだろう……」


 無限の闇によって意識を朦朧とさせるエミィにできるのは、そんなうわごとを繰り返すことのみ。


 だがそんな孤独の沼で溺れていた彼女に対し、ついに救いの手が現れた。



 ーー見せてもらったよ、キミの力。



 声である。人の声である。男か女かも判別できない高めの声だ。

 全ての感覚を喪失させる闇の中で、エミィは自身の聴覚だけは確実に機能していることを認識する。


「……なに? だぁれ?」


 エミィは膝にうずめていた顔を恐る恐る上げ、その声に反応する。


 ーー小さな身体でよく頑張ったね。さすがはボクの娘だ。期待以上だったよ……。


 声はエミィの問いには全く答えず勝手に喋り続ける。


「む……すめ? 違うよ……? 私のおとうさんと、おかあさんは……」


 ーー……そうだね。ボクはキミの親ではない。だがキミはボクの……大事な大事な子供の1人だ。


「な、なにを……言ってるの……!?」


 ーー我が子が傷つくところなど見たくないが、もうキミしかいないんだ。キミを……キミの力を信じるしか、ないんだよ。()()()世界を守るために。


 ーー不甲斐無いボクを許しておくれ。だが頼む……その力でどうか、どうかあの男を。




 菜藻瀬(なもせ)雄弥(ゆうや)を、殺してくれ……






「ーーミィ!! エミィ!! おい、エミィってばーッ!!」


 傷ついた建物、瓦礫が敷き詰まった地面、そこら中にたちこめる焦げ臭さと灰色の煙。

 その荒地の中心に仰向けで倒れていたエミィは頭上から降り注ぐドデカい呼び声に、(まぶた)をゆっくりと開いていく。


「…………う? リュウ…………くん?」 


 光に晒される眼球面積が広がるにつれ、視覚情報も鮮明になる。そんな彼女が見たのは、自身の顔を心配そうに覗き込んでいる包帯まみれの1人の男の子。


「!! りゅ……リュウくんッ!?」


 それが大切な友達の顔だということに気づいたエミィは眼中のぼやけを消し飛ばし、がばりと上体を起こした。


「よ……よかった……!! 無事だったんだね……ッ!!」


「あったりまえだ、オレはつよいんだぜ! オマエこそビビらせんなよ! しんじゃったかとおもったぞ!」


「!! …………で、も…………メリッサさんは…………死んじゃって…………」


 か細い声で語るエミィ。が、リュウは彼女のその雰囲気とはまったく噛み合わない怪訝な顔をして首をかしげる。


「へえ? なーにいってんだオマエ?」


「死んだのッ!! メリッサさんは、死んだんだよッ!! 私……守れなかった……!! 何も、できなかった……!! 何も……ッ!!」


 桃色の瞳を涙に沈めながら激昂するエミィに、リュウはますます困惑する。


 ……その理由はすぐに分かった。



「あ、あの〜……? 大丈夫だよ〜? 私ならここだよ〜……?」



 リュウの背後から、ちょっぴり気まずそーにメリッサ・デノムが顔を出したのだ。


「!? め…………め、メ…………ッ!?」


 彼女と眼を合わせたエミィは、呼吸を忘れた。


 見つめる、メリッサを。皮膚を貫通して内臓まで見透かさんばかりに。

 結果は、本物。アルバノに化けたアドソンのような違和感も全く無い。間違いなく、彼女はメリッサだった。


 ……それさえ分かれば、緩むのは早かった。


「……う、あ……うあああぁあああんッ!! メリッサさぁあああん!!」


「うわわッ!」


 人目もはばからず号泣しながら、少女はメリッサの胸に飛び込んだ。


「な、なんで〜!! なんでーッ!! な、なんでか分かんないけど……よ、よかったよ〜ッ!!」


「? ? ? そ、そうね。よかったわみんな無事で……」


 泣き喚く彼女を優しく抱きしめながらも、メリッサはリュウと同様の困惑を見せる。

 

 ーーまるで、自身の身に起こったことを何もかも忘れてしまったかのように。


「な、なんだよどーしたんだエミィ? そんなオーゲサな……」


「大袈裟じゃないもん!! だってメリッサさん頭を撃たれてーー……!?」


 そこでエミィはやっと気づく。メリッサが本物か偽物かというハナシとはまた別の、違う種類の違和感に。

 彼女が見たのは、メリッサの額である。


『……なんで? 傷が……無い!?』


 無かったのだ、彼女の額に。アドソンに撃たれた銃創が。額の右側に空いていたはずの風穴が、文字通り跡形も無くなっていた。


「へ? う……撃たれた? 私が……??」


「なーにいってんだ。アタマをうたれていきてられるワケねーじゃん。オマエはユメをみてたんだよ、きっと」


 やはりメリッサは覚えていないらしかった。


『な、なんで……どういうことなの……!? ……夢……!? リュウくんの言う通り夢だったの……!? だ、だとしてもどこから!? どこからが夢だったの……!?』


「!! そ、そういえばあの人……あのアドソンって人は!? どうしたの!? どこに行ったの!?」


 そこで彼女は思い出す。この状況下において、自身以外の唯一の当事者の存在を。これまで起きたことの全ての証人となり得る者のことを。


 しかしその期待はすぐに崩れることとなる。


「あど……? ーーん? ああ! あそこにころがってるテキのことか?」


 リュウが指を差すところに顔を向けたエミィの眼に飛び込んできたのは、これまた夢のような光景だった。



 少年の人差し指の先にあった"それ"は、ただの消し炭だった。黒以外の部分が1箇所も見当たらないただの炭の塊だ。

 じっくり、よぉ〜く眺めてようやく、それがヒトだと分かる。炭化した歯、眼球を失くしかっぽりと穴の空いた2つの眼窩(がんか)、むき出しになった鼻腔、手足と指など。ヒトの形がかろうじて残っている。


 そして、そのミイラのすぐそばに落ちているネクタイの切れ端。それが、この炭塊(たんかい)の身元がアドソン・バダックであることを示していた。



「……ど、どういう……こと、アレ……!? いったい……何があったの……!?」


 エミィの涙は状況のあまりの不可解さに、すでに引っ込んでしまっていた。


「分からないのよ……私もいつのまにか気絶してたみたいで、気がついた時にはもうこうなってたの……。何がどうなっているのか……」


「なんだよエミィもしらねーのか? だれがやったんだろーなぁ」


「リュウくんは、何か見てないの……?」


「なーんにも? オレもついさっきここにはこんでもらったばっかりだしな。オレがここにきたときにはもうこーなってたし、メリッサさんもおきてたぜ?」


「え? 運んでもらった……って?」


「えーとなんつったっけ……あそうそう、あの"あるばの"ってオッサンだよ。コージョーでねちゃってたオレのケガをてあてして、ここまでつれてきてくれたんだ〜」


「! お、おじちゃんが……?」


 その情報量のあまりの多さに、膨大なキャパを誇るエミィの脳すらパンクしかけた、その時ーー


「エミィちゃんッ!!」


 突然の強風と砂ぼこり。そして何百キロものスピードでぶっ飛ばしていた自動車のような急ブレーキ音。

 やがて(ほこり)が晴れたそこにいたのは、汗で髪やカッターシャツをずぶ濡れにしたアルバノだった。


「大丈夫かい!? 説明してくれ!! いったいこれは何があったというんだ!!」


 珍しく息を切らすアルバノは、地面に座り込む少女の肩を切羽詰まらせながら揺らす。


『……本物、だ……』


 エミィは先ほどのメリッサと同じ要領で、そのアルバノが今度こそ誰かの化けた姿ではないことを悟る。


「おいオッサン! エミィはつかれてんだからランボウするなよ!」


「はッ!? あ、す、すまない……」


 アルバノはリュウに諌められたことでようやく冷静さを取り戻し、少女の肩から手を離した。


「つーかオッサン、ずいぶんもどってくるのはやかったなー」


「は? もどってくる?」


「だってオレをここにつれてきてすぐに、"そうほんぶ"にかえるっていってはしってっちゃったのにさ。ホントあしはえーよなー」


「……あの、ボウヤ……なんのことだ? 連れてきた? 誰が?」


 ……雲行きが怪しい。

 それはさっきまでリュウとエミィの間で行われていたやり取りにそっくりである。違うのは、リュウの立場が逆になっていること……。


「へ? なーにいってんだ、オッサンだよ! アンタがオレをここまでつれてきてくれたんじゃん!」


 リュウは声を荒げるが、アルバノの表情は疑問符で埋め尽くされている。



「おい……何を言ってるのかサッパリだぞ。僕はまだオッサンなんて呼ばれる歳ではない。それに、僕はたった今初めてここに来たんだ。戻ってきたとはなんのことだ?」



 トドメの一言。

 それはまさに混沌の爆弾だった。 


「…………えッ? だ、だって…………あれぇ?」


 リュウは何が何だか分からず眼をグルグル回していき、最終的にアルバノとおんなじ顔になってしまう。彼らの会話を聞いていたメリッサもまた然り。


 

 しかしただ1人、エミィだけは気づいた。

 噛み合わない、個々の真実。だが彼女だけは、それらを結び合わせるかすかな糸を持っていた。


『ーー!! ま、まさか……!! アドソンって人と同じ……!? あの人と同じようにまた誰かが、アルバノおじちゃんに化けていた……ッ!?』



 ……事件は終わったはずだった。


 だが実際は何も終わってなどいない。闇を祓ったと思ったら、小さな影をつまんだだけだった。

 大きすぎる。闇が、あまりにも。何も見えない。その中に何がある。何が起きている。何が、起ころうとしている……?


『だ、誰が……!? いったい誰なの……!? アドソンの仲間……!? なんのために……!? なにが、誰が、何を、どれで、あれが、あの、これ、かれ、あーー』


 ぷつん。


「!! え、エミィッ!! エミィが倒れたーッ!!」


「おいエミィちゃん、しっかりしたまえ!!」


「エミィちゃん、エミィちゃん!!」


 思考回路がとうとう燃え尽きた女の子には、慌てふためく彼ら3人の声も聞こえなかった。






「ーーフ〜ン……♪ フンフンフンフ〜ン……♪ フ〜ンフフ〜ン……♪」


 現場から遠く離れた街。その裏道。

 人通りも皆無であるその薄暗い場所を、ご機嫌な鼻歌を鳴らしながら()()()()は歩く。


 やがて彼の身体を黒い光が包む。しばらくするとシルエットが変わり、光が晴れる。そこにアルバノはもういない。



 代わりに現れたのは女性。身長180弱にも及ぶ、背の高い大人の女性。

 腰まで伸ばした白い髪。枝毛だらけのモサモサの長髪である。前髪も長く、薄暗いここでは眼元がまるで見えない。

 均整の取れた抜群のスタイルをもち、紺色の上下一体型ライダースーツでそれを包んでいる。胸元のジッパーをへそが見える位置まで下ろしたその姿は、あまりにも扇情的だ。



 そんな彼女は、鼻歌を刻む。ライダースーツのヒールで石畳を叩き、リズムに乗る。その様はまるで子供のよう。

 そのまま女は消えていった。夕暮れを迎えつつある街の、闇の中へ……。




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