第120話 覚醒、激怒の開花
お茶の入ったカップが落下。床と激突し砕け、甲高い音を響かせる。
「!? か、閣下? 大丈夫ですか?」
憲征軍総本部の会議室。円形のテーブルと、それに沿って等間隔に並び座っている10数名の兵士たち。その内の1人である男性兵士が、カップを落とした者に声をかける。
落とし主は、同じ円テーブルの上座に座っていた。ポニーテールの黒髪と浅黒い肌が特徴の長身女性……サザデー・ネーダだ。
彼女は男性兵士の声にまるで反応しない。カップを持っていた右手と見開いた白い瞳をぴくぴくと震わせ、顔の血の気も失せている。その尋常ならざる様子に、会議に列席する他の兵士たちは声もあげれずオロオロするばかり。
『この頭痛……吐き気は……!! この気分の悪さは……!?』
「……なんだ……!! 誰だ……ッ!!」
余裕綽々が常だったはずの元帥閣下はそう吐きこぼし、シャンデリアがぶら下がる天井を睨みつけた。
ーーなんで。
お仕事で疲れてるのに、休みの日は1日中遊んでくれたおとうさん。
毎日寝る前に絵本を読んだり、お歌を歌ってくれたおかあさん。
……自分が狙われているのに、私たちの心配ばかりしていたメリッサさん。
悪魔ってなに、なんのこと。なんでそんなふうに言われなきゃならないの。なんで、殺されなきゃならないの。
孤児院に捕まったみんなも、ユウおにぃちゃんも、リュウくんも。なんで何もしてないのに、傷つけられなきゃならないの。なんであんな苦しい思いをさせられたの。
みんなが悪魔? 悪魔なの? ……悪魔?
ちがう、みんなじゃない。お前だ。あの人だ。
悪魔は、悪魔は……
「ーー悪魔は……お前だ。お前らだ……」
宙に浮かぶエミィ。その身体は、紅葉色にゆらゆらと輝く。
「お前らなんか……お前ら、なんか……ッ」
地響きが大きくなり、床に亀裂が入り出す。
青空が突如黒雲に覆われる。薄暗くなった宮都は雷鳴が轟き、稲光に包まれる。
「いなくなっちゃえぇえええーーーッ!!」
少女の怒りの叫び。
それに従うように、黒雲は無数の稲妻を放った。
全てを、アドソンに向けて……。
「な!? んぎがぁあぁああぁあァァァッ!!」
雷の大群は建物の屋根を突き破ってアドソン・バダックという一点に直撃。標的は皮膚を焦がされながら痙攣した絶叫をあげる。
「が……がわ……な、なに……なにが……おごぇえええええええええええ」
少しすると雷は止んだが、息つく間は無かった。
全身火傷まみれになったアドソンの口から、大量の虫が滝のように吐き出てきたのである。おぞましい……ゴキブリのような形と大きさをした虫が。
「び……ば……ばんばんがァァァァァァ!!」
口にとどまらない。鼻の穴から。眼球と眼窩の隙間から。さらに鼓膜をブチ破り、耳の穴から。キィキィと鳴く虫どもが這い出てくる。
やがて出てきた虫の数が目測1000匹を超えたとき、その虫たち全てが順々に爆発。アドソンの身体中の肉を手当たり次第にちぎり飛ばした。
「ぎゃあぁあああぁああああああッ!!」
油が弾けたような爆発音、それすらもかき消さんばかりの悲鳴。アドソンの左腕は肩口から粉々にされ、身体は穴だらけとなる。
「ぎ……ぎざ、ばァァァァァァーーーッ!!」
片脚に加えて片腕まで奪われた男は、潰れかけた眼球をひん剥かせながら怒り任せに突撃を敢行。エミィに襲いかかる。
しかしその魔手は全く届かなかった。
「おぎゅッ!? げ、ばあッ!! びじゃッ!! ばぁあああッ!!」
標的まであと1歩どころか3歩にも及ばないうちに、彼の身体が何発もの魔力光弾にめった撃ちにされたのである。
光弾ひとつひとつは野球ボール程度。だがその勢いはスコール雨にも勝る。
そんな光弾は全て、エミィから放たれていた。彼女の身体を分厚く包み込む、紅葉色の魔力から放たれていた。
アドソンの身体は光弾の激流によって押されていき、部屋の壁を、そしてその先の駅の壁すらも突き破り、建物の外へと叩き出される。彼がいたのは2階であったので、当然地面に落下する。石畳に、ぐしゃりと。
「…………へ…………へが…………ぱ…………」
すでに彼の身体の原型は無かった。下顎と腰から下までもが消失し、おまけに残った部分も爆発によるクレーターと火傷だらけ。壊れた人体模型と言われても信じそうな凄惨な有様だ。まだ生きているのが不思議であった。
石畳に仰向けで倒れる死にかけの彼の眼に映るのは、1人の少女。つい先程まで彼自身がいた駅の2階、その壊れた壁の穴からゆらりと姿を現した、空中に浮かぶ少女の姿だ。
短い手足、華奢な身体。そこにいるのは間違いなく、小さな幼い女の子。
されどその容貌、仁王の如し。
髪は突風に煽られているかのように逆立ち、両眼の間には深い溝がいくつも彫られている。
全身に纏う魔力はより大きく、より輝いていく。その逆光により少女の瞳は塗りつぶされ、白眼と見紛うようになる。
天候も変わらず。まるで彼女をたたえるかのように、雷が鳴り、突風が吹き荒れる。この異常事態に宮都ヴァルデノンにいる市民たちはたちまち騒ぎ出す。
現場近くにいる市民たちに限れば、その視線は当然、空中で煌めく少女に集まる。
……だがそうでなくとも、彼女の存在を感じ取っている人々がいた。
「こ、これは……!!」
キグンジョー地区のアルバノ。
「……なんだってんだ?」
ヒニケ地区のジェセリ。
「おいおい……ジョーダンだろォ?」
どこぞの山奥のゲネザー。
「強い……!! 何者だ……!?」
マヨシー地区のフラム。
「……ユリン、なにかしら」
「わからない……。でもこの気配……まさか……」
ナガカを目指す、シフィナとユリン。
そして。
「…………エミィ…………か…………!?」
同じくナガカを目指し公帝領の何処を歩いている、菜藻瀬雄弥。
彼らには聞こえていた。
エミィ・アンダーアレンという、新たなる強者の産声が……。
よろしければ、評価やブックマーク登録、感想等をお願いします〜。




