第119話 小さなヒーローたち⑨ -虐意-
「メリッサさん!! メリッサさんッ!!」
「…………ダメ…………エミィ、ちゃ…………逃げ…………」
床に倒れながらも少女に逃亡を促すメリッサと、彼女の腹の銃創を両手で押さえて止血しようとするエミィ。両者ともに必死だった。
「…………ん? なに、"エミィ"?」
一方、メリッサの口からこぼれた少女の本名に、アドソン・バダックは反応する。しばらく顔面蒼白の幼い女の子をじっと眺め何か考え込むような素振りをとるが、やがて声を上げて笑い出した。
「ーーは……ははははは! なるほど、"アンダーアレン"! お前か! バニラガンがお気に入りだとほざいていた小娘は! どうやら予感が当たったらしいな……!」
「!?」
ーーエミィの頭の中は真っ白に塗りつぶされる。
それは、彼女がこの世で最も忘れたい名前。死ぬまで思い出したくない記憶。
彼女は小さな首を錆びた歯車のように軋ませながら振り返り、アドソンと眼を合わせる。
「…………なんで…………あの、ひとの…………こと…………?」
そのまま痙攣する唇をなんとか制御し、問いかけた。
「なぁに……バニラガンもお前と同じだったのさ。お前はあの老人の飼い犬だったのだろうが、あの老人もまた、我々の飼い犬の1匹に過ぎなかったのだ」
「…………ど、どういうこと…………なに言ってるの…………ッ?」
「おっと……これから殺す相手に話すことでもないか。時間は無駄にできん」
自分から話を切り出した分際で、自身の口元でチッ、チッ、と人差し指を振るアドソン。エミィはそれに対し、弱々しく睨み返すことしかできない。
「こ……ここで、私たちを殺したって……無駄だよ……ッ! あなたは絶対捕まるよ……!」
「ふふ……心配には感謝しよう。だが問題は一切ない。私は何もしていないのだからな。走行中の車両を襲ったのも、ここでお前と駅員を殺したのも全て……そこに転がっている女の仕業だ」
アドソンはひゅうひゅうと呼吸を枯らしているメリッサを、指でさす。
「そして私は最初に現場に駆けつけた兵士として、女を……殺人鬼メリッサ・デノムを鎮圧した……。これが明日の新聞の見出しとなる。事実などどうでもいい。憲征軍対人治安部隊総隊長たるこの私が決めた筋書きのみが、他の者どもにとっての真実となる。最初の事件と同じように……」
「!! じゃ……じゃあ……最初の殺人事件をメリッサさんのせいにしたのも……ッ!?」
「できんさ……この私以外にはな」
……アドソン・バダック。彼の表情筋の動きは少ない。だが、彼は笑っていた。それはすぐに分かった。
なんと血生臭い眼つき、無神経な口角。誰が聞いてもその卑劣さに耳を塞いでしまいそうな話を、彼は淡々と、いっそ楽しそうに吐き捨てている。
その眼に見える冷酷さは、誰であろうと恐れ慄くだろう。わずか6歳あまりの幼子であるエミィからすれば尚更だ。
だがエミィは屈しない。身体をガタガタ震わせながらも、すでに涙をぼろぼろ流しながらも、その恐怖に屈しない。
「……そ……そんなのうまくいくわけない……! あなたは……あなたはアルバノおじちゃんに化けてここまで来た……! 駅員さんが言っていたように、おじちゃんは有名人だよ……! アルバノおじちゃんの姿をしたあなたが、この駅に入っていったことは必ず誰かに見られてる……! でもそれを本物のおじちゃんが知れば絶対怪しむよ……! おじちゃんなら必ずあなたを捕まえる……! できるわけない……逃げるなんて……!」
「ああそうだな、その通りだ。……ただし……」
薄笑いを浮かべるアドソンが、何か大きなものを手から落とした。
「その目撃者とやらが生きていれば、だがな」
ごとん、ごとん、と床に落ちたそれは……人の生首だった。
制帽を被った男性の生首が、3つ。ここの駅員である。しかもそれらは全て、つい先程までこの応接室にいた駅員たちの首だった。
「……………………ぁ……………………」
……壊れた。
当然、壊れた。少女の心は。
物言わぬ生首と眼を合わせてしまったその時から、彼女の口から人語は出なかった。聞こえてくるのは、上下の歯が小刻みにぶつかるガチガチという音だけだ。
「ここまで大それたことをするのだ。人の眼に気を遣わないはずがあるまい。もともとここに入るにも裏口を使ったのでな……おかげで犠牲はこれだけで済んだ。さぁ……お前もこの者たちの仲間入りを果たすのだ。喜ぶがいい。バニラガンに殺された両親に、この俺が会わせてやろう」
アドソンは片手で銃を構え、エミィの頭部に狙いをつける。
「……はッ……エ、ミィちゃん……逃げて……!!」
口から血を吐きながら尚も少女にそう叫ぶメリッサ。
だが、過呼吸を起こすエミィにはその声が届かない。自分の呼吸音と心臓の音で、周りの音が何も聞こえないのだ。……そして。
「逃げて……ッ!! エミーー」
バスッ。
「ぎ……ッ」
先に、メリッサの脳を銃弾が貫いた。
「…………め…………? …………メリッサ…………さん…………?」
我に帰ったエミィの視界に映ったのは、額の右側に穴を開けられ、瞳の光を失い倒れる彼女だった。
「しぶとい女だ。さっさと死ね」
白煙を漏らす銃を握るアドソンは顔色ひとつ変えずにそう吐き捨てている。
……エミィはそんな彼を、瞬きを忘れたむき出しの眼で見つめる。
なんで。
なんで。
なんでなんでなんで。
「……お、じさん……兵士……でしょ……?」
「ん? ああ」
「人を……人の命を助ける……守る……兵士でしょ……?」
「そうだが?」
「なんで……こんなひどいことするの……?」
それは少女の純粋な疑問だった。裏の意志を微塵も混じえない、好奇心の最果てで生まれた疑問であった。
だがアドソンはそれを聞いた途端眼元を引きつらせ、明らかに不快な表情を見せた。
「"ひどい"……? ……そう思うのか、この程度のことを。お前もそう思ってしまうのか。どれだけ賢くともやはりガキはガキだな」
そして応酬は起こった。
アドソンのその返答を聞いた瞬間、瞼のみならずエミィの瞳孔も一気に全開になる。
「ーー"この……程度"……?」
彼が発した言葉をうわごとのように反芻する。飲み込めない。賢いエミィでも理解できない……いや、理解を拒んでいるのだ。その発言の真意を。
しかし彼女のその様子に気づかないのか、アドソンは構わず弁舌を垂れる。
「だから私は殺すのだ。この程度のことを残酷だと考え、非難する者たちを。お前は……お前たちは、本当に許せないことが何かを分かっていない。許してはならないことが何かを、理解していない……! ……だから私は殺すのだ!! お前たちのような悪魔を!! 自分は潔白であると信じて疑わず、己の邪悪さから眼を背け続ける、本物の悪魔どもを!!」
「"こ、の……程度"? "悪魔"……??」
「人の命を守る兵士……その通りだ……!! だから私はその兵士の1人として、悪魔どもを1匹残らず抹殺してくれるのさ!! ジョンソン・フィディックス!! メリッサ・デノム!! エミィ・アンダーアレン!! お前たちのような悪魔をなッ!!」
話はここで終わった。アドソンは再び引き金を引き、発砲。銃弾はエミィの額の中央目掛けて飛んでいきーー
少女は、倒れた。
「……さて……あとはリュウとかいう男のガキか。クリストン1人に任せてはおれん。手早く始末しなければ」
任務精算まであと1歩まで迫ったアドソンは、ジャケットの内側……左脇のホルスターにするりと銃を納め、応接室を後にしようと足を動かす。
「全てはあの方のため……この腐世の、未来の」
がくんッ。
「ん」
…………が。
彼は歩けなかった。前に進めなかったのだ。
右脚の……膝から下の感覚が、突如として消えたのだ。彼は右脚側から崩れ落ち、室内の床にへたり込んでしまう。
「あ?」
なんと間抜けな声であるか。だが、それほど不可解な出来事なのだ。
彼は訳が分からず、自身の右脚の現状を確かめようとそこに視線を向ける。
無い。……無い。
アドソンの右脚の、膝から下が無かった。
切断ではない。だとしたら床に下腿部が転がっているはず。だが、それがどこにも見当たらないのだ。
これは……消滅だ。膝から下の部分が、チリも残さず抉り消されている。
「……………………は?」
今一度の間抜け声。認識不能を示すサイン。
彼は断面の痛みと大出血諸々含めて、何もかもが頭に入ってこなかった。自身の身に起きたこと、その現実そのものが。
まだだ。異変は続いた。
応接室内にある物が次々と、ゆっくり宙に浮き始めた。
花瓶、資料束、椅子、机。……死体と、生首。凝固しかけた血液も。
やがて地響きまでもが起き始める。柱が軋み、建物全体が悲鳴を上げ出す。そしてーー
「…………悪魔、は…………お前だ…………」
立った。
桃色の瞳を血走らせて真っ赤に染め、蒲公英色の髪をぞわぞわと逆立たせる、エミィ・アンダーアレンが……。
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