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第118話 小さなヒーローたち⑧ -黒幕-




「ぜえ……ぜえ……ぜえ……」


 アルコールが燃え尽き、火は消えた。残ったのは全身水ぶくれまみれで、息も絶え絶えの男の子。


 ガラスや何やらの破片が散らばり、荒れに荒れた工場内。1枚残らず割れた窓から、ひゅうひゅうと細い風が吹き込む。


「……も……もどらなきゃ……。ふたりの……ところ……へ……」


 文字通り身も心も黒焦げとなった幼い少年はついに気を失い、その静まり返った空間の真ん中でパタリと横になった。

 

 

 ……その直後。

 人影がひとつ、現れる。



 正体不明のその者はガラス片をちゃり、ちゃり、と踏みながら、倒れたリュウに歩み寄っていく。

 そして彼の眼の前までくると、その身体に向けてゆっくりと手を伸ばしたのだった。






『!! リュウくん……!?』


 一方、駅の応接室にて椅子に腰掛けていたエミィは、妙な予感を覚え勢いよくガタリと立ち上がる。


「! え、エミィちゃん……? どうかしたの?」


 彼女の不安で塗りたくられた顔を見て心配するメリッサ。しかしエミィは黙ったままだ。


 そしてメリッサが、もう1度声をかけようとしたときーー


「おーいお2人さん、迎えがきたぞー」


 応接室の戸を開け、1人の中年の駅員が入ってきた。


「迎え……ですか?」


 依然エミィは反応せず、メリッサが対応する。


「ああ、軍の人だよ。しっかしアンタら、本当に何モンだ? アンタらの身柄を引き取るだけで、あんな大物がわざわざ出てくるなんてよ」


「お、大物……?」


「アルバノ・ルナハンドロ! 憲征軍(けんせいぐん)のNo.3だよ!」


 その名を聞いた瞬間、エミィは一瞬のうちに我を取り戻した。


「いやーおったまげたな! すげぇキレーな人だ! 同じ男とは思えなーー」


「おじちゃん!? おじちゃんなの!?」


 駅員の話を遮り、息急き切って問いかけるエミィ。もはや彼女には欠片の余裕も無かったのだ。


「へッ!? あ、ああ? あの顔は新聞の写真で何度も見たし、身分証も確認したから間違いない。ーーあ、ほらちょうど来たぞ!」


 応接室の外を眺めながら駅員がそう言ったのと同時に、噂の男はエミィたちの前に姿を見せた。


 190を超える身長、線の細い中性的な顔立ち、きらめく薄紅色の長髪。いつものカッターシャツとスラックス。


「やあ、待たせたね」


 そして、少年のような瑞々しさを残しながらも圧倒的な存在感を秘めた声。間違いなく、アルバノ・ルナハンドロその人だった。


「お……おじちゃあああ〜ん!!」


 エミィはようやく来た助け舟に泣きじゃくり、彼の腰に向かって思いきり飛びついた。


「遅いよ〜ッ!! 何回電話しても出ないし……!! 大変だったんーー」



 どくん。



「いやいやすまなかった。行き違いが続いちゃってたみたいで……。対人治安部への通報があったと聞いて急いで来たんだ」



 どくん。


 どくん。



 ……エミィは感じていた。自身の心臓が突然暴れ出したのを。

 エミィは感じていた。抱きついたアルバノの腰の、妙な冷たさを。


「あなた、メリッサ・デノムさんですね?」


「え? は、はい……」


「ご無事でよかった。実は、あなたが疑われていた例の殺人事件、真犯人が見つかったんですよ」


「え!? ほ、本当ですか!?」


「ええ。ですからもう大丈夫です。あなたの身柄は改めてこの私が保護し、名誉の回復に努めるとお約束しましょう」


「あ……あ、ありがとう……ございます……ッ!!」


 遠い。声が遠い。聞き慣れたはずのアルバノの声が、ひどく遠い。メリッサとの会話もよく聞こえない。

 怖い。笑顔が、怖い。アルバノは厳格な人物だが、こんな笑い方はしない。こんな貼り付けたような笑顔を見せはしない。


 彼女は涙を引っ込め、恐る恐るアルバノの腰から離れる。


 そして。



「おじちゃん…………"アンナ"、おなか空いちゃった…………」


「ん? そうか。なら何か食べに行こうか。何がいい? なんでもご馳走してやるぞ、アンナ」



 それだけ。なんの変哲も無い、普通の会話である。……しかし。


「え……………………ッ?」


 それを聞いていたメリッサは、絶句せざるを得ない。

 

「? どうしました? デノムさん」


 ()()()()はそんな彼女に怪訝な顔を向けるだけ。


 ーー答えとしては、十分すぎた。


「……あ、あの……。名前、違いますよ……」


「はい?」


「いえ、だからその子の名前……。違いますよ?」


「!! ーー……」


 ()()()()の笑みが、一瞬だが確かに消え失せた。


「…………ああ。すみません、最近徹夜続きで疲れていたもので。やはり睡眠を削るのは良くないな。頭がボーッとして、人1人の名前すらまともに出てこない。これじゃ兵士失格ですねぇ」


 彼がそう弁明しながらこしらえ直した笑顔は、余計に作り物らしさの増した見るに耐えない代物だった。

 ……もう手遅れだ。


「…………なんで…………"アンナ"って呼んだの? 私のこと…………」


 エミィが次なる問いを投げかける。


「い、いやだから寝ぼけてたのさ……。それできみの言ったことに何も考えず乗っかっちゃったんだ。悪かったよ。人の名前を間違えるなんて失礼だよなぁ」


「違う……そうじゃない……。そうじゃなくて……ううん、そうだとしてもおかしいよ……」


「な……な、なにがさ!? やめてくれよ! 名前を間違えたくらいでそんな責められちゃあ叶わないな」


「じゃあ言って……私の名前。いつも呼んでるでしょ……?」


「あ〜……えっと……」


 ()()()()の口は、開いたまま止まってしまう。



「……"アンナ"っていうのは……ウソの名前。私が、私たちを襲ってきた人に教えた、ウソの名前だよ……。その名前を知っているのは、私たちを……メリッサさんを殺そうと狙っているあのおじさんだけのハズなのに……。なんで……なんでおじちゃんが、そのウソの名前を知ってるの? なんで何も引っかからないで、私をその名前で呼んだの……?」



 天井を見ながら沈黙する()()()()



「あなた……アルバノおじちゃんじゃない!! だれなの!?」


 

 少女の尋問が終わる。

 

 顔から血の気を失うメリッサ。

 何が何だか分からずに首を傾げる駅員。


 静まり返る、部屋の中。置き時計の秒針だけが鳴る。1回、2回、3回……。 


 ……10回。




「ーーなるほど。聞いていた通り賢いガキだ。……虫唾(むしず)が走る……!!」




 ()()()()の声が突如ガラリと変わる。

 高い低いなんてレベルの話ではない。別人の声。ひどく酒焼けした、全く別の声。


 ぷしゅッ。

 

「う…………ッ!?」


 そして次の瞬間、メリッサが鈍い呻き声をあげた。

 それに反応し慌てて振り返ったエミィの眼に入ったのは、腹部の中心に小さな風穴を開けられた彼女の姿であった。


「め……メリッサ……さん……?」


「…………あ…………ぐ…………」


 肩からドサリと倒れるメリッサ。腹部の穴から溢れ出た血で、床がどんどん赤く染まってゆく。


 ……()()()()の右手にはいつの間にか消音器が付いた拳銃が握られており、その銃口からはたった今発砲したことを示す濃い煙が出ていた。


「お、おいあんた!? 何をーーべわッ」


 彼はそのまま、事態についていけず動揺していた駅員をも、なんの躊躇いもなく脳天を撃ち抜き黙らせる。


「……まるで人の心でも読めるかのようだな、貴様の勘の良さは……。なぁ小娘よ。さて……私が誰か、だったな」


 そしてその台詞を合図とするかのように、()()()()の全身が"真っ黒な光"に包まれる。

 それは"アルバノ・ルナハンドロのシルエット"から、徐々に形を変えていく。背丈は縮み、肩幅や腕の長さ、顔の輪郭に至るまで。ぐにゃぐにゃと変形を進めていく。


 やがて形は整い、光が晴れた。


 そこにはもうアルバノなどいなかった。

 上下紺色のスーツを着こなし、茶色い頭髪をガチガチのオールバックに固めた、中肉中背の男。いたのはそのただ1人。


 彼の名はーー



「アドソン・バダックだ。よろしく。そしてさようなら……」

 



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