第116話 小さなヒーローたち⑦ -罪禍-
ツー、ツー、ツー、ツー
「切ら、れ……た……」
通話終了音を脈打つ受話器を抱えながら青ざめている少女……エミィ・アンダーアレン。彼女は身体を震わせながら、床にがくりとへたりこむ。
「お、おいお嬢ちゃん! しっかりしなさい!」
そばに立っていた制服の男ーー駅員の1人が慌てて彼女に駆け寄るが、エミィは瞬きすらも忘れて固まってしまっていた。
ここは、陸橋を抜けた先にある駅。その応接室だった。
汽車がここに着いたと同時にエミィは駅係員に車内で起こったことの全てを訴え、ただちに軍へと通報。
しかし一般兵に来られるのはマズい。そこで、先ほど自宅に電話して出なかったアルバノが総本部にいることに望みをかけたのだが……たった今それが、無情に断ち切られたのである。
「どうしよう……リュウくん……助けなきゃ……でもメリッサさんが……もし捕まったら……もし殺されたら……2人が……死ぬ……どうしよう……アルバノおじちゃん、なんで、出ないのぉ……ッ!」
動揺を極めた彼女はその小さな頭を抱えながら、こんな有様となっていた。
「ねぇ、お願いよ!! 子供が橋の下に落ちたんだってば!! 誰でもいいから助けに行ってくださいッ!!」
そしてもう1人の当人、メリッサ。
彼女もまた室内にいる駅員たちへの訴えを続けているが……
「い、いや〜しかしねぇ……時速数十キロで走行する列車に男が走って追いついてきただの、そいつが子供1人と取っ組み合いの末に2人揃って落下してっただの……どうも飲み込み難いハナシだ……」
駅員たちは全員首をひねりながら、若干引き気味に困惑しているだけであった。
「つーか仮に、仮にね? そのバケモンみたいな男とやらが本当にいるとして、アンタらはなんでソイツに狙われてるワケ?」
「え……そ、それは……」
当然の疑問。だがメリッサはこれに答えられない。
今でさえ半信半疑の反応しか返ってきていないのに、これまで起きたことの全てを打ち明けたところで到底信じてもらえるわけがない。
「ねぇ駅長……さっきから気になってたんすけど、この女の人、どっかで見たことないすか?」
加えて、ここで1番若い駅員がついに口を出す。1番気づかれてはいけないことに。
「うーんそういえば……なんなら今日の朝くらいに見たような気がするぞ……?」
「私もだなぁ。あれは確か朝刊〜……新聞の写真か……?」
「なーにお姉さん、アンタひょっとして有名人だったりするのか? ご職業は女優とか?」
「え、あ、う、その……」
ここで身元がバレたらそれこそ何もかもが御破算である。メリッサは口を濁し、駅員たちから目を逸らすことしかできない。
ろくに周囲の手も借りれず、肝心のアルバノは所在不明。
メリッサの素性が駅員に知られるのも時間の問題。
そして何よりリュウの安否。
最も彼はたかだか50メートル程度の高さから落ちた程度で死ぬようなタマではない。問題なのは、実力の底知れぬ襲撃者とともに橋下に消えてしまったこと。
あの男とまともにやり合えば、いかに彼といえど無事に済むはずがない。
「どうしよう……どうしたらいいの……ユウおにぃちゃん……ッ」
これまでたくましい振る舞いを見せてきたエミィはとうとう陥落。大きな桃色の瞳を涙でいっぱいにして、ほんの6歳の……1人の幼い女の子になってしまった。
ーーなぜだァァァッ!! なぜあの野郎が無罪なんだァ!! 妻と娘を轢き殺した男だぞォォッ!! 野郎は酒を飲んでいた!! 飲酒運転だ!! 兵士がそう言っていたんだァァァ!!
古びた酒造工場の中。天井高い空間に、壁や床やらを殴る鈍い音が響く。
ーー決まってんだろ……相手は上級議員だぜ? 裁判所にだっていくらでも口を出せるさ……。あの旦那さんには気の毒だが……結局世の中、権力が全てだな……。
「おおぉおおおおおぉぉーーーッ!!」
攻めるニビル。どろりとした魔力を纏わせた両手両脚に殺意を乗せ力の限りに叩きつける。何かを無理矢理振り払おうとしているような、声量高くも弱々しい雄叫びとともに。
ーー頼む……頼むよ先生……ッ!! 弁護をしてくれよ……!! 妻と娘が帰ってこないなんてのはわかってる!! ただ俺は、ヤツに正当な裁きを受けてほしいだけなんだよ……!! ああ待て、待ってくれ頼む!! 金ならなんとかする!! だから話……話を!!
『こ、コイツのこのドロドロしたモノ……!! なにかわかんないけど、さわったらヤバい……!!』
逃げるリュウ。ニビルが解放した術の恐ろしさを野生的な本能で察知し、彼の拳撃から、蹴りから、麻痺毒の効果も抜けきっていない身体を必死に動かして逃げ回る。
さすがの身体能力。まだここまで一撃ももらっていない。すかしたニビルの打撃は、壁や床を壊すだけ。
ーー何をしたんだ……ッ!! 妻が何をしたんだ!! 娘が何をしたッ!! 夕飯の買い物に行っていただけだッ!! なんで2人が死ななきゃ……殺されなきゃならねぇんだ……ッ!!
しかしニビルの手段は打撃のみにあらず。
間合いは取らない。彼は肉弾戦の距離のまま素早く拳銃を抜き、リュウの顔に向けて発砲する。
「うぎッ!?」
モロは避けたが、得体の知れない術打に気を取られていた中ではいくらリュウといえど反応が遅れた。
銃弾は彼の左まぶたをかすめ、やがて工場の隅にあった酒樽に命中。樽が砕け、中に入っていた酒に銃弾の火花が引火し、小規模にメラメラと火が上がる。
ーークソだ……。誰も彼もクソッタレだ……。……殺してやる……殺してやる……!! あの男を俺の手で……!! そしたら……俺も、2人のところに……
眼球スレスレの皮膚を抉り飛ばされたのだ。痛みによる思考の停止、出血による左視界の暗転。敵の眼前にて、ついに少年は無防備な姿を晒す。
……黒と白の、縦のボーダー。そんな奇抜な柄のローブに身を包んだ男の語り。
『憎悪という大いなる力……その使い方を間違えることは、何よりも愚かしい』
『いいか、そんなものではないのだ。貴様の中に宿る憎しみの力は、そんな腐った歯車ひとつを潰すためだけの力ではない。視野を広げろ。本質を見ろ。貴様は今、もっと大きなものを壊せる可能性を手にしているんだぞ』
『オレと共に来い、ニビル・クリストン』
『貴様の持つその可能性の塊……このオレに預けろ。より鋭利に研ぎ澄ましてくれよう。どうせやるなら酷く、凄惨に、殺してやろうではないか』
『今ここにある、あるべからず世界を……』
「おぐぅッ!!」
ニビルの右拳骨が少年の腹部に炸裂。
まだだ。さらに追い討ちの回し蹴りが、彼の側頭部を射抜いた。
「が……ッ!!」
胃を潰された上に大脳組織に破滅的な振動を与えられたリュウは蹴りの勢いで床に頭から叩きつけられ、仰向けになったまま動けなくなってしまった。
「が……ぐぅ……あぎ……ッ」
「まったく……つくづくとんでもねぇガキだ。今のを喰らってまだおねんねしねぇとはよ。…………ただ今は……そのバケモンっぷりが仇になったな……」
ニビルが、そんな哀に満ちた呟きとこぼしたのと同時だった。
彼の術打を受けたリュウの腹と右側頭部から、なにか……青緑色の苔のようなものがぶわぶわと生えだしたのだ。
「!? な……なん、だ……コレ……!?」
「カビさ」
「か、かび……!?」
「この術は……俺の魔力からカビを生成するのさ。1度でも触れれば奇生は完了。カビはお前の身体の体温、水分、養分をエサとしてあっという間に増殖する。やがてお前の身体は朽ち果て、粉々に散っていくんだ……」
「な……な、な……なんだって……!?」
動けぬまま奇怪な現象に晒される少年の顔に恐怖が滲み出し、そうしている間にも腹と頭のカビはどんどん皮膚表面の侵食範囲を拡大していく。
「……すまねぇな。だがもうお前をガキ扱いはできねぇ。俺もここで終わるわけにゃいかねぇんでな」
側頭部から、後頭部と顔面に。
腹部から、脇に、背中に、腰に肩にーー
「う……うわぁああああああーッ!!」
激痛。細胞ひとつひとつを丁寧に噛み潰されていくような、執拗な激痛。少年は脳へのダメージも忘れ、全身を掻きむしりながら暴れ回る。
……ニビルは無意識かニット帽を深く被り、視界を塞ぐ。
「……許せ。お前に罪は無ぇ。むしろリュウ、お前はとびきりいいヤツだ。それでも……犠牲は必要なんだ。それを選ぶことなんざできやしねぇんだよ……。ガキも、大人も、ジジイもババアも男も女も……誰だろうが殺すしかねぇのさ。1番に守るべきもののために……果たすべきことのために……」
「ーー……!?」
神経まで侵され始め、もう自分が誰なのかすらも忘れそうになった時。
永遠の闇に堕ちかけたリュウ・ウリムの意識は、ニビルのその言葉に対する強烈な違和感によって蘇生を果たす。
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