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第115話 小さなヒーローたち⑥ -回顧-




 落ちゆくニット帽の男、そしてリュウ。先に落ちているのは男のほう。


 ひゅうひゅう風を切り地面に、いや、ひとつの大きな建物の屋根に迫る。


「くッ!!」


 男は落下しながら足首に備え付けたホルスターから拳銃を取り出すと、その屋根に向けてマガジンが空になるまで実弾を連射した。

 屋根の弾を受けた部分は脆くなり、男の身体はそこを突き破って建物内に。同時に男はすかさず左手首から細いワイヤーを射出。建物内の高い天井に張り巡らされている鉄骨の1本に巻きつかせ、自身の身体を地面から4、5メートルの位置にぶら下げた。


 この建物は、どうやら工場。

 そこら中に山積みにされている木製の樽と、濃いアルコールの匂いから察するにーー


「……ふぅ……酒の製造工場か、ここは……? まったく焦らせやがっーー」


「だーーーッ!!」


「は!? ぐばぁああッ!?」


 が、激突を避けられて一息ついていた彼に、同じ天井穴から落下してきたリュウが急降下のキックを見舞った。

 顔面のど真ん中にコンクリートブロックの殴打にも勝る一撃を受けた男は結局地面に叩き落とされてしまったのである。

 

「ぶ……ぐぐ……ご……」


 落下地点にて鼻の両穴からびちゃびちゃと流血させながら悶える男。

 そして、男の前にズダンッと両足から着地するリュウ。彼のモコモコの前髪の隙間から覗くグレーの両眼には、釜茹でにされた怒りがグツグツと煮えたぎっていた。


「てめぇ……よくもエミィをぶったなッ!! オトナがこどもをなぐるなんてサイテーだ!! もうぜったいぜったい、ぜーったいゆるさねぇぞ!!」


「え、エミィ……?? あいつ、アンナじゃ……」


「つぁりゃーーーッ!!」


 麻痺薬の効果すらもかき消す怒りの前には、男の困惑など知ったことではない。少年の猛攻が始まった。


「まずはオレのりょうあしのカタキッ!!」


「うぐお!!」


 顎に1発、右の肘打ち。バギィ、と身もすくむ鈍い音。男の鼻血がさらに噴き出す。


「つぎにメリッサさんのうらみぃッ!!」


「がっはぁああッ!!」


 さらに顔面に向けた蹴りの乱打。その衝撃の嵐により、男の上着ポケットから予備の拳銃弾倉がガチャリと落ちる。

 やがて最後の一際強烈な1発により、男は酒樽の山の一角に全身で思いっきり突っ込んだ。


「さいごにこれがッ!! エミィのしかえしだーーーッ!!」


 リュウは手を緩めず、男にトドメを刺しに走り込んでいく。


 が、男はとっくにグロッキー。樽破片と漏れ出た酒に埋もれ、顔面を鼻血で真っ赤にしながら、開ききった眼ん玉を真っ暗にしている。トドメが必要とも思えない。


 動かぬ手足、回らぬアタマ。


 そんな彼の、一筋の意識に流れていたのは……





 ーーいつしかの記憶。彼自身の記憶。



 石造りのアパート。ヒビ入りの壁、埃臭い廊下。


 男は歩き、向かっていく。やがて着く。3階の1番奥の一室。腐りかけた木戸を開ける。


『パパー! おかえりー!』


 中から飛び出してきたのは4歳に満たない女の子。男に飛びつき、出迎える。


『おう、いい子にしてたか?』


『してたー!』


 男は彼女を壊れものを扱うように優しく抱き上げる。腕の中で、少女は笑う。


『おかえりニビル。ごはんできてるわよ〜』


 我が子を抱っこしたまま部屋の中を行くと、キッチンで第2のお出迎え。エプロン姿の女性が、男ーーニビルを労う。


『ただいま。ーーん? おいなんだこのメシは。ワインまで……めでたいことでもあったのか?』


 ニビルは驚く。肉にスープにサラダにパスタ……熱々の湯気に飾られた、テーブルの上の豪華な食事に。


『あ、の、ね。自分の誕生日くらいいい加減覚えなさい。去年もそんなだったわよ』


『あ? 俺の? バカ、そんなもんより自分のために金使え。新しい服とかよ。お前が今持ってるの、全部もうボロボロじゃねぇか』


『そーよ? だから私のため。テーブルいっぱいのごはんに数ヶ月ぶりのお酒。服よりずっといいわ。記念日っていいわねぇ。こんな贅沢しても罪にならないもの〜』


『罪って……あのな……』


『ねぇパパ、パパ!』


『ん?』


『はい! おたんじょうびおめでとう!』


 ニビルは娘の小さな両手から、1枚の画用紙を受け取る。


 画用紙にはクレヨンで絵と文字が描かれていた。男の人の絵と、"おとうさん"の5文字。

 実に拙い絵だ。目や鼻といった顔のパーツはバラバラだし、指の本数も少なかったり多かったり。

 なんとぶきっちょな字だ。"と"の字の口の向きが逆。"ん"の字の波もひとつ余計である。



 だが……いい。



『…………ありがとうよ。最高のプレゼントだ』


 顔を綻ばせるニビルは、その世界一の画伯の頭をくしゃくしゃと撫でた。


『さ、食べましょう! 世界で2番目に嬉しいプレゼントも、受け取ってもらわなきゃね!』


 夫と娘の様子を愛おしそうに眺めていた妻が、ぱん、と手を鳴らす。


『アホ、自分で言うんじゃねぇよ』


『あら、嬉しくないのぉ〜?』


『…………嬉しいよ』


『パパてれてる〜』


『照れてるー♪』


『う、うるさい……! さっさと食うぞ!』





 ……。



 映像が、遠くなる。どんどん離れていっている。


 

 …………。



 画面が見えない。自分を茶化す妻の顔、自分に懐く娘の顔。料理の味、絵のプレゼント。……それらがいつの出来事かも、もうとっくに思い出せない。



 ……………………そうだ。


 …………"許さない"…………そうだよな…………。


 



「許しちゃいけねぇんだよ……」



 瓦礫の中のニビルは痙攣する両手の指を合わせ、印を結ぶ。



如樹(きさらぎ)』、奇端術式(きたんじゅつしき)ーー




 "饐転(えってん)肉塊(しかい)"




 すると酒樽の破片の山が、爆ぜた。


「!? わッ!?」


 驚き、慌てて手前で足を止めるリュウ。彼の眼前には、瓦礫からゆらりと這い出してきたニビルが立つ。


 ニビルの全身は魔力に包まれていた。緑と紫色が混ざった魔力が。水中に揺れる(こけ)のような、どろりとした触感の魔力が。




「……そうだ……リュウ。許すな、恨め。恨んでくれ。こんな方法しか選べねぇバカな俺を。大人を。……こんな方法しか選ばせてくれない、カビまみれの世界を……」




「な、なにをーー」


 顔面を血と青あざまみれにしたニット帽の男は、少年の反応を待つことなく……哀しい眼差しともに、彼に向かって襲いかかったのである。




* * *




 同刻。

 憲征軍総本部、対人治安部通信所。ここは、24時間年中無休で都民からの通報連絡がひっきりなしに押し寄せるコールセンターである。


 無数に設置された通信機と、その前に並んでずらりと座る大勢の窓口係員たち。

 鳴り止まない呼び出し音に晒されるそんな彼らの中に、通話機を耳に当てながら一際妙に困った様子の女性係員がいた。



「え……ええとねぇお嬢ちゃん、お願いだから落ち着いて、ね? もう1度始めから教えてほしいな。落ちたってどういうこと? 誰が落ちたの?」


「……リュウくん? それは……お友達? 汽車から落ちたの? 橋? ……え、両方? ちょ……ちょっと待って、だからちゃんとひとつずつ説明をーー」


「……えぇ? アルバノおじちゃん? またそれ? いったい誰のことなの? アルバノ……ん? ……ま、まさか……ルナハンドロ三位のこと……!? な、なんであなたがそんな人を……!? ーーあ、ああ〜ごめんね! ちょ……ちょっと待っててくれるかしら? 電話切らないでねぇ?」



 30代前後の化粧の厚い女性係員は通話機を机に置くと、当惑の汗を額に浮かべながらいそいそと走っていく。

 やがて彼女は"対人治安維持部隊総隊長 執務室"と記された札がかかった扉の前に辿り着き、そこを拳の裏で叩いた。


「アドソン・バダック総隊長〜。失礼いたしますぅ〜」


 ガチャリと開かれ、一室の中が露わになる。

 そこは、窓という窓にカーテンがかかった薄暗い部屋。20畳ほどの室内には造りのいい仕事机がひとつと、たくさんの棚。そしてその上に置かれた壺やら製造やら皿やらの、大量・多種多様の美術品。


 そして1人……部屋の入り口に背を向けて立ちながら、壺のひとつを布で磨いている男性がいた。


「なんだ。騒々しいぞ」


 パリッとした紺のスーツを着こなしたその男性は突然部屋に入ってきた部下に対して一瞥もくれることなく、どこか冷たい声だけを返す。


「あ、あのぉ〜……ただ今ヘンな通報が入っておりまして、指示を仰ぎたいのですが……」


 女性は重苦しい空気にタジタジになりながら要件を話していくが、男性は追い打ちをかけるようにわざとらしいため息を吐いてみせた。


「……おい。貴様、従軍して何年だ?」


「は? あ、え、その……ご、5年になります……」


「フン……なるほど。練兵学校の教育の質も笑えんほどに堕ちたな。上官の指示が無ければ電話番のひとつもできない役立たずしか輩出できんようではな……」


「は!? も、申し訳ありません! し、しかしそのぉ〜、とにかく妙なんですよぉ〜! 通報主は声から察するに女の子……それもいいとこ5、6歳ってカンジの子供で……! なんか、"アルバノおじちゃんを出してくれ"ってずぅーっと言ってるんですぅ〜!」


 男の壺を磨く手が、ピタリと止まった。


「…………アルバノ? ……よもやルナハンドロ三位か?」


「は、はいぃ、多分……!」


「ほぉ……それはまた……。イタズラだとしても、相手を選ぶことを知らんガキだな……」


「で、でもイタズラだとも思えないんです……! その子ひどく混乱していて、喋ってることもめちゃくちゃなんですぅ! なんか汽車に乗ってたら狙撃されて、撃ってきた人が汽車に乗り込んできて、"リュウくん"っていう友達がその狙撃犯と一緒に汽車から落ちたとかなんとか……ぜーんぜん理解できないんですよぉ〜!」



 ビシッ。



 男の肩が、強張った。


 男は壺を乱暴に棚へと戻し、布を床へと投げ捨てる。そして部屋の入り口に立つ部下の女性にようやく振り返った。


「……"リュウくん"……だと? そう言ったんだな? その……友達の名を……!」


「へ!? あ、は、はいぃ……!?」


 突如人が変わったように気を昂らせる上司に、女性係員はさらなる動揺を見せる。

 


 ーー振り返ったその男性……アドソン・バダックの歳は40代半ば。中肉中背と見栄えも無い体格に、整髪料で強めに固めた茶髪のオールバック。いかにも仕事人といったような風貌であった。



「…………通報場所を教えろ。現場には私が行く」


「はい!? そ、総隊長自ら!? な、なぜ……!?」


「ああ。……その通報主はおそらく……ルナハンドロ三位の姪御さんだ。万一にも失礼があってはならんからな……」


「め、姪……!? ルナハンドロ三位に……!?」


「そうだ。前に三位から話を聞いたことがあったのを忘れていた。名前はそう、確か……"アンナ"だったかな?」


 アドソンはスーツのジャケットを脱ぐと、机の引き出しから肩掛けホルスターに入った拳銃を装備、そして再びジャケットを羽織る……。


「ご苦労だったな、貴様は休憩に入って構わんぞ。通報の対応と三位への報告も私が済ませておく」


「は!? は……はい! ありがとうございますぅ〜!」


 アドソンはそのまま早足で通信所に向かうと、机の上に放置されていた通話機をなんの迷いもなくガチャンと切り捨てーー



 周りにいる係員たちに気づかれないように小さく、口元を真っ黒に歪ませた。




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