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第109話 小さなヒーローたち① -逃亡-




 ハァ、ハァ、ハァ、ハァッ。



 日がやっと昇り始めた明け方、宮都ヴァルデノンのとある歓楽街の出来事である。


 建物に挟まれた薄暗い裏路地の一角を、必死な息使いと足音を立てて走る者がいた。

 それは1人の若い女性。汗でどろどろの額に、ぐしゃぐしゃになった緋色のロングヘアー。そして自分自身の疲労にすらかまけていられないほどの恐怖と焦燥感が、彼女の顔にはあった。


 明らかに異様。そしてそんな彼女が駆け通った道を、今度は4、5人の男たちがどかどかと踏み進んでいく。彼ら全員の胸には、憲征軍の兵章が光っていた。


「おいいないぞ!! どこいった!!」


「バカヤロウだから先に応援を呼ぼうって言ったじゃねぇかよ!!」


「黙れ!! いいから二手に分かれるぞ!! 俺とお前はこっち!! 残りは反対だ!! 絶対に逃がすな!!」


 標的を見失った男たちは右方と左方に分かれ、再び狭苦しい道を走っていった。




* * *




「エミィ〜あそぼーぜ〜」


「あ、おはよーリュウくん! ちょっと待ってて〜」


 一方、宮都の中央病院。

 自分の病室のベッドに腰掛けながら本を読んでいたエミィ・アンダーアレンは、ドアを開けて入ってきたリュウ・ウリムの呼びかけに答え、パジャマを脱いでいそいそと支度を始めていく。


「なんだ、またなんかムズかしーほんよんでるなぁ」


「うんッ。この前図書室から借りた本は全部読みきっちゃったから、新しいの持ってきてもらったの」


「ぜ、ぜんぶだァ!? ウソだろ、このまえもこんぐらいかりてたじゃんか! まだいっしゅうかんちょっとだぞ!?」


 リュウは灰色のタレ眼をまん丸にして驚き、ベッド脇の棚の上に積まれている10冊近くもの本の山をばしばしと叩く。


「えへへ、読み始めたら止まらないんだ〜」


「す、すっげーなぁ……おれなんかまだよめないじもいっぱいあるのに……。おまえホントにとししたかよ……」


 リュウは感心しながらついさっきまでエミィが読んでいた分厚い本を手に取り、適当にパラパラとめくっていく。そしてすぐに眉間にシワを寄せながら首を傾げていく。


「うーん……? アオ、カビ……クロカビ……なんだこりゃ? なんのほんなんだ?」


「見ての通り、カビを含めたいろいろな菌についての本だよ」


「なに、きん!? カビっておうごんでできてたのか!? おれ、このびょういんにくるまえにカビのはえたくだものをくっちまったぞ! うわもったいねー!」


「え? あ、そっちの金じゃなくて、"バイキン"ってこと」


「ば、ばいきん? なぁんだ……」


 少年はがっかりとしながら、本の中身の文章のひとつを追っていく。


「えーと……"カビの、せー……ちょー? には、おんどが……ひ、つよう……です。あ……つすぎず、つめたすぎない"…………えっと……これなんてよむんだ?」


「"適切(てきせつ)"だよ。ちょうどいい、って意味だね。"熱すぎず冷たすぎない、適切な温度が必要です"って書いてあるよ〜」


「ぐぅ……むずいぃ〜! おれベンキョーきらいなんだよなぁ。おまえ、コレよんでてたのしーの?」


「楽しいよ! 新しいことを覚えるのってワクワクするもん! ……それに……」


「? それに……なんだよ?」


「……私も大きくなったら、ユウおにぃちゃんやユリンおねぇちゃんや……アルバノおじちゃんみたいな人になりたい。誰かを助けてあげられる人になりたいの。だからそのためにも、いっぱいお勉強しなくっちゃ」


 賢才の少女は、少し照れくさそうに笑いながらそう続けた。


「……ちぇ、またアイツのハナシかよ……」


 しかしやはりというべきか、リュウ少年は面白くないご様子。"ユウおにぃちゃん"という単語を聞いた段階からあからさまにムッとした顔になる。


「もー、そんな顔しないでよぅ。リュウくんだって助けてもらったでしょ?」


「うるせー! それでもおれはアイツがきらいだッ! わかってるさ! あのときはぜったいおれがわるかったってことは! でも! おれ、アイツきらいだッ!」


「な、なんで? なんでそんなにおにぃちゃんのこと嫌いなの?」


「なんでってそりゃあーー」


 と、答えかけた少年だったが、エミィと顔を合わせたままなぜかたちまち顔を耳まで真っ赤にして沈黙。途端にそっぽを向いてしまった。


「? リュウくん? なんでなの?」


「お、おまえにはおしえねぇ……ッ!」


「え、なんで? 教えてよー」


「いーやーだッ!」


「? ? ?」


 どうやら……さすがのエミィも理解できなかったらしい。




「何して遊ぶ?」


「きまってんだろ! かくれんぼだッ!」


「えーまたぁ? 昨日も一昨日もやったのに」


 エミィが白Tシャツとピンクのオーバーオールに着替え終わり、病院の中庭に移動した2人。ぽかぽかとした程よい日差しが、そこの芝生を満遍なく温めている。


「やるったらやるのッ! きょうもアレだからな! みつけられるまでのじかんがみじかかったほうが、ひるごはんのデザートひとりじめだからな!?」


「で、でも今日も負けたら、リュウくん3日連続デザート無しだよ?」


「きょうはおれがかつからいーんだよ! ルールはおなじ! びょーいんのたてものとにわのなかなら、どこへいってもいい! じゃあおれからオニな! 100かぞえたらいくぞ!」


 どうやら敗戦挽回に急いているリュウはそうやって強引に種目を決めると、近くにあった木の幹に顔をくっつけてカウントダウンを始めた。


「いーち、にーい、さーん、しーい……」


「わッ、まって〜! そんないきなりはズルい〜!」


 蒲公英(たんぽぽ)色のショートボブを風になびかせながら、エミィは慌てて鬼である彼から離れていく。


 

 そして少女がやってきたのは病棟の裏庭。こんなにいい天気にもかかわらず薄暗くじめじめとしており、使われなくなった台車やサビきったドラム缶などがそこかしこに放置されている。


「よぉし……ここにしよっと」


 エミィが隠れ場所として眼をつけたのはまさにそのドラム缶であった。裏庭の隅っこに、ドラム缶が一際大きく山のように積み上げられている一帯があったのだ。


「目立っちゃうかなぁ……でも今日のデザート、看護師さんがケーキだよって言ってたし……ちょっとくらいリュウくんにおまけしたっていいよね」


 彼女は身を潜めんと、その山のちょうど影になっている場所に歩いて行った。



 ……しかし。彼女がそこに隠れることはできなかった。なぜならーー



「!! ひぃッ!?」



 1人……先客がいたからである。


「きゃあッ!? な、なに!?」


 "先客"はエミィを見るやいなや短く悲鳴を発し、エミィもそれに驚きつられて声を上げてしまう。


「お、おねぇさん……だぁれ……!? ここで何してるの……!?」


 エミィがおねぇさんと呼んだことからわかるように、先客は20代半ばほどの女性であった。緋色の長い髪、薄い黄色の瞳、鼻が高く背も高くおまけにスラリとした、可憐な女性であった。


 しかし少女の眼により強く印象付けられたのはその女性の美しさなどではなかった。

 頬と額に切り傷をつくり、長い髪は毛先までぐしゃぐしゃ、眼元にはどす黒いクマをこしらえ、身につけている白のワンピースは泥と破れた跡だらけ。しかも靴は右足しか履いていない。誰がどう見たって異常であった。


 そんなひどく荒んだ格好の女性はエミィの質問には答えず、ただ彼女を怯えた瞳で見つめながら両肩を抱えて震えるだけ。

 少しずつ冷静さを取り戻したエミィはまだ警戒気味にゆっくりと女性との距離を縮め、彼女の眼の前でしゃがみ込んでもう1度話しかける。


「お、おねぇさんどうしたの……? 大丈夫……? どこか具合悪いの……?」


 しかしやはり答えは無い。女性はついにはエミィと眼すら合わせなくなる。


「……ま……待ってて。今看護師さん呼んできてあげるから……!」


 自分の手には負えないと判断した少女は立ち上がり、来た道を戻ろうとした。

 しかしそんな彼女の小さな右手を、女性は突然強い力でがしりと掴んだ。


「ッ! 痛……ッ!?」


 エミィはその掴む力の強さに顔をしかめる。……すると、ここで初めて女性が口を開いた。



「あ……ッ!! ご、ごめんね……!! ごめん……ッ!!」



 意外にも、女性が発したのは謝罪の言葉だった。だがそれでも彼女は、エミィの手を離そうとしないのだ。



「……お願いだから誰も呼ばないで……!! 誰にも……言わないで……ッ!! お願い……ッ!!」



 女性は瞳に涙を滲ませながら、縋るように、搾り出すようにそう言った。



 ーーその姿を目の当たりにしたエミィが想起したのは、かつての自分であった。


 この人は……昔の自分と同じように、誰かに助けを求めている。


 他でもないエミィ・アンダーアレンだからこそ、そのことを瞬時に理解した。



 エミィは右手を掴まれたまま再び女性に歩み寄ると、左手でオーバーオールのお腹ポケットをゴソゴソといじる。やがてハンカチ、絆創膏、携帯サイズの消毒液を取り出した。


「ーーおねぇさん、もうどこにも行かないから、傷の手当てだけさせて?」


 そして自分より遥かに歳上の大人であるその女性に向けて、包み込むような、安心感のある微笑みを見せた。


 ……女性は、恐る恐る手を離したのだった。




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