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第107話 ナガカを目指して -スーフェン-




 魔狂獣(ゲブ・ベスディア)とは実に多種多様である。


 火を吐くヤツ、雷を撃つヤツ、固いヤツ、柔らかいヤツ、見た目が怖いヤツ、可愛い……ヤツはまぁいない。だがとにかく、様々な特徴を持つものがいる。


 この……"スーフェン"も、そんな個性的な1体だった。


「ビェエエエエエエエエエエエエエエ」


 赤ん坊の産声のようないやに生々しい鳴き声もそうだが、こいつはもう存在そのものが不気味の化身というべきヤツだ。


 体色は瑠璃色(るりいろ)。身体の形自体は4メートルサイズに巨大化したカブトムシ等の幼虫にそっくりだが、まず真っ先に気色悪い点として挙げられるのが、その全身を覆っている蕁麻疹(じんましん)のようにブツブツとした皮膚である。

 このブツブツはスーフェンが地面を這うごとに地表に擦れて潰れていき、中からドロドロとした真緑色の体液を漏らす。その液体は、毒である。それも揮発性が異常に高い上に、気体と化したそれを吸い込んでしまうだけで侵されてしまうというあまりにも危険な猛毒だった。

 ゆえにスーフェンは戦闘力はそれほどでも無い中で第一級の最危険魔狂獣(ゲブ・ベスディア)の1体に指定されている。こんなのが人里に現れた日には、そこは文字通り阿鼻叫喚(あびきょうかん)の生き地獄となるのだ。



 ーーそして今日。まさに今。その地獄が、現実のものとなっていた。



「ち……ッ!! メンドくせーなホント……ッ!!」


 お昼過ぎのヒニケ地区。

 倒壊した建物の瓦礫の上をのそのそと進むスーフェンと相対しているのは、輝く銀髪と真っ赤なキャミソール、左脚の刺青(いれずみ)をトレードマークにした第7支部副長シフィナ・ソニラである。


 と言っても、彼女は毒にやられないように一定の距離を保ちながら、苦虫を噛み潰したような顔で芋虫型魔狂獣(ゲブ・ベスディア)を睨みつけることしかできていない。なぜならーー


『一撃でバラバラにするのは簡単……だけどそれじゃああのデカい身体の中にある毒液が、一気に全部空気中に撒き散らされることになる……!! そうなったらこの街はおしまいだわ……!!』


 こういうワケである。

 彼女とスーフェンの実力差はそれこそ赤子と格闘技の世界チャンピオンくらいは軽くあるが、それであっても手が出せない。こんな歯痒い話も無いだろう。


 しかし、だからといって彼女はただ指を咥えているだけではない。

 彼女は待っていたのだ。信頼のおける仲間を。



「わりーシフィナ! 待たした!」



 ーー支部長、ジェセリ・トレーソンを。


「おっそい!! 遅れて来ればカッコいいなんてクソガキみたいなこと考えてたんじゃないでしょうね!?」


「ごーめんって! もう近くの病院は全部満杯になっちまったから、隣の地区まで被害者たちを運んでたんだよ!」


 全身のアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら、空からシフィナの隣へと舞い降りたジェセリ。よっぽど急いで来たのか少々息が荒れている。


「まぁいいわ……!! とっとと片付けるわよッ!!」


「おーよ!」


 並び立つシフィナとジェセリは、共に全身からそれぞれ黄金色と翡翠色(ひすいいろ)の魔力を解放。


 先に動くはシフィナ。両手を胸の前で1度パンッと合わせ、それを徐々に開いていく。すると彼女の両手の間にバチバチと電光を爆ぜさせるひとつの魔力球体が出現し、彼女が両手の距離を広げていくのに比例してどんどん巨大になってゆく。


 やがてシフィナは両腕を前に突き出しーー



「"豪放(ごうほう)波威羅(はいら)"ッ!!」



 両手の中に溜めた雷撃の塊を、芋虫型魔狂獣(ゲブ・ベスディア)に向けてブッ放した。


「エエェエエエエエエェェェンッ!!」


 瞬きひとつが終わる前に、災害を凝縮したかのようなその一撃はスーフェンへと着弾。駄々っ子の喚き声のような断末魔とともに怪物の身体は四方八散し、体内の猛毒液も1滴残らず空気中へと晒される。

 外気温度によってたちまち揮発を始める、飛び散った大量の毒液。このままではヒニケは1日と待たずに死の土地となること間違いなしだ。


 だがそうはならない。ここからは、ジェセリの出番である。


 彼が両の手掌(しゅしょう)を振るうと、たった今シフィナがミリ単位の肉片にまで打ち砕いた怪物の身体が、突如発生したひとつの竜巻に包まれた。

 それは激しい上昇性の旋風であり、気体と化した猛毒の全てを肉片とともに根こそぎ巻き込むと、そのまま猛スピードで上空に昇り始め、あっという間に彼方へと見えなくなってしまった。


「……ふぅ。とりあえずこれでいいだろ」


「全く(しゃく)なハナシね……お空の向こうまでブッ飛ばすしか解決法が無いなんて」


 事態の収集を終えた彼らは腰に手を当て、一息をついた。




* * *




「最悪……です」


 ここは、ヒニケで1番大きな民間病院。


 息を切らしながら救急処置室から出てきたユリンは青の処置着とマスクを脱いでゴミ箱に捨て、汗で濡れた前髪をかき上げる。


「ひとまず……ここに搬送されてきた58人の被害者の方々全員の応急処置は終わりました。……ただ、現時点ですでにその内の9人が死亡。かろうじて持ち直した人たちも余談を許さない状況です。薬で無理矢理に毒の回りを遅延させてはいますが、付け焼き刃にしかなりません。そんなものはすぐに効かなくなる」


「そうか……。……ちくしょう……他の病院もほぼおんなじカンジだしなぁ……」


「……とりあえずお疲れ様、ユリン」


 彼女の話を聞いたジェセリとシフィナもまた、暗く重苦しい表情を全く拭えない。


「うん……ジェスとシーナもね」


「でもジェス、これからどうするのよ……こうしている間に患者たちが死んでいってもおかしくないってことでしょ?」


「ああ分かってる……。もう他の地区の医療研究機関にも血清の製造要請を片っ端から出したさ。……ただ今のところ、血清の完成まではどんなに早くても3ヶ月はかかるそうだ」


「やっぱりそれくらいかかりますか……。つくづく厄介ですね。なにせスーフェンは、個体によって体内の毒素の成分が微妙に異なりますからね……。新個体が出るたびに、いちいち血清も作り直さなきゃならない……」


「さ、3ヶ月なんて冗談にもならないわ!! とっくにみんな死んじゃうわよ!! なんとか……なんとかならないの!?」


「シーナ、しぃッ! ここ病院……!」


「あ……ご、ごめんなさい……」


 ユリンに諌められ、両腰に手を当てうつむくシフィナ。

 逆に天井を向いて、ため息を連発するユリン。

 そして腕組みをして眼を瞑りながら、何やらじっと考え込むジェセリ……。


 3人のいる床も壁も真っ白に染められた廊下はしばしの静寂に包まれた。

 


「ーー"ハペネ"に手を……借してもらうしかねぇな……」



 沈黙を破ったのは、紫色の瞳をギラリと見開いたジェセリだった。


「!? "ハペネ"ですって……!?」


「本気ですかジェス……ッ!?」


 彼の口から飛び出した言葉に、ユリンとシフィナは雷に撃たれたように驚き息を呑む。


「ああ、本気だ。もうそれっきゃねぇ」


「人体の治癒・浄化能力を持つ魔術特性『命湧(めいわ)』……。この世界でただ1人、その"極性"を有する者……中立国ナガカの領主、"ハペネ"……! そ、その"ハペネ"のことですよね……!?」


「とーぜんさユリン。それ以外にいるかよ」


「ちょ、ちょっと待ってよジェス! そりゃあその人なら血清のひとつやふたつすぐにでも作れるでしょうけど、今から議事院会や総本部の了承を得てたらそれこそ間に合わないわよ!?」


「許可は取らねぇ。そんなヒマありゃしねぇしな」

 

「はあ!? 馬鹿言わないでよ!!」


「そうですよジェス……!! これは外交の分野ですよ……!? しかもナガカは中立国……いち地区の判断だけで、我々憲征軍が勝手な関わりを持つワケには……!!」


 ついさっきユリンに注意されたことを忘れて再び声を荒げるシフィナと、これまたついさっき自分が言ったことを忘れて声量を上げてしまうユリン。


「……今回のスーフェン出現による被害者の総数は、471人。うち106人が死亡。残されたヤツらも依然毒の苦痛と死の恐怖に苛まれている」


 しかし、ジェセリの眼に揺らぎは浮かばずーー



「俺の……俺たちの守るべき区民たちだ。迷う理由は無ぇ。全責任は、俺が取る」



 きっぱりと、そう言い放った。


 呆気に取られていた少女たちだったが、やがて諦めたようにため息をつく。


「…………了解、ボス」


「ただし、あなたにだけ罰は負わせませんからね」


 そして、2人ともにっこりと微笑んだのだった。


「……すまねぇ。ありがとよ」


「行くのはあたしで決まりね。あたしの"脚"なら、ナガカまででもあっという間だし」


「シーナ、私も。毒素のサンプルを持って行かなきゃだし、医者がいた方が話が早く進むよ」


「そうね。じゃ、早速用意して行きましょう! 時間が惜しいわ」


「頼むぜ、お前ら。俺はちゃちゃっと書状をまとめてくる」


「5分でお願いしますよジェス!」


「2分でいい!」


 こうしてヒニケを守る3人の者たちは一斉に、目的のために動き出した。




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