第104話 あなたがくれたもの
外はてんやわんやの大騒ぎ。
至極当然。〈煉卿〉フラム・リフィリアが街道のど真ん中で、意識を失った状態で発見されたのだから。
グーリベリルを身を挺して倒したのか。それも被害を最小に抑えて。なんて素晴らしい。さすがは五芒卿。兵士の鑑だ。街の住人たちの称賛はとどまることを知らない。
マヨシー地区の英雄となった男を連れて兵士たちは蜘蛛の子散らして撤収し、雄弥たちへの用など完全に忘れ去られていた。
気づけばとっくに夕方。雄弥とイユの2人は、静かさを取り戻した森の小屋の中で、ベッドに並んで座っていた。
「全く、急にワケの分からないこと言って飛び出して……。びっくりさせないでよね」
「あ、ああ……悪かったよ」
術の反動で傷ついた雄弥の左拳を手当てするイユ。
雄弥には、彼女の声などまるで耳に入らない。
彼の頭に渦巻く選択肢。ここを去るか、軍に両手を差し出すか。おまけにゲネザーの言葉が、その2つ択の狭間でキンキン響く。
そんな半ば放心状態の彼の異変を、イユが見逃すはずがなかった。
「……やっぱり何かあったんでしょ。ホントは、戻るつもりじゃなかったのね」
「……」
彼の場合、沈黙はそのまま肯定となる。
「あなたって……ホント隠し事がヘタ」
「……うるせーな。もう聞き飽きた……」
「話して、全部。いい? 全部よ」
「……分かったよ」
雄弥は白状した。
グーリベリルをフラムと共に倒したこと。
イユや診療所のおじいさんには手を出さない。〈煉卿〉がそう約束してくれたこと。本当であればその場で、彼に連行されるつもりだったこと。
しかしゲネザーという者が乱入し、その予定が狂ったこと。その際そいつから、イユたちを連れた逃亡を唆されたこと。
逃亡先の候補である、ナガカという場所のこと。そこに行くことによる、混血児であるイユへの利益。
「悪いけど……私はここを出る気は無いわ」
それら全部を聞いた上で、イユは即答した。
「どうしても……か……?」
「うん。どうしても、よ。お世話になっているおじぃちゃんをほっぽり出すなんて、そんな勝手なことできるもんですか」
「な、ならじっちゃんも一緒に来れば……」
「おじぃちゃんは尚更この街を出たりなんかしないし、そもそももう歳だもの。ナガカはここからだと最短でも800キロはくだらないわ。おじぃちゃんにそんな長旅は無理よ」
「……だよな。いや、悪い。ヘンなこと聞いて」
薄々予想していたことではある。イユにはイユの、おじいさんにはおじいさんの生活がある。雄弥のエゴでそれを壊すわけにはいかない。
『なら俺は……やっぱり軍に出頭する。いやそうしなきゃならねぇ。フラム・リフィリアの言葉を鵜呑みにすることになるけど、イユやじっちゃんの生活を守るには……それしか……』
実質的な一択にまで絞られた。もう雄弥には、そうするしかないのだ。
心の中で決意を固めた彼がイユが包帯を巻いてくれた左拳をぎりりと握った、その時。
「ねぇユウヤ。天秤の話をしましょう」
彼の隣にいるイユが、突然そんなことを言い出した。
「あ? 天……秤?」
意味を飲み込めず、呆けてしまう雄弥。イユは構わず話を続ける。
「あなたは今……私を守ろうとしてくれている」
「でも憲征軍兵士であるあなたが本来守るべきなのは、その軍領地に暮らす人々の全て」
「さぁ決めて。あなたにとって、重いのはどっち?」
そして彼女の口から並べられたのは、世にも残酷な二者択一の強制。
……雄弥がこれまでずっと悩んでいたことを、より身も蓋も無い表現で言い換えたものであった。
「ば、ば……バカ言うな……!! 選べるかよ!! そんなの選べるワケねぇだろッ!?」
無論、雄弥はそう反論する。だがイユは少しも容赦をしない。
「ダメ。選んで。選ばなきゃならないの。私が言うのはおかしいけど……"力を持つ者の責任"っていうのは、そういうことじゃないの?」
「で……でも俺、俺は!! ……ッぐ……うぅ……」
雄弥は彼女と眼を合わせられなくなり、頭を抱え、顔を伏せてしまった。
「……両者を満たすことはできないわ。そして、自分がどちらを選べばいいのか……選ぶべきなのか。あなたにだって、分かっているハズでしょ……?」
その一言が、彼へのトドメになった。
ーー顔が、浮かぶ。
ユリン。
アルバノさん、エミィ。
ジェセリ、シフィナ、第7支部の同僚たち。
彼らに何度救われた。彼らにどれほど導かれた。こんなどうしようもない俺の手を取り続けてくれた、大切な大切な人たち。
イユのために動くということは……みんなを裏切ることになる。イユのために全てを注ぐということは、みんなからの恩を蔑ろにすることになる。
何より……俺の力は、俺の力じゃないんだ。
貰っただけの力。借り物と表現してもいい力。
それを託されただけの俺には、その行く末を自分勝手に決める権利なんかない。
これは俺の欲求を叶えるための力なんかじゃないんだ。守るべき人々を、守るための力なんだ。それが力と一緒に受け継いだ、俺の責任なんだ。
クソが。クソが。ふざけんな。
どっちを選ぶべきかだって? そんなの……!!
「…………後者…………だ…………ッ」
……それしかなかった。そう答えるしかなかった。
イユを見捨て、自分だけのうのうと巣に帰る。
底抜けの馬鹿である彼にですら分かりきってしまう選択肢。とぼけることすら許されない。だが、酷い。……あまりにも……。
「……そうよ。それでいい。それが、あなたの"正解"よ」
イユは安心したように、……加えて、ほんの少しだけ寂しそうに……彼の返事を肯定する。
「ごめん……ごめん……。俺は……自分に都合のいい未来ばかり考えて……。結局……お前に迷惑ばかり……」
雄弥はうつむいたまま隻眼から涙を漏らす。
不甲斐ないなんてものじゃない。彼の心中に去来する感情は、彼という一個人が受け止められるものじゃない。
ごめんなさいだと? それに何の意味がある。何を吐こうが何をしようが何を考えようが……浮き彫りになるのは、菜藻瀬雄弥という青年の浅慮と力不足だけ。
憲征軍の皆に対して恩を仇で返さないため、とかなんとか理由をつけてはいるが、それは逆にイユに対して恩を仇で返すことなのだ。
ひどいなんてものじゃない。今のイユは、彼に何をしても許されるだろう。暴言、暴力、なんとでも。
……ところが混血の少女がそんな彼に向けて次に放った言葉は、罵倒とはかけ離れたものだった。
「……私ね、これまで何度も思ったわ。なんで生きているんだろうって。楽しいことより、辛いことの方がずっと多くて。笑いたくても笑えなくて、頼れる人もおじぃちゃんしかいなくて。死にたい、なんてほぼ毎日よ。それはきっとこれからも変わらないと思う。ふとした時に、つい考えると思う。同じようなことをつらつらつらつら……」
「そんな時私は、お母さんのことを考えるの。私を産んでくれたお母さんのことを。私を可愛がってくれたお母さんのことを。『猊人と子を成した穢れた女』って罵られても、その日の食べるモノにさえありつけないこともあったほど貧しくても、私を大事に育ててくれたお母さんのことを。そうしてた。いえ……そうするしかなかった。私が生にしがみつくための道は、それだけしかなかったの」
「でもね……あなたが、もうひとつの道をくれたの。私に教えてくれたの。生きていれば……あなたみたいな人に会えることもある。あなたみたいな人と、一緒にいられることもある。こんな穴だらけ隙間風だらけの家の中を、暖かいと感じることもある……って」
するとイユはベッドから降り、うつむく雄弥の眼の前にしゃがみ込んだ。
「ーー迷惑が何よ。そんなのもう……どうだっていい。この1ヶ月ちょっとなんて短い間に、あなたが私にくれた宝物が……いったいいくつあると思ってるの……?」
黒曜石のように艶やかな瞳を潤ませながら、イユは彼の動かない右腕にそっと触れる。
雄弥の顔を下から覗き込む形で真っ直ぐに見つめる彼女は、笑っていた。真っ白な唇を、"はっきり"と"微"笑ませていた。
「牢屋暮らしなんて、もともとこんなボロ小屋に住んでる私にとっては大したことじゃない。それにここは……私の帰る場所は、あなたが守ってくれたもの。出獄した後も心配無しだわ」
気丈ににこりとするイユ・イデル。
……これが、雄弥より2つも歳下の少女なのか。なんと逞しい。いや、そう見えるように必死に振る舞っている。
不安が無いはずがない。怖くないはずがない。それでも彼女は今それらを全て押し殺し、自分の心を雄弥への気遣いのみに注いでいる。
いたたまれなさゆえか。……それとも、愛しさゆえなのか。とにかく感情はぐっちゃぐちゃだが……雄弥は気づけば眼前のその少女の華奢な身体を、力一杯に抱き締めていた。
「ごめん……ごめんなイユ……ッ。ごめんな……ッ」
「謝らないで。ごめんなさいなんていらない。……ただひとつ……ひとつだけでいいから……約束してくれる……?」
とうとうイユも決壊。彼女の口にも嗚咽が混入する。
だが彼女は、自身が抱き締め返す雄弥の耳にしっかりと届くように、精魂絞って声を発した。
「これが、今生の別れなんて……絶対イヤだからね……ッ。また……また必ず、会って……ッ。私と……! じゃなきゃ……許さないわよ……ッ!」
「約束する……!! 約束、するッ!! 必ずだ……!! 必ずまた会いに来る……ッ!! どんなことをしてでも……!!」
「うん……うん……ッ。約束……ッ。待って、る……から……ずっと……」
……別れの、時は来た。
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