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第103話 憎き者よりの道標(みちしるべ)




「安心したぜェ……オメーが俺のことを忘れてなくてよ」


 

 相変わらず軽薄な物言いのゲネザーは、フラムを殴りつけたのであろう右手をわざとらしくぷらぷらと振る。


「な、なんで……なんでてめぇがここにいる!?」


「おいおい、俺は"人間"だぜ? 人間が人間の領域にいるのは別におかしなことじゃねぇだろォ?」


「ほざきやがれ……!! てめぇと俺がどこで会ったのか思い出せッ!!」


 雄弥は血まみれの左手をなんとか再度握り締め、眼の前の長身痩躯の男に対する威嚇の姿勢をあらわす。


 しかし、ゲネザーの余裕の笑みは少しも崩れない。


「……なんだァ? まさか眼ン玉と腕を片っぽずつ潰したそんな身体で、この俺と()ろうってんじゃねぇよな?」


「…………ぐ…………」


 無意識に1歩、後退(あとずさ)る雄弥。

 五体満足の状態ですら手も足もでなかった相手である。冷静になれば、今の彼が勝てるビジョンなど誰がどうやったって浮かべようがない。


「それによ、俺はピンチのオメーをわざわざ助けてやったんだぜ? 少しは感謝してくれてもいいんじゃねぇか?」


 鈍髪(にびがみ)の男は、自身の足元に倒れているフラムをちょんちょんと指さす。


「助けただと……!?」


「オメーの状況は大体分かる。この優男(やさおとこ)はしばらく起きやしねぇだろう。オメーの持つ"力"についてバレちまった今、その前にとっととこっから逃げろってハナシさ」


「ああ!? 余計なお世話だ!! 俺はどこにも行くつもりはねぇんだよ!! ここで俺が逃げれば、イユたちにも迷惑がかかる!! この……フラムさんは約束してくれた!! イユとじっちゃんには何もしねぇと……!! だから俺1人が捕まれば、イユの家を守った上で、あいつの生活も守られる!! 何もかも解決するんだよ!!」


 するとそうやって剣幕を荒げる彼を、ゲネザーが小馬鹿混じりに笑いだした。


「く……くっくっくっくっく……オメーってヤツぁ……つくづくカワイイ脳ミソをしてんなァ……」


「んだと……!?」


「つまりアレだ……オメーは信じるってんだな? 今日会ったばかりのこの男の……フラム・リフィリアの言葉を、全面的に信じるっつーんだな?」


「! ………それ、は………」


「もしこの優男どのがテキトーなウソを吐いていただけだったらどうする? これはオメーも恐れてたことだろうが、あのイユ・イデルとかいうガキはどうなる? ただでさえ悪目立ちする混血児だ……そのうえ"五芒卿(ごぼうきょう)"に並ぶほどのバカデカい力の持ち主を通報義務がある中で匿ってたとありゃ、牢にブチ込む理由としちゃ十分過ぎる。くっく……イユ・イデルにとっちゃ、家が黒コゲになったほうが全然マシだったな」


 ……こんな男の口車に乗りたいわけでは決してない。


「アタマの悪いヤツの特徴のひとつにはな……他人をあっという間にコロッと受け入れちまうってのがある。一時の感情に身を任せて最も大事なことを見落とす、ってのもな……。オメーは自分のマヌケさを、もう少し計算に入れるようにすべきだぜ……」


 しかし雄弥は、心の内の揺らぎを抑えられなくなってしまった。


「う……うるせぇ……!! だとしても……いやだったら尚さら、イユたちをほっぽりだして逃げるなんざできるかよ……ッ!!」


「頑固なヤツだ。だったらいっそ一緒に連れてきゃいいんじゃね? 混血のガキなりジジイなり。それで解決だ」


「そ、そんな勝手が通るかよ!! イユたちにだってここでの生活があるんだ!! そもそも逃げるにしたって、どこにどう逃げろっつーんだよ……!! 俺には公帝領(ここ)の土地カンも、行くアテだって無ぇんだぞ!!」


「ばぁ〜か、"帰る"んだよ。憲征領ヒニケ……オメーのいるべき場所に」


「だからその方法が分かんねぇっつってんだ!! できりゃ苦労しねぇんだよ!! 距離も遠すぎる!!」


 その台詞を待っていた。

 そう言わんばかりに、ゲネザーの瞳がニタリと歪んだ。



「……この俺が教えてやるさ。帰り道を……」



「は……!?」


 脈絡を捨て去った、突飛(とっぴ)な申し出。


 雄弥がバカだから理解できないのではない。みんなできない。


「……いや。いやいやいやおかしいだろ……! なんでてめぇがんなことするんだよ……! てめぇに……何の得があるってんだよ……ッ?」


「なんだ知らなかったか? 俺は優しいんだ……困ってるヤツがいたら見捨てられねぇんだよ。どぉ〜してもなァァ……」


「てめぇ……ッ!! 人をナメるのもいい加減にしろ……ッ!!」


 嘘。嘘、嘘、嘘。ゲネザー本人もそれを隠す気がない。その上で、こんな提案をしている。

 何か裏があるのは、見え見えだった。

 


「いーから聞けって。オメーはとりあえずマヨシー地区(ここ)を出て、北東に向かえ。そして、"ナガカ"っつー国まで行くんだ」


「な、"ナガカ"……?」


「公帝領にも憲征領にも属さない中立国だ。建国以来徹底した平和主義を掲げ、両軍の争いに対する不介入を貫いている。まだ独立して数十年ぽっちだが、農地の質の良さ、他国から集まったあらゆる分野の優秀な技術職人などの経済基盤に恵まれ、短期間でとんでもねぇ成長を遂げている国さ。今や公帝・憲征に並ぶ第三勢力にまでなっちまったほどにな。……これはよ、イユ・イデルにとっても悪いハナシじゃねぇと思うぜ?」


「? そりゃ……どういう意味だ」


「言ったろ? ナガカは中立国だ。あそこの住人に、人種なんつーしょうもねぇ壁は無ぇんだよ。人間も、猊人(グロイブ)も、混血も……誰もが仲良しこよしで暮らしている。少なくともこんなクソ溜まりみてぇなところよりは、イユ・イデルにはずっと住みやすい場所じゃねぇか?」


「なに……!? そ、そうなのか……!?」


「ああ。そもそもナガカの住人のほとんどが、このクソ長ぇ戦争やそこらじゅうに充満する薄汚ぇ差別意識に嫌気がさして、他国から移住してきたヤツらだ。典型的な移民国家さ。オメーらが受け入れられねぇなんてこともまず無ぇだろうよ」


「……仮にそこに辿り着けたとして、そのあと俺はどうすりゃいいんだ」


「ナガカを越えりゃすぐに非占有地帯だ。基本的には公帝軍も憲征軍も立ち入らねぇ領域さ。つまりそこさえ通れば、あとは安全安心。オメーはおウチまで一直線ってワケだ」



 ゲネザーは話は終わりと、指をパチンと鳴らす。


「て、てめぇの言うそれを信じろってのか……!? 俺に……!? だったらまだ……フラムさんの方が……」


「そうかいそうかい。別に俺は構わねぇぜ? 馬鹿正直にここに残って混血のガキもろとも雁字搦めの余生を過ごすか、仲間のところへ戻るか……どっちを選ぶかは好きにしなァ」


 すると彼は、地面にうつ伏せでいたフラムの身体を肩に担ぎ上げた。


「!! その人に何する気だ!!」


「いちいちうっせぇなァ。別に殺しゃしねぇよ。五芒卿(ごぼうきょう)なんつー大物をこんなトコに放ったらかしてたら、雑兵どもがうじゃうじゃ探しにやってくんだろうが。とりあえずコイツは、公帝軍兵士の眼につくところに捨てる。今んとこオメーの魔力のデカさを知ってんのはこの〈煉卿(れんきょう)〉だけ……街を出るなら急ぐこったな。コイツがお眼々を開けちまうまでがタイムリミットだ」


 そのまま雄弥に背を向け、歩き始める。

 しかし当の雄弥は、それをあっさりと帰すワケにはいかなかった。


「おい……おい!! 待てゲネザーッ!!」


「あん?」


「……てめぇは……てめぇはいったいなんなんだ……!! アルバノさんは、てめぇがどこからか俺の動きをずっと把握しているかもしれないと言っていた……!! 今こうして俺の前に都合よく現れたのは……てめぇが今ここにいるのは……本当に偶然か……!?」


 彼の問いかけを背中から受けたゲネザーは、足も止めず首だけ振り返るとーー




「ーーへへ……覚えときな。"偶然"を産むのは……"神"じゃねぇのさァ」




 そんな含みのあることだけを吐き捨て、森の中へと消えた。




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