第99話 イユとの日々
俺の身体はまた傷が増えた。さらに右腕には、重い麻痺が残った。ほとんど動かせなくなった。
「ほらユウヤ、そっちに行ったわよ!」
「おう! 任せとけッ!」
折られた骨の破片が神経をめちゃめちゃにした上に、治療にかかるのも遅かった。診療所のじっちゃん曰く、そういうことらしい。
けどまぁこうして、イユと一緒に早朝の海の浅瀬でサカナ獲りに挑めるくらいには回復した。魚じゃない。サカナだ。
「っしゃ獲ったァッ! ーーあん? うわーッ!! なんだこのバケモノッ!! 狙ってたヤツと違うじゃねーかァァッ!!」
後悔はしていない。……いや、ウソだ。後悔を"想起"させるポイントは日常にいくつもある。
利き手を潰されたおかげで、文字がうまく書けない。服を着るのもダルい。メシも食いづらいし、左手だけじゃ重いモノも持ち上げられない。
今のように、左腕に絡みつくウツボみてぇなヤツを引き剥がすこともできやしない。
「いぃでででででぇッ!! こ、コイツ噛んできやがるッ!!」
……それでも。
「ぷッ……ふふふ、あははははははははは!」
それでも毎回、そんな雑念はすぐに吹っ飛ぶ。
イユのこの顔を見ろ。濡れた顔に満面に広がる、きらきらと輝くこの笑顔を。背後に昇る朝日の逆光を受けてなお、眩く煌めくこの笑顔を。
コイツがこうやって笑うのは久しぶりだと、じっちゃんが言っていた。母親が亡くなってからは、他人をわざと寄せ付けないような言動が顕著になっていた、と。俺と出会ったばかりの時のように。しかしおそらくは、こっちが本来のイユ・イデルなんだろう。
俺の右腕はイヤリングと一緒にそれも取り戻せた。いや……本来なら俺の腕1本なんかじゃ見合わないほどのバカデケぇ戦利品だ。
「てめーッ!! 笑ってねーで助けろやッ!!」
「あ、ああごめんね。……あはははははは!」
イユの1日は忙しかった。
朝早くからこうして海に海産物を取りに来たり、森に木の実を取りに行ったり。全て市場に売りに出すためだ。
混血児への差別はそこでもあった。イユがそうやって売りに出したモノは、相場よりも低い値段で買い取られてしまうのだ。そのことを知って以降は市場への売却は俺が行くことにした。
昼はじっちゃんの診療所でお手伝い。もちろんイユは表には出ない。裏で薬の調合や、器具及び包帯などの洗浄を行う。
「昔……イユちゃんのお母さんもここで働いてくれていたんだよ。看護師としてね」
じっちゃんがそう教えてくれた。
そこで俺は納得した。以前イユが俺に施してくれた手当が、なぜあそこまで的確だったのかを。ずばり、母親とこの診療所由来のものだったのだ。
「ユウヤ、この包帯畳むのお願い」
「りょーかい! そこ置いといてくれ。器具の片付け終わったらすぐやるぜ」
俺ももちろんイユと同じ手伝いをする。タダ飯と寝床まで提供してもらってる以上、片腕不全なんざ言い訳にならない。できる限りを尽くさにゃならん。
夜になると、今度は内職が待っている。
編み物やアクセサリー作りなど。ベッドの上か机に腰かけて、ひたすらに細々と地味な仕事。ここはさすがに俺の出る幕は無い。
「…………すぅ…………」
「! お……っと」
たまに、イユは作業の途中で眠ってしまう。机に突っ伏したり、こうやって隣に座る俺に寄りかかってきたり。
……間近で見るとよく分かる。顔の子供らしさというか、幼さというか。態度こそ大人びてはいても、イユはまだ16歳の……俺よりも歳下の女の子であると認識させられる。それがこんな、真っ白な顔の眼元にクマをつくるほどの生活を送っているのだ。
「……俺なんかはまだまだ……楽な生き方してるよなぁ……」
小さく寝息を立てるイユをそっとベッドに横にし、その細い身体に毛布をかけ、ランプの灯りを消す。
上から目線の同情だと言われてもいい。単なる俺の自己満足だと非難されても言い返せない。
だが、俺が信じてやったことは間違いじゃ無い。俺の右腕は……決して無駄に失ったわけじゃない。
これでいい。これでよかった。いや、こうでなくちゃいけなかった。
俺の心は、確信めいたそんな思いを綴る。眠るイユの右耳に光るイヤリングを見るたびに。そしてーー
「おはよ……ユウヤッ」
翌日、朝日よりも眩しい笑顔で、俺を起こしてくれる彼女を見るたびに。
「ーーおぉ〜……はよう〜……」
「さ、早く支度して。海に行くわよ」
「へいへい。今日は大人しい獲物にだけ会いてぇもんだぜ」
白肌の少女と右腕をぶらつかせる青年はそんな他愛も無い会話を交わす。
そんな彼らの団欒は、突然の家の戸を叩く音に邪魔される。ドンドンドン、と、乱暴に3度も。ボロボロの戸が破られそうだ。
「ッ? な、なに……?」
イユは肩をすくめながらも、恐る恐る戸を開ける。
外にいたのは、そろいもそろって顔を顰めた、十数人の男の集団。
身なりもまた全員共通。制帽と、白の詰め襟に銀ボタン……。
「失礼。我々は軍の者だ。ここはイユ・イデルの自宅で間違いないか?」
戸を叩いた張本人であろう先頭の男が、イユを見下ろしながらそう聞いた。
「は、はい……イユ・イデルは私……ですけど……」
「おいなんだあんたら。兵隊サンがイユに何の用だ」
大人気も無く少女に詰め寄る公帝軍兵士たちの前に割って立ち塞がった雄弥は、その隻眼で彼らを睨み返す。
「ーーいいや、混血の娘じゃない。どちらかといえばあなたに用があるんだ」
ぞわ。
集団の後方から投げかけられた声により、雄弥は自身の全身で鳥肌が起立したのを感じ取った。
やがて、恐ろしく顔立ちとスタイルの整った1人の若い男が、兵士共の群れをかき分け雄弥の正面に姿を現す。
飾り気の無い制服連中とは一線を画したその出立ち。たっぷりの潤いを含んだ鶯色の髪と袖の無い紅葉色のロングコートの対比が映える、実に華やかな出立ち。
そんな男は眼の前に立つ雄弥に、貼り付けたような慇懃無礼極まる笑みを向けた。
「僕はフラム・リフィリア。こんな朝早くから申し訳無ありませんが、こちらも仕事でね。どうか少しばかり……お付き合い願います」
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