第98話 動き出した公帝軍
ーー雄弥の治療が終わった、その日の真夜中。
ランプを持った大勢の公帝軍兵士たちが海岸の砂浜に集まっていた。雄弥が漂着し、彼とイユの出会いの場になった、あの砂浜である。
兵士たちはそこに転がる"ひとつの死体"のもとに群がり、口々に驚愕の言葉を飛び交わせている。
「……傷痕の形状や魔力残滓から推察するに、『波動』の特性による術でやられたようです。それも……一撃で……」
「た、たったの一撃!? 馬鹿な!! コイツは……エドメラルだぞ!!」
「並の者の仕業ではない……下手をすれば"五芒卿"に匹敵するほどの、凄まじい魔力を秘めている……!」
「しかし、ここマヨシー地区にはもう何度も摘発を入れたはずだ! 魔狂獣相手にこんなことをできる力を持つ者が残っているわけがない! ここでの最大監視対象はジャン・ジャックジャーノだが、ヤツは魔術に関してはてんで未熟じゃないか!」
彼らの会話の主題である死体とは、魔狂獣エドメラル。イユを襲っていたところを、雄弥の"砥嶺掌"によって上半身が消滅して死亡した個体だ。
生命活動を停止して1日以上が経過している上にこれでもかと潮風に晒されたため、そのエドメラルの下半身にはすでに蛆が湧きまくり、小虫もブンブン飛び回りながら鼻が曲がりそうな腐臭を漂わせている。
「ーーなるほど? ということはこのバケモノを仕留めたのはここの住人ではなく……どこからか潜り込んだ余所者だということだな」
そんなざわざわとした落ち着きの無い空間に、ひとつ"別格"の声が投下された。
声質がキレイだとかそういう話ではない。圧倒的な存在感を秘めた声。耳にした者が思わず頭を垂れて傅いてしまうような、重厚な威厳を持った声。
そう。それはすなわち、"強者"の声である。
「!! フラム様……!!」
兵士たちはみな一斉に、その主の方へと顔を向ける。
フラム、と呼ばれたその"強者"は、20代半ばほどの若い男性であった。
雄弥より少し高い身長に、鶯色のサラサラとした直毛のツーブロックを前髪センターパートにした、爽やか顔の男。中性のアルバノやワイルドのジェセリとも異なる、色白の正統な整い顔だ。
腕まくりをした乳白色の長袖シャツの上に紅葉色の袖無しロングコートを羽織り、緩いシルエットの黒ズボンにピカピカの茶色い革靴。そして、右手薬指に光る金の指輪。どうやら既婚者であるらしい。
真っ白な歯。きりりとした黒眼。明るい雰囲気……良いところは挙げても挙げてもキリが無い。天からあからさまな贔屓を受けたであろう人物。それが、このフラムという男だった。
「あ、そこのきみ。最後にこの地区に摘発を入れたのはいつだい?」
自分に視線を集める兵士たちの群れの中をぶらぶらと歩いて回るフラムは、すぐそばにいた自分よりも若い兵士ににこやかに問う。
「は、はい! や……約2ヶ月前です!」
「ああ、すまない。正確に頼むよ」
「はいッ! 申し訳ありません! えぇと……に、2ヶ月と4日前ですッ!」
「ありがとう。よし……なら、その後にここに訪れた者を片っ端から割り出せ。すでに街を出た者も含めて全員をだ。少しでも疑わしいヤツがいれば、ただちに拘束しろ」
「はッ!!」
フラムの発した命はその場にいた公帝軍兵士たちを突き動かし、砂浜にいた者たちはあっという間に散って行った。
「し……しかしフラム様。申し上げた通り、このエドメラルを倒したのはかなりの実力者であるとうかがえます。拘束するにしても一筋縄ではいかないかと……」
残った数少ない兵士のうちの1人がそう進言。しかし、フラムに臆する様子は無い。
「なに、いざとなればこの僕がそいつの相手をするさ。この〈煉卿〉フラム・リフィリアがな……」
……そう返した彼の美顔に、先程までの人当たりの良さは微塵も感じられなかった。
殺意と闘争心で飽和する瞳。そこにいるのは紛れも無く、戦いに生きる……"兵士"であった。
* * *
「はぁッ、はぁッ、はぁッ!! く……クソ……クソォォォッ!!」
一方、闇夜の森の中。ジャン・ジャックジャーノは、走っていた。
汗をかきすぎてバケツの水を被ったように全身をびしゃびしゃにし、涙と鼻水で顔もぐちゃぐちゃだった。
「役に立たねぇ子分どもだッ!! なんで俺の盾になる前に、全員喰われちまうんだよォォォッ!!」
草をかき分け木を躱し、背後より迫る怪物から死に物狂いで逃げる。
8本足の怪物。シーシーと鳴く怪物。ヒトとして十分大きな体格の彼を、軽く上回る巨体の怪物。……形だけ見れば、巨大な蜘蛛のような怪物。
やがて、逃げる大男の命運は尽きた。
「がッ!?」
もともと暗すぎて3歩先すら見通せない夜の森。そこを走る彼は、足元にあった木の根に気づかずにつまずいて転んでしまう。
ーー立ち上がらねばと思う前に、怪物は彼の脚にがぶりと噛み付いた。
「ぎゃあああーーーッ!!」
ジャックジャーノの悲鳴に、木々の葉が揺れる。
怪物は暴れる彼を2本の脚で押さえつけ、身動きのひとつも許さない。鋭い歯をもって皮膚をむしり、筋肉を頬張り、骨を貪る。ぐちゃぐちゃと生々しい音が響く。
「いぃいだいィィッ!! いだいいだいだいィィッ!!」
激痛に叫ぶのも束の間、ジャックジャーノの両脚はものの数十秒で失くなる。次は腰だ。次は腹。そのまた次は胸と腕……。
「やべ……やべでッ!! おでがいィィィッ!! ごんな……ごんなひどいのやべでよおォォォォォォッ!!」
死に際の懇願。プライドを捨て、尊厳を忘れ、生きることだけを望む姿。
……しかし悲しきかな。相手は、人語を解さぬバケモノであった。
蜘蛛型の怪物はとうとう、ジャックジャーノの腹に喰いついた。
「ああああああぎゃぁああああああああああ」
噴水のように漏れる血飛沫と、ずるりと飛び出る小腸。ジャックジャーノは内臓から逆流した血を口や鼻から溢れさせながら身体をぴくぴくと2、3度波打たせたのち、動かなくなった。
「ジジジジジジジジジ……」
……5分後。大男をつま先から頭のてっぺんまで余すことなく喰いつくした体長6メートル近い巨大蜘蛛は、森の奥へと歩き去って行った。
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