第44話 一年の幕開け
ブルーフォレスト領に嫁いだ私の最初の一年は終わりを迎え、暦は新しい年へと移行した。日本でいうところのお正月だ。
エラルド王国ではお正月という呼び方はないものの、新年という概念はある。国が変わろうと世界が違おうとも、新しい年をお祝いする気持ちは変わらない。
「エラルド王国とブルーフォレスト領の更なる発展を願って、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
ラウル様の音頭と共に、ブルーフォレスト邸に招待された賓客の皆様がグラスを掲げた。新年早々、ブルーフォレスト邸のパーティーホールは大勢の人で賑わっている。
当主であるラウル様の親族や近しい友人、仕事相手、ブルーフォレスト領で働く文官・武官の皆さんが招待されている。
なんでもブルーフォレスト家では、先祖代々新年は大勢のお客様を呼んで盛大に祝うのがしきたりなのだそうだ。
私は車椅子に乗ったラウル様の隣でグラスを掲げた。ちなみにラウル様のグラスの中身はお酒だけど、私のグラスの中身はりんごジュースである。
「エルシー、新年おめでとう」
「はい、ラウル様。新年おめでとうございます」
私とラウル様はお互いにグラスをカチンと合わせた。
「エルシーは酒を飲まないのか?」
「飲める年齢ですし、嫌いではないんですけど……すぐに酔ってしまいますので」
前世では二十歳以上だったからでお酒を飲んだことはある。今世でも結婚が許されるぐらいだから、もうお酒も飲める年齢だ。
だけど……この体はどうにもお酒に弱い体質らしく、少量でもすぐに酔ってしまう。
しかも私は可愛らしく酔うタイプではなく、良い言い方をすれば陽気になるタイプ……悪い言い方をすれば絡み酒の笑い上戸だ。
「ほら……以前ご一緒にお酒を飲んだ時に、ラウル様やエリオットさん相手に一晩中お米の素晴らしさについて語り続けたことがありましたよね?」
「ああ、あったな。あれはなかなかに貴重な体験だった」
ラウル様はおかしそうに笑う。あの時、私はラウル様のお酒に付き合う程度の気持ちだったのだが……早々に酔っ払ってしまい、延々とお米愛を語り続けた結果そのまま寝落ちしてしまったのだ。
あの時は気心知れたラウル様たちが相手だから良かったものの、大事なお客様の前で同じことをしてしまったら……考えただけで恐ろしい。
「領主の妻とは家を背負う立場です! 大事なお客様の前で、あのような醜態を晒す訳には参りませんから!」
「俺としてはあのエルシーも可愛いと思ったが」
「ラウル様!」
「だが、そうだな。あのエルシーの姿を他人の目に晒す必要もあるまい」
そう言ってラウル様は私の頭をポンポンと撫でた。……まさかこの人、私をからかって遊ぶことを覚えてしまった?
複雑な感情を抱いているところにエリオットさんが歩み寄ってくる。
「ラウル様、エルシー様、お取込み中失礼します。ブルーフォレスト領の役人として働く文官や武官の皆様にご挨拶をお願い致します」
「ああ、分かった」
「分かりました。エリオットさん、ありがとうございます」
私たちはエリオットさんに促されて挨拶回りをする。
ブルーフォレスト領では沢山の人が働いている。広大な領地を所有するのはブルーフォレスト辺境伯であるラウル様の一族だ。
だけど広大な土地を統治する上では、どうしてもブルーフォレスト家だけでは手が回らない。
そこでブルーフォレスト家に忠誠を誓う文官や武官の皆さんが、領地運営のために働いている。
私は車椅子に乗りながらラウル様と一緒に挨拶回りをしていると……見知った顔を見つけた。
「ブラウン男爵、新年おめでとうございます」
「これはこれは、エルシー様。それにラウル様も」
「ああ。新年おめでとう」
私の挨拶に答えてくれたのはブラウン男爵。ブルーフォレスト領で働く文官や武官の中でも、男爵の地位を持つ人でとても穏やかな人柄をしている。
ブラウン男爵家はブルーフォレスト領内における農地の管理・運営を任されている。
何せブルーフォレスト領は広い。広すぎるといっても過言ではない。峻険な山岳を挟んで王都周辺とは気候風土がまったく異なる為に、エラルド王国内では類を見ない程の広大な土地だ。
だからブルーフォレスト領内を効率よく運営するためには、優秀な補佐官が必要不可欠である。
土地が広すぎるということは、当然ながら領主の仕事も増えるということ。
鉱業、交易、農業……それぞれの仕事には専門的な知識や技能が必要になるので、その分野の優秀な人材がブルーフォレスト領には必要不可欠なのだ。
「ブラウン男爵には昨年お世話になりました。今年もまたご協力をお願いすることになると思うので、その際はどうぞよろしくお願い致します」
「エルシー様にそう言っていただけるとは……こちらこそ、よろしくお願い致します。エルシー様の画期的な改革のおかげで従来は軽視されがちだったブルーフォレスト領における農業の価値が見直されております。今年は去年の三倍、いえ、五倍の規模で米作りを行わせていただきますよ」
「それは楽しみです!」
もう既にブラウン男爵家にも種籾を分けて来年の米作りに備えてもらっている。
今日の立食パーティーでは米料理も少なからず提供している。賓客たちはおっかなびっくり米料理に手を伸ばしては、近くにいる使用人たちの説明を聞きながら口に運んでいた。
「ほう、これは美味しい! おにぎりとは少々変わった料理ですが、立食パーティーに持って来いの逸品ですな」
「まあ、こちらのお菓子は小麦粉ではなくお米の粉を使用なさっているの? もっちりとしていて、ほのかな甘みが絶妙ですわね」
賓客の皆様にも米料理は好評のようだ。みんな笑顔で米料理に舌鼓を打っている。
その様子を見ていると私の顔にも自然と笑顔が浮かぶ。自分の努力が認められたようで嬉しい。でもそれ以上に、お米の素晴らしさを少しでも広められたことが嬉しかった。
私たちがブラウン男爵と歓談していると、人込みの中から背の高い藍色の髪の青年が歩み寄ってきた。
「父上、こちらにお出ででしたか。……領主様、エルシー様、ご無沙汰いたしております。クロード・ブラウン男爵の息子マティアスでございます」
そういって深々と頭を下げる青年は、本人からも紹介があった通り、ブラウン男爵の御子息だ。
フルネームはマティアス・ブラウン。愛称はマシュー。年齢は二十歳。
藍色の髪に同色の瞳。病的なまでに白い肌と、百九十センチに近い長身を持つモデル体型の青年だ。
王都の宮廷学院を主席で卒業した後、ブルーフォレスト領に戻って父の仕事を支えながら独自の研究に励んでいる。
……と、ここまでなら優秀で模範的な素晴らしい人物なのだけれど、彼は少々変わっている。
それは容姿にも言える。大まかな特徴だけを述べると端整な美青年だけど、両目の周りに深く刻まれた黒い隈と、白いを通り越して青白い顔色。
それらの特徴が、彼をただの美青年とは言い難い迫力を醸し出している。
「久しぶりだな、マシュー。本日のパーティーは楽しめているか?」
年が近いこともあってラウル様はマティアスーーマシューと仲が良い。軽くグラスを重ね合わせた後でラウル様が尋ねると、マシューは笑顔を浮かべた。
「はい、おかげ様で楽しませていただいております。……いやあ、それにしてもブルーフォレスト家の料理は素晴らしいですね。特にオードブルで提供なさっているチーズの盛り合わせ、あれは最高です……! 青カビチーズに白カビチーズのなんと素晴らしいことか……! やはり菌類は至高……!」
「おい、マティアス! 領主様の前だぞ、自分の世界に没頭するでない!」
「おっと、失礼いたしました」
「まったく……相変わらずだな」
ラウル様は苦笑している。いや、これは引きつっているという表現が正しいか。
マシューは重度の菌類マニアだ。宮廷学院では菌類学を専攻していたらしい。菌類の研究に日夜没頭しては、書斎や自室に籠っているらしい。
「息子には将来立派な農学者になってほしいと王都へ送り出したというのに、何故このような菌類マニアに育ってしまったのか……」
「はは、良いではないか。少々没頭しがちなところはあるが、マシューの研究には助けられているぞ。なあ、エルシー?」
「はい、その通りですとも」
そうなのだ。マシューは変わり者だけれど、とても優秀だ。そして私の夢を叶える為にも、彼の存在は必要不可欠だと言っても過言ではない。
私は数ヶ月前、マシューと初めて出会った時のことを思い出していた。
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