5.辺境の街
サルバーレ王国最北端。
一年を通して雪で覆われた山脈を超えた先に、小さな街がある。
街の名前はアトランタ。
大昔、人々の楽園がこの地にあったという伝承から、この名前は付けられたそうだ。
しかし伝承はあくまで過去のこと。
今の街の風景を見れば、楽園とは程遠いとわかるだろう。
食料や物資は毎年ギリギリで、他の街とも離れているから協力もし辛い。
国からは半ば忘れられて、援助なんてない。
寒さと貧困に耐えながら、人々は慎ましい生活を送っていた。
そんな街にも、最近は良い変化があったと、怪我をしたお爺さんは言う。
「聖女様が来てくれたことだよ」
「そんな、私なんて何も……」
「何を言う。こうしてワシの怪我も治してくれた。昨日は家内の畑を手伝ってくれたそうじゃないか。わざわざすまんのう」
「い、いえ、私には傷を治すことくらいしか出来ないので、これくらいは」
俯く私とは対照的に、お爺さんは天井を見上げる。
街の外れにある小さな教会は、所々が錆びて壊れかけているけど、ちゃんと建っていた。
そこで私は今、聖女として働いている。
「この街には……長らく医者もおらなんだ。ちょっとした怪我が原因で、命を落とした者もおる。貴女はこの程度というがな。ワシらにとっては大切なことなんじゃよ」
「お爺さん……」
「そうそう。人からの好意は、ちゃんと素直に受け取るべきだと思うよ」
私の後ろからそう言ったのは、騎士の格好に身を包んだユーリだった。
「レナは自分を過小評価しすぎだ。これまでのことがあるし、多少は仕方ないと思うけどさ。君に助けられてる人は確かにいるんだ。そのことまで否定しちゃだめだよ」
「ユーリ……」
相変わらず真っすぐに、優しい言葉をくれる。
王城にいた頃から、彼の言葉には励まされた。
そして今でも。
「さすがワシらの剣。良いことを言うのう」
「ははっ、言葉だけですよ」
「いいや、お前さんにも助けられておる。荷物の運搬やら建物の修理やら、進んでやってくれとるしのう。騎士に雑用ばかりさせてしまったすまないと思とる」
「別に良いですよ。騎士の役目は、人々の生活を守ることですから。剣を振るうことだけが騎士の仕事じゃない」
「そうかそうか、そう言ってくれるか。お前さんのような男が、本物の騎士なんじゃろう……」
しみじみと感じたように噛みしめて、お爺さんは私にニコリと微笑みかける。
「聖女様は、良き友を持っているようじゃな」
「――はい。私には勿体ないくらいです」
心からそう思える。
この街に来て一か月、彼には支えられっぱなしだ。
お爺さんが教会を出ていく。
私とユーリが手を振って見送る。
「良い人だね」
「うん。お爺さんだけじゃないよ。この街の人はみんな優しくて親切だよ」
「ああ」
最初は不安だったけど、街の人たちの優しさに触れて、頼りになるユーリもいて、今は不安も治まってきていた。
それに……
「ここには穢れもほとんどないし、私くらい力が弱くても役に立てそうで良かった」
「穢れ……か。結局一度も見たことないんだけど」
「見なくて良いなら、見えないほうがいいよ。あんなの不気味で……怖いだけだから」
人間、動物、昆虫。
命ある者で、少なからず感情を持っている者から発せられる負の力。
恨みや悲しみ、劣等感や孤独感など。
悪い感情を抱き、それが集まることで漏れ出す力……それが穢れ。
穢れは世界を侵食し、汚染する。
放っておけば世界中を飲み込み、命が生まれない世界になるだろう。
そうならないように、私たち聖女が存在する。
聖女の力と、その加護を受けた者だけが、穢れを視認し祓うことが出来る。
「穢れは黒くて、見ているだけで気分が悪くなるの。あんなもの、見たいって人はいないよ」
「そっか。俺のは単なる好奇心だからな。それに爺さんにはあー言ったけど、さすがに何もなさすぎて、剣が錆びそうだ」
ユーリは腰の剣をトンと叩く。
さっきは格好良い事を言っていたのに。
でも、そうだよね。
彼がずっと、一人で剣の稽古をしていた姿を見ているから、そう思うのも無理はないとわかる。
「ちょっと素振りでもしてくるかな」
そう言って、彼は教会の裏にある庭に向けて歩く。
と、その途中でピタリと止まる。
背筋が凍るような寒気がした。
私とユーリが同時に感じる。
「な、何だ?」
ユーリは初めての感覚に戸惑っている。
だけど私には、その正体がわかった。
「こ、この感じ……穢れ」
「何? どこだ!」
「え、えっと」
感じる方角。
強く歪んだ気配は――
「街の近くの森!」
「まずい……急ごう!」
私とユーリは急いで教会を出た。
坂道を駆け下りて、気配のする方へ向かう。
到着する直前に、女性の大きな叫び声が木霊して。
「た、助けてぇ!」
まだ距離が遠い。
ユーリは私に走る速さを合わせている。
これじゃ間に合わない。
「くそっ!」
「ユーリは先に行って! 私もすぐ追いつくから」
「わかった」
ユーリが全力で駆けていく。
私は自分の出せる全力で脚を回し、街の人たちに呼びかける。
「何の騒ぎだ?」
「森に穢れが現れました! 皆さんは家の中から出ないでください!」
どうか間に合ってほしい。
せつなる想いで駆け抜けた。
そして、五分くらいだろうか?
ユーリに遅れて、私は穢れの前に辿りついた。
「はぁ……っ……」
「ユーリ!」
ボロボロのユーリが剣を構えている。
眼前には、大きなクマの形をした穢れが悪意のすべてをユーリに向けていた。






