84 エピローグ
――祝賀会のあとは、スタッフたちと小さな慰労パーティーが開かれた。
その後に待っていたのは、山積みの公務である。公爵令嬢にして実務の長でもあるアンリエッタに、休む暇はなかった。
公務の合間の楽しみは、持ち込まれた販売前商品の公認チェックだ。
チェス大会の盛況、そして中継技術の成功により、多くの商人が「アグスティアに商機あり」と殺到してきた。
アンリエッタは忠犬騎士ワンダリオンと猫姫にゃんりえったのキャラクターを公認ブランドとして解放したが、使用には必ずアグスティアの承認が必要。
一定の品質とモラルを保つための取り決めである。
粗悪品やモラルを欠いた商品は容赦なく却下される。
そして、公認マークのないものは販売停止処分――にもかかわらず、申請は止まらない。理由は簡単。出せば売れるから。
「さあ、今日はどんな商品が持ち込まれるかしら」
わくわくと書類をめくり、次なる品を確認したアンリエッタは、思わず目を丸くした。
「ええと、次は……なにこれ……ワンリオン&にゃんりえったの手つなぎぬいぐるみ? か、可愛いじゃない……」
机に並べられたぬいぐるみは、ふわふわの柔らかな布地で丁寧に縫われ、二つのキャラクターが手を繋いでいる。しかも、その手は磁石でくっついて外れにくい仕様になっていた。
「わ、わたくしたちが、こんな……っ、手を……! しかも、離れにくいようにしてあるだなんて……!」
――正確にはワンダリオンとにゃんりえったなのだが。
もはやこれは自分たちの分身である。その分身が、こんなに仲良さそうに――
隣で見ていたダリオンが、無表情のままぬいぐるみを手に取り、軽く押し合わせてみる。
ぴとっと引っ付いて、しっかりと手が繋がれた。
「……想像以上に強力だな。これでは離せない」
「離そうとしていなくない?」
「……離せない」
頑なな一言に、アンリエッタは頬を赤らめるしかなかった。
(物理現象に感情を乗せないで……!)
そして、次に出されてきたのは大会記念のチェスセットだった。
特別仕様の豪華版。
盤上に並ぶ駒のうち、キングはダリオンを模した姿、そしてクイーンはアンリエッタを模した姿で造形されていた。
「ちょっと待ちなさい! キングはわたくしでしょ? わたくしが次の公爵であり、主催者であり、そして女神だったのだから! お父様がキングならまだ理解できるけれど……どうしてあなたがキングなの?!」
「大会の勝者だからだろう」
あまりにも正論。だがそういう問題ではないのだ。
「最強の駒は君がモデルだ。よく似合っている。……むしろ、君にしか務まらない」
「……そ、それは、そうかもしれないけれど」
それでもやはり自分がクイーンで、ダリオンがキングというのは納得がいかない。
むっとしていると、ダリオンは少しだけ笑って。
「君がクイーンだからこそ、私はナイトでありルークであり――時にキングになる」
当然のように言うものだから、言葉を失う。
どんな立場になっても変わらずアンリエッタの傍にいると言っているようなものだ。
アンリエッタは火照る頬を隠すように俯いた。
「――まあいいわ。これが売れると皆が思っているのなら。売れれば売れるだけマージンも入るし」
台帳に承認のサインを入れる。
そうしてワンダリオンとにゃんりえったの手つなぎぬいぐるみ、そして記念チェスセットは公認グッズとして世に出ることとなった。
「そういえばあなた、優勝賞金はどうしたの?」
ふと気になって聞く。王都に家を建てられるぐらいの金額だ。贅沢をしなければ一生安泰である。
加えて黄金像を換金すれば、遊んで暮らせるだけの金額になる。
「……必要なものがあって、その資金に充てた」
「黄金像も?」
「いや、あれは生涯手放すつもりはない」
「それはそれでもったいないわね。美術品的評価もついたら相当な価値になるのに」
「……もし必要な時が来ればそれも考えるが、いまのところその予定はない」
「本当、堅実ね」
やや呆れながら笑いながらも、ダリオンらしいと思った。
◆◆◆
――そうやって数か月、公務が落ち着いたころ。
アンリエッタは冒険者服に身を包み、携帯スライムハウスにイムを入れた。
公爵家の跡継ぎとしての仕事は大事だ。
だが、世界を見て回るのも大事なことだ。
世界を知り、人々を知る――そのためには、冒険者の姿が最も適している。
「――ダリオン、準備はできた?」
「ああ。君こそ忘れ物はないか」
「あったら自分で作るわ。それじゃあ、行きましょうか」
旅立とうとしたアンリエッタの背中に、ダリオンの声がかかる。
「――本当にいいのか?」
それは、せっかく戻った場所から離れていいかの確認だ。
公爵令嬢という地位を取り戻したにもかかわらず、また冒険者に戻るなんて、普通ではないだろう。
「ええ、だってこれがわたくしのやりたいことだもの。――あなたこそ、いいの? わたくしについてきても」
アンリエッタも確認する。
ダリオンはもはや誰もが知る英雄だ。どんな仕事も地位も、本人が望めば叶えられる。それを捨てて冒険者に戻っていいのかと。
「私の願いは、君を守り続けることだ。君がいない場所に、私の存在意義はない」
「わたくしの願いは、あなたと色んな景色を見ることよ。一人じゃつまらないわ」
ダリオンはかすかに息を呑み、頷いた。
「……そうか」
「ええ、そうよ」
ダリオンは静かにアイテム鞄から小さな箱を取り出した。
「――アンリエッタ、いつか君が本当に望んでくれた時に――」
大きな手が、小さな箱を開ける。
そこには、眩い金色の指輪が輝いていた。
「私を伴侶としてほしい。これから先も君を守り、共に歩みたい」
「――――」
――言葉が、出ない。
息も忘れる。
「……本当に、わたくしでいいの?」
最初に零れたのは、我ながら可愛げのない言葉だった。
「わたくし、面倒くさいし、突拍子もない行動ばかりだし、あなたを振り回してばかりよ? 甘えるし、頼りにしちゃうし……執念深いし……きっと、一生離さなくなるわ」
口が止まらない。自分のことは自分が一番よくわかっている。
恋人同士という曖昧な関係なら、自然と解消することもできる。
だが、これを受け取ってしまったら――もう二度と戻れないような気がした。
それでも――
「ああ。そんな君を愛している」
迷いなく言い切られて、それ以上何か言えるアンリエッタではなかった。
「……いつ用意したの?」
「大会後から」
「優勝賞金使った?」
「ああ、一部に」
「待って、賞金だけじゃないの?! もしかしてトロフィーを換金した?」
「いや。あれは一生大切にするつもりだ。手持ちの資産と賞金をほぼすべてといったところか」
――この、小さな円環に。手持ちの全財産を?
「す、少しは残しておくとか……」
「それでは意味がない。たとえ断られたとしても、示したかった。私のすべてを懸けて、君を愛していると」
アンリエッタは全身が真っ赤になっていくのを感じる。
――信じられない。信じられない。信じられない。
放っておけない。できるわけがない。
「……いいわ。受け取ってあげる。その代わり、ずっと一緒にいてね」
「――ああ。私のすべてを懸けて」
左手を差し出すと、ダリオンが薬指に指輪をはめる。
小さくて、軽くて、どこまでも重くて、ぴったりで――
その感触が、いままで生きてきた中で、一番幸せだった。
──了──





