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愛する貴方の心から消えた私は…  作者: 矢野りと


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4.新たな生活

天秤に掛けられないものを無理矢理はかろうとする。当然のことだが天秤はぐらぐら揺れるだけで、どちらも選べない。


「……分かりました。彼らを受け入れます」


私の口から紡がれた言葉は彼の望みを叶えるものだった。


選んだんじゃない…。どちらも選べなかったから、そう言うしかなかっただけ。


それを聞き彼の表情は和らぎ、私に礼を言ってくる。


「本当に有り難う!こんな事になったけどお互いに協力して上手くやっていこう。君が望むことはできる限り叶えるようにするから遠慮しないでくれ。

彼女も不安がっていたから『大丈夫だ』と早く知らせてあげたい。すまないが、先に失礼するよ」


その表情は本当に幸せそうで、彼は嬉しさを隠すことなく足早に部屋を出て行った。

私に向かって『有り難う!』と何度も丁寧に礼を言いながら…。


 これで…本当にいいの……かな。

 分からないでも…、うっう…う…。


部屋に残った私は一人で泣き崩れていた。

自分で彼の願いを受け入れたくせに後悔に襲われる。

でもどうすれば良かったというんだろう。

何を選んだって私が満足する答えでは彼が受け入れるはずはない。


それが分かっているからこそ、ああ言うしかなかった。


彼を愛している私には選択肢なんて最初っからなかった。


きっとこれからの生活は辛いものになるだろう。

そんなことは十分すぎるほど分かっている。


彼が他の人を愛する姿を見たくはない。


でも…でも…、彼のそばにいたい。



矛盾する2つの願いに心は翻弄され、私は自ら茨の道に足を踏み出してしまった。






周囲からの反対を押し切る形で私と夫と妾とその子供での生活が始まることになった。


エドが連れてきた女性はラミアと名乗り、彼に連れられ私に挨拶をしてきた。


「ラミアと申します。この度は本当に申し訳ございませんでした。まさか彼にマリア様のような素敵な奥様がいらっしゃると知らずに…。

このお屋敷に住まわせていただきますが、妾という立場を弁えご迷惑にならないように致します」


「…ええ、よろしくね」


申し訳無さそうな表情で挨拶をするラミアに私も短い言葉を返す。だが会話は続かず、夫が気を使って話を繋ごうとする。


「ラミア、そんなに固くならなくても大丈夫だよ。マリアはちゃんと私と君のことを理解してくれているから。それにこの子のことだって認めてくれたんだ。彼女は本当に優しい人だよ」


そう言って夫はラミアの腕の中で眠っている我が子を愛おしそうに見つめている。


夫とラミアの子であるケビンは正妻である私が認めたのでダイソン伯爵家の嫡男として正式に届けを済ませている。

この先、正妻である私に子ができなければこの子がこの家の後継ぎとなる。


「エディ…そんなこと言っても私は妾なんだしちゃんと弁えなくてはいけないわ。マリア様が優しいからといって、甘えるわけにはいかないのよ。そもそも私が間違っていたのだから…」

「ラミア、『私が』じゃない。間違えてしまったのは『私達が』だ。この結果を君だけに背負わせるつもりはない。二人で乗り越えていこう、分かったかい?

マリアは素晴らしい女性だから、ケビンも受け入れてくれたんだ。私達がすることは卑屈になることじゃない、この子を立派に育てることが、認めてくれた彼女に報いることになる。

そうだよね、マリア?」



彼は私に同意を求めてくる。

彼の言うことは間違ってはいない。正妻が認めた妾の子が優秀に育てばその子を受け入れた私の評価も上がる。

『寛容な正妻がいたからこそ良い子に育った』と。


でも私は心が狭いからそんなことは望んでいない。

あなた達の子であって、私の子ではないのだから。分かっているの…エド?


「………そうね」


私の口から出た言葉に心は籠もっていないけれど、彼らは気づかない。


「ほら、マリアもこう言ってくれているんだ。この子の親として頑張っていこう。有り難う、マリア」

「分かったわ、エディ。マリア様、本当に有り難うございます」


嬉しそうに微笑み合う二人はお互いを思いやる幸せな夫婦そのものだった。


妾のラミアも決して嫌な感情を抱かせるような女性ではない。丁寧で謙虚な態度はこんな出会いでなかったら好感を持っていただろう。


 もっと嫌な女性だったら良かったのに…。


そう思ってしまう自分の醜さが嫌になる。


挨拶を終えて私から離れていく三人の後ろ姿を見つめる。見たくないのに目を逸らすことは出来なかった。



もし私とエドの間に子がいたら、きっとあんな風に子を抱きながら二人で笑い合っていたんだろうか。

考えても仕方がないことを考えてしまう。


 今更よね…。

 私には子はいないのに……。




こうして新しい生活が始まったけれども、私は慣れることは出来なかった。


エドもラミアも私に気を使って生活してくれているのは分かっている。周りからはこの状況を受け入れた健気な正妻として評価もされている。


私の両親や義父母や義弟や夫の友人達は事あるごとに、この状況の解消を夫に求めてくれている。

『マリアの優しさに甘えるな、後悔するぞ』と言って。

決して私を蔑ろにする事はない夫だけれども、周囲の声に頷くことはない。それだけは頑なに拒絶している。


でもそれ以外では大切な家族との仲を見せつけないように私に最大限の配慮をして暮らしてくれている。

それはエドだけでなくラミアもだし、私の周りにいるすべての人達がそうだった。


憐れな正妻だけれども、その点においては恵まれているのだろう。

おかしな言い方だけれど、最低な状況のなかで最高の待遇を私は受けているといえた。


でもふとした時に目にする、夫とラミアの愛に心がどんどん削られていく。


彼らが私の前でいちゃついているわけではない。

でもその『眼差し』『呼び合う声音』『さりげない動作』全てから、彼らのお互いへの愛を感じ取ってしまう。



その度に彼の愛する人が私ではないと思い知る。


彼にとってはラミアが最初からいる愛する妻であって、私はあとから突きつけられた拒否できない正妻でしかない。

周りがどう言おうと、書類上の事実がどうだろうと、記憶のない彼にはそれが真実だ。


だから彼は失った記憶を取り戻そうと焦ってもいない、だって取り戻す必要なんてないからだ。


彼にとって今の状況は歪んでいるけどある意味完璧で…何も欠けていないのだから。


そんな日々に私だけがついていけなかった、…やはり無理があったのだ。



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