18.近づく距離①
いつしかヒューイ様は私を『マリア嬢』ではなく、『マリア』と呼ぶようになっていた。
それは孤児院で一緒に仕事をする仲間としては自然な流れで、特別なことではない。
ここでは私が貴族であることは関係ない。だから他の人達からも『マリアさん』とか『マリア』と呼ばれている。
そして私もヒューイ様を『ヒューイ』と今は呼ばせて貰うようになっている。
それは彼の方からの申し出だった。
『俺の方だけ君を呼び捨てなのも気が引ける。どうだろうか、これからはヒューイと気軽に呼んでくれないか。
…仕事仲間なのだから遠慮しないでくれ』
真っ直ぐに見つめるながら話す彼の口調は真剣そのもの。『仕事仲間』という重要な言葉が、私の耳から抜け落ちてしまいそうになる。
深い意味なんてないわ。
一緒に仕事をしている仲間だもの。
彼の申し出を拒む理由なんてない。
『え、ええ…そうですね。ではこれからは…、ヒューイと呼ばせてもらいますね』
初めて彼をそう呼ぶと、彼は『マリア』と微笑みながら私の名を呼んでくれる。
なんだかお互いに照れくさくていつものように会話が続かない。
『仕事仲間だから、』
『仕事仲間ですから、』
同時に言い訳というか呼び方を変えた理由をわざわざ口にする。
言わなくていい意味のない言葉だったのに、なぜか息はピッタリだった。
なんともいえない雰囲気が漂い、そして顔を見合わせお互いに声を上げて笑ってしまった。
お互いに『マリア』『ヒューイ』と呼ぶ関係になって自然と距離が近くなっていく。
それは変な意味ではない。
彼の孤児院での仕事も順調に進み、『クーガー伯爵家が治めている領内のことだから礼儀として報告をしたい』と我が家に顔を出すようになったからだ。
最初はダイソン伯爵家の親戚であるヒューイ・マイルを、両親と兄ノーマンは歓迎しなかった。
失礼な態度こそ取らなかったが、慇懃無礼ともいえる丁寧すぎる態度で『親しくする気はありません』としっかり意思表示をする。
もちろんヒューイがそのあからさまな態度の意味に気がつかないわけはない。
「ごめんなさいヒューイ、嫌な思いをさせてしまって。どうしても家族は私のことを心配するあまり、ダイソン家の親戚である貴方を警戒してしまっているの」
私の過去は彼には関係はない。それなのにこんな形で巻き込んでしまい申し訳なく思う。
謝る私に彼が返してきた言葉は意外なものだった。
「良いご家族じゃないか。マリアが謝る必要なんてない、あんな素晴らしい家族がいることを誇るべきだ。
それに君が温かい家族に囲まれていると分かってほっとしているんだ。
マリアは本当に周りの人に恵まれているな。
いいや、それは違うな。君だから、そういう人達が自然と引き寄せられているんだろう。
それに君のそばにいると関わった人達はみな心が豊かに成長していく。意識していないだろうけど、君はそんな素晴らしい人なんだよ」
彼の口から出た私への過大評価に赤面してしまう。
「ヒューイったら私を買い被り過ぎよ。未熟な私はただ周りの人に助けて貰っているだけだわ。
でも家族のことをそんな風に思ってくれてありがとう。それは凄く嬉しい」
彼のほうが貴族としては上位だから、我が家の態度を非難してもいい立場なのに彼はそれをしない。
それどころか素敵な家族だと受け止めてくれている。
それだけではなく家族の態度を気にしている私を慰めようと、恥ずかしいほどの過大評価でさり気なく話を変えてくる。
彼は流石だった。
どんな時でも誰を前にしてもブレることはない。
彼はそれからも我が家への報告を欠かすことはなかった。彼のほうが出向くのではなく、クーガー伯爵家当主を呼びつけてもいいのに、自ら足を運ぶことを止めない。
彼の言動や振る舞いを知るにつれ、私の家族の頑なな態度も徐々に変化していく。
いつの間にか彼と兄は意気投合し親友のような間柄になり、両親も噂とは違う彼の人柄を気に入り頻繁に我が家に招くようになっている。
気づけばヒューイ・マイルは『私の元夫の従兄弟』ではなく『ただの好青年』としてクーガー伯爵家で認識されるようになっていた。
そして彼と家族ぐるみの付き合いをするようになった頃、珍しくこの領地に季節外れの嵐がやってくることになった。




