13.一歩前へ
『記憶喪失の夫のすべてを受け入れていた健気な妻と奇跡の帰還を果たした夫の離縁』は社交界の格好の話題となった。
夜会などに出ると興味津々で当事者である私に人々は声を掛けてくる。
「本当にお辛い目にあいましたね、信じていた夫に裏切られるなんてお可哀そうに…。私はマリア様の味方ですわ。女狐のこと教えてくださいませ、皆にその女の真の姿を広めて差し上げますわ」
「微力ながら私も出来ることを致しますわ、遠慮なさらずにおっしゃってくださいな」
私の味方だと言っているのは顔見知り程度の令嬢達。
表面上は労っている物言いだが、周りを囲む人々の目は輝き、口角はしっかりと上がっている。
彼らの目的は私を慰めることではなく、最新の醜聞なのだろう。
噂は貴族にとって娯楽に過ぎないが、噂をされる側にとっては死活問題。対応を間違えれば餌食にされ身も心も食い尽くされる。
「お気遣い有り難うございます。ですが女狐と言われても私には心当たりはございませんの。いったい誰のことでしょうか?」
私はわざと首を傾げながら周りを囲む人々に尋ねる。
彼らは私が嬉々として離縁の話をすると思っていたのだろう。思ってもいなかった返事に狼狽を隠せない。
「…えっと、ほらマリア様を追い出した…」
「お優しいマリア様を苦しめた者がいたんではないですか…」
皆の頭に浮かんでいるのはただ一人だが、誰もがはっきりとその名を口にはしない。
ダイソン伯爵家は力がある。元夫であるエドワード・ダイソンは宰相補佐として仕事に復帰し、その優秀さで空白の期間を埋め、王宮での地位も信頼も失ってはいない。
それに私の実家であるクーガー伯爵家も同等の力を持っている。
片方だけならいざ知らず、両家を敵にまわすのは誰にとっても避けたいはず。
誰もが醜聞は欲していたが、それは自分の口から紡がれた言葉ではなく他人から聞いたことでなくてはならない。
そうでなくては安心して楽しめないから。
誰かの逆鱗に触れ、自分がその責任を取ることにはなりたくないのだろう。
「ふふふ、皆様なにか思い違いでもしているのでしょうね。私は追い出されてもいませんし、この通り楽しく過ごしておりますわ。
誰のことを言いたいのか分かりかねますが、はっきりしたことが分かりましたら私にもぜひ教えて下さいませ」
微笑みながらそう答える私。
嘘は言っていない。周りがどう思おうと離縁はこちらから望んだことで追い出されたとは思っていない。
私の意図は正しく伝わったようで、誰もが空気を読んで引き下がる言葉を口にする。
「…え、ええ…そう致しますわ。お幸せそうなマリア様にお会いできて良かったですわ、おっほっほ」
「ほっほ…ほ、…なにか勘違いしていたようですわね」
「皆様と有意義なお話が出来て良かったですわ、ではご機嫌よう」
人々は私から得られるものがないと分かるとがっかりした表情を隠しながら去っていく。
こうやって私は醜聞を抑えていった。
本当はしばらく静かに過ごしたかったけれど、雲隠れして好きなように噂されるより、こうして今のうちにつまらない噂自体を消していったほうがいい。
過去は変えられないけれども、新たな人生の始まりを嫌なものにしたくない。周りに踊らされて言葉を紡いでも明るい未来が待っているとは思えない。
私はいつかエドワードと会う時があったら、誇れる自分でいたい。真っ直ぐに目を見て話せる自分でありたい。
それには陰口や悪口は不要なもの。
自分を磨いて幸せになって、過去を懐かしめるほどになっていたほうがいい。
私だけでなくこの離縁に関わった人達も賢い選択をする。クーガー伯爵家とダイソン伯爵家はともに互いを非難し合うこともいがみ合うこともなかった。
それは離縁の条件ではなく、私の望みを悟ってくれての行動だった。
それらによって人々の関心は早々に薄まり、新たな話題へと関心は移っていった。
結局は他人の不幸は蜜の味で、揉めることがない円満な離縁に人々は面白みを感じなかったのだろう。
社交界での噂を消す必要もなくなった頃に私は王都から離れ、領地にある屋敷へと戻っていった。
それは逃げではなく、新たな人生を模索するため。
この選択が思いがけない人物との再会に繋がるなんて、この時の私は想像もしていなかった。
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