1ー7
俺は数日前まで普通の人生を歩んできた。
高校を卒業後、就職し二十数年。その間に両親が亡くなり築八十年は経つアパートには一人暮らし。妻なし恋人なし腹回りが気になるお年頃になった俺だが、最近ようやく人生の転換期を迎えた。
家に一月まるまる帰さなかった事もある会社の普通の社畜な俺は突然、解雇。退職金も取り上げられ人生詰み状態になった。
そして廃校になった母校で不思議な出会いが。
それが俺が持っている紙媒体なのにタップ、ズームイン、アウト。自動で過去ログが更新される奇妙なノートである。
このノートは“領地”を管理する為に必要らしい。“領地”には“領民”が住んでいて過去のログには“エルフ”やら“ドワーフ”やら“ノーム”に“獣人”、“吸血鬼”等々《などなど》……ゲームで出てくるような“領民”が“解放された”とあり、“領民”のリーダーを決めてください、とあった。
しかし、一番最後のつまり最新のログには
未設定の存在は体調の悪化の為、倒れました。四時間程で死亡しますがどうしますか
日常では使われない、非日常な言葉が残されていた。
イヤイヤイヤイヤイヤイヤ、どうしますか? じゃ無いから。なにを聞いてるんよっ聞くよりとっとと助けろよっ!
「死なすな。」
短くノートに書く。苛立ちを込めて力を入れて書いたが、このノート野郎、破ける所かよれすらしねぇ。
即座に文章が浮かび上がった。
未確認の存在を確認に向かった領民に救助させます。よろしいですか? YES Or NO
YESYESYESYESYES
おらおらおらおらおらっとノートのYESを叩きまくると新しい文字が浮かび上がってきた。
領民が未確認の存在と接触しました。未確認の存在は若い女性。極度の衰弱状態。意識不明の為、名前、住所、年齢、不明。領地立ち入り許可無し。未確認の存在を不法侵入者と認定します。不法侵入者を削除します。
削除ぉっ? 削除ってなんだっ! 削除したらダメだろぉっ!
「た・す・け・ろっ!」
どれだけ力を込めて書いてもノートは破れるような感じは無くペンの先の方が潰れた。
もう、こうしちゃいられない。俺はノートを丸めて持ったまま“領地”である元小学校へ走った。
アパートから走って十分弱、中年の俺が叫びながら元の小学校に着いた時、昼前だからだろうか? 暇そうな奥さん連中が気味悪そうに見ていた。俺も目をひんむいて見上げる。
俺はよく「目ん球が落ちそう」と言われる程、目を見開いた顔つきをしているが、この時ばかりは本当に落ちてしまわないか、と自分でも心配になるぐらいひんむいた。
後で目の奥の筋肉が痛くなったし。
フェンス越しに見える元小学校は“異郷化”していた。
元は樹齢四十年ぐらいの桜の樹が等間隔に植えてあっただけの見晴らしのいい校内は昨日の今日で鬱蒼と繁る木々、草花に覆われ向こう側にあるはずの校舎すら見えない。校門から覗くと正面に見えていた二宮金次郎像が蛇行して延びる道の先にかろうじて見える。感覚的なものでしかないが数キロはありそうな感じだ。校門からすぐ横のプール場はそれに併せこちらも数キロぐらいはある大きさになっていた。しかし、校門から遠くなって小さく見える小学校は相変わらず三階建てで大きさが変わったように見えない。
街中にある元小学校は一晩で成長して、中学、高校を卒業し大学になったのだろうか。もうすぐ成人式を行ない就職訓練校になるのだろうか。そしてゆくゆくは生涯学習の為に教室を開放するのだろうか。
俺は小学校がブレザーの制服や成人式の和服を着ているのを想像して頭を振った。……有り得るわけがない。更に言えば街中にある小学校の敷地が増えるなんて事も有り得ない。しかも、周りになんの影響もなく。
奥さん連中が気味悪そうにしている理由が分かった所でようやく“領地の解放”の意味が分かる。この有り得るわけがない理不尽な現実が“そう”なのだろう。そして、この“領地の中”に“誰か”がいて“誰か”がいる訳だ。
俺は意を決して小学校の敷地に入った。
とりあえず向かうは二宮金次郎像の所だ。
歩き始めて十数分、金次郎像は見えるがまだ着かない。まさか、と振り向くと正門の石柱が遠くに見える。つまり、俺は小学校から自宅のアパートまで歩いた距離を進んでも金次郎像まで辿り着いていないという……頭がおかしくなるような現実に気づいてしまい。
何もかもがバカらしくなってしまった。
課長のミスを押し付けられた事も、部長がろくに調べもせずに決めつけた事も、そのせいで会社をクビになった事も。
母校が廃校になって見に来たら不思議で理不尽で理解できない出来事に巻き込まれている今も。
中年特有の小太りな自分の彼女もいないボッチな生活も。
全て、バカらしい。
「ディーハツ社のバカヤローっ! 三百万の赤出したのは俺じゃねーっちゅうのーっ!」
我慢していたものがついに出てしまう。
会社の連中と話もしたくなくなったから口を閉じていたが本当は叫びたかった。部長を丸め込んで人に全てを押しつけた課長を殴り付けたかった。
「なんだよ、これはなんだってのっ! ここは小学校の敷地だぜ? なんで歩いても歩いても木しか出てこねんだっ!」
正門から数キロは歩いても校舎に着かない小学校なんてあるか? 無いだろ。
木が雑木林どころか明らかに森レベル、それも迷いこんだら出てこれなさそうな樹海レベルまで生えている小学校なんてあるか? 無いだろ? 有るわけ無いだろ? なんで有るんだ?
「親を紹介して欲しいんじゃなかったのかっ! 親の借金が七桁あるって分かったとたん、距離置きやがって。挙げ句に入籍しましたってなんだっ!」
付き合いは三年、但し最後の半年はろくに話もしなかった。親が払わない借金の請求が保証人であり会社勤めの息子にくるのは当たり前で。彼女だと思っていた女の子は後輩のイケメンを捕まえて俺に向かって恥ずかしそうに“昨日、入籍したの”。
キチンと別れてから付き合え。話をしなくなった程度じゃ俺みたいな鈍感にゃ、“別れた”なんて分からん。
「アホかぁーーっ!!!」
納得の行かないこの世の全てに怒りを込めて。
叫んだ後、咳き込みながら木に向かって寄りかかり虚しさと哀しさと侘しさに泣きそうになっていると
「うむ。だいぶ溜まっておるようじゃな。そのまま吐き出すがよいぞ。」
上品な透き通った声が俺の背中越しに聞こえた。




