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元小学校だった敷地は、校門代わりの石柱から入って子供の足でも1分くらいの場所に昇降口があった筈だが、中年になった俺が10分歩いても校舎に辿り着かなかった。
俺の記憶違いという訳ではない。数本の若木が生えている程度の並木道は、今や鬱蒼とした森の遊歩道へとレベルアップ。木もれ日すら有り得ない程の枝葉は暗く沈んだ雰囲気を醸し出して、時折空から聞こえる鳥の鳴き声は不気味な叫びにしか感じられない。
ここが俺の知っている場所であるなら、この道沿いに25メートルのプールが有るのだが、森の木々に遮られて見ることは出来なかった。ただ、波が飛沫を上げる音は歩いている間、ずっと聞こえていたから近くに存在しているのは間違いない。
道は軽い上り坂になっていて、先には前庭代わりのロータリーがあって小さな噴水と池、それを臨む二宮金次郎像が鎮座していた筈だ。まあ、今は石で作られた二宮金次郎はいないだろうが。
その二宮金次郎を追いかけて被せてくる枝の間から見える一部4階建ての元母校はもれ見える部分は記憶の通りの形をしている。別に不思議な形状だったりはしていないのに何故か不安な気持ちにさせる建物が、これほど歩いているのに近づいている様子はないのは向かう人間に絶望感を与えるだろう。
10分だ。10分も歩いて、まだ到着点に辿り着かない。
俺は、このまま進むべきか、それとも戻るべきなのか、苦悩する。しかし、そんな俺を奮い起たせたのは同行者の4人の女性達だ。彼女らは、時に足が止まりそうになる俺を時に激励し時に叱咤して支えてくれた。
「主殿は体力がないのぉ。」
やれやれ、と大仰に肩を竦めたロングドレスの女性は、華やかな笑顔で言い切る。口元から覗く白い八重歯……いや、牙が光に反射して明るい顔に文字通り光を添える。ただ、俺が考えている彼女の正体なら“日の光に弱い”筈なのだが、平気な顔で
「うむうむ、天気が良いと気分も良いの。主殿もたまにはウォーキングしてはどうかの?」
とか宣ってるところを見るにもしかしたら違う“何か”のかもしれない。
「ちゃんと体力付けないと、おじいちゃんになったら寝たきりになっちゃうよ?」
「……おしめの交換は任せて。」
それ自体が輝いているとしか思えない金髪を翻しながら先に行ったり戻ったり、楽しくて仕方ないといった様子のナガーい耳の持ち主は辛辣なことを言う。しかし、さらに辛辣なのは双子のように傍にいる銀髪の少女が親指を立てて宣言したことだろう。無表情に近い顔に、笑みのようなものを浮かべ言った少女が何を考えていたのかは、少し褐色の肌が赤らんでいた事で想像がつく。そんな二人を見ながら“森の妖精”と言われるには世俗的過ぎないかと疑問を持つ俺だった。
「親方はアタイらみたいに“膨らんで”いるからね、歩くのはヘタなのさ。」
フウ、と息を吐いて立ち止まったのは、赤褐色の肌に顎下に短く髭を伸ばした恰幅の良い女性である。男にしては身長の低い俺より更に頭一個分は身長が低い彼女は、その代わりにそこらのにわかボディビルダーでは太刀打ち出来ない圧倒的な筋肉を誇っていた。そんな彼女は、ボンッと軽く俺の腹を打ちながら
「アタイは“エール樽”ってよく呼ばれるけど、親方はなんだろね? 七輪の上に焼かれた餅かい?」
とからかい、カッカッカッと台風の様に吹き飛ばすような笑い声をあげる。だが、俺は打たれた腹を抱えながら唸るだけ。
最後にパタパタ羽ばたくノートがペラリめくって見せるのは、フラフラになって歩くデフォルトされた俺に、オープンカーに乗ったツインテールの少女が
“ねぇ、今どんな感じ?”
と、笑いながら問いかけている絵だった。これがまた、フラフラ歩く俺が汗だくの顔を上げると、そこにはオープンカーを運転しながらカクテルらしきものを飲んで、ふぅなんて満足気な息を吐いた少女が「あれ? なにしてんの」とでも言うかのような顔をして問いかける実にムカつく絵なのだ。
「事故っちまえっ。」
と、荒い息の合間に言うと
“ふひひひひ”
と、これまたイラつく笑い声が吹き出しに書かれた。たぶん、俺がこのノートと仲良く鍋をつつくような日はこないだろう。いや、その前にノートと向かい合いながら鍋をつつく淋しげな光景は見たくないが。
しかし、たかが10分、されど10分。都会とは違い田舎では車の数が違うから近場でも車を使ったりする。スーパーでも、歩いて5分は行き過ぎだが歩いて10分なら荷物を考えて車で移動は当たり前だ。そんな田舎で、休日無しに四六時中会社に出勤して、デスクに置かれた電話と部内に一つしかないファックスの往復しかしてなかった俺が、やや上り坂の道を10分も歩けただけでも誉めてほしい。
それにしても、やけに遠く感じる校舎にいつ着くのだろうか。などと道端の木にもたれ掛かって考えていると
“ん~ふっふっふ。忘れたのかね、アケチクン。ワタシの能力を!”
ヒラリと寄ってきたノートが、投げ捨てたくなる事を吹き出しに出して、どこぞの怪盗みたいなタキシードを着た少女が俺に指を突き付ける絵を見せてからペラペラ、ページをめくって“領地は領主がいるかぎり成長していくデス”との文字を二重線を引いて見せつけたのだった。




