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俺はちょっと前に会社を解雇になった。
会社の決算で三百万のズレが生じた責任を取るという形である。40を越えてなお平社員だった俺の何が決算のズレに関係有るのか判らないが、とにかく責任を取れと言われ了承もしてないうちに会社を解雇された。更には、無ければならない退職金は、決算で「赤を出した会社への謝罪金」として奪われ支払われず、職安に行くも鳴かず飛ばずの日々。
これで貯金が無ければ“即つみ”だったろうが一月家に帰さなかった事が年に2、3回ある会社にいたおかげか、貯金とはちょっと違うが貯まったお金はあるのが辛うじて最悪とは言えない状況で落ち着いていた。
身長は160と3センチ、小腹が出てきて少しハゲ気味。運動不足が目に見て判る脂身の多い身体を包む服は灰色のスウェット上下で履いた運動靴は真新しい白色。社内不細工顔ランキングは入社してから一度も他人の追従を許さず、子供の頃から虐められていたせいか、人と話すのは下手。
両親とは死別していて彼女はいない。昔、彼女みたいに親しかった女性はいたが、保険を3つほど入ったら寿退社して去っていった。
そんな俺が、会社を辞めた後の暇な時間にかつての母校を訪ねたのが間違いだったのだろうか。不思議なノートを手に入れた俺は……手に入れたというか魅入られたというべきか……騒動に巻き込まれ、この見慣れた母校の見慣れない面々に励まされつつ漸く自分を振り返ることが出来た。
いくら何でもおかしかったのである。理不尽に解雇されてから一週間を数えた今まで、嘆きもしないで怒りもしないなんて人間性を感じられない行動をしていたのが。だが、理不尽を越えた不条理な出来事に俺は限界に達して、嘆き喚き叫び呻いて泣く事が出来た。良く泣いても解決しない、とは聞くが解決しない代わりに心情を整える効果があるので、たまには泣いた方が良い。さもないと俺みたいに泣き方を忘れて泣けないまま過ごさなきゃならないから。
ともかく俺は、人間っぽくない人間に囲まれ粗くも優しげな女性達のおかげで人間なのを思い出す事に成功する。
「本当に主様は我慢のしすぎじゃの?」
「そうだよっ、次はわたし達にも頼りなよね!」
「……ご主人が辛いと……わたし達も辛い……。」
八重歯を煌めかせた美女と照りつける日を弾く白い肌の美少女と褐色に輝く肌の美少女が、不気味に喚いていた中年に笑いかけてくれた。
男は単純だな!
俺はつい、そう考えてしまう。あんなに激しく恥ずかしい姿を見せたのに、好意を隠さない笑顔を向けられてしまうと気分が高揚していく。
泣いた子がわぁらったハート
わざわざ飛ぶように俺の前に現れたノートは、男の子の頭を撫でているツインテールの女の子が言っている様に吹き出しが出ている絵をこれでもかと見せつけてきた。
よおし、それは戦争だな?
○○○○○
泣き喚いた事をからかわれた俺と、鬼さん、鬼さん手の鳴る方へっとパタパタ飛び回るノートの掴み合いをする事しばし。
回りには美女と美少女達が呆れたように笑い合いながら話をしていたのだが、
「親方。女の子が目を開いたよっ!」
ビヤ樽のように見える厳つい女性が俺を呼んで薪の形をした石筒を背負子に背負う石像が虚ろな顔をした女の子を抱き抱える。
「大変だよっ。目を覚ましたけど動かないんだっ。」
二宮金次郎の姿をした石像、通称「キンちゃんさん」がボウッとしていた女の子を抱えて小学校に走っていく。
「大変だよぉ! スケさぁんっ!」
何故か声無き悲鳴が聞こえた気もするが、俺は美女のトラさんに
「スケさん?」
と短く訊いてみた。
「スケさんはの、保健室の主みたいな存在だの。怪我はもちろん、病気にしても任せておけば健康すぎる身体に戻してくれるからの、まあ、あの女子も任せておけば良かろうの。」
「……そうかい? アタシはまた一騒動あるのかと思ったよ。」
やれやれ。
そんな顔でビヤ樽の身体を……ビヤ樽の様な身体を揺すった女性は、十数秒耳をすませていたようだが
「イヤァァァァっ!」
響いてきた声にウンウン頷いていた。
まあ、実は俺もこうなるとは思っていたんだが。
今いるのは昼過ぎの小学校。その前庭に当たる正門から校舎に向かって進んだ辺りだ。周りには何処の森の中に入ったかと思うような鬱蒼とした木々、所々曲がりくねった土道が、遠くに霞む校舎に向かって続いている。
正門から入って30秒で校舎の下足置き場に辿り着く筈のロータリーがある前庭は、何十年も生き抜いた様な太い幹をした大木が数えきれない程生えているのは、前にノートを見たときに書かれていた「領地は成長する」って事なんだろう。
校舎に向かう道の隣にはプールがあった筈だが、あまりに深い森の向こうには、それらしい建物は見えない。ただ、激しく波立つ音だけはなんとなく聞こえてくる。反対側には剣道の授業で使う鍛練場や養護学級のある施設があったのだが、そちらも光すら通らない暗がりを持つ森に遮られて見ることはかなわなかった。空を見上げれば真っ青な空を明らかに鳥にしてはおかしなシルエットが群れをなして羽ばたいている。
もう、認めよう。
この場所では、外の法則とは違う俺の理解が及ばない“何か”の法則に従っているって事を。それを“ファンタジー”と言うのならそうなんだろう、昔電気屋の展示テレビで流れていた「指輪を求める物語」みたいな世界観を感じるし。
そして視線を戻した俺は飛び回るノートを捕まえると、美女、美少女、ビヤ樽ッ娘のそれぞれの特徴をよくよく見てみる。肩だしのワインレッドのドレスに身を包む、豊満な胸の持ち主は、口元から覗く大きな八重歯が特徴になる。うん、八重歯じゃなくてマゴウコトナク牙ですね?
2人の美少女は、艶やかな肌の色と陽射しを弾く髪の色に違いはあるものの、板のような胸に違いはなく……まな板の如くじゃないぞ? 俺の家では現役の「洗濯板」のように出て閉じて出て閉じてってところが似ているだけだ。特徴的な、笹舟みたいに広がる長い耳、一人はうす緑の短衣に茶色のブーツ。もう一人は白の短衣に黒色のブーツと、姿は双子のようにそっくりで、話に聞く「エルフ」と「ダークエルフ」ではないかと推測できた。
ビヤ樽ッ娘は、そのままビヤ樽にそっくりなんだが、身長は俺の胸辺りに頭があるから140くらいしかない。その身長に見合わない、筋肉で膨らんだ体つきがビヤ樽を思い浮かばせてしまう訳なんだが、そんな身体とは対照的な可愛らしい顔が特徴だ。そして明らかに女性としての顔つきでありながら、顎から10センチくらいだろうか、立派な髭を下げている。陽射しを受けて小川のきらめきの如く流れるそれは大事に手入れをされているのが判るのだが、女性の髭を見慣れない俺には、ファッションと言われても違和感は残る。
口元から牙を覗かせる美女と言えば「バンパイア」しか思い浮かばないのは俺が情弱なせいかもしれず、可愛らしい長い耳を持つのは「エルフ」にしか見えず、女性でも髭を伸ばして大事にしていると見えれば「ドワーフ」しか考えられないのだが、そんなファンタジーの世界にしかいない彼女らを引き連れて出てきたのが、何処にでもあるB5サイズの、しかし俺が知る世界には絶対にない「ノート」という紙を束ねただけの物なのだから……。
とりあえず俺は校舎に歩き出す。向かうは当然、悲鳴の出所と思われる、校舎にある保健室だ。
俺は、しがない40過ぎの中年でしかない。しかも長年の運動不足と不定期な生活、不定休な日々を過ごした体はガタガタになっている。そんな俺だからこそ若い連中みたいな激しい事は出来ないんだ。しかし、この状況で俺は奇跡を見た気持ちだった。
理不尽にツッコミが出来る若い人材の確保。
追い込まれてギリギリで踏ん張る考えにも精神的にも柔軟性の無い中年男は、それだけで幸せを噛み締めることが出来るのだよ。




