1ー11
「うむ、向こうはもう少しかかりそうじゃな。」
チラリ、ノートに書かれた事が正しいのであれば一度は死んだ女の子の様子を見たトラさんは、
「ならば、今のうちに言っておく事にするかの。」
地面に落ちていた”DESU“ノートを拾って渡してくれるトラさん。リットちゃんとジルちゃんは腕の幸せな拘束を解いて俺が受けとれるようにしてくれた。
「こやつは紙で出来たノートの形をしておるが、本質はダンジョンの全てを司るコアでの。自らを核とするダンジョン内では破壊する事も叶わない代物じゃ。」
ノートはせいぜい数十ページ。だが、ノートを開くとページ数が増えているのが分かる。
「そのノートは意志を持っておるでな、付き合うのは大変じゃ。」
初めまして。あ、な、た。ハート。
ごはんにする? お風呂にする? それとも、あ、た、し? ハート。
ノートの二ページ分のスペースに煎餅布団とその上に座る半裸の女の子の絵が浮かんでいた。それもちょっと、どぎまぎするぐらいリアルな絵で、ネグリジェというのか透ける素材の布に身を包む女の子が恥ずかしそうな笑顔で俺に手を伸ばしている絵だ。
因みに「ごはんにする?」の文字の下には、これもリアルなエプロンだけ姿の女の子が、「お風呂にする?」の文字の下には泡だらけの女の子が描かれていた。そんな際どい絵が描かれたノートを勢いよく閉じてしまう。
「……一応言っておくがの、ノートに性別はないからの。」
あったらそっちが驚きだ!
「まあ、こやつはからかうのが好きでな。歴代の主殿も苦労しておった。」
トラさんは不意に遠くを見つめる。
「からかうのは良くても嘘は嫌いな困った質でな。」
本当に大変じゃった。
実感のこもったトラさんの言葉に涙する二人の女の子。
「本当に大変だよね。本当に戦争が始まるなんて思わないもん。」
「本当に大変だよね。あたし達が信じていれば沢山の人を助けれたのにね。」
いや、俺が思うより深くて暗い話しのようだ。少なくとも冗談で流せる雰囲気ではない。
「……むっ。話が逸れたの。とりあえず、そのノートに書かれた事はしっかり見ておく事じゃ……後からでは遅い事があるからの。」
コホン。トラさんが空咳をすると涙ぐんでいた二人も目を拭って笑顔を作る。
「ふざけたノートじゃ。しかしの、有益なノートでもある。こやつをどう使うかが主殿の器、という訳じゃな。」
うん、トラさんの説明は上辺をサラッと浚った程度だ。まさか、これで終わりじゃないよな?
「こやつは、いくつかの仕事をしておる。まずはノートの持ち主である主殿の強化じゃな。強化といっても主殿が強くなるわけでは無くての、主殿に魔力を注ぐ事で外敵に対抗できるようにしておる。なんと言っても、妾達はこの空間から出られんのでな、空間の外にいる間は主殿は危険な訳じゃ。まあ、一人だけなら主殿の世話係として連れていく事はできるのじゃが。」
今更ながら、ファンタジーな話しだ。頭がおかしいのかと疑いたくなる。しかし、今自分の前にいるのは否定はできない。
「この空間とは言ったが、主殿の世界とは違う世界にある、この空間を維持拡張するのも、そのノートじゃ。」
……別世界の維持拡張……。
それはアレか。四次元空間ってヤツか。時空の概念を破る別の理が存在した世界の事か。アナザーディメンションとか言っちゃうのか。
「この空間は何と言ったかの……妾が知る言葉で最も近いのが“妖精郷”なのじゃがな。空間が広がるにつれ新たな種族が産まれる事もあれば海、山、森。おおよそ産まれる筈が無いものが生ずる事もある。」
……妖精郷。永遠の子供が相棒の妖精と共に片手の海賊と戦う、あの世界か。それとも猫のようなタヌキのような不思議な生き物が傘をさして立っているあっちの世界かっ!
「この空間は、主殿が何もしなくても主殿が生きている限り成長していくのじゃ。しかしの、それだけではない。この空間における全ては主殿の望むままにも出来るのじゃ。」
……ハハハハ……望むままにっておもしろいな。まるで神さまみたいじゃないか。何て言うか世界の創造者って感じで。
「主殿が何か創りたいか変えたいのであれば、そのノートに聞くと良かろう。妾も前の主殿から聞いた程度なのでな、詳しくは教えられんのじゃ。」
トラさんの言葉に俺は手に持つノートをサラッとめくってみる。ノートのページにはデフォルメされた白衣をきた眼鏡の女の子が黒板らしきものの前に立ち白い棒を振り回す絵が描かれていた。女の子が指している黒板には、「いけない事、教えちゃうぞハート」と書かれている。
「いや。今の時代、黒板は使わんだろ。タブレットPCだ。古いぞ。」
本当にそうなのかは分からないがニュースで学生がタブレットを使って質問をしたり、試験を受けていたから、そうなんじゃなかろうか?
ノートにはマンガでショックを受けた時に描かれる王冠みたいなマークが女の子の頭近くに描かれ、黒板には「ガーン」と文字が浮かび上がる。黒板には他にも何か書かれていたが良く見えなかったので、ノートに描かれた黒板の部分をポンポン、と指で2回叩く。するとその場所が拡大されて「このノートは時代の最先端を行くポータブルノートです。」と書かれているのが分かった。
なるほど、ポータブルは携帯するって意味だったな。直訳すると携帯ノート。スマートフォンの如く常に持ち運べる便利なノートと言うわけだ。
ふむ。
ってかよー、何度でも言うぞ。
ノートである必要が有るのか! ってか、ポンポンで拡大とかお前はスマホか! 紙をまとめて作ったノートじゃないのか! お前の他のノートは拡大機能なんかついてないぞ、ってかてか、ノートが声を聞いて受け答えすんな! 何が悲しくてノートにあこがれの新妻対応されなきゃならない! ポータブルノートってポータブルしないノートがあるのか! 普通、学校にはノートと教科書は持っていくだろ! だから、学校指定のカバンが有るんだろ? いやいや、違う! 違いすぎる! 俺が言いたいのは、聞きたいのは”別世界の維持拡張“だ。なんだそりゃ! 維持はいい。拡張も我慢する。だが、新しい種族が産まれるってなんだ! お前は神様かっ! もしかして“紙”と“神”をかけてんのかっ! 不謹慎にもほどがあるだろっ! いや、やっぱり我慢できんっ! 別世界の維持ってなんだ? 拡張って何言ってんの? お前ノートだよ? ノートってのは字を書き留めるだけの為にあるの。たまには絵を描くヤツもいるだろけど、書いて描いて世界が広がるって言うけどホントに広がる訳じゃないの、わかります? 分かるよなっ! むしろ分かれっ!
頭の中では叫びたい言葉がぐるぐる回るがあまりに多過ぎて、喉に引っかかった小骨のように口からは出てこない。その代わり両手に持ったノートを丸めて
「ちくしょこんだらーっ!」
気合いを込めて立ち木に投げつけた。
ホンットに勘弁してくれ。四十も過ぎて血管が硬くなってきてんだからさ、ブツッていったらどうしてくれんのよ?だが、勢い良く投げつけたノートは途中で勢いを失い、パタパタと鳩が羽ばたくようにページを動かして戻ってくる。
気分は真っ白に燃え尽きたボクサーのようだった。ガクリと両手両膝を地面について項垂れる俺の視界に、暢気にフワリと落ちてきた“DUSUノート”はペラペラと勝手にページをめくりパラパラ漫画で
「ダーリンってば激しいだっちゃ。」
と、どっかで見た鬼ッ娘に言わせていた。
「ふぐぅ。……何で俺がこんな目に……!」
決算の計算ミスを押しつけられて会社から追い出された時にも出なかった言葉が口から自然に零れ、こんな年になって本気で泣き喚いてしまう。
しかし、俺の受難はこんなものでは終わらなかったのである。




