第8話「シア・アレスタ」
「すみません! すみません! すみません! すみません! すみません! すみません! すみません! すみません! すみません!」
「あの、いや、そんなに謝らなくていいから」
何度も何度も頭を下げる少女の絵は、ハッキリ言って見ていてあまりいい気分はしない。首を絞められるような心苦しさで、今にも窒息死してしまいそうだ。
「いえ、私は勇者様の殿方に大変な失礼を働いてしまいました。謝っても謝りきれません……」
ナナの姉である、シア・アレスタの瞳から流れる涙が、頬を伝い落ち、服を濡らす。責任感が特に強い子なのか、涙を流しながら、かれこれ十分は謝り続けている。
「何度も言ってるけど、シアの行動は間違っちゃいない。自分の妹が知らない男に背負われてるのを見て、妹を助けようとして男をぶん殴りに行くのは、姉として正しい行動だった俺は思う。だから、もう謝るのはやめよう」
「ですが…………。私が勇者様の殿方を殴りつけてしまった事実は…………」
「事実がなんだ! 殴られた俺が許すと言えば、そんな事実なんて無かったのも同然だ!」
「事実は消えません! 私が殴った事実は消えないんです……ッ!」
なんとかシアの中の罪の意識を消そうとするが、なかなか消えてくれない。責任感が強いにも程があるだろ。それより、さっきから俯きすぎだ。
「ああ、めんどくせぇ」
ガシッとシアの両肩を掴んで、無理にでも俺の目を見させる。
「…………え?」
俺は、自分が殴れたことなんて本気でどうでもいいと思ってる。
幸いなことにドM体質でもなんでもないからな。
なら、今俺が何を考え、思っているか。
それは!
「この俺、ソーマ・カンダは今猛烈に感動してるんだよッ! 相手が自分より大きな男と知りながら、自分の妹を助ける為に俺の前に飛び出してきた姉の覚悟に、家族愛に、俺はすっげぇえええ感動してる! 殴ってしまった? それがなんだってんだ! 俺はシアのその行動含めて、感動してるんだよぉおおおおッ!」
「…………へ?」
「めちゃくちゃかっこよかったぜ、お姉ちゃん」
「…………あ、あああ、ありがとうございます!」
シアはようやく、少し恥ずかしそうにしながら笑顔を浮かべた。やっぱり女の子には笑顔が一番似合う。今のシアの笑顔を見れば、誰だってそう思わざるをえない筈だ。それぐらい、シアの笑顔は魅力的だった。言っとくが、俺はロリコンじゃないからな。
「どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「はい! 長い間取り乱してすみませんでした、ソーマ……様」
「落ち着いたならよかった。それよりえーっと、その呼び方は止めてくれないか? 偉いのは俺じゃなくて俺の嫁。あくまでも俺は、一般人なわけよ」
「じ、じゃあ、ソーマさんで大丈夫……ですか?」
「そうそう。そう呼んでくれ!」
「あの……お姉ちゃん、お話終わった?」
と……ここで別室に移動していたナナが様子を見にこっちにやってきていた。ナナは、それとなく俺とシアの話の想像がついているのか、少し心配そうな表情で自分の姉、シアを見つめている。
「うん。お話終わったよ、ナナ。心配かけてごめんね」
「何も心配することなんてない。別に、お前のお姉ちゃんを叱ってたわじゃないからな」
「そうなの⁉︎ ありがとうお兄ちゃん!」
顔をパッと明るくしたナナは、両手を広げてダイナミックに俺の懐に飛び込んでくる。小柄な体躯のおかげか、難なく受け止めることが出来た。
「ちょ、ちょっとナナ⁉︎ 急にそんなの失礼でしょ!」
「いいっていいって。こういうの慣れてるからさ」
「ソーマさんが、そう言うのならいいですけど…………ふふふっ」
俺の胸部に顔をぐりんぐりん押し付けるナナを見て、シアは心底楽しそうに笑った。
「ナナがソーマさんに懐くの、なんだか少しわかる気がします」
「なになに? 今お姉ちゃん、私もお兄ちゃんに抱きつきたいって言った?」
ガバッと俺の胸から顔を上げ、驚きの表情でシアを見つめるナナ。
「そ。そんなこと言ってません!」
「な、なんだってーー⁉︎ シアは俺の胸に飛び込みたかったのかーー⁉︎」
「ふ、二人してからかわないでくださいッ! 怒りますよ⁈」
顔を真っ赤にして抗議するシア。その姿が、今のこの光景が、とても可愛らしくて、愛おしくて、面白くて、
「うはははははははははははは!」
気づいた時には、豪快に笑っていた。
「どうかしましたかソーマさん?」
「どうかしたのお兄ちゃん?」
姉妹の二人が同時に、姉妹らしく同じような顔をして不思議がった。それが面白くて、またもや豪快に笑いそうになってしまう。
「いや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
あんなに豪快に笑ったのは、久しぶりだった。
そもそも、こんなに楽しい時間を過ごすこと自体が久しぶりだ。
いつか、あいつともこんな時間を過ごせる日が来るのだろうか。
「そうだ! お詫びも兼ねて是非、夕食を食べて行ってくださいソーマさん!」
「うえ⁈」
「だ、駄目でしょうか?」
「ナナはね、ナナはね! お兄ちゃんと一緒に食べたいよ!」
「だ、駄目じゃないけど……。ほら、俺には勇者がいるわけで、本当ならあいつの夕食を作ってやらないといけないんだ……」
あいつの夫である俺の仕事として、これだけは毎日欠かしてはいけない。と言っても金がなく食材を調達できないから、料理は作れない。素朴なパンなら大量に買い置きしてあったけどな。
「だからさ、ミスラ……俺の嫁を呼んでもいいか?」
「ふえ? だ、だだだだだ大丈夫です! う、うううう腕によりをかけて料理を作りますから!」
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
「は、はい!……たぶん」
シアは不安半分自信半分といったような、面白い顔をしている。口元だけ笑って目が死んでるやつを初めて目にする、貴重な機会だった。
「じゃあ、呼んでくるわ」
まあ、あいつのことだから、どうせ『一緒に夜出歩いたら妊娠しそうだから行かない』と言って断るに決まっている。一言一句間違えてないことはないだろうが、『妊娠』だけは絶対に入ってくる。もはや、あいつのアイデンティティと言っても過言じゃないからな。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「来ないってさ」
どんな感じに断られたかと言うと、玄関のドアを少し開けた隙間から、『妊娠するから行かない』と言われて断られた。もう、わけがわからない。
「そうですか……残念です」
かなり張り切っていたシアは、しゅんとしてしまった。
テーブルに食器が四人分並べられていることから、シアの張り切り具合が見てとれる。
「まだ料理終わってないだろ。俺も手伝うよ」
「いえ、もう終わりそうですから大丈夫です。それよりナナの遊び相手になってあげてくれませんか? ナナってば外だと大人しいのに、家だと落ち着きがないので」
「よし、任せろ」
「ナナー! お兄ちゃんが遊んでくれるってー!」
「本当に⁉︎ じゃあ、ナナはね…………」
ナナはうーん、と頭を悩ませて何をして遊ぶか考え始める。
おままごとか、それとも…………。
年頃の幼女は何をして遊ぶんだ? おままごとくらいしか思いつかないのだが。
まあ、たぶんおままごとだ…………。
「ナナはね、お馬さんゴッコしたい!」
「……お、おーし! お兄ちゃんに任せなさーい!」
年頃の幼女はお馬さんゴッコで遊ぶのか……。
さすがは異世界、俺の常識を綺麗に打ち破ってくれる。
ナナの期待を裏切らない為にも、こうなったら本当で馬になりきるしかないようだ。
見とけよ、俺の黒王号を。
「じゃあ、早速外に行こうお兄ちゃん」
「え?」
「ソーマさんとナナ、料理できたので帰ってきてくださーーーーいッ!」
ナナを背負って広場を疾走していると、エプロン姿のシアが俺たちを呼びにやってきていた。
「た、助かった…………っはァッ! はァッ!」
「面白かったねお兄ちゃん!」
「……お、お疲れ様ですソーマさん。 これ、使ってください」
あははは、とシアは申し訳なさそうにしながら、真っ白いタオルを手渡してくれる。真っ白いタオルを受け取った俺は、少なからず汗ばんだ首筋と額を拭いた。首筋に当たる夜風が冷たくて気持ちがいい。
「シアは、いつもこんな風に遊んでやってるのか?」
お馬さんゴッコという、俺がナナを背負ってそこら中を走り回る遊びは、正直かなりキツかった。シアが毎日この遊びに付き合っているのだとしたら、ナナにちょっとだけ言いたいことがある。
とは言え、シアが妹思いの姉であるように、ナナもまた姉思いの妹だ。ナナに限って、そんなことがあるとは思えないが。
「えっと、私は普段仕事で忙しくて、あまりかまってあげられなくて…………。夜も、夕食を済ませてお風呂に入ったら、次の日に備えてすぐ眠ってしまうので。一緒に遊んであげたいとは……思うんですけど……」
「……だろうな」
それなら、昼頃に一人で遊んでいたナナの説明がつく。
夕方頃、知らない男に背負われて帰ってきた妹を見た時に、相当焦ってしまうのも大いに分かる。
「二人とも遅いよーー!」
先を行くナナは、嬉しそうな顔でこちらを振り向いた。
嬉しそうでなにより。そんなに嬉しそうな顔をしてくれるのなら、俺が黒王号になった甲斐もあったというものだ。
「あの、ソーマさん」
「なんだ?」
「…………私、ナナのあんなに嬉しそうな顔、久しぶりに見ました。だからソーマさんには、とっても感謝してるんです」
「そ、そうか。なんか照れるなぁ……」
「……ですから、その、あの……。あつかましい頼みなのですが、もしソーマさんがよろしければ、これからもナナと……」
「ああ、任せろ!」
「あ、ありがとうございます!」
凄い勢いで頭を下げるシア。本当に妹のことを大切に思っている、良き姉の姿がそこにはあった。
「……でも、遊ぶのは俺とナナだけじゃ駄目だ。夕方頃に初めて会ったのを考えると、シアの仕事は夕方頃には終わるんだよな」
「そうですけど……それがどうしたんですか?」
「その仕事、俺が半分手伝えないか?」
遠くの方で、「遅いよーー!」というナナの声がした。




