閉話「閉幕」
『コノ程度カ、見知ラヌ男にヤラレタト町カラ逃ゲカエッテキタ奴がイタガ、コノ程度ノ男ニ負カサレタトアッテハ、鬼ノ名折レダナア』
鬼の王バルバロスは、地面に転がる無残な血みどろな男の姿に言葉を投げかけた。この程度の男の為にわざわざ巣から出てきたと思うと、自分の行動の無駄さにバルバロスは男に唾を吐きかけたくなった。ただ、それを行わないのは王としての自覚があるためだろう。
バルバロスは目の前の、無残な男の側で泣き崩れる女に目をやる。
『終ワリダ』
バルバロスが拳を振り上げたその時。
「終わってねえよ」
バルバロスの耳に言葉がハッキリと聞こえた。
自分でもなければ、そこにいる女でもない。
なら、誰が?
その疑問は早々に解消される。
「まだ俺は、終わってないぞ」
血だまりに沈んでいた男の身体が、両腕を使って上体が起き上がり、そして立ち上がる。全身血みどろで、真っ赤に染まったその男は、右手を上げて血で濡れた前髪をぐいっと掻き上げる。
血で濡れた前髪の下からのぞかせたのは、獰猛な笑みだった。
その表情にバルバロスはかつての旧敵を思い出し、
『……銀ノ英雄』
呟いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……なんで?」
まるで幽霊でも見たかのような顔をして、ミスラが呟いた。
いやまあ、実際幽霊になりかけたわけなんだけどね。
「なんでって、そりゃあミスラを助ける為に死の淵から蘇ってきたからだよ」
「……傷は?」
「愛の力で治った」
「何を言って……」
まあ、そうなるだろうけど、愛の力で治ったっていうのはあながち嘘なんかじゃない。
「とにかく、今は俺の後ろで待機しててくれるか? 最後に力を貸してもらいたいから」
「んなッ⁈ もう一度挑んだって、またやられるだけ! よくわかんないけど身体が動くなら、早く逃げなさいよ!」
「……そしたらミスラが確実に死ぬだろ」
立っているのもやっとのようなミスラがバルバロスに勝てる確率は、万が一にもありえない。
「だ、だったらなんだって言うのよ」
「ミスラが死んだら俺はきっと自殺する。生きてる意味ないから」
「……何馬鹿なこと言って」
「あと、シェストだって悲しむ、もしかしたらシェストも自殺するかもな。それにここでこいつを倒せなきゃ、どのみち町は壊滅する。なら逃げたっていいこと一つもないだろうが」
「ならどうするって言うのよ!」
「それは簡単な話だ。俺を頼ればいい。もう一度、俺がお前の盾になる」
「……さっきあんなにボロボロに負けたってこと分かってるの⁈」
俺は押しつぶされた自分の姿を見ることはできなかったが、ミスラはそれを見て知っている。バルバロスと戦った俺の悲惨な末路を見て知っている。それでも、俺は盾としてミスラの前に立たなければならない。
「わかってるさ」
「……わかってないッ! 何もわかってない! 私の気持ちを何もわかってない! …………ねぇ、どうしてそこまで、私の為にするの?」
どうして?
この後に及んでそんな質問してくるなんて笑わせてくれるぜ。
「お前の方こそ、何度言ったらわかるんだよッ! どうしてって、そんなのお前が俺の嫁で…………」
くそっ、こんな所でハッキリと口にするのかよ。
もっとこうロマンチックな雰囲気で言いたかったよ俺は!
「……俺はミスラを愛してる」
決して、二百年前からの引き継ぎの愛じゃない。確かにそれが俺のミスラへの愛の一因としてはかなりデカイ。それでも、俺があいつじゃなけりゃ。
ミスラも、あいつが愛した女性じゃない。
だとしたら、俺とミスラの間に愛が芽生えたのなら、それは二百年前とは絶対に違う。二百年にあんなことがあったからって、人間として馬が合わなければ、無理矢理結婚させられても同じ家なんかで住めるわけがない。毎日毎日、食いもしない奴に、朝飯と夕飯を作ってやれるわけがない。
それができたって言うなら、愛がないわけがない。
それに、一目惚れだった。
初めて会った時から、俺はミスラに一目惚れしている。
「……だから、俺を頼ってくれ、ミスラ!」
「…………ほんと、馬鹿なんだから」
そして、ミスラの口からため息が一つこぼれた。
くそ、まだ駄目な……。
「死んだら殺す。だから、絶対に死なないでソーマ」
「ああ、任せろ!」
自然と口角が吊りあがり、口元が弧を描く。
これは人助けで、俺はミスラを助けたい。
そして、俺はミスラを愛している。
「満たしたぜ、【英雄規定】」
瞬間。俺の中で爆発的に力が増幅し、体の隅々にまで行き渡る。
全身が強化され、すべての感覚が鋭敏になる。そうして、気がついた。暖かい風が自分の体に巻きつくように流れていることに。
【……お兄ちゃん、寝覚めはどうかな? これが、英雄だよ】
【驚きだな、こんな世界があるなんてな】
【僕の中にある銀の英雄の情報を使って、お兄ちゃんの身体を限りなく銀の英雄と同じ状態にしてる。完全ではないから、気をつけて】
【完全でなくて都合がいい、俺はあいつじゃないからな。さて、お前と同じように約二百年銀の英雄を待っていた奴に挨拶かましとくか】
俺は目の前で行儀よく待ってくれていた、二百年前の銀ノ英雄の旧敵バルバロスに目を向けた。
「よぉ、バルバロス」
『……久シイナ、銀ノ英雄。待チワビタゾォオオオオオオオオ!』
「……そんなに熱い視線送られると、胸がときめいちまうな。だが悪い、生憎俺は銀ノ英雄じゃねえ。だからそうだな、黒の英雄とでも呼んでくれ。というわけで、それじゃあ挨拶も済んだし早速始めようぜ。二百年前、俺でない俺とお前の、決着がついていないラストバトルの続きを!」
『ァアアアアアアアアアアアアアア』
「……ぉおおおおッ!」
撃ちだされたバルバロス左拳に、俺は右拳を打ち付けて相殺する。次は左拳で、その次は右拳で。角度を変えて打ち出される拳全てに、俺の拳をぶつけて相殺し続ける。もう何度打ち付けあったかわからない。ただ、それでも俺の身体に異常は起きない。銀の英雄に限りなく近づいた俺の肉体は、未だに悲鳴をあげずにいてくれている。
『……愉快ダナァッ、英雄!』
心底愉快そうに、バルバロスは力を俺にぶつけ続ける。
こいつもこいつで二百年間、俺でない俺を待ち続けていた。
そう考えると、胸の奥が滾ってしょうがない。
「ああ、最高だよ」
ただ単に、全力の拳をぶつけ合っているだけにすぎない。そのはずなのだが、胸を焦がすような高揚感が溢れて、顔のニヤつきが止まらない。
「……でもなぁ、もう終わりにしようぜバルバロス」
『ナゼダ英雄』
「それは俺が、とっととお前とのラストバトルを終わらせて、いいかげん銀の英雄じゃない、俺の英雄譚を紡ぎたいからだよ」
まだ俺の英雄譚は始まってなんかいない。
これはまだ俺でない俺の英雄譚の延長であって、バルバロスを倒したその時、あいつの英雄譚は閉幕する。
そしてそこからが、俺が紡ぐ英雄譚の始まりだ。
新しくできた妹と、愛する嫁とで紡ぐ英雄譚が待ち遠しく仕方がない。
だから、
「……もう終わりにしようぜ、バルバロス」
『ヌゥッ⁈』
ありったけの力を込めて、バルバロスの撃ちだした左拳を俺の右拳で後方に弾き飛ばす。バランスを崩し、バルバロスの身が一瞬だけよろける。
その隙に距離を詰め、再び右拳を固め、
「これで終わりだ」
力の全てを右拳に集約させた全身全霊の一撃を、バルバロスの胸の真ん中にねじ込んだ。拳は胸に突き刺さり、血が吹き出る。
『ヌゥウウウッ⁉︎』
バルバロスの巨体が揺れ、後方に傾く。確かな手ごたえはあった。
だが、バルバロスはそれでも倒れることはなかった。胸の真ん中から血を吹き出しながらも、二本の太い足で立ち続ける。文字通り全霊を出し切った俺は、バルバロスのその足下に仰向けに転がり、立ち上がれない。
『……終ワリダナ』
「ああ、これで終わりだ」
バルバロスの拳が俺の真上で振り上げられ、そのまま振り下ろされた。その瞬間だった。爆発するように突然白い光が世界を照らし、その圧倒的光量にバルバロスは振り下ろしかけた右腕を持ち上げ目元を隠す。
『コ、コレハ⁈』
「……言わなかったか? 俺は盾だと」
俺は知っている。銀の英雄が一人でお前と戦い、本当は敗北を喫しているということを。それなのに、俺が一人でバルバロスに勝てる道理がどこにあるというのか。だから、俺はミスラの盾になった。一人で手が届かないのなら、肩車でもして二人で手を届かせればいい。
俺の肩に乗るのはミスラ。
そして、お前を倒すのはミスラの剣だ。
「お前の負けだ、バルバロス」
終止符を打とう。今日で、銀の英雄の英雄譚に幕を降ろそう。
「……やれ、ミスラァアアアアアアッ!」
俺の合図に白い光は更に爆発的に輝きを増し、
「【勇者秘技】」
その言葉と共に放たれた白い光線は、バルバロスの胸の真ん中、丁度俺が全身全霊の一撃を食らわせた箇所に重なるように刺し貫いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「『……そうして、銀の英雄の英雄譚は終わりを迎えた』っと。まぁまぁな出来だな。ラトラのとこに持っていって、ちゃんとあの銀の英雄シリーズのとこに入れてもらわないとな」
ひと段落して、ペンを置いてふぅっと息を吐くと、トントントンとドアがノックされる。
「ほら、ソーマちゃん。もう準備できたから早く部屋から出てこーい」
「わかった、今行くよ」
ぐっと伸びをしてから椅子から立ち上がり、俺は自室を出てリビングに向かう。
「……遅い」
「いやいや、呼ばれてから二十秒も経ってないからね⁈ というか、あの深紅のドレスじゃないのか」
「あれは窮屈だから」
「太った?」
「そういうことじゃない! ……性に合わないのよ。というか、コレやる必要あるの?」
「いや、だって俺こっちに来た時、なんかよくわからないけど既に殆ど終わってたし。なんというか、もう一回ちゃんとやっておきたいじゃん」
「はいはい、二人ともその辺にして、始めるよー」
いつもはテーブルやら椅子やらリビングにあるが、今はそれらをどかしてリビングにスペースができている。そのスペースの真ん中に俺とミスラは立った。シェストは俺とミスラの前に立ち、手には本が。
すぅっと息を吸って、シェストは喋り始める。
『その健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、切ないときも、
これを敬い、これを慰め、これを助け、
命ある限り自身の一切を賭して、互いを愛し続けることを誓いますか?』
「「……誓います」」
二度目のキスは、これからの愛に満ちた生活を想起させるような、甘い愛の味がした。
【完】




