第22話「日記」
「どうも俺は夢を見ているらしい」
「…………」
「まさかあのパンしか食べないミスラが、朝食の席に座ってい…………ったいッ!!」
「いいから、早く朝食を出しなさいよ」
「朝から腹パンは、よくないって……」
涙目で腹をこすりながら訴えかけてから、俺は台所ですでに作っておいた料理を皿に盛り付け、テーブルまで運ぶ。
「……遅い」
と、ミスラは文句を言いつつも朝食を口に運ぶ。その光景があまりにも嬉しすぎて、俺は思わず涙を流してしまった。
「……という夢を見ていたんだけど、どうよ」
「地下図書館に来て開口一番にする話がそれですか。……とんだバカですね」
「結局、今日はパンも食わずに朝早くから北の森に仕事しに行ったよ。いやぁ、昨日けっこう心にくること言ったと思うんだけどね。前進したのはたった一歩だったわけよ」
「…………あなたの家庭事情なんてどうでもいいです。それで、何の用ですかバカ野郎。仕事行けよバカ野郎。」
「仕事行きたかったけど、自宅療養しろって町長に言われたんだから仕方ないだろ!」
「……ここを自宅にしないでもらえますか?」
「そういうわけじゃないからね⁈」
俺が声を荒げると、ラトラはやれやれといった感じで肩をすくめる。なんだコイツ、脳天にチョップいれんぞ。……いや。大人気ないから止めておこう。
「それで、何の用ですか?」
「えっと、今日はちょっと本を借りたくてな。なんか、英雄が出てくる御伽噺とかあるか?」
本当ならシアとナナを連れて来たかったが、シアはすでに料理の仕込みをしにクレアおばさんの所へ、ナナは寝ているのを起こしたら悪いと思い連れて来ていない。別に今日地下図書館に訪れなくともよかったのだが、暇で暇でしょうがなかった為に一人で来てしまった。
「……この前借りていったやつぐらいしかないです。あとは、日記みたいのしか……それも、私が古くなった日記を別の本に書き写しただけなので、本物ではありませんがそれでいいなら」
シアが読んだのはそれだろうか。違うにせよ、他にないのならそれを貸りるほかない。
「それでいいんだ。貸してくれよ司書さん」
「…………わかりました持ってきます、司書ですから」
地下図書館の司書ラトラは、いそいそと本棚と本棚の間を縫って、図書館の奥へ奥へと行ってしまう。普段は俺のことを馬鹿と罵ってくるラトラだが、司書として頼りにする時だけは、きちんと司書としての役割をこなしてくれる。
ちょろいぜ。
「……どうぞ、これです」
「おお、ありがとう」
「司書ですので」
ラトラは誇らしげにドヤ顔を作るが、俺はそれを軽く無視しつつ、ラトラに渡された薄い本を開いた。目次などはなく、初っ端から文字が綴られているのみだ。
「……椅子に座って読んだらどうですか?」
「確かにそうだな」
ラトラに言われて、俺は近くの椅子に腰を下ろした。大した分量ではない為、立ったままパパッと読んでしまおうと思ったが、ラトラがそう言ってくれるのなら座るべきだ。
『鬼の王、バルバロスとの戦いは酷く過酷なものだった。今まで軽くあしらってきたゴブリンの背後に、ここまで強大な力を持った王がいるとは。鬼の王は俺を見やるとガラガラした声で「貴様カ……、銀髪ノ男トイウノハ。わかるぞ、その全身から滲み出る力、相当なものだ」と俺を讃えた。敵に褒められるのは癪だが、不思議と悪い気はしなかった。その言葉を皮切りに始まった俺と鬼の王の戦いは、すぐに原始的な殴り合いに落ち着いた。拳と拳を打ち付けあい、純粋な力のぶつけ合い。いつしか、鬼の王と俺は互いに獰猛な笑顔で笑っていた。今までは力の全てを出す機会がなく歯痒い日々だったが、鬼の王との戦いになって、やっと力の全てを出すことができた。殴り合いは二時間続けられた、その末に敗北したのは俺だった。バルバロスは引き分けだと言うが、どう見ても俺は敗北していた。バルバロスは去り際に「また会おう、銀ノ英雄」と言葉を残し、愉快そうに笑った』
『鬼の王、バルバロスとの戦いを終えた俺の右目の視力は消え、左腕にいたっては肩口から奪われた。その分、バルバロスにも深手を与えることができただろうが、おそらく鬼の回復力ならば、数十年経てば治ってしまうことだろう。右目を縦に裂くようにして負わせた傷も、いつかは消える。俺一人では、あと一歩バルバロスには及ばなかった。……二回に止めようと思ったが、気分が向いた時にはまた日記を綴ろうと思う』
『朝起きると、傍には愛する妹が今日も今日とて可愛らしい寝顔を浮かべて眠っていた。よくよく見れば、目元には泣き腫らした跡がある。また、泣かせてしまったのか。俺は兄として、失格かもしれない』
『最愛の女性がお見舞いにやってきてくれた。腰には何故か剣をぶら下げていた。そのことを尋ねると、彼女は小さく微笑んで「貴方の力になりたいの」と言ってくれた。愛されていることを再確認すると同時に、嬉しくて涙が出た。今まで、俺を手助けしようとする人が一人もいなかったからなのかもしれない』
『愛する妹、エリゼに「俺が死んだらどうする?」と冗談まじりに聞くと、思いっきりぶたれた後、思いっきり抱きしめられた。「……何年、何十年、何百年待つことになろうとも、次元を超えてでも、生まれ変わったお兄様を必ず探し出してみせます。それまで待っていてくださいますか?」と真剣な表情で尋ねてくる妹に、俺は恥ずかしさで顔を赤らめつつ「ずっと待ってるよ」と答えていた。恥ずかしさで、死んでしまいそうだ』
『愛する妹、エリゼが俺に食事を作ってくれたらしく、ありがたく食べさせてもらった。将来はいいお嫁さんになりそうだ、と言ってやると妹は顔を真っ赤にして、顔の前で手を振り「そ、そんな僕なんかが、いいお嫁さんだなんて⁉︎」と必死に否定していた。その姿が、愛らしく微笑ましい』
『最愛の女性が、俺の妹に対抗するように食事を作ってくれた。妹の料理に勝るとも劣らず、いや、少し上のような気が。将来、いいお嫁さんになってくれますか、と尋ねると彼女は少し寂しそうな顔をした後「もちろんです」と元気よく返事を返してくれた。やはり俺は、愛されている』
『……だんだんと死期が近づいてきているのが分かる。俺はもうすぐ死ぬ。そのことをエリゼと最愛の女性に話すと、エリゼは泣きじゃくり、最愛の女性は顔を顰めた』
『手足が動かなくなった。ただ、口だけは未だに達者に動いてくれるようで、友人に代筆してもらって今この日記を書いてもらっている。色々と言いたいことはあるが、手短に済ませよう。………俺は妹を最愛の女性を世界で一番愛している。共に生きることができないのが、残念でならない。願いが神に届くなら、どうか生まれ変わってまたいつか、二人に合わせて欲しい』
日記はここで終わった。
「損傷が酷くて、ごく一部の日記しか私は復元できませんでしたので……」
「これだけ復元できただけでも十分すぎるって、自信持てよ司書」
「……そうですね、私は司書ですからね」
……ほんとちょろいな。お兄さん、ラトラが将来変な男に捕まったりしないか心配だぞ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……やけに静かね」
今日の北の森は、朝早い時間ということもあるのだろうが、静かすぎて不自然に感じてしまうほど閑散としている。いつもなら、不快な鳴き声の一つや二つが聞こえてきてもおかしくはない。だが、鳴き声が聞こえなければ、小枝を踏みおる音も、草木を掻き分ける音も聞こえない。
「……なんで?」
思案するが、北の森が静かである理由が見当たらない。仕方ないので、近くの横倒れになっている木に腰をかけ、肩にぶら下げていたポーチを開いた。ごそごそとポーチの中を手で探り、お目当の物を取り出そうとするがポーチの中にはお目当の物はない。
「……いつも入れてるもんだから忘れてた」
いつもポーチに入れてる筈のパンは、昨日ソーマに料理の為に使われて無くなっていたことを思い出す。来る途中で買っておけばよかった、と軽く不満を漏らしてため息をつく。
クルルルル、と可愛らしい腹の音がなった。静かな森の中だとよく聞こえる。
「……そう言えば、朝食食べてなかった」
どうして朝食を食べなかったのか、とミスラは少し後悔したが考えても無駄だと頭を振って、思考を切り替える。朝食を食べなかった理由が、昨夜食べたソーマの料理が意外に美味しくてムカついたというだけなので、特に考える必要はない。
ミスラは木から立ち上がり大剣を握ると、とりあえず素振りを始める。
ゴブリンがやって来ないと急に暇になるが、だからと言ってダラダラしていい理由にはならない。暇な時間は自分磨きに費やし、己を鍛え続けなくてはいけない。
「……もう、逃がしはしない」
数日前、自身の不手際のせいで二匹のゴブリンの町への進入を許してしまった責任が、ミスラに重くのしかかる。それそのはず、今回は幸い誰も傷つくことはなかったが、ゴブリンが進入してきた時の悪夢はミスラは誰よりも理解している。あの日。ミスラの殺両親が殺された日のことは、今でも鮮明に思い出せる。あと一歩のところで勇者の到着が間に合わず、ミスラの両親はゴブリンに撲殺された。それも、ミスラの目の前で。両親は棍棒で殴られ続け、もはや原型を留めておらず、ぐちゃくちゃした肉の塊に成り果てていた。その凄惨な光景が目に焼きついているミスラは、怒りの矛先を失態を犯した勇者ではなく、両親を殺した直接の原因であるゴブリンへと向けた。
「……もうあんなことは嫌だ」
自身の過去に起きた最悪を知っているからこそ、ミスラはあのような形で過去と同じような失態を犯してしまった自分が憎らしかった。
「……ゴブリンが、人が外出していない町を見てすぐに何処かにいったらしいからよかったけど」
ゴブリンが町に進入してしまったその後のことを、ミスラはベッドの上で寝かされる前にシェストから聞かされていた。そのシェストの言葉が全て偽りであるとは知らずに……。自身を酷く憎む程の失態を犯して未だミスラが我を失わないのは、町民に被害が出ていないことを聞かされているからだ。
ソーマが全身に布を巻いているのには気づいてはいたが、ソーマの普段とは変わりのない態度に、ミスラはダサい服装としか思っていなかった。




