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第20話「お姉さん」

 



 俺が目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。体を起こしてまず目に入ったのは、むさ苦しいようで優しい顔立ちの町長。「まさかの町長が町民の家に不法進入⁈」と驚いていたら、町長が急に深く頭を下げてきたことで更に驚愕。わけのわからない状況に戦慄しつつ、思わず俺も頭を下げる。

 その時から、一時間程度経った今。


「あの……町長さん。お願いですから、いいかげん頭を上げてくださいよ。町長の判断は何も間違ってなんかない、むしろ正しかったんですから」


「……そう、なのでしょうね。ただ、正しいことがすべてではありません。確かに私の判断は正しかったのでしょうけれど、それは同時にソーマ君を見殺しにしようとしたことでもあるんです。…………大変、申し訳ないことをしました。町を代表して、私が謝らせていただきます」


 そう言って、町長は俺に向けて再び深く頭を下げる。時間にして数十秒もの間、町長が頭を下げ続けるのを俺は黙って見ていることしかできない。


 別に俺は自分が町の人達に見殺しにされただなんて思っていないし、町の人達が無事ならそれでいいと思っている。言ってはなんだが、どうでもいいとさえ……。だが、それは俺が思っているだけで、周りがそう思っているかと言ったら、違う。


 俺が気にせずとも、周りがそれを気にしている。

「俺はそんなこと心底どうでもいいと思ってる」なんて言って、周りの気持ちを考えず、周りの思いを軽くあしらうのは良くないことだ。

 と、町長に、いや町の人達にひっきりなしに謝られて、そのことをようやく思い知った。


「……町長の気持ちはよくわかりました。それに、これ以上謝られると、逆に変な罪悪感というかなんかそんな感じのを抱いてしまうといいますか……。ですから、もう頭を下げないでください」


 もう何度町長に頭を下げさせてしまったかわからない。町の代表である町長に何度も頭を下げさせるのは、町民の一人である俺としては、仕方のないこととは言え、あまりいい気分がしないのは隠しても仕方がない事実だった。


 町長が謝り続けてかれこれ一時間。町長が頭を下げた回数は両手足の指じゃ足りない。もう町長の思いは痛いほどに理解したつもりだ。俺の思いが通じたのか、町長は「……おお、これはすいません」と言葉にして、頭を上げてくれた。

 これは話題を変えるチャンスだなと思い、


「…………あの、それでですね町長。例の件については、もう町の人全員に伝わっている感じなのでしょうか?」


 万が一聞かれたくない相手に聞かれないように、小声で町長に話を振った。町長である以前に一人のおっさんである町長の耳元に口を近づけるのは、ハッキリ言うとなんかノリ気がしないが、聞かれたくない相手に聞かれない為に、この際は仕方がない。


「ええ、幸いここは大きな町ではないので、もう町の人達全員に伝え終わっていますよ。…………ただ、本当によろしいのですか?」


「町長の言いたいことはわかりますけど、これでいいんです。なんか、恩着せがましいじゃないですか。それに、今まで町を守ってきたミスラに、今日たった一度守っただけで俺がデカイ顔してると思われたくないんですよ」


「…………そう、でしょうね。それでは、私はこの辺でおいとまさせていただきます。まだ今日の仕事が終わっていないもので……」


 はにかみつつ町長は席を立ち、最後にもう一度だけ俺に向かって頭を下げ「ありがとうございます」と言葉にしてから、俺の部屋から去っていった。現在の時刻は午後九時。


「……夕飯食ってないや」


 呟き、ベッドから体を引きずり出す。体が痛むようなことはないのだが、自分の体を見てみると殆ど全身に包帯のような白い布が巻かれていた。腹に巻かれている白い布を、人差し指と親指で少しめくってみる。


「……傷がない」


 確か、ゴブリンの爪に引き裂かれたりして腹はかなりの重症だった気がするのだが、白い布の下には傷一つ存在しなかった。他の部位に巻かれた布も軽くめくってみたが、何処にも傷一つ存在していない。

 この前、夕食を作っている最中に少し切ってしまった人差し指の傷さえも、跡形もなく消えている。


「前にも似たようなことがあったな」


 まだ俺が異世界に召喚される前、全身に手酷い傷を負った俺が、女神の世界に初めてお呼ばれされた時と同じ状況だ。


「あいつ、いつの間に。姿ぐらい見せろっての」


 姿ぐらい見せてくれれば、礼の一つや二つ言ってやったというのに。

 あの女神は、俺が呼んでも俺の前には姿を現さない。あいつはいつだって、気ままに、唐突に、俺の前に姿を現す。もし呼んで出てくるような某ハクション大魔王みたいな……いや、それなら某アクビちゃん……まぁそんなやつだったら、毎日呼び出して聞きたいことを聞きまくってた筈だ。


「とりあえず、今は夕飯か。腹が減って死にそう…………ってか、ミスラはどうなったんだ?」


 せめて、シアの膝の上で眠る前に北の森にミスラを探しに行くべきだったか。もしくは、さっき帰っていった町長にでも聞けばよかったか。どちらにせよ、その望みは叶わないことだが。

 廊下に出ると、当然としてミスラ部屋のドアがある。


「帰ってきてんのかな?」


 ミスラの部屋に続くドアノブに手が伸び……。


「……いや、やめとくか。玄関に行けば、靴があるかないかでわかることだし」


 私の部屋には入るな、とミスラにはきつく言われている。部屋に入って確認したい、ミスラの部屋の中を覗いてみたいという気持ちはあるが、約束を破るわけにはいかない。最悪、家から追い出されかねないからな。

 潔く諦めて、俺はリビングに向かう。

 リビングに続くドアを開けると、


「やっほう、ソーマちゃん。お姉さんがぁー、お邪魔してるよッ!」


 目元にピースサインを当てる緑髪の変人、シェストがテーブルの椅子に腰掛けていた。


「…………おかえりください」


「帰りまー……………………」


「…………」


「せんっっっ!!」


「……間が長いんだよ」


 俺は嘆息しつつ、胸前でバッテンを作って拒否アピールするシェストの対面に腰をかける。俺が席についたことを確認すると、シェストは口を開く。


「……ミスラはちゃんと家まで帰してあげたからね。にしても、やけに北の森がうるさかったからちょっと確認しに行けば、ミスラが倒れてるからびっくりしたよ。今は部屋で休ませてるから、後で見に行ってあげて」


「…………見に行けって、俺とミスラの関係を知って言ってるんだからタチが悪いよな。まあ、アレだ……」


「なぁに?」


「ミスラを助けてくれてありがとう。…………って、なんで笑うんだよ⁉︎」


 せっかく人が頭を下げて感謝の気持ちを伝えているいうのに、シェストは愉快そうにくつくつと笑っていた。本当に愉快そうに。


「だぁって、ソーマちゃんとミスラの関係がうまくいってないのを、お姉さんは知ってるんだよ? そのソーマちゃんが、頭を下げてまで感謝するなんて、ねぇ?」


「……確かに関係はそんな良くない。けど、ミスラが俺の嫁で、家族なことには変わりないだろ。その家族を助けてもらったんだ、ちゃんと感謝ぐらいするさ」


「ならお腹すいたから、夕飯作って。ほら、早く作る!」


「遠慮ないな⁉︎」


「お姉さんが弟みたいな奴に遠慮することなんてないでしょー」


「いつから俺がシェストの弟分になったんだよ。……夕飯の材料買ってないから、たいしたの作れないけど文句言うなよ」


 席を立ち、「文句なんて言わないよぉ〜」という言葉を背に受けながら、俺は台所に立つ。家にある材料は、素朴なパンと数種類の香辛料と調味料ぐらいで、ミスラの好物料理の練習に使っていた食材ばかりだ。

 もうこれは、ソレを作れと神が言っているまである。


「何ができるか、お姉さん楽しみだなぁ〜!」


「まあ、まずくはないから期待してくれ。……なあ、いつも不思議に思ってたことがあるんだけど、聞いていいか?」


 てきとうに、耳を切り落としたパンを切り分けながらシェストに尋ねると「いいよぉ〜」と気の抜けたふわふわした声が返ってきた。


「なら、聞くけど。ミスラとシェストの関係ってなんだ?」


「私はミスラの育ての母。いや、育ての姉ね」


「…………はい?」


「だーかーら、私がミスラを育ててきたの。私がミスラの育ての姉なの。そういう意味では、ミスラと結婚したソーマちゃんは、私の弟分と言ってもあながち間違ってないんだよ」


「……初耳なんだけど」


「初めて教えたから、そりゃ当然。まあ、続きは食事が終わってからね」


 そう言われて、仕方なく料理に集中することにした。切り分けたパンを素揚げし、香辛料と調味料で味を整えたとろみのあるスープの中にそれをぶち込む超お手軽料理は、十分もかからずに完成。

 できた料理を二人分取り分けて、テーブルの上に並べた。

「……手抜きっぽい」とシェストが文句を垂れたが、類い稀なる俺のスルースキルでそれを無視して、テーブルの席に着いた。


「いただきまーす!」


「いただきます」


「……うん、すごく美味しい!」


「そりゃあどうも……」




  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 シェストが何度もおかわりをする所為で時間を食ってしまったが、四十分程で食事を終え、現在は食後の紅茶を嗜んでいる。


「……っで、あの話の続きをよろしく」


「まったく、せっかちな男は嫌われるよー。まあ、いいんだけど。…………話の発端は今から約十年前、ミスラがまだ八歳の頃の事ね」


 シェストは紅茶を一口飲んでから、ゆっくりと話を始めた。


「十年前、町にゴブリンが入ってきちゃったのよ、今日みたいにね。その時、運悪くゴブリンがミスラの家に入ってきて、ミスラの両親はミスラを庇ってお亡くなりになったわ。なんとかミスラだけは、急いで駆けつけたその時代の勇者様が助け出したんだけどね」


「……続けてくれ」


「そうして一人ぼっちになったミスラを、一番仲がいい? いや、ミスラの姉的な存在だった当時十四の私が引き取って育てたの。ミスラってば、どうしても私から離れたくないらしくてー、もう本当にお姉ちゃんっ子だったなー」


 頬に手を当て身をよじりながら、「何処に行くにも後ろにくっついて離れなくてねーッ! ほんと可愛かったんだからー!」とくねっくね悶える姿は、シェストがミスラの姉的存在であったことをうざいぐらいに表していた。シアとナナという例を間近で見てきた所為か、姉妹で暮らす様子はすんなりと受け入れることができた。

 ミスラがやけにシェストの言うことを大人しく聞いていたのにも、納得できる。


「……それで、続きは?」


「それでねー、周りの大人達に助けてもらいながら二人で暮らしてたの。そうして一年ぐらい経った頃かな。だいぶ落ち着いてきたミスラは、両親を手にかけたゴブリンがどーうしても許せなくて、勇者になるって言い出して時代の勇者の弟子になりましたー!」


「……時代の勇者って誰だよ。年齢的には、その……、まだ生きてるはずだろ?」


「ソーマちゃん、よく会ってるじゃん。クレアおばちゃんだよ。まあ、勇者を引退したクレアおばちゃんに戦う力はもうないんだけどねー」


「…………まじかよ」


 と、若干驚きはしたが確かによくよく考えてみれば、初めて会った時にミスラのことを気にかけていたし、俺と会う前のミスラが『クレアおばさんの台所』に通っていたのも頷ける。

 にしても、まじか……。

 俺のケツをことあるごとに叩いてくるクレアおばちゃんが、元勇者とか、まじか……。


「そんなわけで、五年ほどの修行を経てミスラは勇者をクレアおばちゃんから引き継ぎ、憎きゴブリンから町を守っているわけだよ! そうして今、ミスラはソーマちゃんと結婚して夫婦で暮らしてるということだよね」


 ひとしきり喋り終えたシェストは、紅茶をぐいっと飲み干し「ふぅ……」と一息つくと、「めでたしめでたしだね」と話を締めくくった。


「ミスラの過去にそんなことがあったのか……」


「そうだよ驚いた? まあ、……この話を聞いたんだから、ソーマちゃんはもっとミスラのことを考えてあげないとダメだよー! ってことで、お姉さんはもう帰らないと」


 時計を見れば、すでに十時を軽く過ぎている。


「……シェスト、今日は色々と助かったよ。ありがとう」


「まあ、私はあなた達のお姉さんだからこれぐらいは当然! それじゃあ、まったねー!」


 手早く荷物をまとめたシェストは、夜のテンションとは思えないテンションのまま、胸の前で可愛らしく手をぶんぶん振ってから俺の家をあとにする。あのテンションの高さに、幼い頃両親を亡くしたミスラが助けられていたかと思うと、今日だけはあのテンションの高さに感謝しておこう。


 ただ、これからはミスラの助けにならなくてはいけないのは、夫である俺だ。いつまでも、あのテンション高い姉に頼ってはいられない。



「…………もう少し早く来ればシェストに会えたのにな、会わなくてよかったのか? ……ミスラ」



「……今起きたの。それにシェストとは毎日会ってる。あと、喋りかけてこないで妊娠する」



 俺の視線の先には、部屋から出てきていたミスラが、壁に寄りかかるようにしてリビングの一角に立っていた。


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